18.「おい!妖怪が出たって本当なのかい!?」

桜国という国は極東にある列島だ。その歴史は古く、かつて大陸から渡ってきた一族が住み着いて出来たと言われている。

今から約500年程前に、桜花と呼ばれる一族が列島を武力で統一し、現在の桜国の形を作り上げた。

初代女皇・桜花織姫は自らこそが神の子孫であると称し、圧倒的なカリスマ性を持って国を統治し、王朝を築き上げた。


しかし、桜花家が統一を果たしたと言っても争乱は終わらなかった。

妖怪と呼ばれる人類に敵対的な生命体や、半化生という桜国の支配を拒む獣人種族、それに桜花の支配を受けぬ流浪の民などが各地に跋扈していたからだ。


そこで女皇は全国に朝廷の代官職を設け、そこに地方行政を任せる事にした。

"守護者"と呼ばれる彼女等は、各地の争いを収める為に奮闘し、やがて桜花の平和は保たれるようになった。

桜花一族の近縁である天羽家を征妖大将軍の座に就け、妖怪を討ち果たし、長い年月を掛け反抗的な半化生を征伐し、各地の守護者の働きで反乱分子を潰し、ようやく全国を纏め上げる事が出来たのである。


ようやくこの国に平和が訪れた。


しかし、それも束の間だった。



徐々に、桜花一族の力が弱まってきた。原因は、初代女皇の血が薄れてきた事だった。

桜花は強大な力を持つ一族であったが、それは初代の女皇の力があってこそ。

時が経つにつれて血は薄まり、力を失っていったのだ。

その為、各地での反乱が増えていき、ついには朝廷の転覆を目論む輩が現れた。

それは他ならぬ守護者達であった。かつて国を安定させる為に各地の守護者達に力を与えすぎたのが仇となり、今度は守護者達が反乱を起こすという事態になってしまったのだ。

守護者達は自らを大名と称し、支配領域を拡大せんとし、そして遂には各地は乱れに乱れ、争いの時代へと突入してしまった。

桜花一族は勿論、その懐刀である天羽大将軍家にも争いを抑える力は最早無い。各地の守護者は互いに争いを始めたのだ。


そして、その天羽将軍家も弥勒院家と鷹司家という桜の都近辺を牛耳る二つの大名家によって謀殺された。


時代のうねりは、止まらない。


世は、戦国時代であった。




―――――――――




「わぁ~!綺麗だなぁ…」



白狐は産まれて初めて見る外の世界を見て感動の声を上げた。

白狐は、生まれてからずっとこの幻魔の住処で暮らしていた。毎日同じ景色を見て、同じような食事を食べて……

別に嫌ではなかった。何故なら母がいつも傍にいたからだ。


しかしそれでも外の世界への憧れはあった。そしていざ実際に外を見るとそこは美しい世界であった。

木々が生い茂り、動物達が自由気ままに暮らしている。春の陽気な日差しが心地よい。


今白狐がいるのは山の頂にあった幻魔の住処から麓まで下りた所にある樹海。

そこには沢山の動物達がいた。

鹿、猪、狐、狸、兎、鳥、蛇……数え切れない程の生き物がここに集まっていた。

皆、白狐を珍しそうに見つめている。中には近寄ってくる者もいた。


動物自体は今まで住んでいた所にもいたが、ここまで沢山の種類の動物を見るのは初めてだった。

白狐は目を輝かせながらキョロキョロと辺りを見渡す。自然と笑顔になっていた。


あぁ、なんて素晴らしいんだろう。こんなに色んな物があるだなんて。

白狐は自分がいかに狭い世界に生きていたのかを思い知った。



「ほら、おいで~。一緒に遊ぼうよ」



すると、一匹の鹿がおずおずと近づいてきた。白狐は手を伸ばし、鹿に触ろうとする。

鹿は一瞬ビクりと体を震わせたが、すぐに安心したのかゆっくりと白狐の手を受け入れた。



「わぁ……フワフワだなぁ」



鹿の毛はとても柔らかく、撫でるととても気持ち良かった。白狐はその感触を楽しむように何度も撫でる。

白狐は動物に好かれやすい体質らしく、近くにいた他の動物達も白狐の周りに集まり始めた。

