11.「いつか、立派なキツネになって、彼女を助けに行く。そんな決意です」
ぽかぽかと陽気な日差しが降り注ぐ中、一人の少年と一匹の狸が仲良く並んで歩いていた。
少年は狐耳と尻尾をピコピコ動かしながら楽しそうに鼻歌を歌い、その後ろを歩く一匹の狸は少年の後を付いて行く。
「ふんふんふ~ん♪」
「ご機嫌だな、少年」
鐘樓は前を歩く少年に声をかけた。
少年は振り返るとニコリと微笑み、コクリと大きく首肯した。
「うん!だって鐘樓さんと一緒にお散歩出来るんだもん!」
そう言って満面の笑みを見せる彼を見て、鐘樓は思わずキュンとなった。
この子はなんて可愛らしい子なんだ。自分の事を慕ってくれる彼を見ていると、鐘樓は胸の奥から温かいものが込み上げてくるのを感じていた。
「ここは険しい山の上にあるから…僕、ここに来てから師匠以外の人を見た事がなかったんです」
確かにここは山の上の方にある。道も険しく、しかも人に仇なす妖怪も跋扈している。普通の人間がここまで来る事は不可能だろう。
歴戦練磨の鐘樓でさえ、ここへ辿り着くのに少し苦労したものだ。
「だから鐘樓さんと知り合えて、こうして散歩までしてくれて嬉しいんです!」
無邪気な笑顔でそう語る少年に、鐘樓は自然と頬が緩む。
まぁ散歩どころかエッチな事もしてしまった訳だが…それでもこの子の純粋な気持ちに触れているだけで、鐘樓はこの上なく幸せであった。
あぁ…叶うならばこの子を連れて帰りたい。そしてツガイとして一緒に暮らし、毎日気持ちいいことをして過ごしたい……
ブンブンとタヌキの尻尾を振りながらそんな妄想をする鐘樓。
「(でもそれは流石に駄目だ……)」
鐘樓は一応武士である。誇り高き武士たるもの、幼子を手籠めにする等あってはならない事だ。
それではあの変態タヌキババァと同じになってしまうではないか。
いくら何でもそこまで堕ちたくない。
「(それにしても……)」
チラりと少年を見やる。
彼の顔立ちはとても整っており、将来はさぞかしイケメンになるだろうと思わせるものであった。
また彼はまだ子供ではあるが、体は程よく引き締まり、それでいて筋肉質ではない。どちらかと言うと細身であり、それがまた少年の魅力を引き立てていた。
そして極めつけは、その愛くるしい笑顔と仕草。
これだけの要素を兼ね備えていれば、どんな女であろうとイチコロであろう。
現に鐘樓も既に彼に骨抜きにされてしまっている。
「(昨日こんな子を舐めたんだよな……)」
ゴクリと生唾を飲み込む鐘樓。
彼女の頭の中には、昨日の情事の記憶が蘇っていた。
「(あ、ダメだ……イクッ……♡♡)」
ブルルと体を震わせ、絶頂を迎える鐘樓。所構わずイッてしまう女になってしまったようだ。
完全に変態である。
「そういえば鐘樓さん!」
「うひゃあ!?あ、いや、な、なにかな?少年…」
突然声をかけられ、ビクっと肩を跳ねさせる鐘樓。
少年は少し不思議そうな表情を浮かべたが、すぐに話を続けた。
「鐘樓さんは何処から来たんですか?」
少年はバサリと地図を広げながらそう言った。
大名家の支配領域と、石高が記されている地図だった。
「おや…その地図は…」
それは昨日鐘樓が隠神に渡した物である。何故少年が持っているのだろうか。
「師匠がこの地図くれたんです!『この紙切れはゴミじゃから尻拭きにでも使え』って!」
あのババァ…ふざけた真似を……
隠神に対する怒りが沸々と湧いてくる鐘樓だったが、ここで怒っても仕方がないと思いグッと堪える。
幸い少年は尻拭きにするつもりはなさそうだし、もう世俗に興味がないだろう隠神が持つよりは少年が持っていた方がいいか…とそう思う事にした。
「私はこの北方の大きな島から来たんだ」
