17.「白狐が危険だと感じたら周りのゴミ共を皆殺しにしてでも助けろ。分かったか?」

春の日差しが降り注ぎ、暖かな風が吹く。桜の花が咲き誇り、道端にはタンポポが咲いていた。

少年の植えたチューリップは見事に花開き、綺麗な花を咲かせている。



―――今日は少年が幻魔の元を去る日であった。



「えっと…忘れ物は…」



少年は風呂敷に荷物を詰め込んでいく。その中には、幻魔と過ごした想い出の品もあれば忍者道具、そしておやつが入っていた。



「息子よ。ちといいかの」



そうして少年が荷造りをしていると、幻魔が部屋に入ってきた。

少年は作業を中断して母の元へ駆け寄る。



「お前に言っておくべき事と渡したい物があっての」



言っておくべき事と渡したい物…

一体何だろうか?少年は首を傾げる。



「まず、お前の名前についてじゃ」



名前…

名前がどうしたというのか。少年はますます分からなくなった。

名前なんて親から付けて貰った立派な名前が…



名前が…



名前…



「し、師匠!!大変です!!僕の名前がありません!!」



そう、少年には名前がなかったのだ。今までずっと幻魔にはお前やら息子やらと呼ばれていたため、自分の名前を気にしていなかった。

しかしよく考えたらとんでもない事である。名前が無いなんて、人間としてどうかしていた。キツネだけど…



「落ち着け、我が息子よ。今までお前に名前を付けなかったのには理由がある…」



幻魔は少し言いづらそうにしていたが、覚悟を決めたように話し始めた。



「実は、お前が拾った時からずっと名前を考えていての……だが中々決まらんかったんじゃ」



幻魔は申し訳なさそうな顔をして俯く。

なんという事だ。幻魔は…母は何年もの間自分の名前を考えてくれていたのだ。少年は感動して泣きそうになる。



「…そして今日、ようやく候補を絞り込めた」



幻魔は懐から何かを取り出すと、それを少年に手渡した。それは古びた書物だった。表紙には達筆な文字で『命名辞典』と書かれている。



「これは?」


「お前の名前の候補じゃ。これを見ればきっと気に入るものがあるはずじゃ」



少年は本を開く。そこには沢山の名前が書かれていた。

そう、沢山の…それこそ数え切れない程の……



「あのぅ…これ、何個くらいあるんですか?」


「大体5千個くらいかの」



5千…?絞り込んで、5千だと…?

少年は思わず眩気がする。母の愛情は嬉しいが、ちょっと重すぎた。



「さあ、好きなだけ選ぶがよいぞ♡」



幻魔は自信満々といった様子で胸を張る。少年は心の中で頭を抱えた。



「えぇ~……こんなにあると迷っちゃうなぁ」



少年はペラペラとページをめくる。中には変わった名前のものや変なものもあったが、どれも個性的で面白そうだ。

だが、結局どの名前もピンと来ない。どれを選んでいいものなのか、少年には判断がつかなかった。



「この名前なんかオススメじゃぞ。大魔神狐ノ之丸と書いてダイマコンギツネノスケマルと読むのじゃ」


「それはいいです」



そんな名前の奴がいてたまるか。少年は即座にそう言った。



「ならばこっちはどうじゃ。鬼神王牙狐と書いてキジンオウガキツネと読ませるのじゃ」


「それも嫌だなぁ…」



少年はげんなりした顔で言う。



「ではこれはどうじゃ!?」



幻魔は次々と名前を言っていくが、少年はことごとく却下していった。

少年は段々と理解する。母のネーミングセンスは壊滅的だという事を…

少年はガックリと肩を落とす。まさかここまで酷いとは思わなかった。しかし全て拒否するのも可哀想だ。ここは素直に受け入れよう。少年はそう思い、少年はパラパラとページをめくって、一つの名前に目を止める。



