44.「それ以上何も言うな。殺すぞ」
砦から打って出た王国軍は平野にてその陣容を誇示していた。
その総数は十万を超え、その威風たるやまさに大陸一の大軍勢と呼んで差し支えないものだった。
だが、それでもなお森林国の魔法の前には無力であった。
だからこそ、このような大軍がこの砦と、その後方に押し込まれているのだ。
──しかし、それも今までの話。
今まで帝国との戦に注力してきた王国の精鋭であるファルツレインの兵も加わり、更にはその当主までもが参戦し指揮を執るのだ。
負け続きの王国軍だがその士気は今までになく高かった。ファルツレイン侯の威光が兵士を照らし、信頼と尊敬が兵士の心をつなぎとめていた。
そうして意気揚々と陣形を維持しながら進軍する王国軍を見下ろす人物。その人物は平野を一望できる丘の上から王国の軍勢を見下ろしていた。
ファルツレイン侯爵イライザである。彼女は遥か彼方に見える森林国の軍勢を見据えながら薄く笑い、背後にいる女に振り返りながら声をかけた。
「見てみよ。森林国の奴等は余程魔法に自信があるのか、此方が動き出しているのに微動だにせぬわ」
ふふふ……と笑いながらそう言い、その言葉には嘲りの色が色濃く浮かんでいた。
そしてその言葉を聞いた女……ファルツレイン軍の将軍にしてイライザの副官を務める女性、アラクシアはイライザの言葉に同調するように頷き返す。
「ええ、その油断が命取りになるとも知らずにエルフというのは余程戦に疎いのでしょう」
金色の髪を靡かせる美女、アラクシアはそう言った。彼女はイライザと共に数多もの戦場を潜り抜けた歴戦の猛者だ。
ファルツレイン一門の筆頭であるファルザー家の当主アラクシアは名実ともにイライザの右腕と言ってよい。
イライザもまた、彼女を信頼し、重用していた。
「しかし……」
アラクシアはチラリと背後を見る。そこには黒い鎧を纏う『黒騎士』が静かに佇んでいる。兜の下の表情は伺いしれないが、その佇まいは悠然としたものであり、静謐さを感じさせた。
アラクシアはその様子を見て顔を顰めると、イライザに対し小声で話しかける。
「イライザ様。この黒騎士とやらは……信用できるのですか?」
アラクシアはファルツレインに仕える貴族であり、その人生を主人であるイライザの為に捧げてきた。彼女自身、イライザの為に死ぬ覚悟もある。
彼女はファルツレインに仇なす者はたとえ王族であろうとも容赦しない。
そんな彼女にとって、ポッと出の黒騎士は不信感を示すには十分すぎる存在だ。
いきなり現れたと思ったら、急に自分と同等位である副官に据えられた謎の人物。アラクシアの胸中には不信感と嫉妬心が渦巻いていた。
イライザ様の副官はこの私だというのに───。
そんなアラクシアの心情を察してか、イライザは苦笑しながら言葉を返す。
「信用できぬか?黒騎士を」
ふふふ……と笑いながら問いかけるイライザ。問われたアラクシアは「いえ……」と言葉を濁す。
「まぁ、それもそうだろうな。何処の馬の骨かも分からぬ奴を連れてきて妾の副官に据えているのだから不信感を抱くのも当然よ」
しかし、とイライザは続ける。
「アラクシア、もし黒騎士が我々に害を成すと思うのならば容赦なく其奴を殺すがいい」
「え……?」
アラクシアは耳を疑った。今、イライザはなんと言った?
