51.「ご、ごめんなさいエリムくん!私ったら、はしたない……きゃっ♡」

オルゼオン帝国。

軍事国家として大陸に覇を唱えるその国は帝国主義を是とし、武力によって大陸の国々を侵略し、その威容を大陸に広げてきた。

そしてその覇権を支えるのは帝国の軍部の頂点を握る軍家・ノーヴァ公爵家。

代々、『戦争』に優れた者が当主となり、時には人格すらも作り替えると言われるその一族は帝国のみならず大陸全土で畏怖されていた。

そしてそのノーヴァ公爵家を筆頭に帝国には様々な軍人達が覇業を成さんと帝国に忠誠を尽くしていた。


───常人を遥かに超えた身体能力と類まれなる剣技で独立権限すら与えられている武の頂き『天剣衆』

───帝国の為ならば喜んで命を投げ出すと言われる程の忠義心『鉄忠隊』

───そして帝国に仇なす者を断罪する帝国の暗部たる『影刃』


そのいずれもが強大で強力な者達ばかり。

その者らが帝国の為に力を尽くす限り、帝国が負ける事などあり得ない。


そして、その帝国の諜報機関であり暗部でもある『影刃』に、彼女は在った。


「弱い」


ポツリと。呟く。

血に塗れた部屋の中。四肢を断たれ、血溜まりに沈んだ『影刃』の団員達の死体を前に、少女は冷たい声音でそう呟いた。


「弱すぎ」


もう一度、呟く。部屋に転がる死体に言った言葉で……。


「こんなのが、元『影刃』なの?」


誰に問うた言葉か。少女は尚も冷たい声音でそう問い、それを見ていた者達は戦慄の表情と共に、ゴクリと唾を飲み込む。

帝国最強の特殊部隊『影刃』。

そのメンバーたる者達を少女は、僅か数十秒で制圧したのだ。

解凍

美しい少女であった。金色の髪。

深い空のような碧色の瞳に、白いきめ細やかな肌。

幼いながらに完成された美貌を持つ彼女は、そんな可憐な見た目とは裏腹に影刃のメンバーを圧倒する実力を有していた。

彼女の名前はマリア・ハリセリス。帝国の名門貴族ハリセリス伯爵家の三女として生まれた彼女は、類い希なる天才である。

剣技では帝国一と名高い『天剣衆』を凌駕する力量を有し、そしてその体術は帝国の中でも卓越している。

まさに天才と呼ぶに相応しい少女───マリア・ハリセリスは、影刃に入るや否や、すぐにその才能を認められ帝国を裏切った者の排除を言い渡された。

裏切り者とはいえ元は帝国最強の特殊部隊『影刃』しかし、そのメンバーたる者達を少女は、僅か数十秒で制圧した。

───『影刃』の構成員は皆、卓越した実力者達であったが、それを少女は圧倒した。


「……はぁ」


少女の口からため息が漏れる。


「弱すぎるよ」


そんなため息と共に紡がれた言葉は『影刃』の者達への落胆の言葉だった。

このような可憐な少女が圧倒した事実を前に、その光景を見ていた者達はゴクリと唾を飲み込む。


───これが、ハリセリス家が生んだ天性の暗殺者か。


そして少女はあっという間に影刃の中で1番の使い手になった。

誰とも組まず、淡々と標的を始末するその姿から『孤高の処刑人』と言われ、帝国の暗殺集団の最強戦力である『影刃』の中でも、一際その実力を評価される事となった。


そんなマリア・ハリセリスがとある仕事を請け負ったのは、まだ彼女が幼さを残す少女であった時。


「ノーヴァ公爵家の次女の始末?」


その話を聞いた時、マリアは自分の耳を疑った。

軍部の頂点に立つノーヴァ公爵家……その次女を暗殺しろという依頼。

世情に興味がないマリアでも、この依頼の異常さは理解出来た。そんな事をすれば公爵家……いや、帝国軍が混乱に陥り、この国を揺るがしかねない。

誰が依頼してきたのか。この件で誰が得をするのか。考えても答えは出ない。

しかし、冷酷な暗殺者であるマリアにはそんな事は関係がなかった。命令されれば誰であれ殺す。

それがマリアの在り方であり、彼女はそれを疑わない。だから彼女は淡々と仕事をこなす。


「……」


彼女は自らの強さを疑っていなかったし、事実として彼女に敵う者は誰一人としていなかった。

天剣衆ですら、彼女の暗殺の手から逃れる事は出来ず、血に塗れた。

だからこの時も彼女は淡々と依頼をこなし、公爵家の次女であるアイリス・ノーヴァを暗殺する事となった。

ただ、彼女はまだ知らない。

想像を絶する力を持つ者がいるという事を。そして自分がこの世で最も崇拝し、嫌悪する存在と出会う事になるという事も……。


「ここが、ノーヴァ公爵家」


帝都にある一際目立つ巨大な屋敷。帝国の武を率いる一族、ノーヴァ公爵家。

白を基調としたその屋敷は敷地の中に一つの街が収まる程に広く、そして壮麗な建物であった。

皇帝が住む城すら凌駕しそうな程の巨大さと、芸術的なまでの豪奢な外観。

帝国軍の頂点たるノーヴァ公爵家の屋敷はまさしく国を象徴する建造物そのものであった。

そんなノーヴァ公爵家の敷地内に暗殺者……マリアはいた。厳重な警備も、彼女にとっては無いも同然。マリアは易々とノーヴァ公爵家の敷地に潜入する。

その幼い小さな身体もあり、彼女を見つけ出すのは余程の手練れでも不可能に近い事であった。

だからこそ、マリアは誰にも見つかる事なくノーヴァ公爵家の敷地に侵入する事に成功……した筈だった。


「……?アンタだれ?」


しかし、侵入から僅かな時間でマリアは少女……アイリス・ノーヴァに見つかった。


「───」


───美しかった。その白銀の髪も、その宝石のような瞳も。

しかし、それ以上にマリアが目を奪われたのは、その少女の内包する圧倒的な闘気であった。

強者から感じられる、圧倒的な威圧感。マリアは彼女の存在を前にして、ただ呆然とするしかなかった。


「ねぇー?」


アイリスが再度問うてくる。しかしマリアは呆然と立ち尽くす事しか出来ない。

この帝国で、類い希なる天才の名を欲しいままにしていた自分を遥かに超える才能を……目の前の少女は有している事をマリアは一瞬で悟ったからだ。


「おーい?きこえてるー?」


そして、圧倒的な実力差を前にした者は例え暗殺者であっても『死』を予感する。

───だからこそ、マリアは躊躇なく刃を振った。


「───ッ!」


神速で振るわれたマリアの刃がアイリスの首の皮膚に食い込んだ。

───殺った!?

