38.「エリムは結構楽しんでるみたいだよ。今現在。なう」

森林国の軍勢はある時点を境に二手に分かたれた。一つは王女レメリオーネ率いる帝国軍方面侵略軍と、女王プリムラ率いる王国軍方面侵略軍である。

本来ならば軍を二手に分けるなど愚策である。しかし、女王プリムラは敢えてその愚策を取った。


───何故か?


それは彼女が自らの力に絶対の自信と自負を持っていたからである。


「……」


プリムラは無言で平野の遠くに陣取る王国軍の姿を見据えていた。


「プリムラ様、王国軍が動き始めました」


配下の騎士団がそう報告した。プリムラはその言葉に目を細めると、無言で一歩踏み出し手を翳す。

瞬間、彼女の掌から圧縮された光が迸った。その光はプリムラの頭上に形成され、彼女の身長を遥かに上回る巨大な槍となる。


「消し飛べ」


そして、彼女は無造作に腕を振るった。同時に彼女の手から解き放たれた巨大な光の槍は帝国側へと迫る王国軍を蹂躙すべく高速で飛翔していく。

それは王国軍からしてみればまさに悪夢であった。平原の向こうより突然飛来した閃光が自分達へと迫り来るのだ。また、その速度は尋常ではない速度で、あっと言う間に距離を詰めてくるのが見て取れる。


