第3話 家族思いで周囲に愛されていた被害者

被害者の猪野詩織はブランド狂いでもキャバ嬢でもない。

全て当時のマスコミが上尾署がわざとらしく公開した彼女の持ち物と断片的な情報ををもとに面白おかしく作り出した虚像だ。


猪野詩織は1978年5月24日生まれの当時21歳の大学二年生。

両親の愛情を一身に受けて育った詩織は家族思いであり、弟二人の面倒をよく見、年頃の女性には珍しく終生お父さんっ子だった。


そして別にブランド物が特に好きだったわけでもなく、安物やお古でもファッションセンスが抜群で自身に華があった彼女はうまく着こなし、それなりに見栄えがしたという。


彼女がキャバ嬢だったというデマもあったが、これは事件が起きる前の年に「一人で働くのは嫌」という友達の頼みを聞いてスナックでバイトしたことがあるにはあった。

しかし詩織はこの仕事が自分には向かなかったと思っていたようで二週間ほどで辞めてしまい、給料も受け取りに来なかったという。

この友達はこのことをずっと悔やみ、「私のせいで変なデマが流されてしまった」と言っていた。


また、詩織は困っている見知らぬ人にも親切だった。

ある視聴覚障碍者の男性は桶川駅で彼女に「乗車口はこっちですよ」と声をかけ、目的地の駅まで付き添ってくれたことを証言している。

ちなみにその駅は彼女の通う跡見学園女子大とは逆方向だった。


そして身も心も華のある彼女は学校ではみんなの中心。

高校生の頃はいつも彼女の周りに男女問わず同級生の姿があったくらいである。

クラス担任が定年退職する際にはみんなに声をかけ、その担任にプレゼントを贈る世話役を買って出たりもしていた。


そんな詩織が人に好かれないはずがない。

生事件現場には多くの花が供えられ、供養をしにくる友人知人の姿が絶えなかったことから生前の人望が偲ばれた。


「すごくいい子だったので、犯人が絶対に許せない!」


当時のテレビのインタビューで彼女の友達の一人はそう怒りをあらわにしていたように、家族だけでなく、周りの人々にとってもかけがえのない存在であったのである。


しかし実際問題、そういう人を引き付ける魅力のある人間の周りに集まるのは好ましい人間ばかりとは限らないのが現実だ。

仲には好ましからぬ害虫も寄ってくる。


そして詩織の場合、そんな害虫の中でも滅多にいないくらいの毒性を持ち、彼女の命を奪うことになる毒虫が寄ってきてしまった。

その運命の日は1999年の元旦明けの1月6日、場所は大宮駅東口の南銀座にあるゲームセンターのプリクラ。

悪鬼が詩織を見初めた。

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