神庭の正体
一
それからも、私たちは各地の庄屋邸でお世話になりながら、神庭へと進む。
夜にはずっとあやかしが現れ続けるため、その歩みは思っている以上に遅かった。やがて、神庭に近付くにつれ、だんだんと景色が白んでくるのに気付く。
「これ以上は、前が見えなくて進めません。どうなさいますか? 戻りますか?」
御者は悲鳴のような声を上げ、晦に尋ねた。
私は刀を背中に佩き、尋ねた。
「もういっそのこと、私が行って様子を見てきましょうか?」
「……いえ、あなたはあれを間近で見たら混乱するかと思います。ですから、私も行きます」
「ですけど……この霧の中、目は利きませんけど?」
「目が利かないなら、鼻を利かせるまでですよ」
鼻を利かせるって……。
私は思わずジト目で晦を睨んでいたら、晦は御者に声をかける。
「少し長考するために横になります。一刻経っても目が覚めない場合は、そのまま元来た道を引き返してくださいね」
「わかりました」
御者との会話に、私はぎょっとして晦を見た。
「あなた一刻も眠るつもりですか?」
「方便ですよ。寝ません。ただ、強い力を持たぬ彼では、起こっていることを理解できないでしょうね。現に彼はあなたのことだって見えていないじゃないですか」
「まあ……たしかに?」
納得できるような、できないような。私は晦がなにをしたいのかわからないまま眺めていたら、彼は手を切って呪文を唱えはじめた。
なにをする気だろう。漠然とそう思っていたら、晦はいきなりカクンと首を曲げて眠ってしまった。
「ちょっと……本当に寝る人がありますか!?」
「いえ。肉体が眠っているだけですよ」
その声は、たしかに晦のものだったけれど、晦の口から吐き出されたものではなかった。
「……晦?」
「少々お待ちを。久々にやりますからね」
「久々にって……ええ? え?」
私は思わず目を疑った。晦の体から、なにかが噴き出ているのだ。いくら寒い夜だって、口以外からは白い息が漏れ出る訳はないし、暑い夜だって汗は玉になって転がり落ちるだけで、湯気なんて出さない。
だというのに、晦の体からしゅーしゅーと白い霧が噴き出てきたと思ったら、だんだん形を司ったのだ。それは白くて大きな……狐のように見えた。
「狐……? なんですか、陰陽師って、こんな術が使えるんですか?」
「さあてね。他の陰陽師が使えるかどうかは知りませんが、私は魂を抜き出して、思い通りの形に造り直すことができるだけですよ。もっとも。魂を抜き出すなんて真似、偵察以外はなにもできなくなりますから、本当に滅多に使ったりしませんよ」
「そうなんですか……」
生きているのに魂が漏れ出して生き霊となったりすることはあるらしいけれど、その生き霊がこんなに丁寧に違う生き物になるなんて話、まず聞いたことがなかったから驚いた。
そして晦を名乗る大狐はすっくと伏せた。大きな尻尾はふさふさとしている上に、九尾とやや多い。
「それでは姫様、お乗りください」
「乗ってって……なんでですか」
「先程も申しましたが、私はこの姿になった場合、偵察以外なにもできません。姫様に頑張って戦ってもらわなければ、なにもできませんからね。その代わり、この姿になったら鼻は利きますから、偵察もそこそこ精度はいいかと」
……いくら狐の姿を取っているからって、この人の上に乗っていいものか。そう思うものの、ふかふかとした毛並みは無性に触りたく、私は思わず手を伸ばして、ペタペタと触った。それに晦は尻尾を揺らし、耳を伏せる。
「姫様、日頃は私にあまり触りませんのに。次からはこの姿で誘惑すればよろしいですか?」
「……そういう言い方お止めください。触ってみたくなっただけです。それで、上に乗ればよろしいんですね?」
「ええ。まあ、式神のあなたであったのなら、そこまで重いことはないと思いますし、落とす心配もないかとは思いますがね」
「……まあ、そうですね」
式神の私と生き霊の晦であったのなら、特になにも問題はないだろう。