そう、マリアが思った瞬間である。ガキン、と刃が弾かれた。


「は?」


思わず、そんな間抜けな声が出てしまった。

今のは必殺の一撃だったはず。子供の身体であろうと今の一撃を防がれる事はない筈……なのに目の前の首の皮一枚でマリアの刃を阻んだのだ。

そして少女は……アイリスはニコリと微笑んでいた。


「へぇ、すごいわね今の速度!」


そんな笑顔と共に、少女から放たれた回し蹴りがマリアの側頭部に叩き込まれた。マリアの身体が横に大きく回転し、蹴りの威力で10メートルは吹き飛ばされる。


「かはっ……!」


屋敷の塀の壁に叩き付けられ、マリアの口から血が吐き出される。蹴りの威力で口の中が切れ、それがマリアの顎を赤く染めた。

───何だ、この人間は!? 地面に倒れたまま、マリアは驚愕と苦痛に表情を歪める。剣技でも暗殺術でも彼女には勝てる者は帝国にはいない。

その筈だった。


「ねぇねぇ」


そんなマリアにアイリスはニコニコと笑いながら声をかける。


「アンタ、名前はなんていうの?」


無邪気な声で問うてくる少女に、マリアは内心ゾッとしながらも何も答えなかった。


「そっかぁー!じゃあ───」


そして、少女は言い放つ。無邪気な顔で……殺し合いを楽しむような笑顔で。


「殺し合おう!」


シュン、とアイリスの姿が掻き消えた。瞬きすら許さない一瞬の消失。

次の瞬間には、マリアの背後に立っていた。そして拳が振るわれる。

その攻撃を避けれたのは奇跡であった。マリアの経験と勘に基づく回避。だが、風圧だけでマリアの矮躯は吹き飛ばされる。


「っ!」


空中に投げ出されるマリアの矮躯。そこに追い打ちをかけるように無数の閃光が襲いかかる。

ドン!ドン!とマリアの身体中に衝撃が走る。その数は優に100を越える一撃であった。

防御不可の必中の魔弾───しかし、それらの正体はアイリスの手刀である事をマリアは知らない。

そして空中で身体が回転し、受け身も取れずに地面に叩き付けられるマリアをアイリスは追い撃ちするように跳ぶ。

5メートル程、跳躍したアイリスはその右足を弓を引き絞るように引いた。

放たれるは必殺の一撃。アイリスの右脚が極限まで絞られた矢のように撃ち出される。

その蹴りはマリアの身体の中心……心臓を貫く───直前に、マリアは身体を捻りアイリスの蹴りを間一髪で回避した。


「へぇ!やるわね!」


驚愕の表情と共にアイリスは言う。そして2人は至近距離で睨み合う形となった。

マリアの意識にはもはや目の前の少女を殺す事しかない。彼女はその美しい顔に殺意を宿し、アイリスは底無しに楽しげな笑みを浮かべたまま、再び激突する。


───そして、数分後。この日、マリアは初めて敗北した。


初めて敗北した『死』の恐怖がマリアの身体を縛り付ける。殺されるという恐怖から彼女がまず選んだのは逃亡だった。

全力で後方へ跳躍し、アイリスと距離を取る。そして再び無数の暗殺術を繰り出した。

しかし、その全てがアイリスには届かない。それどころか素手で弾かれる始末であった。


「はぁ……はぁ……」


もう何分も戦っているわけではないというのに既にマリアの体力は殆ど底をついていた。

対するアイリスは息一つ乱してすらいない。そんな絶望的な差が二人の間にはあった。


「ねぇ、アンタ」


と、そこでアイリスがそう切り出してくる。マリアは警戒を解かずに無言で彼女を睨んだ。


「私と友達にならない?」


そんな信じられない言葉と共にアイリスは微笑んだ。その笑顔からは敵意も殺意も何も感じられない無邪気な笑みだ。


その言葉にマリアは……


こう、答えた───




♢   ♢   ♢




「なるわけねーだろ!!!!殺すぞ化け物!!」

「わぁ!?」


マリアの意識が覚醒する。どうやらうたた寝していたようだ。

ハッと意識を取り戻したマリアは慌てて周りを見渡す。そして、エリムが目の前にいるのを確認すると、恥ずかしげに頰を染めた。


「ご、ごめんなさいエリムくん!私ったら、はしたない……きゃっ♡」


そう言って手を頬に当て、惚けるように頰を赤らめた。