得体の知れない存在ではあるが、一応は味方として連れてきた人物を殺すといい、そう言ったのか?しかも黒騎士本人が後ろにいるというのに。
アラクシアがイライザの真意を測りかねているうちにも話は進む。
「お前が黒騎士以上の武勇を示してくれるのであれば妾は何も言わぬ。分かるな?アラクシア」
イライザは凄みのある笑みをアラクシアに向けながら言う。
その笑みを見て、アラクシアはゴクリと唾を飲み込む。いつもの事ながらアラクシアにはイライザの深い考えが理解できなかった。
叡智に優れたイライザが無意味な事を言うとは思えないが、しかしそれでも理解できない。
「……」
───実際はただ単純に、アイリスをぶっ殺せるなら誰でもいいから殺してくれと思っているだけなのだが、そんな事はアラクシアには知る由もないのだ。
「(頼む!誰かこいつを殺してくれぇ!)」
アイリスさえ死ねば自分は狂った計画に巻き込まれずに済むし、エリムも独り占め出来る。
イライザにとってメリットしかないのだが、如何せんこの女は強すぎて殺せない。
毒殺でもしたいところだが毒ですらアイリスの身体に打ち勝つ事は出来ないだろう。
アイリスがいなくとも自分一人の力で森林国には勝てるだろうしこの女は百害あって一利なしなのだ。
いっそ魔法が直撃して死なないかな、とさえ思っているイライザ。だがそれでもこの女は死なないだろう……。
そんな彼女の思惑など知る由もないアラクシアは、主人の言葉に狼狽えるばかりだ。
そうして眼下で王国軍の大軍が進軍する中、イライザとアラクシア、そして黒騎士(アイリス)の背後から複数の騎兵が駆けてきた。
「ファルツレイン侯!ご指示通り軍を前進させておりますが……このまま進んでもよろしいのですか?」
イライザの元へと駆けてきたのは王国軍の主要な将軍達であった。彼女達は皆不安そうな表情を浮かべ、このまま進軍していいのかを問いかける。
今まで散々森林国との戦を経験した彼女達は理解している。このような開けた地で軍を前進させても、何処からともなく魔法が飛んでくると。
「安心せよ。妾を信じるがいい」
イライザは自信ありげにそう言う。しかし将軍達の表情には不安が色濃く残っていた。
そんな彼女達にイライザは笑みを向け、そして───。
「我が軍略と黒騎士の武勇、とくと見よ!」
そう言った瞬間、イライザ達の背後に控えていた黒騎士が動き出す。
「……」
ガチャリと鎧が音を立て、黒騎士はイライザ達の先頭へと躍り出る。
そして───。
「───来る」
黒騎士の呟きにアラクシアと馬に乗った将軍達は「え?」と間の抜けた声を発する。
一体何が来るというのか?一様に首を傾げる将軍達。それはイライザと黒騎士を除く全員の思いであった。
しかし、その瞬間であった。王国の進軍方向の彼方……森林国の軍勢がいる辺りから眩い光とキィン、という歪な音が響いてきたのだ。
突然鳴り響いた音にアラクシアは堪らず耳を塞ぐ。しかし、それでもなお聞こえてくる歪な音は次第に大きくなっていった。
「ま、魔法だ!魔法がくるぞ!」
将軍達が幾度となく体験し、そしてその度に悲惨な結果が齎されるその現象を目の当たりにし、諸将は絶望の表情を浮かべる。
あの光と音こそが魔法の発動予兆だという事は分かっていた。だが、それが分かっていながら何も対策が出来ないのだ。
ある者は恐怖に覚え、ある者は己の末路を悟り涙を流す。
しかし。
「さぁ、よく見ておくがいい!」
イライザは何処までも余裕綽々な様子でそう言った。
そんな彼女の様子にアラクシアや将軍達は、彼女が何を言っているのか分からず困惑した表情で見つめるしかなかった。
「槍を持てい!」
イライザがそう大声を張りあげると、一人の兵士が「は!」と威勢よく返答し、槍を片手に走ってくる。
そして黒騎士の前で跪き、手に持った槍を差し出した。
「……」
黒騎士はその槍を無言で受け取った。何の事はない、何の変哲もないただの槍だ。王国軍の標準的な装備の槍。
黒騎士はグルンと槍を回転させながら構えた。その堂に入った槍捌きは一朝一夕で身につくものではない。
そして投擲の態勢を整え、槍を構えると黒騎士の身体……鎧から闘気の奔流が溢れる。
「なっ……!?」
「こ、これは……なんという闘気……!?」
───槍に闘気を纏わせているのだ。それも尋常な量ではない。ただの槍がまるで魔法武器かのような輝きを放ち始めている。
ビリビリと大気が痺れ、大地が震動し、馬が怯え嘶く。
