52.「あ゛ー!!もう怒ったぞー!!」
永世中立存在ラインフィル。大陸の丁度中央に位置しているその場所はあらゆる国々から隔絶された土地である。
古代文明の英知が詰まったその都市はあらゆる国から干渉される事無く、ただそこに在り続けている。
まさに不可侵領域であり、何者もその地を侵略する事は叶わない。しかし、来訪者には寛容で悪意ある侵略者でなければ、快く迎え入れている。
古代の超兵器に護られたその街は冒険者や商人にとってはまさに楽園であり、税も掛からない故に、人々がそこに集まるのは必然だった。
そんな楽園にある貴族街は天を穿つような巨大な門に護られた、他の場所とは一線を画した美しい街並みを誇っている。
そこでは国の垣根は存在しない。帝国も、王国も、神聖国も等しくこの楽園で暮らす人々は皆平等なのだ。
「……」
そして、その貴族街と一般街を隔てる門に二人の女性がいた。
片方は長く美しい金の髪を風に靡かせ、絢爛なドレスを身に纏った女性だ。その立ち振る舞いから貴族である事が良く分かる。
もう一人は麦わら帽子を深く被った、白いワンピースを着た人物だ。ドレスの女性とは対照的におどおどと怯えながら、周囲の様子を伺っている。
「貴き御方。許可証及び身分証、所属国家と家名の申告を願います」
検問所にいる兵士が二人を見て、そう告げる。
ドレスの女性がそれを聞き、胸元にあるブローチを兵士達に見せた。
「オルゼオン帝国ハリセリス家の次女、マリアですわ。ご確認を」
マリアと名乗った女性がそう言うと、兵士達は慌てて敬礼する。
「はっ!確認させて頂きます!」
ハリセリス家というと帝国の伯爵位を賜る高位貴族だ。その次女ともなれば、この貴族街においてもかなりの権力と発言力を持つ。
そして、マリアと名乗った女性が提示したブローチには確かにハリセリス家の貴族紋が浮き上がっておりそれが彼女本人の身分を証明していた。
「確かに確認いたしました。ご協力感謝します」
ブローチを確認して、マリアと名乗った女性が正真正銘のハリセリス家であると証明された兵士達は先程よりも更に畏まった様子で敬礼する。
「構いませんわ。わたくしも貴方達と同じくこの都市の一員ですもの」
マリアが柔らかく微笑みながらそう言うと、兵士達は恐縮するように顔を俯けた。
そんな兵士を見ながらマリアは小さくため息を吐き、それから隣に居る麦わら帽子を被った人物へと話し掛ける。
「この子は私の奴隷なの。だから身分証なんかないけれど、通ってもよろしいかしら?」
マリアの言葉に兵士達はひっそりと佇んでいた麦わら帽子を被った女性に目を向ける。
帽子のせいでどのような顔をしているかは分からないが、兵士達は困ったように顔を見合わせた。
「奴隷もお通り頂いて結構です。しかし、顔だけでもお見せ願えませんか?」
このご時世、奴隷を所有している貴族などごまんといる。だからマリアが奴隷を連れていても驚く者はいないが、ここは検問所であるが故に全ての記録を撮りたいのだ。
奴隷であろうと、荷物であろうと、余程の特例でない限り確認を取らないわけにはいかない。
「駄目よ。この子はとても恥ずかしがり屋なの」
「しかし……」
兵士達が言い淀むと、マリアはギロリと目付きを鋭くした。
「お黙りなさい」
マリアはそう言うと、麦わら帽子の女性の手をそっと握った。
「この子はね、私以外の人間に顔を見られると恥ずかしくて死んでしまうの。だから帽子を取らないし、顔を見せられないの。もし貴女みたいな下賤な輩に見られたせいでこの子が死んでしまったらどう責任取るつもり?」
その言葉に兵士達は思わずたじろいだ。
マリアの瞳には明らかに殺意が籠っていたからだ。
「何十億もの値が付いた奴隷よ?何かあったら貴女達に払ってもらおうかしらね……」
何十億!マリアの口から飛び出た言葉に兵士達は目を見開いて驚いた。
この奴隷にはそれほどの価値が……?何十億もの負債を負わされたら、とてもではないが兵士に払える訳がない。
しかも相手は帝国の貴族……。不興を買えばラインフィルから一歩出た瞬間に殺されかねない。
「……し、失礼いたしました。どうぞお通りください」
これはもう無理だ、と悟った兵士はマリアと、その奴隷の女性に門を通るように促した。
巨大な門が音を立てて開き、その様子をマリアは満足気に眺める。
「ご苦労。何か問題が生じたらノーヴァ公爵家にツケときなさい」
は?ノーヴァ公爵家?
