二
次の日。
私は晦に言われて、狩衣姿で待機していた。晦は陰陽寮の人たちを配置に着かせている。
祭事を執り行う人々が段取りにくるくると動き回り、警備として武官たちがあちこちに配置されている。
紫陽花区で執り行われるそれは、大々的に紫陽花区の人たちに見られるようにしていたため、紫陽花区の人たちは突然大量に詰めかけてきた牛車を怪訝な顔で眺めていた。
「よう、姫様は後方待機かい?」
「……薄月。こちらの責任者はあざみ姫ですが、顔を出さずにいいのですか?」
「終わった話だよ」
こちらはずいぶんとさっぱりしている。どのみち、この人も大量に女性を抱えている上に、忙しくしているあざみ姫を優先することもできないから、このふたりはこれでいいのかもしれない。
私が背中に佩いている刀に気付いたのか、薄月は「ほう……」と声を上げた。
「今日の捕り物の首、あんたが獲るのか」
「……そのつもりです。あなたはあやかし退治のために?」
「俺は民間だからねえ。本職の武官やら陰陽師やらが出張っているのに、地元民だからってしゃしゃり出られるもんかね」
「出ればいいと思いますよ。あなたは式神が見えていた時点でただものじゃありませんし、もしかしたら陰陽寮で働く道も出るやもしれませんし」
「勘弁してくれ。晦を見ていたら、あれはあれで不自由そうだし、あれも相当無理しているだろうから」
「そうなんでしょうか?」
たしかにあの人、黙って勝手に抱える性分だけれど。私がそう考えていたら、薄月は笑った。
「それに、あんたも薄々気付いてんだろ。あれが訳ありだって」
薄月はちらりと私の首筋を見た。今は男装している手前、うなじが露わになっているときに見られては叶わないと、首にはぐるぐると包帯を巻いて噛み痕を誤魔化している。晦に噛み切られたそこは、私が幼少期から空いていた噛み痕をどういう訳か本当に上書きしてしまい、今は晦の歯形しか残っていない。
私は包帯越しに首を押さえると、口を開いた。
「それでも……私はあの人を信じたいですから」
「信じたい、ね。そうだな。それでいいか」
それ以上は薄月もなにも言わなかったが。
やがて重々しい牛車が祭事場に入ってきた。途端に先程までの喧噪はなりを潜め、場は引き締まる。
牛車から最初に降りてきたのは水干姿の稚児。朝廷に見習いとして入る、どこかの貴族の子が出てきて、まだ甲高い声を上げた。
「女王陛下、おいでになられました」
それから牛車から、しずしずと桐女王が出てきた。
彼女が出てきた途端に場は重くなり、空気が冬の朝のように冷え、息が苦しくなる。思えばこの空気の中で幼少期はよく生きてこられたものだ。
でも。私はその息苦しさの中、背中の刀に意識を飛ばした。
……これだけ上手く化けていても、なお状況証拠が、彼女が叔母上ではないと証明している。
飲まれるな。飲まれたらきっと、あの人は斬れない。
やがて、祭事がはじまった。
楽器を奉納する女官たちが集まり、琴、琵琶、鼓、鈴の音が響き渡る。その中、しゃなりしゃなりと踊る舞手が踊りを披露する。
その美しさに、人々が魅了される中。
「お待ちを」
唐突に演奏を妨害し、桐女王の前にひれ伏す者が現れたのだ。
……晦だ。私は彼がしようとしていることに、胸が冷たくなるのを感じた。
「ありゃ、視線を舞台から散らしたところで、暴露をする気なのか」
そう薄月は嘯きながらも、袖に手を入れている。彼は既に戦闘体勢に入っている。私も背中の刀に気を集中している中、晦は朗々と声を張り上げた。
「此度の落雷を鎮める祭事、それは無効にございます」
「……なんだと?」
「此度の朝廷への落雷、引き起こしたのは私だからでございます」
途端に場はどよめいた。
「なっ……あの方、陰陽寮の筆頭ではなかったんですか!?」
「あれ、あの人、普段このあたりでよく見る人だよね。いい人なの? 悪い人なの?」
「そういえば……あの人には噂があったから……」
最初は好奇の目だったものの、誰かの囁きで一気に周りは混乱に陥った。
「晦様は、狐憑きだと」
私は思わず背中の刀の柄を突いてシャンッと音を立てた。
「馬鹿なことを言いなさいますな」
思わず声が固くなる。
