43.「み、みなごろし……?」

この大陸の覇を帝国と競い合っていたヴィンフェリア王国軍。その軍勢は精強無比なものであり、かつて大陸の半分以上を手中に納めた国だ。

しかし、それほど強大だった王国軍は今見るも無残な姿で後退を続けていた。

森林国の侵攻に、成す術もなく敗北をし続ける王国。徐々に、しかし確実にその勢力を削られていく。

後退に後退を続け、遂には王国の最終防衛ラインとも言える砦まで押し込まれていた。

帝国にすらここまで攻められた事はなく、ヴィンフェリア王国は今窮地に立たされていた。


「くそっ!森林国の出鱈目な奴等め……!」


その指令室で王国軍の将軍達が現状を苦々しく思いながら愚痴を零していた。

彼女達の表情は一様に暗く、そして焦燥感に駆られている。

森林国に追い込まれてから一週間、砦に籠った王国軍はその防衛に全力を注いでいた。しかし、依然として戦況は芳しくない。

王国中から兵士をここに集めてはいるものの、戦力は時間を追うごとに削られている。

連日連夜この砦に魔法の砲撃が降り注ぎ、いつこの砦は陥落してもおかしくはない。


「ここで籠っていても、いずれは魔法でこの砦が破壊されてしまう!ここは打って出るべきだ!」

「それこそいい的になるだけだろう。まだこの砦の方が生存の可能性は残されている!」

「だが、このまま手を拱いていたら王国軍は終わりだ!我々は滅びるしかないんだぞ!」


この砦が陥落すれば王都への道を遮るものは何もない。つまりはこの場所こそが王国の最終防衛ラインであり、ここが陥落すれば王国は滅ぶも同然だ。

議論は白熱するが、平行線をたどるばかりで解決策が見えてこない。

彼女達も分かっている。だが、それ以上に焦っているのだ。この防衛ラインが突破されれば、もう……。


そんな時であった。指令室に伝令兵が飛び込んできたのだ。


「ほ、報告します!」

「何事だ」


息を切らせてやってきた伝令兵に将軍の一人が話しかける。すると、彼女は一瞬言葉を詰まらせながらも直ぐに口を開いた。


「ファルツレインの軍勢が到着しました!ファルツレイン侯自ら軍勢を引き連れ、この場においでになられます!


