9.「ふ、ふぅん…そう…高潔ね…。でもあの人結構変態…あ、いやなんでもない」

夢を見ていた。

炎が燃え盛る村。逃げ惑う半化生達。



「助けてくれぇ!死にたくない!死にたくなぃよぉ!!」


「お父さん!お母さん!どこ行ったの?返事をしてよ!」



泣き叫ぶ子供達。そんな悲壮な声も紅蓮の炎が飲み込み、焼き尽くしていく。

これはいつの記憶だろう。私が忘れてしまった記憶の一部だろうか。



「ごめんなさいごめんなさい……!どうか許してください……!」



幼い少女が泣いている。彼女は必死になって何かを祈っているようだ。しかしいくら神仏に祈りを捧げたところで、天罰が下される事はない。

なぜならここは地獄。弱き者に救いなどありはしない。

蹲り、許しを請う半化生の少女は世を呪った。

この世界は弱者を許さない。慈悲を与える事も、救済する事もない。

ただひたすらに、死という絶対的な絶望のみを与え続けるのだ。

ああ、なんて残酷なんだ。

こんなにも惨たらしい仕打ちがあっていいのか。


少女の中の獣が吠える。何故私達がこんな目に合わなければならないのか。

少女の中の鬼が囁く。我々の罪はそれほどまでに重いものなのかと。



「殺せ!半化生は皆殺しだ!」



人間の武士が刀を振り翳し、半化生の少女に襲い掛かった。



「っっっっ!!」



恐怖のあまり絶叫する。

殺される。殺されてしまう。もう駄目だと目を瞑った瞬間、ブシャリと肉の切れる音が聞こえた。

恐る恐る目を開けるとそこには信じられない光景が広がっていた。

人間の死体が転がっていた。そのどれもが原型を留めていない程ぐちゃぐちゃになっている。

一体誰がやったのだろう。少女が辺りを見渡すと、一人の女が立っていた。



その女は美しい着物に身を包んでいた。腰まで伸びた栗色の髪は艶があり、まるで夜空に浮かぶ満月の様だった。

タヌキの尻尾が揺れている。彼女が動くたびに、赤い血飛沫が飛び散った。



「ひ、ひぃ……!刑部狸だ!刑部狸が出たぞ!!」



女の姿を見て慌てふためく武士たち。彼らは一目散に逃げていく。

そしてその場に残されたのは少女と美しい女であった。



「弱き事は罪である」



女は静かに語り始めた。



「強者は生き、弱者は死ぬ。これが世の理であり真理」



少女は何も言わなかった。

何も言えなかった。彼女の言っていることは正しいからだ。この世は強い者が全てを支配する弱肉強食の世界なのだ。

そう頭では理解していても、心は納得していない。どうして自分だけがこのような目に合うのだろうと、少女は嘆き続けた。

そして同時に思った。ならば強くなればいいのだと。誰よりも強くなり、誰も自分を傷付ける事が出来ないほどに強くなれば、きっと皆が幸せになれる。誰もが笑って暮らせる世の中になるはずだ。