「あの方は今まで、夜な夜な紫陽花区のあやかしを狩っていた素晴らしい方。その方を狐憑きだなんて、よくもまあそこまで悪く言えますね!?」
「だが……ならどうして狙った場所に雷なんて落とせるんだ。一介の陰陽師じゃ、そんなことは無理だ」
だんだんと場は混乱だけでなく、恐怖に飲まれていく。
場が、悪い悪い方向へと転がっていく中。
晦と桐女王だけは平然としていた。
「ほう……雷を落とし、朝廷を恐怖と混乱に落とした咎を償いに参ったか?」
「いえ。あなたを朝廷の結界から誘い出すことが肝要でした。あの結界はあやかしを通さない。だからこそ、あなたは今の今まで安穏と過ごせたのですから」
「おかしなことを言うな、貴様も」
「……
ずっと平常心を保っていた桐女王の眉が、初めてピクリと動いた。それに周りはどよめく。
「クズ? 女王のことを?」
「しかし……葛は別に女の名前では一般的では」
春花国では、春花秋月の名前から、女性には花の名を、男性には月の名を付けるのが一般的であり、葛もそこまで変な名前ではない。
でも、どうしていきなりその名前を。
私が刀の柄に手をかけたまま見ていたら、晦が声を上げる。
「手短に私の半生を語ります。私は……王族の傍流で生を受けましたが、すぐに捨てられ、寺で育った身です。しかし寺で私のことを育ててくださった神官様は、私のことを察してずいぶんと気の毒がりました。私にはあやかしの気配がすると」
周りは混乱した。
あれ……。私は混乱しながらも、晦を凝視していた。
薄月は「やっぱり」とでも言いたげな態度を崩さなかった。
晦の言葉に、桐女王の顔がだんだんと曇ってくるのがわかる。
「私の父は貴族であり、王族の降嫁した女性を娶ったらしいのですが……その女性は早死にしたそうです。ただ、彼女を看取った医者は、彼女を診て驚いた声をあげたとのことです。彼女は……もうとっくの昔に死んでいるはずなのに、どうして今の今まで生きていて、あまつさえ子まで成したのかと」
晦に畏怖を浮かべていた人々は、ますますもって混乱していたけれど。私はひとつひとつの点が、だんだんと繋がっていくのに気付いた。
どうして晦は私を式神として使役できたのだろう。
どうして晦の生き霊は狐の姿をしていたのだろう。
そして。どうして晦は桐女王に固執していたのだろう。
桐女王が冷え冷えとする目をして彼を見下ろす中、晦はやっと顔を上げた。
「……私はあやかしを狩りながら、一部の大物のあやかしは、たとえ体が死んでも魂を抜きだして、新しい体を得るために移動することがあると知りました。そうしたら、私の母のあり得ない死体も理解ができるのです。私の父母が、あなたの器をつくるのに、もっともいい相性だったのではありませんか? 桐女王……いえ、母上。いいえ。千年狐」
途端に、周りはどっと声を上げた。
「まさか……桐女王があやかし!?」
「千年狐なんて言ったら、大陸から渡ってきたとされる、大物のあやかし!?」
「でも待て。そんなものが自分の保身のためにこの国の王族を乗っ取っていたっていうのか!?」
場は混乱し、とうとう貴族たちの中にも我先にと牛車に乗って逃げようとするものまで現れた。
この場の監督を務めているあざみ姫は泣きそうになっている。
「おやめください! お帰りならば、きちんと順番を守って!」
「こんなところにいられるか! こんな場にいたら……」
平民たちも巻き込まれたくないと一心に逃げようとしているものの、祭事場の出入り口が塞がって誰もかれもが身動きが取れなくなってしまっている。
一方、武官たちは弓を構えるべきか否かで会議がはじまっていた。
「どうする? あれが本当に桐女王ではなく……」
「……晦殿は、たしかに言動には問題があるが。あやかし退治で矛盾した言動をしたことがない」
「しかし……女王に弓矢を穿つのか?」
その混沌とした状態の中、私はとうとう刀を抜いた。
武官だったらまだいい。でも。晦に桐女王を殺させることだけはしてはいけないと思った。
……たとえ本当の母でなかったとしても。彼に母親殺しだけは、絶対にさせてはいけない。
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