ファルツレイン侯爵。その名が出た途端、指令室は沸き立った。将軍達だけでなく、この砦にいる兵士全員が喜びの声を上げる程であった。


「おおぉぉ!!イライザ様が来てくださった!!」

「これで、これでなんとかなる!」

「我らはまだ負けていない!王国は負けないのだ!」


先ほどまでの暗い雰囲気とは一転、この砦に光が差したかのような喜びに包まれていた。

どれだけ絶望的でも、あのお方が来てくれれば何とかしてくれるかもしれないという安心感を得たからだ。


ファルツレイン領軍は王国でも1、2を争う強さを誇る精兵達の軍勢だ。この軍勢がいれば、今現在襲来している森林国率いる軍勢を退けることも出来よう。

しかも侯爵自ら前線に来て、指揮を執るというのだから彼女達の士気が上がるのも当然だろう。


「よし、すぐに侯爵をお出迎えする準備をせよ!必ずや勝利をもたらすに違いない!」

「おお!!」


将軍の号令により、指令室にいた将軍や兵士達が慌ただしく動き回る。ただその足取りは軽いものであり、皆が希望に満ち溢れていた。

この砦が陥落するかもしれないという不安は消えてはいない。しかし、あの侯爵ならば何とかしてくれるという確信があった。

そんな希望と期待を胸に、彼女達は侯爵の到着を待つのであった。




♢   ♢   ♢




「侯爵閣下、砦に到着致しました」


大軍勢を引き連れ堂々と砦に入るのは王国の英雄と言われるファルツレイン侯その人であった。

妙齢の美女だが、その身からは覇気と自信が溢れんばかりに溢れており、彼女の迫力を更に押し上げている。

豪華絢爛な馬車から降り、周囲の兵士や将軍達に指示を飛ばしながら彼女は砦へと降り立った。


「侯爵閣下!」


すると、指令室から一人の将軍がファルツレイン候の前に走り寄ってきた。その顔は歓喜に満ちており、目にはうっすらと涙すら浮かべている。


「よくぞ来て下さいました!これで我らも勝利を手にすることが出来ましょう!」

「うむ。遅参ながら王国の危機に駆け付けた。戦況はどうなっている?」

「はっ!現在、砦に籠り抵抗を続けておりますが……最早保ちませぬ」


彼女は現在の戦況を事細かにファルツレイン侯爵に伝えた。籠城してはいるものの、敵方の奇妙な魔法の砲撃により砦の外壁が日に日に削られている事。

このままでは砦の陥落は必至で、どうすべきかを話し合うべく砦主と将軍達が集まって議論をしている事。

打って出ようにも遠距離からの魔法で兵士達が成す術もなく吹き飛ばされ、最早戦いにすらなっていないのだ。

更には時折出現する転移魔法により奇襲を受ける始末であり、王国は窮地に陥っているのだ。

その話を聞き終えたファルツレイン候はふむと頷くと口を開いた。


「申し訳ありませぬ!陛下から兵を預かっておりながら我々はこの砦に押し込まれ、抵抗もままならず……」


将軍は膝から崩れ落ちるように跪くと、悔しそうに地面を握りしめた。その顔に流れる涙は悔しさだけでなく、自分達の不甲斐なさからでもあるのだろう。

すると、そんな将軍に対しファルツレイン侯は笑みを浮かべたまま彼女に近づいた。


「安心せい、妾が来たからには王国軍に敗北はない」


そう言って跪く彼女の肩に手を置くと優しく語りかける。その瞳には慈愛の眼差しが宿っており、将軍は思わず顔を上げた。


「お前達は最後まで砦を守り抜いたのだ。この妾が来るまでの時間を稼ぐ為に、よくぞ守り切った」

「閣下……」


将軍はファルツレイン侯の言葉を聞くと、その表情をくしゃりと歪める。そして、再び頭を下げて嗚咽を漏らした。


「さぁ、諸将を集めい!これから全軍、このファルツレイン侯の指揮下に入るように砦中に伝令を出すのだ。すぐに作戦会議を開く、急いで支度をせよ!」

「ははっ!!」


ファルツレイン侯は高らかに笑いながら指示を出し、将軍はイライザを砦の中の司令室に案内する。

司令室には王国軍の主たる将軍が数名、その将軍達がファルツレイン侯に跪き作戦会議を待っていた。


「閣下!お待ちしておりました!」

「閣下がいらしたからにはもう何も恐れるものはありません」


将軍達は歓喜に満ち溢れ、希望に満ちた表情でイライザの言葉を待っている。そんな彼女達を見て、イライザはフッと口元に笑みを浮かべる。

ファルツレイン家は侯爵位を授かる貴族であり、王国を守護する武門の一族として勇名を馳せている。

あらゆる軍閥を取り纏める武家の棟梁は伊達ではなく、軍人であるならばファルツレインに畏敬の念を抱くのも当然であった。

その武力は王家すら凌ぎ、ファルツレインに逆らえるものは誰一人としていない。

そんな王国最強の武門であるファルツレインが援軍に来てくれるのだ。将軍の誰もがこれで一安心だと、安堵し歓喜の表情を浮かべていた。


「うむ、うむ。皆々方、ご安心なされよ。このイライザ、ファルツレインの全軍を招集し援軍に参った。必ずや勝利を勝ち取ると約束しよう」


───全軍!

