41.「妾がこうしていたいからじゃ」

ファルツレインの屋敷は俄かに活気付いていた。

それもそうだろう、この屋敷の主であるイライザが急にエルフの美青年を連れて来たと思ったら、先日の落胆ぶりが嘘のようにイライザは元気を取り戻したのだから。

敬愛する主人が元気を取り戻したのは喜ばしいことであり、屋敷の使用人達は皆、安堵していた。

それに、彼女達とて女だ。執事服を着た美青年が屋敷にいるというだけで、屋敷の華やぎは一段と増していた。



「ねぇねぇ、エリム様はエルフって聞いたけど、あのお肌の綺麗さはどうやったら保ててるのかしら?」


「この耳って本物ですか?耳の先の感触は……あぁ、ぷにぷに!」


「ちょっと!私にも触らせて!」


「私も私も!」



ファルツレイン邸で、エリムを取り囲んでる使用人達が黄色い声をあげている。

彼は一人掛けのソファーに腰掛けながら、四方八方から伸ばされる手に苦笑していた。

エルフが珍しいのは分かるがこれでは身動きが取れない。しかし女性に取り囲まれるというのは悪い気分ではないのでエリムは彼女達の好きにさせていた。

どのくらいそうしていただろうか、大量のメイドさんに群がられるという至福の体験を謳歌していたエリムだったが不意にイライザの声が広間に響き渡る。



「おいお前たち。エリムと遊ぶのはいいが、彼は男なのだ。少しは遠慮しなさい」



イライザの言葉にメイド達はピタリと動きを止める。

そうだ、エリムが嫌がらないからこうして気軽に触れ合っていたが彼は男だ。女に囲まれるという状況が恐ろしいのは、男にとっては当然のことだ。

メイド達は思慮が足りない自分達を戒めようとしたが、しかしエリムはそんな彼女達ににこりと微笑むと。



「イライザ様、僕は気にしていません。むしろこうして女性の方から慕われるのは嫌じゃないというか……嬉しいというか……」


その言葉を聞いたメイド達は心の中で黄色い声を上げる。

あぁ、流石はエルフ!なんて紳士なのかしら。美男子だし、きっと女性に慣れているのかもしれない!

やはりエルフの殿方とお近づきになりたい! メイド達は一斉にエリムの手を取ると、我先にと口を開く。


「エリム様、今度お茶でもしながらお話でもしませんか?」

「あ!ずるい!私がお誘いしようと思ってたのに!」

「何よあんた達抜け駆けする気!?そういうのは早い者勝ちでしょうが!」


メイド達の争いをエリムは微笑みながら見つめていた。その微笑みはまさに慈母……いや、慈父の如し。美男子の微笑みにメイド達はさらにヒートアップする。

そんな様子を、ファルツレイン邸の女主人であるイライザはふぅと溜め息を吐いて見つめていた。

彼女達メイドはファルツレイン参加の貴族の子女達だ。イライザがこのラインフィルという地に来た時に、王国から一緒に連れて来た者達であるのだが、このラインフィル、特に貴族街には殆ど男の影がない。

イライザが所有していた奴隷を売り払ってからは彼女達も男に触れ合う機会がなかったので、エルフの美男子という貴重な存在に彼女達が色めき立つのも無理はないとイライザは思っていた。まぁ、彼女達が楽しく過ごせているのなら何よりだ。イライザはそう思うことにした。

エリムが嫌がっているなら止めようとは思うが、逆に嬉しいようだし……。

まぁ、過去に嫌がる奴隷の男に無理矢理迫っていたイライザが彼女達に言える立場ではないのだが。


「エリム様、森林国というのはどのような場所なのですか?」

「きっとエルフの森って素敵なところなんでしょうね」

「羨ましいです、エリム様みたいな美男子がいっぱいいるんですよね?」


その後もメイド達とエリムの触れ合いは続き、ファルツレイン邸での時間はあっという間に過ぎていくのであった。




♢   ♢   ♢




ファルツレインの屋敷での時間はエリムにとって新鮮なものであった。ノーヴァ邸での生活も素晴らしいものなのだが、ここはメイドさんが沢山いるし賑やかな所だ。

エリムは賑やかなのが好きだ。森林国では限られた場所で、限られた人物だけとしか接する事が出来なかった彼にとって、ファルツレイン邸での時間は正に夢のような時間だった。