そうだ、私は強くなる。どんな障害が立ち塞がろうとも必ず乗り越えられるような、そんな強さを手に入れよう。



「いい目だ」



女は呟いた。そして少女に手を差し伸べる。



「儂と共に来い。お主はその資格がある」



少女はその手を握り返した。

そして、少女は…タヌキの半化生である少女は同じくタヌキの女と共に歩む事となった。






―――――――――






「命を惜しむな!名を惜しめ!突撃せよ!」



戦が始まった。戦場は両軍入り乱れ、激しい戦いが繰り広げられていた。

人間と半化生の争い…。燻っていた火種はやがて大火となり、遂には戦火が広がってた。


かつて炎の中で震えていた少女は立派な若武者となり、今や一軍を率いる武将となっていた。


しかし戦況は圧倒的に半化生の軍が不利であった。個々の能力は人間よりも遥かに優れる半化生という存在だが、数が違い過ぎた。

この国は、人間の数の方が多いのだ。



「鐘樓様!お味方の軍が敗走しました!もはや持ちこたえる事は不可能!」



部下の報告を聞き、だが鐘樓は冷静な表情を崩さなかった。

そして笑みを浮かべて部下に言った。



「案ずるな。この戦、我々の勝ちだ」



その瞬間、鈴の音が鳴り響く。

戦場全体に鳴り響くそれは勝利の合図と言っても過言ではなかった。



「隠神刑部のおなりぃー!」



シャンシャンと錫杖を鳴らしながら歩くのは、一匹のタヌキ。

その後ろに付き従うのは、半化生の中でも屈指の実力を誇る者達。

半化生達は歓声を上げた。その声は天にまで届きそうな程大きく、力強いものだった。



「よくぞ耐えきった。後は儂に任せるがよい」



美しいタヌキの半化生…隠神刑部が和服を靡かせながら前に出る。

その姿を見た半化生たちは一層盛り上がり、士気が高まっていった。隠神刑部は両手を天に掲げると、大声で叫んだ。

天から雷が落ちる。落雷は敵軍に落ち、一瞬にして消し炭にした。

続いて放たれるは巨大な岩石。それらは天高く舞い上がると、雨のように降り注いだ。

この圧倒的な力の前に、敵は為す術なく倒れていく。まさに天下無双。妖術を遥かに凌駕する神通力を操る隠神刑部に、半化生たちは畏敬の念を抱く。

力を尊ぶ半化生にとって、隠神刑部という存在はまさしく神そのものなのだ。



「なんと見事な御業か……」


「流石は我等が棟梁よ!」


「我らが誇り!」



口々に褒め称える半化生達。そして最後に、一人の半化生が叫ぶ。

鐘樓であった。



「勝鬨を上げろ!!」



半化生達の勝どきが響き渡る。

かくして戦は終わりを告げ、人間による侵略は未然に終わったのだった。






―――――――――






「やはり隠神様はお強い。これでもう百年近くも人間共の侵略から半化生達を守っているのだからな」


「えぇ、本当に尊敬致します」



とある屋敷にて、二人の女が話をしていた。

一人は隠神軍の一軍を指揮する半化生の女…鐘樓、もう一人も鐘樓と同じくタヌキの尻尾が生える半化生の女であった。

名を芝右衛門と言い、隠神刑部の側近にして三大将軍に数えられる鐘樓の大先輩であった。



「あぁ、私も隠神様のような強さと美しさを兼ね備えたタヌキになりたいものです。どうすればそのような風格を得られるのでしょう…」



鐘樓のその言葉に芝右衛門は一瞬間を置くと、フッと微笑んだ。



「隠神様は神の血を引く半化生だ。あのような神通力は我々には真似できぬ。無理にあの方の真似をしても徒労に終わるだろうよ」


「…分かっております。しかし私は隠神様のお傍で仕える者として、もっと強くならねばなりません。その為には隠神様のように美しくて、聡明で、それでいて強くなければ……」


「お前は本当にあの方が大好きなのだな、鐘樓…」


「勿論です!私は隠神以上に高潔で美しい者など見たことがありません。いえ、これから先も現れる事はないかと思います!」


「ふ、ふぅん…そう…高潔ね…。でもあの人結構変態…あ、いやなんでもない」



何かを言いかけて慌てて口を塞ぐ芝右衛門。

はて、彼女は今何を言いかけたのか。



「?どうかされたのですか?」


「いや……なんでもないわ……うん」



首を傾げる鐘樓に対し、芝右衛門は乾いた笑いを浮かべた。



「とにかく私は隠神様のようになりたいのです!芝右衛門様、私はどうしたらあの方に追い付けるのでしょうか?」


「うぅむ…と、言ってもなぁ…。お前はまだ100年も生きておらぬ若者。悠久を生きるあの方のようになるには年月も何もかも足りてないし、ていうかあの人みたいになったら終わりっていうか…あ、いやなんでもない」


「くっ…私のような若輩者では隠神様になるどころか、足元にも及ばないということですね……。冷静沈着にして寡黙、そして冷徹。更には思慮深く、叡智をも兼ね備えている。あれ程までに完璧な存在はいないというのに……!」


「寡黙っていうか…あれは頭の中でエロい事考えてばっかりのむっつりスケベ…あ、いやなんでもない」



鐘樓は拳を握り締める。その瞳からは闘志が溢れていた。



「決めました!私はこの戦が終わったら修行の旅に出ます!そしていつか必ず隠神の名に相応しい武将になってみせましょう!」


「お前はそのままでいいと思うがね…。ま、やる気になるのは若者の特権だ。好きにするといいさ。その前に人間共に勝たなきゃならんがね」


「隠神様がいらっしゃれば人間など恐るに足らず!この戦、必ず勝ちましょうぞ!」



勇ましい鐘樓の言葉に芝右衛門は苦笑した。この戦が終わった後、一体どのような未来が待っているのか。それは誰にも分からない。だが、少なくとも今はただ目の前の戦に勝つことだけを考えよう。

