36.「一緒に植樹しませんかぁ?」

レメゲスト森林国の軍勢は破竹の勢いで王国と帝国の領土に攻め入っていた。

宣戦布告こそしたもののそれは奇襲に等しく、森林国に対して何の準備も出来ていなかった両国は、王国は女王率いるエルフの大軍勢に、帝国は王女率いる部隊の侵攻に対応できなかった。

森林国と領土を接する領地の貴族は奇妙な魔法を使うエルフの軍に為す術もなく蹂躙されるのみである。

しかし、それでも帝国と王国はこの大陸屈指の強国である。すぐさま軍を編成し、王国は帝国と暗黙の不可侵を結ぶことでその侵攻に待ったをかけた。

王国と帝国……二つの国が互いに向けていた軍をそのまま森林国の軍勢にぶつけることで、大陸最強国と名高い二つの軍は各々エルフと対峙する事になる───。


そして再編された帝国軍の総大将を務めるのは、かつて帝国にその人ありと言われた軍神ミラージュ。公爵としての地位は娘に譲り引退したものの、帝国の一大事に再び戦場に舞い戻った戦女神である……。


「あーめんどくせーめんどくせー!!!なんで妾がこんな事しなくちゃならんのじゃー!!!」


子供のような背丈の軍服を着た女性……ミラージュ・ノーヴァ。御年50を超える女性だが、その見た目は幼く見えるノーヴァ家の実質的な支配者である。

そんな彼女は今、小高い丘の上で胡座をかいて座りながら喚き散らしていた。


「ミラージュ様、こうして貴女様とノーヴァの軍勢が参戦してくれた事を心より感謝しております」


その横に控えているのは帝国軍各軍勢を束ねる副官である。その見た目は妙齢の女性に見えるが、彼女もまた歴戦の猛者だ。

彼軍神ミラージュが配下である精強なるノーヴァ兵を率いて参戦した───その事実は帝国軍を大いに奮起させ、その士気は以前の比ではない。


「ふんっ!別に妾は戦に参加したくは無かったのじゃ!お前らがあまりにも不甲斐ないせいで渋々来ただけ……!!」


ミラージュは苛々としながら副官にそう返す。

彼女はこんな戦に参戦したくはなかった。彼女が好きなおやつも今は手に入らない。その事がミラージュの機嫌を大いに損ねる要因となっていた。


「そんなことを仰らずにどうか力をお貸しください!エルフ共は奇妙な魔法を使い、神出鬼没に我が軍を襲ってきます。兵士達では対処しきれないのです!」

「魔法ねぇ……」


ミラージュがスッと目を細める。彼女の視線の先には遥か先の平野で布陣している森林国の軍勢。

エルフの軍は神出鬼没な魔法を使い、次々と兵士達を無力化していった。

帝国軍はエルフの奇襲によって敗北し続けている───。その事実を知った時ミラージュは酷く落胆した。

あの精強を誇る帝国軍が何たる有様か、と。


「お前は森林国との戦の経験はあるのか?」

「は?あ、いえ……私はありませんが……」


ミラージュにそう問われた副官の女性は困惑しながらも答える。

その様子を見たミラージュはやれやれと溜息を吐いた。


「妾はある。森林国に攻め込んだ時に奴等は奇妙な魔法で散々こちらを引っ掻き回してくれたからのぅ」


不意にミラージュはすくっと立ち上がり、コキコキと肩を回す。

今現在でこそ森林国は帝国に攻めて来ているが、帝国は幾度となく森林国に侵略を仕掛けてきた。その森に眠る豊富な資源は帝国にとって垂涎もののものばかりであり、森林国を侵略してはその資源を奪おうと画策していたのだ。

ミラージュもまた、その侵略戦に参加した将の一人である。


「レメゲスト大森林に籠った時の奴等はまさに自然そのものを武器とした難攻不落の要塞だった。あの時の妾達は奴等の放つ魔法と森に翻弄され、幾度も敗北を重ねてきたのじゃ」