そんなエリムだが、今現在彼は屋敷の食堂で夕食を食べていた。

ノーヴァ公爵家の屋敷ではマリアが料理を作ってくれていたが、如何せん彼女一人なので大量に料理を作る事は難しかったようだ。

しかしここでは違う。使用人は沢山いるし、何より本職の料理人が数人いた。

エリムの前には様々な料理が並んでいる。肉料理や魚料理等もあるが、どれも見た事がないものばかりだ。


「さぁエリム、どれでも好きなものを好きなだけ食べるがよい」


イライザがそんな事を言ってきた。それは嬉しい。嬉しいのだが……。


「あの、イライザ様」

「なんじゃ?」

「何故僕の真横に?」


イライザはエリムに寄り添うようにして、彼の真横に座っていた。

こんなにも広い食堂だというのに、何故こうも密着しているのだろうか。エリムの困惑した表情を察してか、イライザはうっとりとした表情を浮かべると。


「妾がこうしていたいからじゃ」


そう言ってギュッとエリムの腕を抱きしめてくる。

おぉ……という周囲からのどよめきが聞こえてくるが、エリムは別の意味で緊張してしまっている。何しろ自分の腕には柔らかい感触が……彼女の双丘が当たっているのだから。しかしそんなエリムの緊張をよそに、イライザはにこやかに微笑んでいる。


「どうしたエリムよ?顔が赤いぞ?」

「そ、それは……」


イライザに顔を近付けられ、思わず顔を逸らしてしまうエリム。

その仕草がまた可愛らしいと食堂からは黄色い声が上がる。そして赤面する美青年という何とも眼福な光景にメイド達は目をキラキラと輝かせていた。

そしてイライザもまた、エリムの反応にきゅんと胸の奥をときめかせていた。

今までこのように密着してこのような可愛らしい反応を示す男の子などいなかった。皆顔を恐怖に歪め、慌てて距離を取ろうとする。

だがしかし、エリムは顔を赤くするだけで自分から離れようとしない。それにイライザは優越感のようなものを感じ始めていた。

───男に、それもこのような美しい青年が自分を嫌がらない。そしてこうして自分に寄り添っている。

この世界の女が憧れる光景を、今この場で自分が独占している。その事実に、イライザは高揚していた。


「どれ、食べさせてやろう」

「え?」


エリムの不意を突くように、イライザは彼の口へとスプーンを運ぶ。

そして反射的にそれを口に含んだエリムは目を見開くと、口内に広がった味に目を白黒させる。

そんな彼の反応がまた可愛らしくて、思わず頬が緩んでしまうイライザ。

イライザという女性は子供もいるし、孫もいる。しかし根は武人であるし侯爵位を頂く貴人という事もあって、実子でさえこうして自ら世話を焼く事などありえない。

しかしイライザはこの青年にどうしても尽くしてしまいたくなる。

あぁ、いけない。こんな所を子供達に見られでもしたら何て言われることやら。


「……美味しいです!」


可愛らしい、天使のような笑みを浮かべるエリムにイライザは彼を思わず抱きしめてしまいそうになる衝動に駆られる。

そもそもの話、イライザは男の子が欲しかった。それは性的な意味ではなく、息子が欲しかったという意味だ。

もし彼女に息子が産まれていたならばイライザは息子を溺愛し、甘やかしていただろう。


しかし息子には恵まれなかった。産まれるのは女ばかり……しかも気の強い、憎たらしい女ばかり。

イライザは自らの子を愛してはいなかったし、彼女の子供もまたイライザという母親に親愛を感じてはいないだろう。

ファルツレイン侯爵は軍人としては英雄の如き人物であるが、家庭人としては最低である。

それは貴人として、武人としての役目を全うするイライザにとっては誇りでもあり、負い目でもあった。

だからこそイライザはエリムを見ていると今まで発揮されなかった母性が湧き上がってくるのだろう。

エリムに母性を感じると自覚した時、イライザはストンと腑に落ちた。

あぁそうか、自分はこの青年をまるで息子のように思っているのだと。


「美味しいか?エリム……」


最初見た時こそ彼女はエリムを性的な、そして芸術的な対象として見入っていた。それは事実だ。

だがしかし、こうして彼に母性を感じるようになってからは違う感情が自分の中で芽生え始めていた。

エリムともっと触れ合いたい。エリムと共にいたい……まるで自分の子供が恋しくて駄々をこねる母親のようだとイライザは思っていたが、しかしそれでも構わないと思う自分がいるのも事実だった。