「あの……マリアさん?今殺すって……?」


そんなマリアにエリムは引き気味に問う。しかし、彼女は蕩けた表情のまま答えた。


「気のせいですよ、エリムくん。この私、マリアがそんな事をする訳ないじゃないですか」

「そ、そうですよね!マリアさんに限ってそんな事言いませんよね!」

「はい♡」


内心でビクビクしているエリムだったが、追及するのはやめておいた。

あまり彼女の言葉を詮索しない方がいいとエリムの危険感知能力が告げていたのだ。


「あれ、ところで私達なにしてたんでしたっけ?」


思い出したようにマリアが問うと、エリムはきょとんとして答える。


「えーっと……これからデート行くので、着替えてこようって……」

「あぁ、そうでしたね」


これからマリアとエリムはデートに行くのだ。

謎の妖精を捕まえて、鳥かごに監禁した後二人はデートに相応しい恰好に着替える事にした。

エリムが『慣れない』服装に着替えるのに手間取っている間にマリアは先に着替えが完了していたらしい、エリムが戻るとノーヴァ公爵邸のロビーにあるソファーで居眠りをしているマリアを見つけて近寄ると突然叫び出した、というのがここまでの経緯である。


「あっ……」


と、そこでエリムはマリアの服装に気付いた。

さっきまでは町娘のような素朴な服装をしていた彼女だが、今は黒を基調とした上品なドレスに身を包んでいる。

マリアの服装と言えば、メイド服しか見た事のなかったエリムだが、今の彼女は貴族然とした華やかな服装に身を包んでいた。


───なんという可憐な姿だろう。


メイド服や、先程の町娘のような服も彼女の美貌は衰えていなかったが、この服装は別格であった。

元々スタイルが良く、まるで人形のような美しさを持つマリアが美しいドレスを着ている姿は言葉に出来ない程に美しく感じられた。


「(天使だ……)」


そう思わずにはいられない程に今のマリアは美しかった。普段のメイド服とはまた違った魅力を今の彼女は持っているようにエリムには思えたのだ。

そんな呆けた表情をするエリムにマリアはうふふとにこやかに微笑んだ。


「どうです?この服、似合ってますか?」

「は、はい!とっても綺麗です!」


それはエリムの本心であった。アイリスが女神だとすればマリアは天使のような美しさだとエリムは思った。

その答えに満足したのか、マリアは嬉しそうに微笑むと、ぴょんと跳ねるように立ち上がる。


「エリムくんも似合ってますよ、その服装……♡」

「……そ、そうです……かね……?」


と、そこでエリムのテンションはドスンと下がった。それはもう、マリアの服装を褒めた時とは真逆に。

何故なら今の彼の服装は……どう見ても女性が着るような衣服だったからだ。

白いワンピースに麦わら帽子……そして女ものの靴。どこからどう見ても女の子の服装だった。


「あのぅ……なんで僕、女の子の恰好してるんでしたっけ?」

「先程も言ったではないですか、エリムくん。エルフの王子様だとバレないように、女装して、麦わら帽子をかぶるんですよ。これならどう見てもエリムくんには見えないから完璧な変装ですね」


そうかなぁ……?普通にモロバレだと思うが……。エルフの長い耳は麦わら帽子でなんとか誤魔化せている(ような気がする……?)かもしれないが、男の自分が女装したところで正体がバレないとは思えない。


「逆に目立つような……」


と、言いかけたエリムの唇にマリアの指が当てられる。そして彼女は妖しい笑みを浮かべながらこう言った。


「大丈夫……♡私が守ってあげるから……♡」


そんな彼女の笑顔が妙に頼もしく見えて、エリムはそれ以上何も言えなくなってしまった。

……まぁ良いか。

悩んだ結果、エリムは考えるのをやめた。このままマリアと一緒に町に行ってデートするのだと思えば女装なんて安いものだ。(多分)


「じゃあ行きましょうか、エリムくん♡」


マリアはそう言い、エリムの腕をとる。そして二人は屋敷を後にして外へと向かうのであった……。

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