「ぜ、全軍せんか───」


瞬間、光の槍は王国軍の上空に飛来し、そして一際強く光ったかと思うと眩い閃光が平原を駆け抜ける。

そして、その光が消え去った後には───何もなかった。王国軍も、王国軍側の砦も、一切合切が吹き飛び王国軍は散り散りに吹き飛んでいった。


「下等生物が……」


プリムラはそう呟くと視線を森林国の兵士達に向けた。グルンと視線を動かした為、彼女の美しい金色の髪が弧を描く。


「「───!」」


女王のその瞳に射抜かれたエルフの兵士達はビクリと身体を震わせる。

味方だというのに……いや、味方だからこそ兵士達は女王が恐ろしかった。

あの大軍を一瞬で吹き飛ばす女王の魔法もそうだが、躊躇せずに敵にその巨大な光の槍を振るった精神が恐ろしかった。

敵に容赦しないのは分かる。だが、彼女は容赦しないとかそういった次元の精神構造ではないような気がするのだ。

もっとこう……おぞましい、恐怖と本能的畏怖を覚えてしまうのだ。

そして、何よりもその瞳は自分達を命として見ていなかった。まるで路傍の石ころを見るような冷たい眼差しで自分達を見ているのが分かってしまった。


「じ、女王陛下におかれましては今日も魔法の腕が冴え渡っておられますれば……」


引き攣った笑みを浮かべながらそう言うのは森林国の騎士団団長を務めるファルナ・レレラ。

森林国最強の女騎士と評される彼女だが、女王の魔法と比べたら最強の文字の虚しさたるや。


「世辞はいい」


プリムラのその言葉に、ファルナは背筋が凍り付いたかのような感覚に陥った。

ファルナが知る女王の暖かな瞳はそこになく、あるのは冷徹で冷酷な眼差し。

ファルナの頬を冷や汗が伝った。彼女は知っている。この雰囲気こそが女王プリムラの本性であると。

これこそがエリム王子が側にいる事で封印されていたプリムラの本性であり、その本性は一つの国を滅ぼすのに何の躊躇もしない、そんな冷酷な女王だと。

王子がいたからこそ、その残忍な気性は鳴りを潜めていただけだ。その王子が攫われたとなったらこうなるのは目に見えていた。


「少し休む」


プリムラは感情を一切感じさせない声でそう言うと、踵を返して野営地の方へと戻っていく。

その後ろ姿を兵士達は皆一様に恐れた目で見つめ続けた。

だが、彼女の後ろ姿を見つめるエルフの兵士達の目は畏怖だけではない。プリムラの圧倒的な魔法の才覚にある者は心酔し、またある者は尊敬の念を抱いていたのだ。


「流石女王様だ!こうも一方的に人間共を粉砕するとは!」

「ああ、我らも精進せねばな」

「……しかし古代エンシェントエルフとは凄まじいものだ。我々現代種とは格が違うというかなんというか……」

「違いない。王女様もそうだが、上位種の方々はまさに神話の世界に生きておられた御方だからな。比較するのもおこがましい」


エルフの兵士達がそう話し、王国軍の脅威は去ったと口々に安堵の声を上げた。


「お前達!何をしている!すぐに陣地を築く作業に移るぞ!」


ファルナがそんな兵士達に発破をかける。彼女の声に反応したエルフの兵士達は各々の作業へと取り掛かり始めた。


「……」


他の兵士達と違って、ファルナはどうしても悪寒のようなものを覚えてしまう。

禍々しい、そして冷たい光を放つ女王の暗い双眸が脳裏にこびりついて離れないのだ。

願わくば、彼女の力が我々に向かないよう、ファルナはそう祈ったのであった。




♢   ♢   ♢




「う……ううっ……」


薄暗い天幕の中。森林国の女王であるプリムラは一人うずくまり、涙を流していた。プリムラは泣いていた。自身の無力さに、そして自身の愚かしさに。


「私は……私は……」


嗚咽を上げながら、プリムラは己の頰を叩いた。これが夢ならば覚めて欲しいと心の底から願うが、その痛みは紛れもない現実であり、彼女が愛した存在はもう側にはいないという事実を如実に語るものだった。


「エーちゃん……どうして……」


もう失わないと決めたのに!そう叫びたい気持ちを必死で抑える。自分の手元に置いておいたつもりだった。決して離さまいとしていたのにも関わらず、彼は奪われてしまったのだ。

それが悔しくて、それが悔やまれる。


「……」


だが、プリムラの瞳に絶望はない。あるのは憤怒と、そして憎悪。


「絶対に……取り戻してみせる」


プリムラはそう呟くと立ち上がった。その瞳には昏い光が宿り、彼女の手には一本の杖が握られていた。

その杖こそ彼女がプリムラである所以。古代の技術で造られた兵器であるそれは大気の魔力を際限なく吸収する古代人の技術の結晶だ。

プリムラですらこの杖を再現するのは不可能であり、使えるのも彼女のみ。

プリムラがそれを手にした時、彼女は歴史上最強の魔法使いとなる。そして、その力で奪い返すのだ。


「待ってて……エーちゃん」


そう呟いたプリムラの瞳には狂気にも似た色が宿っていたのだった。


そんな時であった。


天幕でうずくまるプリムラの傍らで突然魔力が収束していく。紫色の球体となった魔力はやがてある形を作り上げていく。

それはまるで羽の生えた人のような形をしていた。人形のように小さく、肩に乗れるほどの矮小な存在だが、その身からは凄まじい魔力が迸っている。


「また泣いているのかい、プリムラ」


小さな身体に極大の魔力を纏わせる存在……妖精である。彼女はその中でも極めて高い知性と、そして膨大な魔力を有する存在であった。


「ララミアヴェール……」


プリムラは突如として現れた妖精の名を呼んだ。それはプリムラと同じ古代種エンシェントと呼ばれる、種族にとっての上位種であり全ての妖精の頂点に立つ存在であった。

古代種エンシェントフェアリー・ララミアヴェール。妖精の女王として君臨する彼女は数千年の悠久を生きる、妖精の中でも特別な存在だ。


「全く……君は昔から泣いてばかりだ。本当に困ったものだね」


ララミアヴェールは呆れた様子でプリムラにそう言った。


「泣いてないわ……」


プリムラは低い声でそう呟くと、自身の顔を乱暴に拭った。

そんな彼女の様子を見て、ララミアヴェールはやれやれとばかりに首を振ると言葉を続けた。


「強がりもそこまで行くと哀れみすら覚えるよ」


ララミアヴェールとプリムラは同じ女王という立場であるが、その付き合いは国という概念が出来る前からであり、どちらが上という関係ではない。

彼女達は対等であり、故にプリムラはララミアヴェールの軽口に対して苛立ちを覚える事はなかった。この妖精の軽口は昔からであり一々反応しても疲れるだけだと分かっているからだ。


