6.「ム、ムニュっと!?イチャイチャ!?その他は!?」

とある日の事だった。


少年が日課にしている花壇の水やり…。花を育てるのは少年の密かな楽しみだった。花はいい…見ているだけで心が落ち着く。

この世界に生まれた男の性なのか、自然を愛しているのかは分からないが、とにかく少年は植物が好きなのだ。



「中はちょろちょろ外ぱっぱ~早く大きく育ってね~」



少年は今日もじょうろを手にして水を撒きながら鼻歌を歌っていた。そして庭の花壇の水やりを全て終えた頃だろうか。




不意に背後で何者かの気配を感じた。




師匠…ではない。


最近は姿を見なくても生物の気を感じる事ができるようになっていた。

故に分かった。この気は母の気ではない。今までに感じた事のない気配だ。


少年は後ろを振り返った。


そこには一人の女性がいた。長身の、美しい女性である。だが人間ではなかった。頭には母と同じタヌキの丸まった耳…そして腰からはタヌキの尻尾。

一目でタヌキの半化生と分かる彼女は少年をじっと見つめていた。



「君は…キツネの半化生?何故ここに…」



タヌキの女性はきょとんとした表情でそう呟くように言った。

はて、この人は一体誰だろうか?ここは険しい崖に囲まれた秘境だ。普通の者がこんな所まで来れるはずがない。

耳と尻尾から見るに恐らくは母の知り合いだとは思うが…



「えっと…母上…じゃなくて、師匠のお知り合いの方ですか?」


「師匠?君は隠神様の弟子なのか?」



隠神様…?

女性が言った名前に少年は心当たりが無かった。母の名前は幻魔だ。隠神というような名前ではない筈である。



「隠神様が弟子を取るなどとは初めて聞くが……しかもこの子は男子ではないか…まさか性奴隷…?いや、あの方に限ってそんな事は…」



女性は独り言のようにぶつぶつと喋り続けている。少年は困ったような顔をすると恐る恐る聞いてみた。



「あのぅ……貴女はどちら様でしょうか?」



少年が問いかけると、女性はハッとして我に返った。



「これは失礼した。私は隠神様の眷属で名は鐘樓と言う。隠神様はご在宅だろうか?」



女性の自己紹介を聞いても少年にはよく分からなかった。眷属…?なんだろうそれは。

しかし少なくとも彼女が母の友人だという事は理解できた。だってタヌキだし…



「隠神様、というのは分かりませんが幻魔様ならばいらっしゃいます。師匠ならば今はお昼寝…じゃなくて瞑想中ですよ」


「幻魔…あぁ、確か今はそのような名を名乗っておられたか。すまないな少年」



やはり隠神というのは母、幻魔の事だったらしい。少年はようやく謎が解けすっきりした。

しかし母は何故偽名を名乗っているのだろうか。少し疑問を抱いたが、聞かない事にした。

あの母の事だ、なにか深い理由があるに違いない。



「しかしこの花畑は見事なものだな。君が手入れしてるのかい?」


「はい、毎日水をあげてます。綺麗でしょう」


「うむ、見事だ。まるで隠神様の心をそのまま映し出しているようだよ」


「そうなんです。僕はいつか師匠に喜んで貰えるようなお庭を作るのが夢なんですよ!」



少年は嬉々として答えた。自分の花を褒めるなんてこの人(タヌキ?)はいい人に違いない!

少年はたちまち眼の前のタヌキの女性を好きになった。よく見れば端正な顔立ちをしていてスタイルもいい。とても素敵な女性だ。

尻尾もタヌキらしく太くてモフモフしている。頬擦りしたらとても気持ちが良さそうだ…



「お姉さん!師匠に用事があるんですよね?僕が連れていってあげます!」



すっかり警戒心を解いた少年は鐘樓と名乗った女性の手をギュッと握ると引っ張るように歩き出した。



「えっ!?ちょ…ええぇ!?」



だが鐘樓は握られた手を見て慌てふためき始めた。



「ちょっと待ってくれないか少年!わ、私達は初対面なのにいきなりこんな事するのは不味いんじゃないのか……?」


「?」



鐘樓の言葉に少年は首を傾げる。

こんな事…?今自分は彼女の手を握っているだけだが…

見ると彼女の顔は茹で上がりそうな程に赤く染まっていた。

まさか恥ずかしいのか?いやいや、手を握っただけではないか。そんなことで恥ずかしがる者が何処にいるというのだ。現に母上はいつも平気で抱きついてくるのに……

少年はますます不思議に思った。



「こ、こーゆーのはな…君みたいなまだ幼子には早いというか…そう…いいかね、男児たるもの女人と不用意に肌を接してはいけないのものだ。例えそれが手だろうと!」



そう、男というものは女とみだりに触れ合ってはいけない。これは風紀云々というか、男を守る為のこの世界の常識でもある。

男というものに触れられると大抵の女は勘違いしてしまう。そしてその果てにあるのは破滅のみなのだ。

不用意に女に触れたが為に欲情した女に強姦されてしまうというのはよくある事だ。故に男は女に触れぬように警戒するのが常である。

鐘樓は常識ある女(と彼女は自分で思っている)なので男に触れられたからといって彼を襲うような事はしないが、下品な女ならば欲望に任せて少年をめちゃくちゃにしてしまうだろう。