桜国は列島である。そのため大小様々な島が存在するが、その中でも一際大きな島がこの桜国の北にあるのだ。
鐘樓が指差したのはその島である。だが、真ん中の…大名がひしめき合う一番大きな島と違ってその北の島にはなんの大名家も存在していなかった。
いわば空白のようなその不自然さに、少年は首を傾げた。
「わぁー!凄い遠いですね!でも、なんでこの北の島は空白なんですか?」
「…ここはな、半化生達が住まう土地なんだ。人間は殆どいない、半化生達の国…」
「半化生の国!そんなところもあるんですね!凄いなぁ、一度行ってみたいなぁ」
「…」
鐘樓の言葉に目を輝かせる少年。だが鐘樓は眉を寄せ、俯いた。
半化生達の国。そう言えば聞こえはいいが、大昔に人間との戦争に敗れ北に追いやられただけの話なのだ。
北の大地は過酷で、強力な妖怪が跋扈し、常人が生活できる環境では決してない。
だからこそ、人間が来ない空白の島は半化生達が身を寄せ合い、ひっそりと暮らせるのだ。
忍として人間と共に生きる事を選んだ半化生達も本州に多くいるが、それと同じくらいに北の島には人間を憎む半化生がいる。
彼女らは虎視眈々と桜国の人間支配を終わらそうと機会を狙っている。鐘樓もその一人だった。
「なぁ、少年」
鐘樓が真面目なトーンで少年に語りかける。
少年はキョトンとした表情で彼女を見つめ返した。
「君さえよければだが…私達の国に来ないか?」
つい、そんな事を口に出してしまった。
隠神にもそう言ったし、先程も連れて帰りたいと思ったが今の言葉は違う。
淫らな意味ではなく、同胞として北の島に迎え入れたいという意味だった。
このような幼子…しかも男児を連れて行っても何か状況が変わるとは思えない。だが、鐘樓はこの少年なら半化生達の…この国の現状を変えてくれそうな気がしたのだ。
なんの事はない、ただの予感だ。口にした鐘樓ですら内心何を言っているんだと思っているくらいである。
「鐘樓さんの国に?」
少年は鐘樓の申し出に驚いていたが、う~んと唸ると考え込んでしまった。
無理もない。急に言われても困ってしまうだろう。
「あ、いや、すまない……今のは忘れてくれ……」
やはり自分の考え過ぎであった。少年はただのキツネの半化生。彼に現状を変える力などないだろう。
それに少年を連れて行ったらあの人…隠神様が悲しむだろう。先程は言い争いをしたがあんな人でも主人は主人…やはり悲しませたくはないのだ。
少年は暫く唸っていたが、考えが纏まったのか鐘樓に向き直るとニコリと微笑み口を開いた。
「鐘樓さん。僕には、姉がいるんです」
少年が言ったのは予想外の言葉だった。
姉?少年に姉がいたとは初耳だ。赤子の頃に隠神様に拾われたと聞いたが…どういう事だろうか。
「彼女は、赤子の頃に母に殺されかけた僕を救ってくれた。赤ん坊の頃の記憶があるだなんて笑われるかもしれないけれど…それでも僕は覚えているんです。そして、その時からずっと、僕はある決意をこの胸に抱いています」
少年は真剣な表情になり、鐘樓へと手を伸ばす。
そして、ギュッとその手を握り締めた。
「いつか、立派なキツネになって、彼女を助けに行く。そんな決意です」
真っ直ぐな瞳でそう語る少年を見て、鐘樓は胸が熱くなるのを感じた。
少年の手は小さく震えていた。
それは寒さのせいではない。この子は怯えながらも、勇気を振り絞ってそう言ったのだと、鐘樓は理解した。
「僕を逃がした時、彼女は…姉は震えていました。バレたら自分が殺されるというのに…怖くて仕方がなかったはずなのに、僕の事を命懸けで守ろうとしてくれたんです」
少年の尻尾が小刻みに揺れる。それは恐怖や緊張からくるものではなく、決意から来るものだった。