その言葉を聞いた瞬間、将軍達に衝撃が走り抜けた。

ファルツレイン領は帝国のノーヴァ領と領地を接している。故に常に帝国からの侵略に備えており、激戦地となっている事は将軍達も知っていた。

そのため、少なくない兵を対帝国の為に常に待機させなければならない。だが、今回彼女は全ての兵士を連れてきたという。

それでは万が一帝国からの侵略を受けた時にどうするのか。将軍達はそんな懸念を抱いた。

帝国も森林国に侵略されてる以上そのような事はないとは思うが、確率は零ではない。

王国と帝国は今は一時休戦しているが、正式に休戦の約定を交わした訳ではないのだ。 


しかし、諸将が何かを言う前にイライザは口元に笑みを浮かべると静かに口を開いた。


「安心せい。ノーヴァ公爵家とは正式に休戦協定を結んできた。少なくとも森林国を撃退するまでは帝国からの侵略を受ける心配はない」


再び将軍達に戦慄が走る。

王国の宿敵、仇敵であるノーヴァ公爵家と休戦協定を結んだ───?その言葉はあまりにも信じがたく、俄には信じられなかった。

それはつまり、王国と帝国が手を組んだということ。有史以来、そんな事は一度も起こった事がない。

それ程までにあり得ない話であった。だが、それを言っているのはファルツレイン侯爵である。彼女の言葉を信じぬ愚か者はこの場にはいない。


「そ、そうか……!ファルツレイン侯が遅れて来たのは帝国と協議していたからか……!」

「なんと……!まさかそのような事が起こっていたとは……」

「流石はイライザ様、王国を守護する英雄は伊達ではありませぬな……」


将軍達は信じられないといった表情を浮かべ互いに顔を見合わせた。

ファルツレイン軍がこれほど遅れてきたのは帝国との交渉をしていたからだ。確かに帝国との話し合い程時間が掛かる案件はないだろう。

そして無事に話を纏めるとは、まさにイライザの名声と実力が成せる業である。諸将はファルツレイン侯爵の底知れぬ手腕に感嘆し、ただただ感服する。


「……」


実際はエリムの色気に溺れて、イチャラブしてたせいで遅れただけだったのだが勿論そんな事は言わない。

イライザはただ不敵に佇むのみ……。

嘘は言ってない。プラネに言ってノーヴァ公爵家に不侵条約を締結させたのだから、その実績は嘘にはならないのだ。

プラネがミラージュの傀儡で、お飾りの当主である事はイライザも理解している。しかしお飾りとはいえ現当主がサインした誓約書には違いない。

その誓約書がある限り、確かにそこには停戦の条項があるのだ。

ミラージュにとっては青天の霹靂ではあるだろうが、イライザはミラージュの聡明さと背丈の低さを知っているのでノーヴァ公爵軍が王国に今攻め入る事は有り得ないと確信していた。


それよりも問題は……


イライザを褒め称える諸将達。そんな彼女達を横目にイライザは物憂げな表情で溜息を吐いた。


「時間が無かったとはいえ……陛下に了解も取らずに帝国と休戦協定を結んでしまったが、陛下は許してくださるかな」


イライザが言う陛下とはヴィンフェリア王国の国王である。ファルツレインの権勢が如何に王族を凌いでいるとはいえ、あくまで王国に仕える貴族なのだ。

それが仇敵である帝国と勝手に休戦するなどと本来は許されるはずもない。平時ならば糾弾されて然るべき行為……


だが……


「なにを言いますか!当然の判断でしょう!」

「そうですとも!寧ろその英断には国王陛下もお喜びになりまする!」

「王国は閣下によって救われましょう。私も感謝の念に堪えません」


イライザの呟きに対し、将軍達は全く気にした様子もなく笑顔で答える。むしろ感謝しているといった様子だ。

そんな彼女達の様子に、イライザはにやりと笑みを浮かべる。


「ふふふ……そうか、そうか。そう言ってくれるか」


彼女は再び口元に笑みを浮かべると、将軍達を見渡して静かに口を開いた。


「卿達は妾に付いてきてくれるか?このファルツレイン侯たるイライザに……」

「無論!」

「閣下と共に!」

「どこまでも付いて行きますとも!」


そんなイライザの言葉に、将軍達は異口同音に応える。

彼女達の目には迷いなど一つもなく、あるのはただ真っ直ぐな忠誠心のみ。ファルツレイン侯爵と共に戦える事に誇りを抱きながら将軍達は一斉に跪いた。

軍人ならば皆ファルツレインの子飼いの存在のようなものなのだが、こうして言葉にして忠誠を示せるのは彼女達がイライザに心から従っている証左である。


「諸姉達のような将がそう言ってくれて、妾は心強い思いだ。何があっても妾に着いてきてくれると信じているぞ。そう、何があっても、な……」


イライザは満足そうに頷くと、口元に笑みを浮かべて告げた。


「ではこれより反撃を開始する!全軍、出撃準備をせい!砦から出て野戦を仕掛けるぞ!」

「砦から打って出るのですか?しかしそれでは敵の魔法の的に……」

「案ずるな!敵が魔法を使うのならば、此方はそれ以上の力を以てして押し潰せばいいだけの話よ!」


イライザがパチンと指を鳴らす。

その瞬間、司令室の扉がドォンと爆音を立てて灰燼と化した。

何事か───!

