第7話 守ってくれない警察とエスカレートする嫌がらせ

小松たちが押しかけて来た翌日の6月15日、詩織は母の京子と一緒に埼玉県警上尾警察署を訪れて恐喝の被害を訴え、署員に昨日のやり取りを録音したテープを聞かせた。

あからさまな言いがかりであり、こんな無法が許されるわけがないと信じていたことだろう。

だが、その反応は信じられないものだった。


「あー、こういうのは事件にならないな」

「こういうのは民事かどうかギリギリのとこだね」

「民事に警察が首つっこむと後でいろいろ問題になるんですよ」


などと取り合ってくれないのである。

「これはひどい!完全に恐喝じゃないか!」といきり立ったのは未熟そうな若い署員だけで、ベテランそうな年配の署員は事件性はないと口をそろえたのだ。


翌日会社を早退した父の憲一も加わって上尾署を再び訪れ、今度は交際中に小松から浴びせられた暴言を録音したテープも持参したが、結果は同じだった。


「そんなたくさんプレゼントされて別れるって、しかも三か月で相手の男も一番燃え上がっている時じゃない?普通は怒るよ」などと知ったかぶったような寝言を吐かれ、「また何かあったら来てください」と言われたが門前払いにされたのは明らかである。

いくらストーカー犯罪の恐ろしさが認識されていない時代だったとはいえ、ここまであからさまな職務怠慢ぶりの警察署も珍しい。

大学の友人はこの頃の詩織がかなりショックを受けていたと後に証言している。

こういう場合、警察が味方になってくれなかったら、されるがままになることを意味するからだ。


それから自宅への無言電話、インターネットでの電話番号公開などの嫌がらせが始まったが、こんなことをしているのにあきれたことに小松和人は電話で復縁を迫って来た。

もちろん詩織に応じる気はない。

小松からもらったプレゼントも全て送り返していたが、西暦が1999年だったこの時の電話でぞっとする脅迫をされた。


「覚えてろよ。おまえは生きて2000年は迎えられねえ!」


彼女はこれ以降切実に身の危険を感じるようになる。

殺されるかもしれないと前にも増して思うようになってきたのだ。


そして7月13日、とんでもないことが起こる。

自宅のポストに約100枚のチラシが投函されており、そこには詩織の裸の写真と実名。

まだ交際していた時に小松と飲みに行って意識を失い、気づいてみたら小松のマンションで寝ていたことがあったが、その時に撮影されたものらしい。

睡眠薬でも飲まされて裸にされたんだろう。

しかもその恥ずかしいチラシは自宅周辺、学校の近く、父親の会社の周りなど合計数百枚が貼られていた。

目撃した近所の主婦によるとガラの悪い二人組の男が貼っていたという。

詩織はショックで泣き崩れた。


同時期に東京都板橋区の高島平の団地には同じく詩織の写真と電話番号、「援助交際OK」というメッセージが印刷されたカードが投函され、真に受けた男たちから電話までかかって来た。


今度こそ明らかな犯罪である。

それも何人もの人間が動いた、かなり悪質な。

通報し、名誉棄損として告訴する方向でこのチラシを持って上尾署に行ったが、動かぬ証拠があるにもかかわらずまたしても警察は動いてくれない。

「痴話げんかに付き合ってられないんだよ」とか寝言をほざく始末。

「試験中だろ?試験終ってから来なさい、お嬢ちゃん」などと言われたために、猪野家の人々は何度もこの警察署もどきに足を運ぶ羽目になってしまった。


結局告訴が受理されたのは二週間後の7月29日。

しかしそれからも上尾署は小松に接触した形跡すらなかった。

そして嫌がらせはさらにグレードアップする。


8月23日、今度は父親・憲一の勤務する会社の埼玉支社と東京の本社に憲一と詩織を中傷する文章が封筒入りで合計1000通超送られてきた。

やれ猪野憲一はギャンブル狂で外に女がいるわ、娘の猪野詩織は援助交際をやっているわ、このような人間を雇っていていいのか?というような内容である。


信じられないことにこの期に及んでも警察は動こうとしなかった。

笑いながら「いやいや、こりゃいい紙使ってますな。手が込んでる」とこちらの神経を逆なでするようなことまで言ってくるので、この時は憲一も「ふざけんでください!これは事件でしょうが!」と激怒した。


これら一連の嫌がらせに対して、猪野家の人々は防犯カメラを仕掛けるなど用心をしていたが、一般市民のできることには限度があるのだ。

上尾署は警察署の外観を呈した警察以外の役所だったんだろうか。


詩織はこの間も友達の前では勉めて気丈にふるまっていたという。

だが、時々何かのはずみでビクッとしたりしておびえた様子を見せたり、「こんなのいつまで続くんだろう」と弱音を吐くなど、精神的にかなり参っていた。

この時期、母・京子は家で詩織が庭に咲くヒマワリを見ながら「私殺されちゃうのかな…」と悲しげに言っていたと記憶している。


そして9月21日、詩織を絶望させる事態が起こった。

猪野家に上尾署の刑事がやってきて「告訴を取り下げて欲しい」と言うのだ。

「取り下げてもまた告訴できる」とウソをまでついて。

これは母親が断固拒否したが、詩織は以前に小松が「俺は政治家にも警察にも顔が効く」と豪語していたのを思い出し、あの言葉はハッタリじゃなかったんだと愕然とした。


上尾署は明らかに猪野家を見捨てていた。

一般市民を犯罪者に差し出したも同然だ。


そして、事態は最悪の形に向かうことになる。






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