「だから今度は、僕の番。彼女が何に苦しんでいるのかは分からないけど……でも、必ず助け出してみせる」
少年はそう言うとニッコリと笑顔を浮かべた。
「だから、僕はいつかこの国を廻って、色々見てみたいんです。人間がどんな生活をしているのかとか、この国をどう思っているのかとか……もっと知りたい。その上で強くなりたい。強くなって、彼女の力になりたい」
少年はそう言って笑う。
「鐘樓さんの国に行っちゃうと、きっと僕は貴方達と同じ感覚に…思想に染まってしまう。なんだかそんな予感がするんです。この身体はとても真っ白だから…。でも、色んな事を知りたい。そして、その先でまた彼女と会えた時に、堂々と胸を張って会いに行きたいんです!」
鐘樓は言葉を失った。
少年はこの小さな身体の中にどれだけ大きなものを秘めているというんだ。
ただ漫然と生きてきた自分には想像もつかないような、大きな大きな覚悟を持っている。
この子は、強い。そう思った。
「そうか」
鐘の鳴るような声で、少年にそう告げる。
「君は、とても強い子だね」
それは肉体的な話ではない。今この場で鐘樓と少年が戦ったら赤子の手をひねるように鐘樓が勝つだろう。
だが、少年の心の強さは鐘の音が如き美しさを持っていた。それは鐘樓が大昔に憧れた、本当の強さなのだろう。
美しい強さだ。だからこそ、惹かれてしまったのだ。
少年の瞳に映った自分は、さぞかし愚かに違いない。だが、少年はそんな自分を真っ直ぐに見つめ、手を差し伸べてくれた。
この子は隠神様の元で育てられるべきなのだ。そして、時が来たら国を見て廻り見識を広めて、その後で彼のやりたい事をすべきなのた。
少年は鐘の音のように美しく、隠神はそんな少年を包み込む暖かな日差しのような存在。
どちらが欠けてもいけない。どちらも大切な存在。人間への憎しみを捨てられない自分達とは一緒にいてはいけぬ。
鐘樓はやっと己の気持ちを理解した。
鐘の音色には人を惑わす力があると言うが、それはきっと少年が持つ魂の輝きが奏でる音なのだ。
「あ、でも北の大地にはいつか行くつもりですよ!定住はしないってだけで色々なところを旅したいですから!」
「ふっ……そうだな。その時は私が案内しよう」
少年の言葉に思わず笑みが溢れる。
いつか、この子を再開する日が来るだろう。その時まで、自分は自分なりに生きていこうと、そう決めた。
―――――――――
「もう行くのか、鐘樓よ」
「はい。いつまでもここに厄介になる訳にはいきませぬ」
少年と話したその日の夕方、鐘樓は隠神のいる本殿へと足を運んだ。
隠神はいつも通り縁側に腰掛けており、隣には少年が座っていた。
「鐘樓さん、もう行っちゃうんですか…?」
少年はしゅんと耳を下げ、寂しそうな表情をしている。
鐘樓はそんな彼を安心させるように優しく頭を撫でた。
「悲しんでくれるのは有り難いが、また会えるさ。君は一人前になったらこの国を見て回るんだろう?」
「はい…」
「なら、それまでお互い頑張らないとな。私もまだまだ未熟者なんだ。次に会った時までに女を磨いておくからな。ふふ」
「……はいっ!!」
少年は力強く返事をする。
少年の顔は夕焼けに照らされ赤く染まっていた。
「鐘樓よ。お主、なんだか変わったのぅ」
二人の会話を聞いていた隠神がポツリと呟く。
鐘樓はその言葉を聞き首を傾げた。
何が変わったのだろうか?確かに先程までこの子と話していたが、そこまで変化があったとは思えない。
鐘樓の疑問を感じ取ったのか、隠神はフッと微笑む。
その笑みは普段の隠神からは想像出来ないくらい優しい笑みだった。
まるで、我が子を慈しむ母親のようだ。
そんな表情で、隠神は言葉を続けた。
「なんともまぁ……良い顔つきになっておるではないか。昨日のお前は死に場所を求め彷徨う亡霊のようだったぞ」