「???」



だが少年にはいまいち理解できないようで、またもやキョトンとした顔をしていた。



「し、師匠は教えてくれなかったのか?そんな常識を…」


「触れ合っちゃいけないもなにも…僕、師匠と毎日裸で抱き合ってますけど」


「ブフッ!!」



少年の何気ない一言で鐘樓は鼻血を噴き出す。

この少年は今なんと言った。裸だと……? 女と男が一緒に寝る時といえばそれはもうそういう事をする以外に無い。



「き、君はもしかして隠神様の婿なのか?」


「婿?いえ…僕は師匠とは母子の関係ですが…」



なんだ母と息子の関係か。親子ならば肌を触れ、裸で抱き合っても問題ない。

鐘樓はホッと胸をなでおろした。



「…ってそんな訳あるかいっ!!なおヤバいわっ!!」



鐘樓の一人ツッコミが炸裂する。それを見て少年は賑やかな人だなぁ、と呑気に考えていた。



「というか君はキツネの半化生だろう。キツネがタヌキである隠神様の息子というのは一体…?」


「僕…赤子の頃に捨てられたんです。それを師匠が拾って、育ててくれてるんです」


「むっ…そうなのか」



それならば筋が通っている。タヌキがキツネの子を拾うとはなんとも奇妙な話ではあるが。



「師匠は僕を一人前の忍に育てるために厳しく指導してくれて…感謝しかありません」


「ほう…忍…」



この少年は忍の卵だったのか。

男が忍をするというのも鐘樓の常識には無い事柄であったが、彼女は忍には詳しくないが故にそういう事もあるだろう…という感想しか出なかった。



「忍の修行の中に房中術というのがあるんですが……裸で抱き合って眠るのはその訓練です」


「は?房中術?」



房中術…確か大陸から伝わってきたとされる養生術の一種だっただろうか。男女の交わりによって心身ともに健康になり長生きするという……

だが何故それが親子の間で行われるのかが分からない。



「僕はまだ未熟だからもっと修業が必要だと言われましたが……でも師匠のおかげで房中術だけは一人前になりました!」



少年はニッコリと笑った。その笑顔はとても愛らしいものだったが……



「(いやそれ絶対騙されてるって…)」



少年の話を聞いて鐘樓は内心ツッコんだ。

どう考えてもおかしい。いくらなんでも親子でそのような行為を行うなど……

というか房中術は別に忍術に関係ない。



「し、少年よ。房中術の修行というと具体的にどのような行為をしているのだ」



鐘樓がおずおずと尋ねる。少年は少し考える素振りを見せた後答えた。



「えっと……まずはお互い全裸になって布団の中で向かい合い、相手の目をジッと見つめるんですよ。そして徐々に互いの身体を触りながら……こう……ムニュムニュと……イチャイチャしながら眠る…みたいな?」


「ム、ムニュっと!?イチャイチャ!?その他は!?」


「他?う~ん…他には…僕を師匠が舐めてくれたりとか……」


「な、ななななめぇっ!!?」



少年の言葉に鐘樓は仰天した。

見た目は年端もいかぬ少年だ…そのような男児に隠神様は何をしておられるのか。

鐘樓の中に聳え立つ隠神象がガラガラと音を立てて崩れていく。



「そ、それはその……ま、間違いではないのかね?」


「間違い?」


「いやその……その行為は本当に必要なものなのかと……」


「必要ですよ!だって房中術ですもん!忍者には必須の最強技能って師匠が言ってました!」



鐘樓は頭を抱えたくなった。この少年はあまりにも純粋過ぎる。



「(隠神様もこんな純真無垢な少年になんて事を……)」


「師匠は凄く優しくて……僕をいつも気遣ってくれるんです。僕は師匠のような立派な忍になりたい……」



少年は頬を紅潮させながらそう言った。

まぁ本人が納得してるなら別にいいか…。鐘樓は無理やり自分にそう言い聞かせた。



「あ、もしかして手握っただけでお姉さんが赤くなったのって…房中術が効いたんですかね!?」


「え?あっ…うん…そうかもね…」



鐘樓が赤くなったのは単に彼女が男慣れしてない処女を拗らせた女だからである。

しかしそれを正直に言うのは憚られたので少年に話を合わせる事にした。

言えない…200歳になっても処女だなんて…



「やっぱり!房中術って凄いです!」


「そうだな……」


「これで僕も師匠みたいな立派な忍になれますかね!?」


「なれるさ……」



鐘樓は遠い目をしながら少年の頭を撫でた。

この少年は将来絶対に悪い奴らに騙される。

可哀想に…



「ふんふんふ~ん♪」



上機嫌な少年に手を引かれ案内されている間、鐘樓は少年を憐れみの目で見つめていた。



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