2.「って男やないかいっ!!」

その日は風が強く吹いていた。春にしては少し冷たい空気が頬に触れる。

砂浜の波打ち際で、一人の女が佇んでいた。



「……」



栗色の美しい髪を持つ美女だ。その美貌はまさに絶世の美しさであり、見る者全てを魅了するほどのものだろう。

だが、腰からは尻尾が生えていた。タヌキのような丸い尻尾がゆらりと揺れる。

彼女は人ではなかった。髪の隙間からはみ出る獣耳に尻尾…この国では半化生と呼ばれる存在であった。


そんな彼女は今、砂浜に打ち上げられた小舟の前に佇んでいる。



「これは…赤子?」



小さな…吹けば飛ぶような粗末な小舟に赤子が乗せられてあった。それはまだ生まれて間もないと思われる赤子であった。

しかも人間ではない。女と同じように獣耳と尻尾が生えている。小舟の形と、流れてきた方向から考えて海の向こうの半化生の国から来たのだろうか。



「捨て子のようだな」



口減らしの為に捨てられた半化生の子だろうか。いや、それにしては赤子を包む毛布が上等すぎるし、上に置かれている勾玉も高価そうなものだ。

だとしたら一体何故こんなところに捨てられているのか。

疑問に思いつつも、彼女はその赤子に手を伸ばそうとした。しかし、その手は途中で止まる。



「あう」



赤子は女を見つめていた。無垢な瞳で、女の血に塗れた瞳を見つめていた。

彼女はその小さな命を見つめた。まるで己の心の内を全て見透かされているかのような錯覚を覚える。



「……」



彼女は何も言わなかった。ただ黙って、自分の懐へとその子を抱き寄せた。そして、優しく頭を撫でてやる。

すると、安心したのか、その目は閉じられ、静かな寝息を立て始めた。



「お前は…キツネの半化生か」



赤子から生える耳と尻尾を見る。雪のように真っ白なそれは、紛れもなく狐のものであった。

そこまでなら珍しくはない。だが、この赤子に宿る妖力を女は感じ取っていた。



「これほどの妖力を赤子が?」



半化生…獣の血が濃い彼女達が持つ力の源泉、妖力。

赤子とは思えぬ力の奔流を女は見ていた。大陸の半化生だからなのか、それともこの赤子の血筋がいいからなのかは分からない。

女はそのことに驚くと同時に、興味を抱いた。この幼き子狐がどんな成長を遂げ、どのような存在になるのか見てみたいと思ったのだ。



「一緒に来るか?私と」



自分でも柄ではないと女は思った。今まで戦で命を狩り、奪う事しか知らなかった自分がまさか子供を拾い育てる気になるとは。

しかし、不思議とその気持ちに迷いは無かった。むしろ、心の底では望んでいたのかもしれない。

彼女が守るべき、愛すべき家族というものを。



「ふふっ」



女は小さく笑う。そして、その小さな身体を強く抱きしめると、女は赤子を抱きながらその場から消えた。


後には、静寂だけが残された。


こうして小さな命はとある女に拾われた。それは偶然か、或いは必然だったのか。

その答えを知る者は誰もいない。




―――――――――




「って男やないかいっ!!」



赤子のおしめを替えている最中、突然大声を上げながらツッコミを入れる女。赤子の股には女には無いモノがぶら下がっていたのだ。

女はこの赤子がまさか男児だとは夢にも思っていなかった。何故ならば、この世界は男女の比率が1:9で圧倒的に男が少ないからだ。

男女の歪みは価値観の歪みを生み出した。男は希少で育てるにしても売るにしても価値がある。

国を挙げて男の確保に奔走する程だ。この世界において男は資産であり、宝であった。


一方で、男は戦いには向かない。女より力が弱く、闘気や妖力を練るのも不得意な存在であり、ただただ女に守られるのが男という存在であった。


女はこの赤子を武の世界に入れるつもりであった。彼女は、武を生業とする"忍"であったからだ。


忍…


戦乱の世にあって暗躍する者達だ。諜報、暗殺、破壊活動……あらゆる汚れ仕事を請け負い、報酬を得る。

中には人身売買を行う者もいるが、大抵はそういう裏稼業専門の衆が取り仕切っている。

だが女は衆には属さず、一人で戦ってきた。跡継ぎなど作るつもりはなかったが…強大な妖力を秘めた赤子を見て後継者を育てるのも面白いと思ったのだ。


しかし、その計画は潰えた…



