ハトノユメ
湖上比恋乃
ハトノユメ
護送船から降りて星間ステーションに足を踏み入れた河原紅(かわらべに)は、少し安堵した。
窓から外が見える。
紅がいた護送船の後部は閉鎖的な空間で、他に乗る人もいなかった。ただ呼吸と瞬きをくりかえすだけの時間は無限に続くかと思われたが、ふいに停止したことで終わりを迎えた。
背もたれもない簡素なベンチが中央に据えられている。ステーション内部には紅と見届け人の二人だけだ。「座れ」と指示された彼女は静かに腰を落とした。目の前には星の海が広がるが、紅が見慣れた星雲はなかった。さきほどまで乗っていた護送船では星流しの準備が着々と進められている。
河原紅は星流しの実刑判決をうけた。このステーションはそのために作られた場所だ。発射される、箱といって差し支えない程度の船は、動力が切り離されたあとは何かにぶつかるまで止まることはできない。流刑者がたどる道は少ない。箱の中で死ぬか、星につかまって死ぬか。あるいは運よくどこかの星へ不時着したとしても、そこが生きるのに適当かどうか保証はない。なにせこの先は未開のエリアだ。
「あなたは何度ここへ来たことが?」
紅はつぶやくように尋ねてみた。答えはない。視線をやっても、交わらない。
「最後に食べたいものも乗せてくれるんですよね。シャケ弁当、楽しみだな」
軽く笑うような声色を聞いて、見届け人は初めて紅を見た。そのとき彼女は笑っていなかったが、目が合うと口角をあげた。
「犯罪者とは話したくない? それともそう決まってるのかな」
自分で口にした犯罪者という語に、ふと疑問を抱く。
「ねえ。たぶん、きっと、とっても変なことを聞くのだけれど」
見届け人の視線は紅からはずれていたが、おかまいなしに言葉を続けた。
「私の犯した罪って、何か知ってる?」
見開いた目と少し隙間のできた口は、雄弁に心情を語る。それもそうだろう。犯罪者が、実刑を受けようとしているまさに今、自分の罪がわからないというのだ。
「ハト、に」
「ハト?」
「そうだ。ハトにエサをやったんだろうが。なぜそんな大罪を忘れることができるんだ」
静かな怒りを読み取った紅は、ただ心のうちで「私そんなことしちゃったんだ」と思うに留めた。ハトにエサを――
「やってません!」
河原紅は自分の声で目を覚ました。なんだか変な夢を見た気がしたが、露ほども思い出せない。思い出そうとすればするほどそれは遠ざかっていくようだった。
私はなにをやってなかったんだろう。
ほどなくしてアラームに設定している鳥のさえずりが鳴りはじめる。意図的につくりだすさわやかな朝は、紅を変な夢から現実に引き戻した。
水曜日の昼休憩、いつも通り外に出た紅は、お弁当屋の移動販売車からシャケ弁当を買った。シャケ弁当は金曜日と決めているのに、なんとなくあと二日が待てない心持ちだった。すぐそばの公園は見知ったメンバーが点在している。それぞれの定位置に収まってそれぞれの時間を過ごしていた。紅もそのうちの一人になって弁当を食べはじめる。すると、一羽のハトがベンチに近寄ってきた。
「ちょっと、なによ」
気持ち弁当を持ち上げながら足で追い払うようにする。ハトが少し飛ぶ。けれど遠くへ行くわけでもなく、首を前後に揺らしながらまた彼女の足元に近づいてくる。今までこんなにも接近されたことがなかった。何度か追い払っては近づかれて、というのを繰り返し、紅は、さっさと食べて早めに立ち去ろう、と考えを変えた。
だいたいなんで私のところばっかり。
視線をめぐらせて周囲のメンバーを確認する。紅以外でハトに近づかれて困ってそうな人はいない。いつもと違うとすれば、水曜日にシャケ弁当を食べていることぐらいだ。それだって毎週金曜日は食べているわけだし、とくに近寄られたりすることもなかった。
「米の一粒だって落としてやらないんだから」
そうぼやくころ、足元に近いハトは二羽になっていた。しかし弁当はほぼ食べ終えている。最後のシャケ、ひとくち分を箸でつまんで口に入れた。
勝った。
妙な達成感が紅を満たしていた。横に置いて割り箸を折ったとき、ふいに風が強く吹いた。中身がなくなって軽くなった容器がたやすく動いてしまうくらいの。「あ!」ひっくり返って地面に着地する。ハトがすぐそばにいる。バッグに押し込んでいたくしゃくしゃのビニル袋をひったくって広げ、拾うと同時にすばやく中に入れた。おかずカップもひっくり返っていたため、それぞれの汁はこぼれ落ちてしまったが、ハトが食べるようなものは落ちなかったはずだった。紅は必死に目を凝らした。
「大丈夫そう、かな」
それでも地面をつつくようにする動きを見るとそわそわしてしまう。
いつもよりも早い時間だったが、腰を上げたこのタイミングで会社に戻ることにした。ゴミ袋とバッグを持って振り返った紅の目に『ハトには絶対にエサをやらないで』の看板が飛び込んでくる。星間ステーション、見届け人、現実では見たことがないはずの星雲、記憶にない重罪。断片的な夢の景色がひとつにつながる。
「やってません!」
紅が踏み込んだ足に驚いたのか、ハトが飛び立った。
ハトノユメ 湖上比恋乃 @hikonorgel
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