だが───とミラージュはニヤリと口角を上げる。


「こうしてのこのこと森から出てきた奴等を恐れる理由はない……」


そう言って不敵に笑うミラージュに副官の女性は目をパチクリとさせる。

そんな副官の女性の様子などお構いなしに、軍神ミラージュは悠然と歩き始めるのであった───。


「森の蛮族共にノーヴァの恐ろしさ、見せてやろうぞ」


ミラージュの小さな身体から膨大な闘気が吹き荒れる。

その眼はエルフの軍勢を見据え、その身に秘めた闘志は周囲を焼き焦がさんばかりの熱量を有していた。


「妾のおやつの時間を邪魔した事……地獄で後悔させてやるわっ!」




♢   ♢   ♢




「……」



レメゲスト森林国のエルフの騎士達を統括する立場にあるエルフの女性、ラティファ。

彼女は森林国の重鎮であるスプール公の娘であり、今現在はレメリオーネ率いる帝国方面軍に属していた。

公爵の娘という立場、そして類まれなる武勇を誇る彼女は軍の中でも指折りの猛者である。


そんな彼女は現在、悩んでいた。

それは目下、森林国から引き連れて来たエルフ以外の軍勢である。


「全く統率が取れていない……」


ぽつり、とラティファが呟く。

彼女の目の前には、整然と整列する壮麗たるエルフの騎士の軍勢……


───ではなく。



そこらへんで遊んでいる妖精。

敵が間近に迫っているというのに寝転んで昼寝をしているトロル。

何故か戦地で植樹活動をしている花や木の精霊アルラウネやドリアード。

味方を餌だと思って襲い掛かる森狼。



そんなのが大半でまるで纏まりがない。

しかしそれも仕方のない事だ。森林国とはいうものの便宜上そう呼んでいるだけで、実際のところはレメゲスト大森林に住まう生き物を森林国の住民と称しているだけで彼女達には国の為に何かをしようとか、そういった概念が元々ないのだ。

流石に森の覇者である女王プリムラの命には従うが、女王は王国方面に侵攻しており、彼女の影響力が薄れた今大森林の生き物たちは勝手気ままに行動している。


ラティファは呆れて物が言えないとばかりに頭を振った。


「ねーねーなんか面白い事ないのー?」


ラティファの苛立ちを増長させるのがこの小さな羽虫……ではなく、妖精だ。

この妖精達、普段は気ままに大森林で暮らしているのだが、戦地でも気ままに過ごしている。戦っているという概念が彼女達にはないようでそれがラティファの苛立ちをより一層強めた。


「貴女達、もう少し規律を持って行動なさい!ここは戦地、真面目に務めを果たしなさい!」


ラティファは妖精たちにそう説くが、彼女達はふよふよと宙に浮かびながらまったくもってやる気がない。

その言葉に妖精達は不機嫌さを隠そうともせずにこう言った。


「エルフのババァがなんか言ってるよ?きゃははは!!!」

「ババァは耳も遠くて大変そう!」

「真面目に務めを果たしなさい!だって!うける~!」

「言う事なんか聞く訳ないだろばーか!」

「あ、こら!待ちなさい!!」


ラティファの忠告など聞く耳持たずに妖精達は一斉に散り散りになってしまう。

そんな様子を見てラティファはガクリと肩を落とした。妖精達の魔法は確かに強力だが味方も関係なしに吹き飛ばすただの災害だ。

あんなものを戦力に数えれる訳もなく、ラティファは盛大に溜息を吐いた。


「はぁ……どうして私がこんな事を……」


そんなラティファの視界に、とあるものが映った。

それは巨体を誇るトロルが呑気に昼寝をしている姿だった。グオーグオーといびきをかいて寝る姿はまさに化け物といった様子である。

トロル……それは森に住む巨人の総称で、知能はほぼないに等しい、まさに怪物だ。時として森林国に住むエルフにすら襲い掛かるトロルであるが、何故かこの戦に参戦しており頼もしい戦力として重宝している……。