「これは…」



そこに書いてあった名前。


『白狐』


白い狐と書いてビャッコと読むらしい。おおよそ名前とは言えぬ名前だが、不思議と惹かれるものがあった。



「おお、決まったのか!」



幻魔は嬉しそうに言う。少年は小さく笑みを浮かべると、その名前を指差して言った。



「うん、これにします」


「ほう、それか。それはお前を拾ってから十日後に考えた名前じゃ。白い狐耳と白い尻尾を見てたら自然と頭に浮かんでのぅ。じゃが白い狐とかそのまんまだし、安易過ぎると思ってな」



確かにその通りかもしれない。少年は納得して苦笑する。

しかし、それでも良いと少年は思った。何故なら、この名は真っ白な自分によく合っていると思ったからだ。

何者にも染まる事の出来る純白、それが自分なのだと少年は思う。



「ふふっ、そうかそうか。気に入ってくれたようで良かったわい」



幻魔は満足げに微笑んだ。少年は照れ臭そうに笑う。



「ありがとうママ!僕、この名を大切にするよ」



少年は本をギュッと抱きしめてそう言った。

幻魔はその言葉を聞いて嬉しく思う。自分の息子が自分の付けた名を喜んでくれる……これほど幸せな事はない。幻魔はそう思っていた。



「今からお前の名前は白狐じゃ。その名の如く白く、そして清く正しく生きていくのじゃぞ」


「はい!!」



幻魔の言葉に少年――いや、白狐は大きく返事をする。

こうして、少年は名前を手に入れた。

少年の名は白狐。母から貰った名前だ。

少年はこれから様々な出会いを経験するだろう。だが、どんな時でも母との想い

出を忘れる事は無い。

離れていても、二人は確かに繋がっているのだ。



「あぁ、それともう一つ…お前に渡したい物がある」



幻魔は懐から何かを取り出す。それは一つの勾玉であった。翠色に輝く綺麗な勾玉。一目見ただけで高価なものだと分かる代物である。



「えっと、これは?」



まるで宝石のような美しさを放つそれを、白狐はまじまじと見つめながら尋ねた。



「これはな、お前を拾った時に包まれていた毛布の中にあった物じゃ。恐らくお前の本当の母が残したものじゃろう」



幻魔はそう言って、白狐に勾玉を手渡す。



「…」



少年はそっと勾玉を握り締め、目を瞑った。


―――これを残したのは母ではない。


何故なら本当の母は自分を殺そうとしたのだから。故にこの勾玉を自分に託したのは母ではなく、姉。

金色の狐である自分の実の姉。母に怯えながらも自分をこの国に逃がしてくれた大恩ある人物。

彼女は一体何を思ってこれを残してくれたのだろうか?



「……」



少年は勾玉を見つめたまま黙り込む。

自分の過去の事は育ての母、幻魔には言っていない。余計な心配をかけたくなかったからだ。

その様子を見ていた幻魔が口を開いた。



「…その勾玉はな、恐らくはこの国で作られた物ではない。列島国である桜国から北西に進んだ場所にある大陸の国…華燎帝国で作られたものじゃ」



華燎帝国。

初めて聞く国の名に少年の胸がざわついた。



「桜国とは比べ物にならん広大な領土と、豊富な資源を持つ超大国。その国の支配者一族はお前と同じ妖狐と聞く……。男とは思えぬお前のその妖力といい、もしかしたらお前はその一族の…」