白狐は動物達の頭を優しく撫でていく。彼等は白狐が自分達に危害を加えないと判断したのか、段々と大胆になっていく。

鼠が白狐の服の中に入り込んだり、雀が肩に乗ってきて頬擦りしたり、狐が白狐の顔を舐めてきたりした。

白狐は動物達にされるがままになる。白狐は、まるで夢の中のような感覚だった。


だが、そんな夢はあっという間に覚める事になる。



「?」



不意に動物達が皆一様に耳をピンと立て、一斉に顔を上げる。

その表情は険しい。何かを警戒しているようだ。

何だろう?と白狐は首を傾げると、森のあちこちでガサガサと音がする。



「―――」



音は徐々にこちらへ近づいてくる。

どうやら何者かがこの山にいるらしい。


一体、何が……


と、その時だった。



「グゲェー!!」



突然、不気味な鳴き声が響き渡る。同時に動物達が一斉に逃げ出した。



「えっ!?」



白狐は訳が分からずに戸惑う。逃げ遅れた白狐は、突如現れたソレに目を奪われる。

それは、人型をした異形の怪物であった。

頭は肥大化し、目はギョロリとしており、口は裂けていて牙が生えている。手足は丸太のように太く、全身は灰色の毛皮で覆われていた。

明らかに人間や動物とは一線を画した存在だ。



「妖怪…!」



話には聞いていた。この世界には人間や半化生とは異なる生命体がいると。そしてそれらは全てに敵対する存在であると。

それが妖怪。

白狐は目の前の妖怪をじっと見据える。

妖怪は白狐を見つけると、ニヤリと笑みを浮かべる。そしてそのままズシズシと足音を鳴らしながら近づいて来た。



「!」



初めて見る妖怪に白狐は虚を突かれたが、何とか平静を装った。そして妖怪が間近に迫ってきた所で思い切り見つめる。

すると妖怪の動きがピタリと止まった。



「ギィ……」



妖怪は白狐を品定めするように見つめた後、再びニタァと笑う。

そして次の瞬間、信じられぬ速度で拳を振り上げた。



「!」



常人では反応すら出来ない速さで飛んできた拳。あの丸太のような腕で殴られたら肉は弾け飛び、骨は砕けるであろう。

しかし、白狐はそれをしっかりと目視できていた。白狐は咄嵯に身を屈めて回避する。その動作に合わせて白狐は手に妖力を纏わせ、手刀を放つ。



「グギャア!?」



見事、白狐の攻撃は妖怪の腹部に命中した。

妖怪は苦悶の声を上げ、よろめく。しかし白狐はすぐに追撃を行う。今度は両手に妖力を集め、それを圧縮して放つ。



「はっ!」



白狐の手から放たれたのは光の玉。それは高速で飛翔し、妖怪の胴体を貫く。



「グゲッ!?」



妖怪は悲鳴を上げて倒れ伏す。

白狐は警戒しながら倒れた妖怪に近づく。



「や、やった…?」



恐る恐る、白狐は倒れる妖怪に手を伸ばす。反応は無い。

どうやら完全に絶命しているようだ。



「はぁ…はぁ…」



初めての戦闘に白狐は息切れしていた。緊張からか汗も出ている。

妖怪を見たのも初めてだし、実戦も勿論これが初である。

正直、怖かった。何が何だか分からぬうちに殺されてしまうのではないかと思った。

でも勝った。勝てたのだ。



「……ふぅ~」



白狐は大きく深呼吸をする。

まだ心臓がバクバクしているが、もう大丈夫だ。

そうだ、自分は幻魔に修行を付けて貰った一人前の忍なのだ。並の妖怪に遅れを取る事などない。白狐はそう自分に言い聞かせ、気を取り直す。


改めて白狐は倒れ伏す妖怪を見る。

毛に覆われた体は血塗れで、腹部が半分無くなっていた。



「……」



白狐は一瞬目を瞑り、手を合わせる。

妖怪とはいえ、生き物の命を奪った事に白狐は罪悪感を感じていた。

だが次の瞬間、妖怪の身体に変化が訪れる。

ボコボコと泡立つような音を立て、溶けて蒸発していく。そして跡形も無く消えてしまった。

後には何も残っていない。



「……え」