「何の用です。下らない戯言を述べる為にここに来たのでしたらとっとと消えなさい。」

「用?用ならあるよ」


ララミアは煌めく翅をはばたかせながら空中でくるりと一回転すると、プリムラの座る寝台にゆっくりと降り立った。


「こんなバカげた戦、さっさとやめたら?って言いにきたんだ」


その瞬間、凄まじい殺気が天幕内に充満した。

常人ならばその殺気に充てられただけで心臓発作を起こしかねない程である。

だが、ララミアヴェールはその殺気に一切怯える事なく言葉を続ける。


「感情に捉われるのは君の悪い癖だよ。そんなんじゃ、君の好きな彼は喜ばないと思うけど?」


プリムラはその言葉にギリッと歯噛みした。確かに感情に捉われ過ぎるのは良くない事だというのは彼女自身も分かっているのだ。

だが、彼女にも引けぬ事がある。それがエリムの事だった。自分の最愛の存在が奪われてどうして冷静でいられようか。

息子を想う母の愛と、一人の青年を愛する乙女心が複雑に絡み合い今のプリムラを作り上げている。


「……」


プリムラは言葉を発する事なく、ただジッとララミアヴェールを見つめた。その表情は怒りに満ちており、同時に酷く憔悴したようなものであった。

その様子を見てララミアヴェールはやれやれとばかりに首を横に振ると言葉を続けた。


「プリムラ。あまり人間を舐めない方がいい」

「なに?」

「人を見下すのは昔からだけどさ、そろそろ君は彼女達を……現代種達を見下すのはやめた方がいいよ」


ララミアヴェールはプリムラを見据えながらそう言った。その言葉にプリムラはキッと目尻を吊り上げた。


「下等生物である人間を見下すなと?いや、人間だけではない。古代種エンシェントであるこの私と、現代種が対等だとでも言うのですか?」


プリムラはギシリと歯軋りをした。何故この妖精はそんな事を言うのか、彼女の頭の中はその事で一杯になり、苛立ちが募る。

自分は今の種族が作られる前から存在する古代文明の技術の結晶だ。そしてそれは目の前の妖精にも当てはまる。

全ての生き物を超越し、生きとし生きる者を導く役割を持つ上位者なのだ。それがどうして下位種族である現代種如きと同列に扱われなくてはいけないのか。

しかしそんなプリムラの思考を先読みするかのようにララミアヴェールは言葉を続けた。


「対等さ。同じ意識があって、同じように生きている。人だろうがエルフだろうが、現代種も古代種エンシェントも関係ない。我々は等しく生き物であり、命あるものだ」

「だから何だと言うのです?下等な奴等と、それもエリムを攫ったにっくき存在とお手てを繋ぎ仲良しごっこでもしろと?」


プリムラの憎悪が膨れ上がる。目の前にいる妖精はなにも分かっていない。

愛する者を奪われた自分の苦しみが、無念が。

だが、そんなプリムラにララミアヴェールは冷めた目で見つめると口を開く。


「違うよ」


そして言った。


古代種エンシェントも現代種も等しく、死ぬんだ。君もいい加減彼女達と同じ舞台に立つ時が来たんだよ」


それは命あるもの全てが持つ当たり前の事実であった。全ての生き物はいずれ死に、永遠の安息を享受する事になるのだ。

それは決して逃れられないものであり、何者の力も及ばない絶対普遍の理であった。

それはプリムラとて例外ではない。彼女が意思を持つ生命体である限り終わりはあるのだ。


「同じ舞台だと?馬鹿な、奴等と私は生きる次元が違う。私の指先一つで人間共は消し飛び、奴等の文明など蟻の巣を壊すように簡単に奪えるのだ」

「君ね、何千年も生きてきてまだ分かってないのかい。大崩壊後に生まれた彼女達はとても逞しいんだ。君なんかじゃ彼女達には敵わない。この世界に生きる者達の強かさとしぶとさを甘く見過ぎだよ」