「男じゃあなぁ」



男の忍など聞いた事がない。荒事に向いていない男では忍者として役に立たないだろう。

女は溜息をつくと、赤子を抱えてマジマジと見る。


お股にぶら下がるおちんちん…それは紛れもない男性の象徴である。これだけで売ればとんでもない高値が付く事だろう。

男を欲しがる女など星の数ほどいるからだ。特に男児ともなれば幾らになるか想像も付かない。

赤子の頃から自分好みの婿に育て上げ、子種を絞り尽くしたいというのは女なら誰もが思うことであろう。


故に、売れる。

それが例え人間ではなく半化生であろうとも。むしろその方が奴隷として扱っても誰も文句を言わない分、都合が良いとも言える。


だが女にはこの赤子を売るつもりは無かった。金には困っていないし、何よりも女は決めていたのだ。

この子は自分が責任を持って育てると。

女はそっと赤子に頬擦りをする。



「……ま、仕方が無いな」



女は苦笑すると、赤子を抱き上げて立ち上がる。そして、部屋の隅に置いてある木箱へと歩み寄った。

蓋を開けるとそこには、様々な武器が入っていた。刀、短剣、手甲鉤、鎖鎌……どれもこれも女のお気に入りの品々だ。



「男とはいえ、儂に育てられるという事は忍になるということ……お前を私の後を継ぐに相応しい幻魔にしてやる。私が直々に鍛えてやるから覚悟しろよ?」



女はそう言うと、ニヤリと口角を上げて笑い、赤子の頭を優しく撫でるのだった。

幸いにしてこの子の妖力は膨大だ。これならば男でもそこそこの忍になれるだろう。



「ま、忍に向いてなかったら儂の婿にでもするか」



どちらに転んでもおいしい。跡継ぎか婿か…考えるだけで胸が躍る。戦の世界に生きてきた彼女とて女だ。男に興味がないわけではない。



「厳しく扱いてやるからな。くくく…。儂の修行に耐えられるかの…?」



女…孤高の忍として名を馳せたタヌキの半化生。幻魔の名を受け継ぐ者は慈愛に満ちた眼差しで我が子を見つめると、その頬にキスをした。


こうして、一人の赤子が拾われ、育てられた。後に『白狐』と呼ばれ恐れられるようになる伝説の忍の卵として。






―――――――――






タヌキがキツネを拾うという奇妙な出来事からあっという間に数年の月日が流れた。

赤子はタヌキの元ですくすくと育ち、今では立派な男の子に成長していた。



「母上!」



幻魔の後継者となった赤子は今や少年に成長した。身長は伸び、手足はすらりと長く引き締まっている。

顔つきは凛々しく精気に満ち溢れており、将来はさぞ美男子になることだろう。

そんな少年であったが、彼は今育ての親である女…幻魔に向かって不満の声を上げていた。



「今日こそ修行をおつけください!」



胡座をかき鎮座する幻魔。その目は静かに閉じられており、瞑想しているように見える。

ふと、彼女の瞳がカッと見開かれた。鋭い視線が少年を射抜く。


そして、言った。



「嫌じゃぁぁぁ!!!そんな危ない事をしてお前が怪我でもしたらどうするんじゃ!?」



幻魔はその豊満な肉体を少年に押し付けるようにして彼を抱きしめた。その顔はだらしないくらいに緩んでいる。



「で、でも…僕も母上みたいな忍になりたいんです」


「嫌じゃ、嫌じゃ!」


「は、母上……」


「可愛い息子を忍なんかにさせん!!」



……彼女は重度の親バカであった。少年が男らしく成長するにつれ、彼女の中で愛情が膨れ上がっていたのだ。



「それにな?よく考えてみろ。もし仮にじゃぞ……万が一、億が一、いや兆が一、いや京が一……もしや那由多の果てまで行っても、絶対に無いとは思うけど、もしもじゃぞ……お前が戦場で死んでしまった日には……っ儂は…儂はもう…っ!!!」



幻魔はぶわっと涙を流すと、少年をギュッと抱き締めた。少年はそんな母の背中をポンポンと叩いて慰める。



「母上は心配性ですね」


「当たり前じゃろうがぁぁぁぁぁぁ!!!」



幻魔は絶叫すると、少年を強く強く抱きしめる。大きな胸が少年の身体を包み込むように圧迫した。

少年は思わず頬を赤らめる。彼女は育ての母と言えど見た目は美しい女性なのだ。思春期真っ只中の彼にとって、母親とは言えどもその美貌に見惚れてしまうのも無理はない事だろう。