タヌキの半化生である二人は、勝利を誓うのだった。











その僅か一年後、戦は終わった。


隠神刑部の敗北という形によって。






―――――――――






「う~ん、おのれ、人間め…天羽め…」



ムニャムニャと寝言を言う鐘樓。ふと、彼女は下半身に違和感を感じて目を覚ます。



「ん…んん…」



見慣れぬ天井だ…と鐘樓は寝惚けた頭で思った。

ここはどこだ、と思いつつ周囲を見渡した時隠神の屋敷だという事を瞬時に思い出す。



「そういえば昨日は隠神様の屋敷にお泊め頂いたんだったな…」



鐘樓のねぐらからこの隠神の隠れ家までは距離がある為、昨日は色々あってそのまま隠神の家に泊まったのだ。



「それにしても変な夢を見たものだ」



遥か昔の夢。まだ自分が未熟だった頃の夢だ。

あの頃は自分も純真で、それでいて意欲さえあればなんでも出来ると思っていた。

しかし現実はそんな甘くはなく、自分はいつまで経っても未熟なまま。そして気付けばもう100年近くも経っていた。


ふと思った。もうあの頃には戻れないのだと。

あの時に感じた熱意はとうの昔に消え失せた。今の自分にあるのは人間への憎しみのみ。


何故、こんな風になってしまったのか。それを考える度に胸が痛くなる。



「…………」

 


そんな憂鬱な気分になりながらも上半身を起こす鐘樓。その時、自分の下腹部に妙な重みを感じた。



「…ん?」



何やら下半身に生暖かく柔らかい感触を感じる。なんだろうかこれは。

なんだか気持ちいい。

もう少しこうしていたいような……


あ……♡♡なんかくるぅ…♡♡



「!?!?」



ハッと我に返った鐘樓は布団を吹き飛ばすと自分の状況を理解して絶句する。

そこには鐘樓をペロペロと舐める少年の姿があった。



「し、少年!な、な、な、何をしているんだ!?あっ♡♡やめっ…♡♡」


「あっ、おはようございます鐘樓さん!♡♡」


「あ…うんおはよう…。じゃなくて!なんで私を舐め…♡♡あっ…あっ…♡♡」



「えへへ……鐘樓さん美味しいです……♡♡んっ……ちゅぱっ……♡♡」



少年はキツネの尻尾をゆらゆらと揺らしながら鐘樓を舐め回す。その技は絶妙で鐘樓は抵抗する事も出来ず、ただ快感に身を震わせる事しか出来なかった。

そして鐘樓の意識は真っ白に染まった。



「はぁ…♡♡はぁ…♡♡」


「うわぁ凄いですね!朝から元気で!♡♡」



少年は満面の笑みを浮かべながらその光景を眺めている。



「き、きみ…なんでこんな事を…♡♡」



鐘樓は理解出来なかった。

男というのは性的な事を嫌がる生き物だというのに、目の前の少年は嫌がるどころか自ら進んで鐘樓を舐め回してきたのだ。

それも、心の底からの笑顔を浮かべて。



「師匠が言ってました!女の人を起こす時はペロペロして起こすのが礼儀だって!だから僕、もうずっと昔から師匠のをペロペロしてるんです!上手でしょ!」


「(なん…だと…あの変態タヌキババァ…!!!!!)」



あの女はなんてことを少年に教えているのだ!こんないたいけな少年になんて破廉恥な真似を!

そう怒りに震える鐘樓だったが、自分とて昨日散々少年といかがわしい行為をしてしまったので、人の事は言えないと気付き、あまりの恥ずかしさに悶えた。


正確に言えば幻魔のせいではなく、前世の記憶を持つ少年は元々そうした事が大好きなのだが…そんな事は誰も知る由もない…



「あれ?どうしたんですか鐘樓さん?顔が赤いですよ?」


「な、何でもないよ……」



こうして、鐘樓はさっき見た夢を忘れる事にした。

あんな夢など、忘れてしまった方がいいのだと自分に言い聞かせたのだった。

決して気持ちいいからどうでもよくなった訳ではない。




そう、決して…



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