そしてその圧倒的な闘気は周囲にいた人間を飲み込みその身を竦ませた。
歴戦の猛者ですら竦む程の闘気を放つ黒騎士。
その身に秘めた力の一端を見せつけられたアラクシアと将軍達は恐怖のあまり目を見開いた。
そして───。
カッ!と目を見開くと同時に黒騎士は投擲の体勢を整える。その身体からは膨大な量の闘気が吹き荒れていた。
そしてその槍に纏わせた闘気を一気に放出した。ドンと一際強く大地が震え、空間が歪む。
「どぉりゃあああああ!!!!」
飛来してくる魔法を視認した瞬間、黒騎士……アイリスは闘気を纏わせた槍を思いっきり投擲した。
爆発的な風の抵抗を受けながらもアイリスの槍は猛然と大気を切り裂き、音速を超え、風を穿ち……。
───そして戦場に轟音が響き渡った。
投げ放たれた槍は眩い閃光を放ちながら突き進み、吸い寄せられるようにして空を往く魔法と衝突し、爆ぜたのだ。
爆散した魔法は無数の光の粒子となり戦場を漂い、太陽の光を反射しキラキラと輝く。それはまるでお伽噺の一場面のようでもあった。
「こんなもん、かな」
アイリスがふぅ、と息を吐く。
魔法攻撃が飛んでくる事は最初から分かっていたのだ。そしてそれに対応する為の方法も考えていた。(ただの力技だが……)
イライザとしては他の方法も考えていたのだが、アイリスが魔法を撃墜出来ると抜かしたのでその案を採用したのだ。
そして今の光景を目の当たりにしたアラクシアと将軍達は信じられないと言った表情を浮かべ、口をあんぐりと開けている。
「ま、魔法を迎撃した……?」
「あり得ん……そんな事が有り得るのか……?」
「これが黒騎士の力……なのか?」
そんな将軍達の呟きを聞いたアイリスはフフン!と得意げに胸を張る。
いや、実際彼女のやった事は凄まじかった。それを理解出来るが故に、アラクシアも言葉が出ないのだが……。
そして将軍達の様子を見ていたイライザは笑みを浮かべる。
「我が黒騎士に掛かれば森林国の魔法なんぞ恐れるに足りぬわ」
今の力はまやかしでも何でもない。大げさではなく、黒騎士とはそういう存在なのだ。
それをようやく理解した将軍達は畏怖と尊敬が籠った目で黒騎士を見つめていた。
「か、勝てる!これならエルフ共に勝てるぞ!」
「黒騎士万歳!ファルツレイン、万歳!」
そしてイライザはアラクシアへと視線を向ける。
「さて、アラクシアよ」
「は……はい!」
突然名を呼ばれ、アラクシアは慌てて返事をする。その顔には冷や汗が流れており、完全に萎縮している事が見て取れた。
しかしそんな事はお構い無しにイライザは言う。
「黒騎士を殺せるものなら、殺してみせぃ」
その言葉にアラクシアは口を閉ざす事しか出来なかった。この騎士は……人間ではない。
悪魔か……はたまたそれ以上の存在なのか?
今の出来事で自分と黒騎士の実力差を思い知ったアラクシアは、観念したかのように跪いて口を開く。
「……御見それ致しました、黒騎士どの。貴女の実力は、本物だ」
アラクシアにそう言われたアイリスは兜の下でドヤ顔を浮かべ、「ふっ……」と鼻を鳴らす。
アイリスは褒められるのが好きだ。崇拝されるのも好きだ。だからアラクシアのこの賛辞も当然の事として受け取った。
「まるで帝国の悪魔……アイリスを彷彿とさせるその力……!私では貴女に敵わない……!」
───あ、やべ。
とアイリスとイライザは同時に思った。
そう言えばこいつ……アラクシアはアイリスと何度も戦場で相対していた。イライザの副官なのだから当然である。
ならばアイリスの戦い方も、力も知ってる訳で……。
ここでアラクシアに正体がバレてしまうと、色々と面倒になる事になる……!
「今の膨大な闘気はアイリス以外には出せないと思っていたが……!あの禍々しいオーラ!恐ろしい悪魔公爵の力と同じ……!……ん?そう言えば貴女が槍を投げる時、アイリスの声がしたような気が……」
アラクシアがそこまで言ったところで黒騎士は手でチョイチョイとアラクシアに近くに寄るように手招きした。
彼女は疑問に思いながらも言う通りに黒騎士の元へと近寄り、顔を近づけた。
すると……。
「それ以上何も言うな。殺すぞ」
「……!?!?!?!?」
アラクシアの耳に届いたのは紛れもなくアイリスの声であった。
聞き間違える筈がない、アラクシアはアイリスと死闘を繰り広げた武将の一人なのだから。
「なっ……なっ……なっ……」
「あと、誰が悪魔公爵だ。どう見ても天使公爵だろうが。殺すぞ」
───間違いない!
この凶暴かつ凶悪な口調は、アイリス───!