「お前はまだ若いのだから、もっとこう……女の子と恋をしてだな……青春を謳歌してからでも良いのではないか?」


「母上、ここは険しい山の上です。女の子どころか我々以外の人や半化生を見た事がないのですが」


「そうじゃった」



幻魔と少年の住む住居は山の頂上にあった。聳え立つ崖に阻まれ常人では辿り着くことは出来ない。

故に少年は幻魔に拾われてから彼女以外の人と会った事がない。精々タカやトンビなどの鳥が時々空から降りてくる程度だ。



「いいか、我が息子よ。お前はなにか勘違いしているようじゃが…そもそもの話、男子が戦うなんてのは間違っておるのじゃ。男は愛し愛される存在であって、決して戦って傷付くようなものではないのじゃ。ましてや忍などという常に死と隣り合わせの危険な仕事なぞ言語道断。そう、男なら……そう……男ならば……うぅ……っ」



幻魔は泣き出してしまった。少年は困った表情を浮かべると、彼女の頭を撫でてやる。



「うわぁ~ん!!そんな危険な事なんてしないでここでずっと二人で暮らしてけばいいではないか!!」



幻魔はそう言うや否や、勢い良く立ち上がると少年に覆い被さるようにして押し倒した。

幻魔の…母の艷やかな唇が少年の口を塞ぐ。



「…んんっ!?」


「ん……ちゅ……ぷはぁ……♡♡あ、そうだ。良いことを思いついたぞ!♡♡修行なんぞせずにこのまま二人でイチャイチャすれば良いのじゃ!♡♡うん、それが良い!それが一番だ!♡♡」


「えぇ!?」


「ほれ、こっちへ来い。母さんが可愛がってやろう。今日は特別に母乳を飲ませてやるからな?♡♡」



幻魔は着ている着物の前を開くと、その爆乳を曝け出した。



「な……っ!?」



少年は思わずごくりと喉を鳴らす。目の前には巨大な乳房。それはまるで大玉転がしの球のように大きく実っており、谷間からは甘い香りが立ち上っていた。

幻魔はその白く柔らかそうな双丘を両手で持ち上げると、それを自ら揉みしだいていく。



「懐かしいのぅ…♡♡お前が赤子の頃はこうして毎日儂のおっぱいを吸わせていたものじゃ。今思えば、あの頃のお前は本当に可愛いかったのう。今も可愛いがな!♡♡」


「は、母上……」



幻魔は少年の顔に自らの巨乳を押し付けると、そのまま抱き寄せた。

少年は母の胸に顔を埋めながら、その温もりを感じる。幻魔の身体はとても柔らかく、そして暖かかった。

その心地良さに少年は目を細め、頬擦りする。


永遠にこうしているのもいいかもな、と思った。快楽に身を委ね、母と共に暮らす。そんな日々も悪くないかもしれない。

しかし、少年はその考えを振り払った。自分は男なのだ。男として産まれた以上は男らしく生きたい、そう思っていた。

この世界の男ではない。前世での男のように、だ。

少年は決意すると、顔を上げて幻魔を見据える。



「母上。僕は貴方のようになりたいのです。みんなを守れるような力を……僕自身の力で手に入れたいんです!」



きょとんとした表情を見せる幻魔。

彼女はしばらく呆然としていたが、やがて何かを察したように項垂れると、深いため息を吐いた。



「そうか……そうか……」



幻魔は少年の身体から離れると、ゆっくりと立ち上がった。そして、俯き加減のまま口を開いた。



「ならば仕方あるまいな」


「母上?」


「そうじゃった。お前はこの幻魔に育てられたのだ。誰よりも強く、気高く、美しく、賢く、そして優しい子…。儂に育てられたという事は忍の宿命も背負っているのじゃ。だが忍の道を歩むのであれば、その先には必ずや辛い別れが待っている事だろう。その覚悟はあるのか?」


「……はい。あります」


「ならばお前を幻魔の弟子として稽古をつけてやろう。そして一人前の忍になった暁には己の思うがままに生きよ。母との約束じゃ」



幻魔はそう言って微笑んだ。その表情の奥には一抹の寂しさが見え隠れしていた。

少年はそんな幻魔の表情を見て胸を痛める。本当は自分と一緒に居たかったのだろう。

しかし、彼はもう決めたのだ。自分の道を進む事を。そして母はそれを良しとしてくれた。

少年は母のそんな想いを無駄にするものか、と心に誓った。



「今から儂の事は師匠と呼べ!幻魔の修行は生半可ではないぞ?死すら覚悟せねばならぬ!一瞬たりとて気を抜くでない!」


「はい!!」



こうして少年が忍になる為の厳しい修行が始まったのであった。

死すら超越する伝説の忍、"幻魔"を継ぐための修行。少年の過酷な忍道が幕を開ける…



「あ、修行以外の時は母上と呼ぶんじゃぞ。ママでもいいけど。あと今日から一緒の布団で寝るように!女人に慣れる為の修行じゃ!」


「え?」



過酷な修行が始まる…


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