「母上」



少年は幻魔の言葉を遮るようにして言う。



「僕は桜国の忍者、幻魔に育てられた『白狐』です。それ以上でも、それ以下でもない。それ以外の何者でもあり得ません」



少年は真剣な表情で言った。その顔はどこか大人びているように見える。

幻魔はそんな白狐の顔を見つめると、静かに微笑んだ。

息子は…白狐は、自分が思っているよりもずっと強い子だった。いつまでも子供だと思っていた。だが、いつの間にか成長し、一人前の男になっていたのだ。

幻魔はそれを嬉しく思うと同時に、寂しさを感じる。


実を言えば幻魔は白狐に外の世界に行ってほしくない。世界から隔絶されたこの場所で、ずっと二人で暮らしていきたかった。

しかし、そんな事をすればきっと白狐の可能性を閉ざしてしまう。

幻魔は知っているのだ。白狐の瞳の奥に宿る熱い炎を。

白狐はいつか必ず自分の手を離れ、旅立ってしまうと知っていた。その時が来るまで、精一杯愛そうと幻魔は決めていた。


そして、今がその時なのだ。


精一杯愛した。愛されもした。ならばもう、何も言う事はない。



「そうか……お前がそう言うのであれば、儂は何も言わんよ」



幻魔はそう言うと、ニッコリと笑みを浮かべた。

白狐は少し照れ臭そうに笑うと、勾玉を懐にしまう。



「僕は貴女と過ごした日々を忘れる事はありません。例えこの身朽ち果てようとも、僕の心の中にはいつでも貴女がいます」


「白狐……」



幻魔は目頭が熱くなるのを感じた。

少年は優しく幻魔の手を握ると、その手を頬に当てて囁いた。



「どうかお元気で」



幻魔は涙を堪えると、笑顔で言う。



「うむ、お前も達者でな」



白狐と幻魔は互いの身体を強く抱き締め合うと、そっと唇を重ねた。

それは親子としての別れの儀式。

二人はしばらくそのままの状態でいた。別れを惜しむように、離れたくないと願うかのように……。




―――――――――




春の陽射しが降り注ぐ昼下がり。

白い狐の少年と、タヌキの女性は、向かい合い佇んでいた。



「白狐よ。我が愛しい息子よ。最後に一つだけ言っておく事がある」



幻魔はそう言って白狐の頭を撫でた。



「はい」


「儂はお前の事を助けぬ。外の世界でどのような事があろうと、全て自分で乗り越えろ。そして強くなれ。誰よりも強く……そしてお前だけの幸せを見つけよ」

 


幻魔の言葉に、白狐は力強く返事をする。



「はい!師匠!!」


「ふふっ、良い返事じゃ」



幻魔は満足げに笑うと、白狐を抱き寄せて言った。



「白狐、お前は自慢の息子じゃ。これから先、どんな困難が訪れようとも決して挫けるでないぞ。お前は儂の息子なんじゃからな」


「…はい!」



白狐は満面の笑みで答える。すると、幻魔は白狐を放すと、背中を押した。



「さぁ行け!お前の歩むべき道へと!!」



白狐は走り出す。


これから彼が向かう場所は決して楽な道ではないだろう。だが、それでも彼は前に進まなければならない。


何故なら彼の後ろには、常に母が付いているのだから。


白狐は振り返らずに走る。母の温もりを感じながら、ただ前に向かって走った。

――















そうして白狐の姿が消え、その場には幻魔一人だけが残された。

幻魔は空を見上げる。そこには青空が広がっていた。



「鷹妻!!鷹妻はおるか!?」



幻魔が大声で叫ぶ。

すると、遠くの方…空から「は~い」という声が聞こえてきた。



「はいはい、どうしましたか?」



幻魔の声に反応したのは、一匹の大鷹であった。鷹は幻魔の近くに着地したと思うとドロンと姿を変え、美しい少女となる。

茶髪のツインテールに豊満な胸元をした、少女。幼い顔立ちをしているが、その表情はどこか大人びている。



「いや~、あの子行っちゃいましたねぇ。私ついつい泣いちゃいそうになりましたよ。母と息子の感動の別れ…ああ、なんて素晴らしいんでしょう」



鷹妻と呼ばれた鷹の半化生の少女はそう言いながら、くねくねと身を捩らせた。

だが、幻魔が次に放った言葉でピタリと動きを止める。



「鷹妻。お前はこれから白狐に付いて回れ。無論気付かれぬようにじゃ。そしてもし白狐の命が危険に晒されるような事があればお前が文字通り飛んで行って助けろ」


「…はい?」



鷹妻は思わず聞き返した。

この人は何を言っているんだろう。あの少年に付く?私が?バレないように?命の危険があったら助ける?