「………ッ」
「しかし今は違う。ちゃんとした目的を持って生きている目をしている。その目でしっかり未来を見据えろ。そして、自分の信じる道を歩め。それがワシからの願いじゃ」
「……」
隠神の言葉の意味は鐘樓には全てを理解出来なかったが、それでも心に暖かいものが広がっていくのを感じた。
それは、今まで感じたことのないような心地の良い感覚であった。
「隠神様、一つお伝えしたい事が御座います」
「なんじゃ改まって」
「北島道にて団三郎様が軍勢を召集しております。恐らく、近い内に戦争を起こすつもりでしょう」
「……そうか」
隠神は小さくため息をつくと空を仰ぎ見る。
そして、少し考える素振りを見せると、鐘樓の方へ視線を向けた。
「彼奴は眷属の中でも一際好戦的な女じゃった。いずれこうなる事は予想してはいたが……まさかこんなにも早く動くとはな」
「何か対策をお考えでしょうか?」
「いや、何もせぬ」
「えっ?」
意外な返答に鐘樓が声を上げた。
隠神は真剣な眼差しで言葉を紡ぐ。
「儂はもう世俗を棄てた身。今の世はこのお主達の時代だ。老兵は出しゃばるべきではない」
「そう……ですか…」
鐘樓が俯きながら答える。
隠神がそう言うのであれば仕方がない。自分が口を挟む事でもない。彼女には彼女の考えがあるのだ。
「儂が出る時は神の血が世を荒らした時だけじゃ。それ以外は何もせん」
隠神はそう言って笑う。
それは、太陽のように眩しい満面の笑みであった。
神の血…?鐘樓はそれはなんだろうかと考えているとそれを遮るように隠神が言葉を続けた。
「鐘樓…お主も大方、団三郎の奴に言われて儂の所に来たんじゃろう?儂はお主達の味方にはなれんが…人間にも味方せぬ。だから安心せよ、と団三郎に伝えとけ」
「へっ…?」
団三郎に言われてここに来た…?鐘樓はここに来る前にした団三郎とのやり取りを思い出す…
―――――――――
『え!?隠神様の所に行くって!?いやいや、行かなくていいから!だってあの人変態…あ、いやなんでもない』
『何故ですか?隠神様が我々の旗頭となって下されば勝利は間違いないというのに!』
『あの人に会ってお前にまで変態が感染ったら困…あ、いやなんでもない』
『?』
『まぁどうせあの人は戦わないよ、もう。昔からヤバかったけど今はもう完全な変態になってるからな……あ、いやなんでもない』
―――――――――
「(団三郎様は何やら言い辛そうにしてたのは…隠神様が変態になってしまったという事を隠していたからかっ…!!)」
隠神の眷属にして過激派の急先鋒である団三郎。隠神の元側近である彼女は隠神が変態だという事を知っていたのだ。
故に団三郎は真面目な武将である鐘樓が隠神の悪影響を受け変態になってしまうと危惧して行かせないようにしていたのだが…
無事鐘樓は変態になってしまった。最早手遅れである。
「儂には全てお見通しじゃ。まだ耄碌はしとらぬからの。ま、儂に縋ろうというのは当たり前の感情だろうから無理もないがの…ふふふ…」
どや顔でそう言い放つ隠神に、鐘樓はどう対応しようか迷っていた。
貴方変態だから関わるなよって言われました…いやいや、そんな事言ったら傷付くだろうし、でも言っちゃおうかな……。
いや、やっぱり止めよう。
「流石は隠神様。そのご慧眼恐れ入ります」
「ふふふ、もっと褒めるが良い!」
そうだ…これでいいんだ…うん…
こうして、少年と鐘樓との出逢いは終わりを迎えた。
この先、二人は様々な苦難に見舞われる事となる。しかし、この時の彼等はそれを知る由もなかった。
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