都を出ることなんて、国司として各国に出仕するか、都落ちとして追い出されるか、出家してどこかに奉納活動をするか以外ないと思っていた。

 だから、こうして晦と一緒に牛車に乗り、比較的整備された道を進んでいくのは不思議に思えた。


「都の外はもっとおそろしいと思っていましたけど……ずいぶんとのどかなものですねえ」


 私の感嘆の声に、晦は苦笑してくる。


「そりゃ四六時中あやかしが跋扈し、強盗が襲いかかってくる訳ではありません。それにここは神庭に向かう道筋ですから。王族を襲って無事でいられる強盗はなかなかいないでしょうなあ」

「そうなんですか……」

「紫陽花区を見たでしょう? 紫陽花区だって夜な夜なあやかしが現れて、女子供は襲われますし、男たちはそれを守るために戦って命を落としています。私や薄月のようなあやかし退治をする者だっていますが、数は足りません。都の外は、もっと術者も武官も少ないのですから、あやかしが現れたらもっと大変なはずですよ」

「……そうなんですか。だとしたら、私は運がいいんでしょうね」

「はい、その通りです。どうか姫様もくれぐれもそれをお忘れなきよう」


 そうか……私は「はい」と言ってから、窓の外を眺めた。私の知らないことがたくさんある。

 私は王族の中でも廃嫡されて、そのまんま出家が決まっていたとはいえど、世間知らずのままここまで来てしまった。

 よくも悪くも晦に式神にされていなかったら、平民の暮らしだって、あやかしのおそろしさだって知らないままだったんだろうな。

 そうシュンとしていると、晦がふっと笑った。


「まあ、脅かしましたが、神庭に向かう道は本来ならば王族が使っていたもの。本来ならば一介の陰陽師では使えなかったものを、二日月様のおかげで使えているのですから、あまりお気になさらず」

「……いいんですよ、晦。わざわざ謝らなくても。私が無知だったんだと思い知っただけですから」

「王族の姫君が無知なのは、そこまで悪くはないと思いますよ」

「……たしかに、私は廃嫡されていますから、女王の資格がありませんけど。知らないままはよくなかったと思うんです」

「知らないままはよくなかったと、まずはその知見を得られただけで、充分だと思いますよ」


 そう慰められてしまった。私はなんとも言えない顔で窓の外を眺めていた。

 どこかの荘園の畑の豊かな緑が見える。本当の本当に、のどかな光景だった。


****


 その夜、庄屋邸に泊まることになった。

 牛車の牛にご飯をもらい、晦と御者は部屋に通される。私は晦の隣にいたけれど。

 ふいに怖気が走り、私はビクン、と肩を跳ねさせた。


「……やはり、都の外は結界がほぼ張っておりませんし、陰陽師もわざわざ用もなく外には出ませんしねえ。いるみたいです」


 晦は庄屋に声をかける。


「今から札を貼ります! 使用人たちも全員屋敷の中に入れて、こちらがいいと言うまで戸を閉めて、絶対に中から出ないでください!」

「ひっ!? な、なんでしょうか!?」

「あやかしです! あやかしが出ましたから、今から出ます!」

「わ、わかりました!」


 庄屋は慌てて屋敷内の人々に声をかけはじめた。それを見ながら晦は袖から筆と札を取り出すと、あれこれと書き出し、御者に伝える。


「この札を貼った場所ならば、あやかしも下手に手が出せません。庄屋さんや使用人たちが集まっている部屋の四隅に貼るように伝えなさい」

「わかりました!」


 御者さんは陰陽師との付き合いに慣れているらしく、晦の説明を受けてすぐに駆け出して行った。

 私は晦から刀を受け取ると、それを握って一緒に屋敷の外に出る。


「それにしても……いきなりあやかしが出るなんて」

「これはおそらくは、我々の足止めでしょう」

「神庭に行かれたら困るってことですか? 神庭に行かれると、あやかしが困るって訳ですか」

「……かもわかりませんね。いよいよ、あなたの体がまずいかもわかりません」

「……っ、怖いこと言うのをやめてください!」


 思わず悲鳴を上げながら、外へと飛び出した。

 既に日も暮れ、昼間はのどかな景色も、日差しが消え失せると影が強くて濃く、闇が迫ってきておそろしく思える。

 その中。光が見えた。


「人魂!?」


 思わず悲鳴を上げるものの、晦はどこまでも冷静に人形を飛ばす。


「いえ、あれは人魂ではなく、目でしょうな」

「目って……じゃあ、あれは……」

「……ウウ」


 こちらにうめき声が響いてきた。

 目を凝らし、光を凝視する。やがて闇から浮かび上がってきたのは、白くふさふさした毛並み、こちらをよだれを垂らしている口元からは牙が覗いている。そして二股に割れた尻尾……。猫又であった。


「人の姿を取れないあやかしは、大したことがありません。それじゃあ姫様行きましょうか」

「行きましょうって……あなた」


 よくよく考えれば、晦は私が式神になる前から、ずっとあやかしの調伏をひとりでし続けていた。彼からしてみれば、あやかしの強弱は体に刻み込まれているのだろう。

 ……私は刀を握って、そのまま跳んだ。

 晦が貼り付けた人形は、猫又の動きを阻害して、そのまま地面に縫い付けようとする。その術式を破ろうと、猫又は「ニャアニャア……!!」と嘶く。


「観念、おし……!!」


 私が刀を滑らせると、猫又の胴を切り伏せる。途端に血が大きく噴き出た。

 それに刀を振って鞘に収めると、私は晦に振り返った。


「……今晩は猫又一匹だけで終わりでしょうか?」

「今晩は、ってところですね。今のうちにあやかしがこれ以上蔓延しないよう、術式を施しておきましょうか。このままあやかしが群がってこられては、庄屋にも迷惑をかけますし、長い旅路をあやかし退治のためにずっと眠れないんじゃ、陰陽師の私に式神の姫様だけだったらともかく、御者も牛も参ってしまって神庭に辿り着きません」

「それはそうですね……お願いします」


 晦は私が促すと、手早く猫又の死骸に酒をかけ、人形に筆でなにやら書き込んでから折りたたむと、火にくべはじめた。

 あやかしの死骸が燃える匂いは、なぜか麝香の匂いに似ている。その匂いが残っている内は他のあやかしが来ないのだから、これでひと晩は穏やかに眠れることだろう。

 庄屋に声をかけて屋敷に戻った晦は、与えられた部屋で横たわると、私を招き入れて横に寝かせた。

 私に気を与えるために口付けをしたあと、私を抱き寄せる。普段であったら、この人は私をからかっているのかなんなのかわからないって態度だけど、ずっとされていると、どうにも違和感が拭えなかった。


「晦……あの」

「ん、姫様。まだ眠れませんか?」

「そうではなくてですね。あなた……なにかに怯えていませんか?」

「気のせいですよ。そうですね、姫様にあまり格好付けられてませんから焦っているのかもしれませんねえ」

「茶化さないでください。だって、あなた……」


 私がなおも言い募ろうとすると、晦は私を抱き寄せる力を強めた。それで私は彼の胸板で鼻を潰される。痛い。


「なにをするんですか……」

「お願いですから、今日は黙っていてくださいよ。いい子ですから」

「訳がわかりませんよ」

「……お願いですから」


 私はその声色に押し黙ってしまった。

 その声は晦から初めて聞いた、懇願の色を帯びた声音だったのだ。

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