兵士達はきょとんと首を傾げるが、返事を聞かずにマリアは麦わら帽子の奴隷の手を引いてさっさと歩いて行ってしまった。
その場に取り残された兵士達は呆然とその後姿を眺める事しかできなかった。
「……なんだろうな、あの御方は?」
「さぁ。まぁ、帝国のハリセリス家と言えばよからぬ噂が絶えない家だ。あまり深入りしない方がよさそうだ」
「そうだね、私達には関係ないか」
兵士達は各々そんな事を呟きながら、仕事に戻って行った。
「うーん?」
そんな中、一人の兵士が顎に手を当てて考えていた。
「どっかで見た事ある気がするんだけどなぁ」
帽子のせいではっきりとは見えなかったが、あのワンピースの女性は何処かで見た事があるような……?
暫くうんうんと唸っていた女性兵士だが、しかし思い出せず、その兵士も仕事に戻って行ったのであった。
♢ ♢ ♢
「あー!疲れましたねぇ」
検問所を抜けて暫く歩いた後、マリアは背伸びをしてそう言った。麦わら帽子の女性……エリムはそんなマリアを苦笑いしながら見守っていた。
「マリアさん……大丈夫ですかね?あんな通り方をして……」
あのように無理矢理検問所を突破して何か問題にならないだろうか、とエリムは心配そうに言う。
しかし、マリアはなんてことないように笑った。
「平気ですよ。あんなもの形だけですし、あの検問所は貴族紋さえ確認出来れば後は無理矢理でも通れるガバガバ門なので」
えぇ……?それでいいのか?折角の門が機能してなくないか?
というか貴族紋とやらは誰でも提示出来るんだし、極端な話エリムがマリアの貴族紋を借りても通過出来るような気がするが……。
しかしそんなエリムの疑問を掻き消すようにマリアは言った。
「あぁでも貴族紋と顔は登録されているので、照合して弾かれたら即刻逮捕ですね。貴族を騙るのは最も重い罪の一つなので確実にそのまま死刑になるでしょうけど」
「死刑!?」
エリムは震えた。まさかそんな重い罪だとは知らなかったのだ。
しかし悪い事さえしなければ大丈夫な筈だ。そうだ、自分は善良な人間(エルフ?)なのだから死刑になんかならない。
……だよね?
「大丈夫ですよエリムさん。もし捕まってもノーヴァ公爵家にツケといてって言えば良いですし」
いやそんな居酒屋じゃあるまいし……とエリムは思うが、マリアは「でも」と続けた。
「本当は私がエリムくんを抱いて他の場所から抜け出せれば良かったんですけど……ここの警備システムは古代文明の技術を使っているので私でもあの検問所を通るしか無いのです」
エリムは再び驚愕した。あの驚異的な身体能力を誇るマリアですら、貴族街から力技で抜け出す事は出来ないというのだ。
それは貴族街に入る時も同様だろうし、一体古代文明の技術とはなんなのだろうか?
「あれ?じゃあ、あの妖精さんはどうやって入ってきたんですかね?」
先程ノーヴァ公爵邸で見つけた妖精……。彼女も当然検問所を通るか、貴族街を取り囲む壁を乗り越えてこないと公爵邸には行けない訳で……。
もしかして飛んできたのか?とも思うが彼女達はそこまで高高度を飛行出来るない筈だ。
「さぁ?普通にあの検問所を歩いて通ってきたのでは?妖精なんて虫みたいなものですし、一々通ろうが誰も気にしないでしょうし……」
やっぱりガバガバじゃないか……。というか虫扱いって結構酷い扱いされてるんだね、妖精さん……。
人間は妖精のことが嫌いなのだろうか?……いや、そういえば森林国でも勝手に城に入り込んだ妖精を母と姉が駆除と称して魔法で吹き飛ばしてたような……。
「まぁどうでもいいじゃないですか♡それよりもほら、デートを楽しみましょ?♡」
不意にマリアの胸がエリムの腕にむにゅん、と当たった。
「っ!!」
その瞬間にエリムはぼふんっ!と顔を真っ赤にする。
そうだ、これはデートだった。デート……なんと甘い響きだろうか……。
マリアとも肌を重ね合わせたエリムであったが、デートはデートでなんだか気が引き締まる思いだ。
「その……はい、楽しみましょう……」
照れて赤くなった顔を俯けながらそう言うエリムにマリアはニコリと微笑む。
その笑顔は先程検問所で見た貴族然とした冷徹な笑顔ではなく、エリムがよく知る天使のようなマリアの笑みだ。
「あれ?そう言えばマリアさんって……貴族だったんですね」
そういえば貴族紋を提示出来たという事はマリアは貴族だという事だ。てっきり普通のメイドさんだと思っていたのだが、どうやら彼女は貴族だったらしい。
今彼女が来ているドレスも、優雅な立ち振舞いも高貴な感じがしてエリムはなんだか緊張してしまう。
そんなエリムにマリアは微笑み、それからそっと耳元に口を近付けた。
「そう……私は、貴族なの。権力も、富も、名誉も、全てを持っている。そしてその力を使って……貴方を手に入れる事も、出来る」
その妖艶な笑みにエリムの背筋がぞくりとする。
しかし、その次の瞬間にはマリアの表情は何時もの笑顔に戻り、エリムからそっと離れた。
「マリア……さん?」
「なーんてね」