それにしても。私は晦の背中に乗り、ふさふさの毛並みに身を任せながら尋ねる。
「……晦は既に、神庭がどういう場所なのか、わかっているのですか?」
「憶測ですがね。朝廷が関与している、朝廷があやかしを飼っている、そして王族の女性ばかりがあそこに送られている……おのずと答えは見えてきますよ」
私ではなにがなんだかわからないのに、晦はもう当たりを付けている。そのことに釈然としないものを感じながらも、彼が駆けはじめるのに身を委ねた。
狐の彼は高く跳躍し、白んだ視界をものともせずに突き進む。
「速いですね」
「狐ですからね……それにしても」
「はい?」
「……あなたの匂いがします」
「なっ!? なんですか、また私になにかするつもりですか、今あなたは狐じゃありませんか」
日頃魂を分け与えられるために、何度も口付けを交わしているのを思い返し、顔を火照らせると、晦は極めて冷静に「いえ違います」と返してきた。
「あなたの……体の匂いです」
「……ええ? 晦。あなたが私の体に式神を付けて遠隔操作をなさっていたのでしょう? 私の体を呼んだのですか?」
「呼んではいませんが……式神には指示をしていました」
「指示、ですか……?」
私はされた覚えがないものの。釈然としないまま晦を見つめていたら、晦は丁寧に解説してきた。
「ちなみにあなたは私が使役している体を取ってはいますが、あなたに関しては特に指示を出してはいません。ただあなたの魂がこのまま抜け落ちてしまわぬようにする応急処置が、あなたの式神化でしたから」
「そうですか……それで私の体に付けていた式神の指示とは?」
「はい。定時報告……これに関しては姫様も一緒に式神の報告を見ていたと思いますが」
「見てましたね。でも最近、あまり報告が上がっていなかったようですが」
「それですが」
やがて晦は道を逸れて走りはじめた。
竹藪の中で、思わず身を竦めるものの、晦は俊敏に竹藪を避けながら突き進んでいくおかげで、大した痛みもなく竹藪を突き進むことができた。
「あなたに身の危険が迫った場合、あなたの魂が体に帰れなくなるおそれがあるため、それの回避行動を取るように指示を出していました」
「それは……」
「本来、あなたの体は神庭の偵察のために待機させていましたが、神庭が危険と判断した場合は、脱出するように指示を出していましたが……あちらも神庭の結界を施していたせいで、脱出するのが困難だったんでしょうね……かろうじて脱出できたようなものですよ」
そういえば。神庭の結界は陰陽師が使うものとは違うとは言っていた。
陰陽師の使う結界は、外敵が来ないようにする遮断するためのもの。それに対して神庭の結界は、結界内に収めたものが外に出ないように維持するためのもの。それに引っかかったせいで、私の体と晦の式神はなかなか脱出できなかったんだろう。
「なんで私の体に身の危険が迫ったんですか、そもそも神庭を出ないといけない理由って……」
「姫様。神庭にはどうして王族の女性ばかりがいるんですか?」
「どうしてって……王族の出家しなければならない方です」
「どうして、出家しなければならなかったのですか?」
「それは……全員、番の呪いにかかり、もう降嫁することもできずに……あれ?」
晦に淡々と指摘されて、気が付いた。
そもそも結界がおかしいとは、晦も調査するまで気付かなかった。神庭の結界はあやかしを閉じ込めるためのもの。
……そのあやかしは、いったいどこから来たのだろうか。
そして王族の女性たちは、どうしてわざわざ番の呪いを受けなければならなかったのだろうか。まるでそれは。
気付いた途端、私は式神の体にもかかわらず、怖気が走って体を抱き締めることしかできなかった。
「……こんなこと、ありえるんですか?」
それは悲鳴に近いなにかだった。
「私たち、王族の女は……わざわざあやかしに飼われるために、神庭に送られていたなんて」
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