プリムラはふん、と鼻を鳴らした。そして掌に魔力を集中させると彼女の手から小さな炎がメラメラと揺らめいた。


「私が遅れを取るだと?古代文明の都市であるラインフィル一つ掌握できない現代種共に?ありえない。だって───」


プリムラはそこで言葉を切ると、掌の炎を凝縮させた。


「───古代文明を滅ぼしたのはこの私なんだから」


スッと。ララミアの目が細まった。小さな妖精の女王は何かを懐かしむように、悲しむようにその炎を見続ける。


「だけど、まぁ。万が一……億が一にでも私に膝を付かせることが出来るのであれば……」


プリムラの掌に膨大な魔力が集まる。それを見てもララミアヴェールは動く事なく、ただ黙って彼女の言葉の続きを待っていた。


「話くらいは聞いてやってもいい」


そう言うと、プリムラは魔力を収束させていた手をゆっくりと降ろした。それを見たララミアヴェールはほう、と小さく息を吐き出すと口を開いた。


「全く……素直ではないね」

「なんとでも言いなさい。今の私の目的はエリムを取り戻す事です」


そう言い切るプリムラにララミアは小さく肩をすくめると寝台から降り立った。そして天幕の出口へと向かってふわふわと飛んでいくと途中でピタリと動きを止めて振り返らずに言った。


「そうそう、もう一つ言っておかなくちゃならない事が」

「まだ何かあるの?」


プリムラは訝しげにそう聞いた。ララミアヴェールは振り返らず、言葉を続けた。


「エリムは結構楽しんでるみたいだよ。今現在。なう」

「は?」


ララミアはそれだけ言うと、今度こそ振り返る事なく天幕から出て行った。

一人残されたプリムラはしばらく呆然として、天幕の入り口を見続けたのであった。




♢   ♢   ♢




「なんという魔法の威力だ……これではどうにも歯が立たん」


ヴィンフェリア王国の軍を指揮する将軍は魔法により吹き飛ばされた王国の軍勢を見てぼそりとそう呟いた。

彼女がいるのは馬に乗ったまま戦場を一望出来る位置に配置された陣である。そこで彼女は王国軍がエルフの女王の魔法によって一掃される光景をまざまざと見せつけられた。

帝国軍との戦で鍛え上げられた歴戦の兵士が手も足も出ずに吹き飛ばされる。対策しようにも遥か遠方からの魔法は止めようがない。

何しろ此方が森林国の軍を視認する前に魔法の一撃が飛んでくるのだ。これでは対策の取りようがない。


「将軍!このままでは!」


側に控えていた兵士が悲鳴じみた声を上げた。それは恐怖と焦り、そして絶望を混ぜ込んだ声音であった。

それもそうだろう。そもそもが接敵する前に此方が魔法で吹き飛ぶし、運よくに接敵出来たとしても無傷の森林国の軍勢が待ち構えて居る。

どうしようもない。それが現場の忌憚のない意見であった。


「分かっている!」


将軍は部下を怒鳴りつけた。だが、この絶望的な状況を前にして彼女が出来ることなど何一つなかった。

彼女は無力な自分を悔いた。ヴィンフェリア王国の軍は決して弱くない。むしろ大陸で有数の精強な軍隊だと彼女は自負していたし、事実帝国との戦でも勝利を重ねてきた実績もある。

その自信が粉々に打ち砕かれる感覚を味わいながら彼女は目の前の現実に対して何も出来ない自分に対して苛立ちを覚えずにいられなかった。

そんな時であった。不意に遠方から伝令兵が慌てた様子で将軍の元へ駆け寄ってきた。


「将軍!王国からの伝令です!」

「なんだ!?」


将軍は苛つきを隠しもせずそう答えた。

すると伝令兵は恐縮しながら一つの報告を告げた。その内容を聞いた将軍は目を大きく見開いたのであった。


「か、閣下!」


その様子を見て兵士も驚きの声を上げた。彼は口元を手で覆いながら戸惑いを隠せずに将軍に事実の確認をした。

将軍の瞳に再び光が灯った。それを見た兵士は喜び勇んだ。


「これで……王国は救われるやもしれん……!」


そんな期待に満ちた瞳で見つめる兵士を余所に将軍は言葉を紡いだ。


「すぐに全軍に通達しろ!ファルツレイン侯爵軍が森林国との戦に本格的に参入すると!ファルツレイン侯自らが大軍勢を率い、救援に来てくれると!」

「了解であります!」


伝令兵はそう叫ぶと、一目散に本陣から駆け出した。それを見送った将軍は拳を握りしめながら遠くにあるであろう王国の方角を見上げた。


「巨星ファルツレイン侯……!遂に、あの御方が動かれたか……!」


将軍は歓喜に震えながらそう呟いた。この絶望的な戦況が覆るであろう希望の灯火を胸に抱きながら。

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