だからだろうか、イライザは食事を終えた後もエリムにべったりとくっついていた。

まるで離れるのが寂しいと言わんばかりに……。


「エリム、もっと甘えても良いのじゃぞ?」


彼女の腕の中に収まるようにして身を委ねるエリムは、彼女の胸に頭をスリスリと擦り付ける。

彼の美しい金色の髪が自分の肌をくすぐるように触れる度に、イライザはゾクゾクとした感覚に襲われていた。

イライザの身体から漂う甘い香りが鼻をくすぐるだけで胸がドキドキしてしまうし、柔らかく大きな胸はこれでもかといわんばかりに押し付けられていて、その感触が気持ちいいやら苦しいやらで心が落ち着かなかった。


「あ!このカットいいですね!はいチーズ!」


不意にフラッシュが焚かれていた。見るとメイドの内の一人が小さい水晶玉を持って自分達を撮影していた事に気付くエリム。


「うーん、素晴らしい写真ですね。これは母と子の団らん……というタイトルに致しましょうか」


にこにことそう言うメイドだが、彼はイライザに甘える自分の姿が撮られた事を恥ずかしがっていた。

それもそうだろう、もう成人したいい歳の男が妙齢の女性に甘えている姿など、いくらエリムであるとはいえ恥ずかしいと思うのは当然だろう。

しかしイライザはそんなエリムに構う事なく、逆にもっと甘えてくるようにと彼の頭をさらに胸に押し付けた。


「うむ、素晴らしいシーンだ。その写真は額縁に入れて屋敷の正面玄関から見えるように飾っておいてくれ」


えぇ……?

エリムは困惑の表情を浮かべた。この恥ずかしいシーンを、正面玄関から見られる場所に飾る?

それはつまりこのファルツレイン邸を訪れた人物が絶対に目にする場所で、自分が甘えている場面を見られるという事だ。

エリムはそれを思うと恥ずかしさのあまり気が狂いそうになってしまうが、喜んでいるイライザの顔を見るとどうにも止める気にはなれなかった。


「お前は本当に可愛い子じゃ、エリム……」


イライザの胸に抱かれ、まぁいいかと思ってしまう自分がいる事に、エリムはもやもやとしながらも幸せな気分になっていた。

これが母の愛なのかなと、ぼんやりとする頭で考えるエリムであった。


まぁ、彼には母親がしっかりと存在するのだが……




♢   ♢   ♢




「わぁ、この部屋は……」


食事も終え、夜の帳が下りた頃。

エリムは自室としてあてがわれた部屋を訪れていたのだが、そのあまりの豪華さに驚きを隠せなかった。

まず部屋の広さが違う、エリムが寝ていた自室もかなりの広さがあったが、この部屋はその倍以上はあるだろう。

そして部屋の中に置かれている調度品等も全て高級品なのが分かるし、ベッドのシーツや布団はふわふわだし、どれもこれも高そうに見えるものばかりだ。


「ふふ、どうだエリムよ。この部屋はお主の為に妾が用意したのじゃ」



そう言ってにこりと微笑むイライザ。彼女はエリムの為に彼の部屋を用意していた。

それはアイリスからエリムを借りるという事を約束してから彼女はせっせと彼の為の部屋を準備させていたのだ。

イライザはこの為にアイリスに従っているといっても過言ではない。半ばアイリスのとんでもない策を強制されているイライザではあるが、エリムがいるからこそ我慢出来るのだ。