通常の生物では有り得ぬ現象に白狐は困惑した。


なんだ、今のは?死体が溶けて無くなった…?白狐は訳が分からず混乱した。


妖怪というのは全生命体に敵対的な存在とは聞いていたが、詳しい事は知らなかった。

果たして生き物の死骸があのように消滅するものなのだろうか。そもそも何故、妖怪は自分を襲ったのだろう。

白狐は考えるも答えは出ない。


白狐がその場に立ち尽くしていると、一陣の風が吹いた。



「!」



その風に乗って声が聞こえた。



「これは…悲鳴!?」



誰かの叫び声。白狐はハッとして耳を澄ませる。

白狐の狐耳がピコピコと動く。

確かに今、何処からか助けを求める声が聞こえる。それもすぐ近くだ。

白狐は急いで駆け出した。



「こっちだ!」



白狐はひたすら走る木々の間を縫うように進む。

やがて開けた場所に出た。



「あれは……!」



そこにいたのは先程の妖怪と似た姿を持つ存在だった。

しかも複数体である。どれも人間よりも大きい巨躯をしている。彼等は地面に座り込む女性を取り囲むようにして立っていた。


妖怪達と、女性の視線が小さな乱入者に注がれた。




―――――――――




白狐が森の中で女性の悲鳴を聞いて駆け出す少し前の事―――



桜国中央から東に位置する蒼鷲地方。山々に囲まれ、自然豊かなその地方の北部にはある集落があった。名は碧波村といい、餅が名産品の集落だ。

いつもは閑散としている碧波村だが、今日は騒然としていた。



「おい!妖怪が出たって本当なのかい!?」



村の女達が慌ただしく動き回る中、一人の女が大声で尋ねる。

すると別の女性が「そうなんだよ!」と答えた。



「あぁ、もう二人食われたらしい。暫くは村の外に出るなってさ」


「そんな……」



それを聞いた女性は愕然となる。

どうしてこんな時に限って妖怪が現れるのか。



「何だって妖怪がこの村に……小領主様は駆除人を寄越してくれないのかい?」


「今小領主様んトコに人やってるが…どんなに早くても十日は掛かるだろうよ。ここは小領主様の街まで遠いからな…」



絶望的な状況に女性は目の前が真っ暗になりそうだった。

この村は平和な所だ。人を襲う妖怪など滅多に現れない。故に危機に対応する戦力も少なかった。



「村長が村にいれば安全だから門の外には出るなってよ。ま、少しの辛抱だからオメーも大人しくしとれよ」



普通ならばそうなのだろう。だが、焦る女性にはそうはいかない理由があった。

こうしてはいられない。女性はバッと立ち上がると「村長に直談判する!」と言った。



「お、オイ!?何言ってんだよ!?」



突然の行動に周りの者は驚き、慌てて止めようとする。しかし、女性はそのまま走り去ってしまった。



「どうしたってんだアイツ?」


「さぁ…」



女性が村長の家に着いたのはそれから数分後であった。



「おや、綾子さんではないですか」



家の前で掃除をしていた女性…30前後であろうか、綺麗で整った顔立ちの女性は、訪ねて来た人物を見て柔和な笑みを浮かべる。

綾子と呼ばれた女性は息を切らし、肩を大きく上下させていた。相当急いで来たようだ。



「そ、村長さん!妖怪が出たから暫く村の外には行くなって本当かい!」



村長は綾子の言葉を聞きピクリと眉を動かす。



「えぇ、本当ですよ。でも村の中にいれば安全ですから」


「で、でも!薫の薬がもうないんだ!森で私が薬草を摘んでこなくちゃならない!」



必死の形相で訴える綾子。

彼女は村に住まう農民の一人だ。昨年成人したばかりの若者だが真面目な性格で、よく働き、皆からの信頼も厚い。

そんな彼女がここまで取り乱すのは珍しい事だった。

それもその筈、彼女の妹は病気で定期的に薬を飲まないといけなかったのだが、もうその薬が無くなる寸前なのだ。