マリアは茶目っ気のある笑みを浮かべた後、くるっとその場でターンした。
彼女の着ている服がドレス故にふわりと舞うように回転し、まるで一枚の絵画のように美しく映える。
「私はただのメイドさんですよー♡」
その瞬間、マリアはエリムの目にも止まらぬ速度で一瞬にして貴族然としたドレスから、先程の地味な町娘風の装いに変わっていた。
「あっ……」
「一般街を歩く時はあんなドレスじゃ目立ってしょうがないですからね。今はこの姿でデートしましょ♡」
再びエリムの腕に抱き着いてくるマリア。確かに、あの如何にも貴族でござい、という格好で普通の街を練り歩くのはおかしいだろう。
……女装した男とデートするのはもっとおかしいとは思うが、何も言うまい。
先程の高貴なマリアも魅力的だったが、今の普通の恰好をする彼女も素敵だ。
「さ、行きましょう!先ずは何処に行きましょうかねー?」
そんなエリムの心など露知らず、マリアはニコニコと笑いながらそう言った。
♢ ♢ ♢
「おいこら出せー!!ここから出せー!!妖精さらいー!!」
ガタガタと鳥かごの中に閉じ込められた妖精が中で暴れながら叫ぶ。
それを傍目に眺めながら、プラネが深いため息を吐いた。
「うるさい妖精だな。少しは静かに出来んのか?」
「うぅ~!!出せー!!出せー!!」
しかしプラネの言葉も耳に入らない程錯乱しているのか、妖精は叫び続ける。
このままではうるさくて会話にもならないし、エリムが帰ってきた時にこの声が家の中に響いていては恥ずかしいだろう。
そう思ってプラネは仕方なく鳥かごを開けると、そこから妖精を摘まみ出した。
「ふー!やっと外に出られた!」
喜びで飛び回る妖精だが、その眼前にプラネの手が突き出された。
「ぶぎゅ」
妖精はプラネの手に押し潰され、地面にべちゃりと落ちる。その顔には困惑が見え、何が起こったかも分かっていないようだ。
そんな妖精にプラネは告げる。
「いいか、うるさいから叫ぶな。分かったか?」
「あ゛い゛……」
潰されたまま呻くように返事を返した妖精を見て、プラネは再びため息を吐いたのであった。
「全く……この妖精から情報を聞き出してくれなどと……マリアも無理を言ってくれる」
プラネは妖精の翅をつまむように持ち上げると、ぷらんぷらんと妖精の身体を揺らした。
その様子を見て、横にいるミアが「ふむぅ……」と唸る。
「こんなやつから聞き出せる情報なんてありますかね?どう見ても馬鹿っぽいし……」
「確かに頭は悪そうだが、しかし妖精は純粋故に嘘をつかない。だからこそ、有益な情報が聞き出せれば……」
その時であった。プラネにつままれた妖精がキッと睨み付ける。
「さっきから聞いていればぁ……!誰が馬鹿じゃー!!妖精をあんまり舐めていると痛い目見るぞこらー!!」
「やれやれ」
プラネがつまんでいた手を離すと、妖精は空中でくるくると回転し、それから地面にボトンと落下した。そしてプラネを見上げながら喚き散らす。
「あいた!くっそー!やっぱり人間なんて嫌いじゃー!!下等生物め!死ね!ハゲ!」
「ミア、黙らせろ」
プラネが指示すると、ミアは頷いて妖精に近づいた。
そして妖精の頭をむんずと掴み上げると、彼女はニコリと笑う。
「おいこら黙れ」
そう言ってミアは手に力を込めた。すると「ミギュ……」という擬音と共に妖精の身体からメキメキと音が鳴り響く。
「いだっ!いだだだだだ!!やめろぉ!潰れるぅ!」
プラネに摘ままれていた時とは打って変わって弱々しくなった妖精はジタバタと暴れ出した。
しかし、そんな抵抗を意に返さず、ミアは更に手に力を込める。
「いだだだ!やめっ!ごめんなざぃいい!!」
先程までの威勢はどこに行ったのかというほど情けない声で妖精が謝罪した。
どうやらやっと大人しくしてくれるらしい。あまり手荒な事はしたくないが、このような単純な知能の存在相手には力で服従させるのが一番効果的だろう。
これでようやく話が聞けるかな……とプラネは思った。
しかし……。
「あ゛ー!!もう怒ったぞー!!」
妖精は突然そう叫んだかと思うと、突如何かを訴え掛けるようにその場でぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。
「なんだ……?」
「なんか嫌な予感がします」
プラネとミアが訝しげな表情を浮かべる中、やがて妖精はぴたりと動きを止める。そして次の瞬間、妖精の身体が光り輝き始めたのだ。
「なっ!?」
眩しい光に目をやられながら驚きの声を発するミアの目の前で、光は更に強く、激しくなる。それと同時にぶぅん、という羽虫の翅音のような低い音が聞こえてきた。
そして光が消えると───
「……あっ!」
妖精の姿が消えていた。
「に、逃げられた!くそっ!!」
「ど、どういたしましょう!?プラネ様!?」
「追うぞ!兵を呼べ!」
こうして、ラインフィルの慌ただしい一日が始まった……。
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