その場にいた者達が一斉に臨戦態勢を取る。しかし、彼女達が剣に手をかけるよりも先に、その姿が露わになった。

黒い、禍々しい鎧。鮮血のような紅い線が鎧全体に走っており、それがより一層禍々しさを際立たせている。

あまりにも邪悪で歪なその姿に歴戦錬磨の将軍達もその場を動けないでいた。凄まじい威圧感が司令室を瞬く間に支配していく。

その威圧感は、まるで帝国軍のあの悪魔が放つような邪気そのものであった。


「イ、イライザ様……ッ!!」

「安心せい、味方だ」


味方?あれが?

将軍達が戦慄しながら見つめる中、黒い鎧の悪魔は一歩ずつ司令室の中に入っていく。

コツコツと靴を鳴らしながら歩く度に鎧が擦れ、ガシャリと音を立てる。その音がやけに不気味で、将軍達はゴクリと唾を飲み込んだ。

そんな彼女達の事など気にする様子もなく、黒鎧はゆっくりとした足取りで歩みを進める……。


「紹介しよう。此度、我がファルツレイン軍の副将に就いたアイリ……じゃなくて……黒騎士だ」

「……」


イライザの紹介に対し、黒騎士は何も反応を示さない。ただ無言でその場に立っているのみ。

しかし将軍達はそんな事に疑問を抱かず、呆然としながら彼女を見つめていた。そしてハッと我に返ると慌ててイライザに向かって話しかける。


「閣下!その者は一体?それに黒騎士という名前は……というか先程から尋常ではない程の殺気を放っているのですが……」


将軍の一人が恐る恐るといった様子で尋ねると、イライザはニヤリと笑みを浮かべた。


「此奴はな、異国の地で暴虐の限りを尽くした業深き闇の騎士よ。その罪深さのあまり名前すら呼ぶ事は叶わん恐ろしい奴だ。しかし、その実力は本物……」

「なんと……そのような者が……」

「その残虐さたるや、正に悪鬼羅刹そのもの。此奴が戦場に立つだけで敵軍は震え上がり、味方からも恐れられるような化け物よ」


ゴクリ、と将軍達の喉が再び鳴った。そんな将軍達に何を思ったのか、黒騎士は鋭い眼光で睨みつける。

それだけで将軍の足が竦み上がり、冷や汗が流れるのが分かった。


「此奴に掛かれば敵は兵士だろうが民間人だろうが皆殺しだ。それが例え赤子でもな」

「み、みなごろし……?」

「そう。皆殺しだ。わざわざ妊婦の腹を裂き、中の胎児も潰して殺す念の入れようだ。黒騎士が通った後は命は全て消え去るのみよ」

「な、なん……ですと……!?」


もしそれが本当ならば想像の遥か上をいく残虐性だ。話を聞いただけで震え上がる程の凄まじい狂いっぷりである。

将軍達は皆震えあがった。普段ならば一笑に付すだろうが、この黒騎士とやらから放たれる凄まじい覇気が今の話は全て真実だと証明していたからだ。


「───我がファルツレイン領軍が誇る最強の騎士だ。諸君らも死にたくないのならばこの悪魔の騎士に不用心に近付くなよ」


イライザの口元が歪む。その笑みはまさに魔性の女に相応しいもので、将軍達は冷や汗を流しながらゴクリと喉を鳴らした。

それは恐怖から来るものであったが、同時にイライザから溢れ出るカリスマに屈服した証でもあるだろう……。

このような悪魔を従えるイライザはなんと偉大なのか。将軍達はそんな思いを抱きながら、彼女に魅入られていたのだった……。


しかし、そんな雰囲気の中ボソリと黒騎士が呟いた。


「いや、腹掻っ捌いて胎児潰すとか、そんな事するわけないじゃん……」

「え?」


その呟きに将軍達は固まった。今、この黒騎士がなんか言ったような……?

その瞬間、イライザの眼光がギロリと黒騎士を射抜いた。黒騎士は姿勢を正すとそれっきり貝のように静寂を保ち、口を閉ざしてしまう。


「さあ!皆の者よ!出陣じゃ!これより全軍は砦を出て、森林国の軍勢を駆逐する!」

「え、いや、今この人なにか言おうとして……」

「妾と黒騎士がいるとはいえ油断は禁物!決して気を緩めるでないぞ!」


戸惑う将軍達を無視してイライザは出撃の合図を出した。

最早何かを問う雰囲気ではなく将軍たちはそれ以上何も言うことが出来なかった。


「ゆくぞ!この戦に勝利を!我らは何者にも屈さぬのだ!妾に、黒騎士に続けぃッ!!」


イライザの鬨の声が砦中に響き渡った。

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