「あの~。さっき『儂はお前の事を助けぬ(キリッ)』とか言ってませんでした?」


「儂は助けぬ。助けるのはお前だからの」


「えぇ…?」



鷹妻の脳裏には、困惑の感情しか浮かばなかった。

それはただの詭弁ではないか。せっかくの感動的なシーンが台無しである…



「白狐が危険だと感じたら周りのゴミ共を皆殺しにしてでも助けろ。分かったか?」


「分かりませんよ!!!」



鷹妻はそう叫んだ。



「何ですかそれ!さっきの流れは息子を甘やかさない事でしたよね!?なのに今度は一転して過保護になるんですか!?」


「うるさいのぅ。別に良いじゃろ。可愛い息子を想っての事なんじゃから……」


「よくありませんよ!そんな事したら白狐くんが変な方向に育ってしまうじゃないですか!もっと厳しくしないとダメです!!」



鷹の半化生、鷹妻。彼女は小さい頃から白狐を見守っていた人物である。

幻魔の住処に物資を運ぶ役割を担っていた事もあり、彼の事をよく知っていた。

だからこそ、幻魔の気持ちもよく分かる。直接会話はしていないものの、鷹妻もまた、白狐の事を弟のように思っているのだから。


だが…



「白狐くんのさっきの覚悟を決めたような顔を思い出してください!あんな目をした子を親が邪魔してはいけないんですよ!」


「ふーん。じゃあお前は白狐が死にそうになっても見殺しにするというのか。ふーん…」


「そ、それは……」



鷹妻は言葉に詰まった。

確かに先程の白狐の覚悟は本物だった。あれ程までに真っ直ぐな瞳を見たのは初めてかもしれない。

しかし…目の前で彼が死ぬ所は見たくない。それは偽善ではない、本心からの想い。


鷹妻はそんな自分を嫌悪する。

鷹妻という女性は見た目は少女だが、遥かな時を生きる半化生である。

その人生の中で多くの人間を見て来た。時には争い、奪い合い、騙し合い、そして愛憎劇を繰り広げた者達を。


そしてその中には、自分も含まれるのだ。

若い頃は愚かにも力こそが全てと本気で思っていた。自分が最強なのだと思い込んでいた。

だが、そんな考えはすぐに捨てた。

隠神刑部と会い、自分が井の中の蛙だと知った。隠神軍に属し、将軍の一人として人間達と戦った。


そして殺した。罪のない人間も大勢殺めた。


そんな自分が、白狐の生を願うのは愚かしいと分かっていた。沢山の命を奪っておいて一人を助けようとするなどと、恥知らずである。

それでも願わずにはいられないのだ。



「う…うぐ…うぐぐぅ…」


「あー可哀想になぁ!お前が助ければ死なずにすむのになぁ!仕方ない、諦めて白狐を見殺しにするしかないなぁ!」


「…………ッ!」



幻魔はわざとらしく言うと、鷹妻を煽った。

鷹妻は歯軋りをするが、何も言い返せない。



「鷹妻よ。命を救うのはそんなに難しい事なのか?たった一人の子供の命が救えないほどに、お前の心は弱いのか?」


「…」


「昔、数多の命を奪った事をお前が悔いているのは知っている。だが、だからといって救えるべき命を救わないのは違うのではないか?」


「……」


「お前は何の為に生きている?誰かを助ける為だろう?ならば迷う必要などあるまい。それに儂は何も人を殺せとは言っておらぬ。あくまで白狐が危ないと判断したら、それとなく助けてやって欲しいだけなのじゃ」



え…でもさっきゴミ共を皆殺しにしてでも助けろって言っていたような…


鷹妻はそう思ったが、口には出さない事にした。言った所でどうしようもないからだ。



「…分かりました。私の判断であの子の命が危険に晒されたら助けます。ただし、それが本当に危険な状況なら……ですよ」


「それで構わん」



幻魔は満足げに笑みを浮かべる。鷹妻は大きくため息を吐いた。



「あぁ、それと」



幻魔は何かを思い出したかと思うと、鷹妻の耳元に口を近づけて囁く。



「もし―――…したら…―――白狐を…―――せ」


「…えぇ!?」


「では頼んだぞ」


「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!!」



鷹妻は慌てるが、幻魔は無視して去って行く。



「あの人、やっぱり苦手だわ」



鷹妻は小さく呟く。



「まぁいいか。さてと、白狐くんの子守をしましょうかね」



鷹妻は再び大鷹の姿に戻ると、空高く飛び立った。


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