そして今、ついに、とうとう念願の時がやってきた。エリムをとうとうこの部屋に招待出来たのだから。

そしてその部屋を見てエリムは目を輝かせていた。まるで貴族の屋敷にお呼ばれされた少年のような反応を見せるエリム。

可愛い、なんて可愛らしい反応なのだろうか。そしてそんなエリムの反応に心をときめかせるイライザは、やはり母親的な感覚なのだろうと思うのであった。


「……あれ?これは……」


そんな時エリムは部屋に置いてある大量の『とある物』を見つける。それはぬいぐるみであったり、オモチャであったり、絵本であったりと……。


「それは妾が用意した子供用の玩具じゃ。エリムが好きそうな物を選んでおいたぞ」

「えっ」


目を輝かせるエリムに得意気に胸を張るイライザだが、エリムは首を傾げた。

え?何故子供用品を自分に……?内心不思議がるエリムであったが、イライザが次に放った一言でその疑問は解決することとなる。


「エリムはまだ子供だからのぅ♡妾がしっかりとお世話して、立派な大人に育ててやるから安心するのじゃぞ」


───あ、この人もしかして自分を子供だと思ってる? エリムはふとそんな考えに至っていた。

エリムは自身の見た目が少年に近い容姿である事は理解していた。歳の割に背も小さいし、まるで子供のような顔付きであるし。

彼はれっきとした成人だし、まさかこの歳になって子ども扱いされるとは思っていなかった。

しかしイライザから見れば確かにエリムは子供だ。アイリスよりも一回り以上歳も離れた彼女ならばエリムを子供扱いしてもおかしくはない。

イライザは部屋のソファに腰掛けるとポンポンと自分の横を叩く。ここに座れという合図だ。

そんなイライザの誘いを無下に出来る訳もなし、エリムは彼女の横に座った。

その距離は肩と肩がくっつく程の近い距離だった。


「妾はな、お主みたいな子を産みたかった。お主のような心優しく、美しい子。それは叶わなかったが……しかし今こうして、妾の理想の子がここにいる……」


イライザはそう呟くように言ってエリムの顎をくいと上げる。

そして彼女の端正な顔が近付いてくる事に、エリムは心臓がバクバクと高鳴ってしまっていた。


「イライザ様……?」

「妾が理想の子を産む事は叶わぬ夢じゃったが……こうして理想の子を育てる事は出来る」


そんなイライザの言葉に思わずドキッとするエリム。

もう既にそれは恋である。決して性欲ではない。そう、決して……。


「だから妾はお主を立派な大人に育てる。妾の理想を、妾が叶えられなかった夢を、お主には叶えて欲しいのじゃ」


そう言うとイライザはエリムにチュッとキスをした。


「ん……!?」


そんな突然のキスに驚くエリムだが、彼女は構わず彼を抱きしめて接吻を続ける。

まるで母親のように優しく、そして逃がさないとばかりに力強く……。

そんなイライザの様子に段々と心が熱くなっていくエリムだが、彼女の柔らかな唇が自分の唇に触れる度にどんどん胸が高鳴っていくのを感じた。


「ん……んん……」


やがて、今度は自分の口の中にイライザの舌が侵入してきた事に驚く。

だがしかし、エリムは抵抗しなかった。むしろ自分から彼女の舌に絡みつくようにして互いの唾液を混ぜ合わせていく。

そんなエリムの行動にますます母性が刺激されてしまうイライザは、愛おしそうに彼の頭を撫でた。


「ぷはぁ……ふふ、妾とキス出来て嬉しいか?」


そんな質問にエリムは恥ずかしそうに頷いた。それを見たイライザは幸せそうに微笑むと、再びエリムの唇を貪る。

今度は先程よりも激しい、貪るようなディープキス。しかしそんな情熱的なキスにエリムは気持ち良さを覚えて、もっともっととねだるように舌を動かす。


「ん……ふふ♡妾との接吻がそんなに好きか。可愛い奴め……」

「お主を立派な大人に育てなければならぬからのぅ♡一日しかないが、今日はたっぷりと時間があるぞ……」


その瞬間、エリムの身体がビクンと震えた……。


「さぁ、妾と共に家族団らんといこうか……」


イライザの声が、子供部屋に溶けて消えていった。

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