薬を作るには森に生えている薬草が必要なのだが最近は中々生えておらず、更に値段も上がっていた。

このままでは妹の命が危ない。だからこそ、綾子は何とかして自分が森に行くしかないと考えていたのだ。



「薫の薬が…」



村長と綾子は昔からの付き合いだ。故に村長は綾子の妹もよく知っている。病弱だがとても優しい娘だ。

綾子と薫の母親は既に他界しており、姉妹二人で仲良く暮らしていた。だが二人はそれでも健気に生きていた。



「お願いだよ村長さん!私に行かせてくれ!」


「……」



綾子は頭を下げて懇願するが、村長は難しい顔をしていた。

確かに綾香の気持ちは痛い程分かる。しかし、妖怪がいる以上、彼女を危険に晒すわけにはいかなかった。



「綾子。貴女は妖怪がどういうものか知っていますね?奴らは人間を食べるのです。もし襲われたらひとたまりもないでしょう」


「っ……!」



妖怪とは、人の血肉を好み、食らう化け物。奴等は人間を見ると襲い掛かってくる習性がある。

妖怪にも色々な種類がいるが、最弱の妖怪でも武器を持った成人女性よりも遥かに強い。ましてや、戦闘経験のないただの村人である綾子が太刀打ち出来る相手ではなかった。



「この碧波村は狸山の麓に位置しています。樹海がすぐ傍にありますが、樹海の奥…狸山に近付かなければ妖怪は殆どいません。ですが、何故か妖怪が山から降りてここまで来ている…何があったのかは分かりませんが、貴女を危険に晒す訳にはいきません」


「くっ…」



目を伏せる綾子を見て村長は心苦しかった。

自分の無力さが恨めしい。

正直な話、弱い妖怪相手ならば自分の敵ではないが最近出没した妖怪からは信じられない程の妖力を感じるのだ。



「……分かったよ」



暫くして、綾子は静かに答えた。



「森には入らない。大人しくしておくよ」


「……今、小領主様の元へ遣いを出してますから安心して下さい。どうかそれまで、薫ちゃんの傍にいて守ってあげてください」



村長はそう言うと優しく微笑む。だがそれは無理やり作った笑顔であった。

小領主のいる街とこの村は距離があり過ぎる。それに、すぐに人を派遣してくれるかも分からないのだ。

このような辺境の村にわざわざ兵や駆除人を寄越してくれるとは思えない。



―――恐らく間に合わないだろう。



村長は唇を強く噛んだ。自分は綾子に嘘を吐いた。そして、その嘘で彼女の大事な妹は死ぬ。


…いや、そもそもの話…村にいれば安全だというのも真っ赤な嘘なのだ。

奴等が大量に乗り込んでくればこのような防備も無いような集落などすぐに蹂躙されるだろう。

村人がパニックにならぬように安全だと言っているに過ぎない。



「…………」



綾子は無言で俯いていた。そして、踵を返して走り去って行った。



「あ、綾子さん!?」



村長は綾子を呼び止めようとしたが、もう彼女の姿は見えなくなっていた。



「……ごめんなさい」



村長は小さく呟き、悲しげに目を細めた。



「……」



村長の家を出た綾子は一人、村の門へと向かって歩いていた。



「あれ、綾子じゃないか。どうしたんだい」



「あぁ、ちょっとね。村の外に行ってくるよ」


「はぁ?お前知らないのか?今妖怪がうろついてるって…」


「大丈夫だから」



「お、おい待てよ!駄目だって!外に出るなって言われてるだろ!」



門番は慌てて綾子の腕を掴もうとするが、綾子はするりと門番の手を避けて走り出した。



「あっ……!」



そのまま駆けて行く綾子を呆然と見送る門番。

門番と言っても、素人に毛が生えたようなものだ。その為守りも完璧とは程遠いし、門や柵も簡素な作りな為出ようと思えばすぐに出られるのだ。



「そ、村長に報せないと…」



綾子の姿はもう見えなかった。



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