アラクシアは咄嗟にイライザを見る。するとイライザはニコリと笑って、視線でこうアラクシアに言った(ような気がした)
「(余計な事を喋ったら、殺す)」
アラクシアはイライザの笑みを見て、ゴクリと唾を飲み込み無言でコクコクと頷いた。
自分は今、知ってはいけない事を知ってしまった───。
そしてアラクシアは察した。絶対に、何があろうと、何があってもこの事を口にしてはならない。
自分は今、死ぬか生きるかの瀬戸際にいるのだ───!
「し、承知いたしました……『黒騎士』どの」
アラクシアはガクガクと震える身体に鞭を打ちながらそう呟いた。
♢ ♢ ♢
「……?」
森林国女王プリムラは空中で爆散した自らが放った魔法を見て、訝し気な表情を浮かべていた。
あの魔法は間違いなく王国軍を標的に放った筈だが……。
だが、魔法は発動せず、何かによって阻まれた。そして爆散した魔法を見てプリムラは魔法の不具合かと思い杖を見るが、特に異常は見られない。
「……」
まぁいい、一度くらい不発弾があっても不思議ではない。そう思い直すと再び杖を構え、魔力を収束させ空中に浮遊する魔法式を構築する。
「消え失せろ、人間共……!」
彼女がそう呟くと空に巨大な光の玉が出現し、そこから先程よりも遥かに巨大で、膨大な威力を秘めた光の奔流が王国軍目掛けて放たれた。
それは地上から見上げても天を穿つ光の槍に見えた事だろう。それほどまでに巨大な光が、王国軍を蹴散らさんと迫っていた。
懲りもせずただやみくもに向かってくる人間のなんと馬鹿なことよ。プリムラはそう心の中で嘲笑しながら王国軍へと降る光の奔流を見つめる。
そして光の奔流が王国軍の頭上に到達するや否や───。
───再び空中で爆散した。
「……なに?」
なんだ、今のは。
何故標的の前で爆発する?しかも一度ならず二度までも。プリムラは眉間に皺を寄せて光の奔流が爆散するのを眺める。
そんな彼女に後ろから近づく者が一人。
「おや、杖の故障かな。それともキミの魔法の腕が落ちたのかな」
そう言って不敵な笑みを浮かべて来たのは妖精ララミアヴェール。
全妖精を統べる長であり、森林国の妖精軍を取り纏める将軍でもある。
「しかしおかしいね。その古代の杖は理論上壊れる事はあり得ない。それに、キミの魔法の腕が急に落ちるだなんてのも考えにくい」
う~ん、とララミアは悩むフリをしてプリムラに疑問を投げ掛ける。
「───あぁ、そうか!撃墜されたんだ?」
そう言ってララミアはプリムラの顔を覗き込むと、そこには憤怒の表情を浮かべた女王の顔があった。
「撃墜だと?私の魔法を、撃墜……!?」
有り得ない。あの魔法を撃墜など、それこそ同じ魔法で相殺する事でしか不可能だ。
それが出来るとすれば、それは───。
「まさか……レメリオーネが裏切ったのか?」
プリムラの脳裏に浮かぶのは王女レメリオーネ。自分と同じエンシェントエルフである存在。
彼女ならばプリムラと同程度の魔法を放ち、迎撃する事が可能だろう。
しかしララミアヴェールはその言葉を聞いて愉快そうに笑い始めた。
「アッハハハ!いやいや、ありえないでしょ。あぁいや、レメリオーネなら普通に裏切るだろうけど、それは今じゃないでしょ」
「ではなんだと言うのです」
「ただの人間と、槍さ」
「はぁ?」
間の抜けた声を出すプリムラに、ララミアはニヤリと笑いかける。
「彼女はただ槍を投げただけだよ。いやはや、これは見事だ。ただの槍を投げて、魔法を撃墜するんだから」
ララミアはそう言うと煌めく翅を羽ばたかせて、大空へと舞い上がる。そして空中で静止すると王国軍を指差して、こう言った。
「ようやく戦いが始まるね。今までのは戦いじゃあなかった。でも、ようやく彼女達と我々は同じステージに立つんだ」
ララミアヴェールの瞳が怪しく光る。それに呼応してプリムラの身体もドクンと鼓動を打った。
「愚かな。魔法で消し飛んでいれば痛みも苦痛もなかったというのに」
プリムラはそう言って杖を構え、魔力を練り上げる。今度は本気だ。
世界すら滅ぼせる程の魔力を吸収し、プリムラは古代種の力を解き放つ。
「いいだろう、相手をしてやる」
プリムラの怒りが籠った呟きにララミアはやれやれと肩を竦めたのだった。
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