のだが、その本質は妖精と同じく自由気ままに動くただの害悪であった。


「(くそっ鬱陶しい化け物どもめ……)」


思わず蹴り飛ばしたい衝動に駆られるラティファだが、そんな事をすれば怒り狂ったトロルが暴れ出して自分の身が危うくなる……。

グッと堪えるラティファ。トロルのケツからブッと屁が出ても、彼女の表情は変わらない。内心は殺意が溢れ出ていたが。


「ラティファ様~」


そんな殺伐としたラティファだったが、不意に声を掛けられてハッとする。

見れば、美しい容姿の女性が自分に向かってゆっくりと歩いてくるところだ。

一見エルフに見えるようなその美貌だが、ラティファはその女性がエルフや人間ではない事を理解している。


「一緒に植樹しませんかぁ?」


にこにこと笑い、ラティファの返答を待たずに植樹を始める女性。

美しい容姿と豊満な胸が特徴的なその女性の身体からは蔦が伸ばされており、それが根を張っている地面に植樹する。

彼女はドリアードという精霊の一種で、植物を司る精霊だ。穏やかな気性の者が多く、彼女等はエルフのよき隣人である。


「……これは何の木ですか?」


ラティファは自らの足元に植樹された、見たことの無い木の芽を見つめて問いかける。その芽はまだ小さく、緑色の小さな芽だ。


「これですかぁ?これは猛毒の樹で、育ったら周辺の空気も栄養も全部汚染して、最後には爆発して全部毒に飲み込んでしまうとっても可愛い子ですよぉ」


ドリアードはそう言ってラティファに「可愛いですよねー?」と同意を求める。

その言葉に、ラティファはごくりと唾を飲み込んだ。

何故そんな木を植える?ここに植えるな、植えるなら敵の陣地に植えてこい。つーか戦場で何故植樹とかしてる場合か? 様々な思考が頭をよぎるが、ラティファは引きつった笑みを浮かべる事しか出来なかった。


「……レメリオーネ様にご確認を取りますので、植樹はお待ちください」


精霊というのは基本的に森に住まう者達の上位存在であり、中には信仰の対象になっている者すらいる。故にラティファも彼女達にはあまり強く出られないのだ。


「うふふ~ここも森にしてあげましょうねぇ」


全然お待ちくださる気配のない植樹に夢中なドリアードを置いて、ラティファはこの軍の指揮官である王女レメリオーネの天幕に向かう事にしたのだった。

ついでにこの混沌とした軍の状況を陳情するのだ。彼女ならなんとかしてくれるに違いない……というかなんとかしてくれ。

そんな淡い期待を胸にラティファは足を早めるであった。




♢   ♢   ♢




「お疲れ様です、ラティファ様!」


森林国の本陣に着くとそこには警備のエルフの騎士がラティファに敬礼をしてきた。

これが普通の軍人の在り方だというのに、ラティファは感動すら覚えてしまった。エルフ以外の奴等があまりにも自由奔放すぎるのだ。


「ご苦労様……。王女レメリオーネ様はどちらに?」

「はっ!王女殿下は現在、ご自身の天幕にてご休憩なされてます!」

「そう。私はレメリオーネ様に用事があるので引き続き警備をお願いね」

「はっ!」


警備のエルフの敬礼を受けながらラティファは天幕のが居並ぶ本陣の中へと入っていく。

そして一際豪華な天幕の前まで来ると、ラティファは天幕の入り口から声を掛ける、


「王女殿下!騎士団副団長ラティファで御座います。少しお時間宜しいでしょうか」


彼女はそう声を張り上げるが、天幕の中からは何も返ってこない。

もしかして不在なのだろうか?警備の騎士は王女は休憩中だと言っていたのだが……。


「殿下?おられますか?」


ラティファはそっと入り口の覆いを退かすと中を覗き込む。

そこは薄っすらと太陽の明かりが差し込んでいる天幕の中で、美しい調度品に囲まれた豪華絢爛な部屋だった。

しかし中には人の気配はせず、ただ静寂のみがそこにはある。


「殿下?いらっしゃらないのですか?」


ラティファは再度声を掛けながら部屋に足を踏み入れる。

きょろきょろと視線を彷徨わせながらおずおずと部屋の奥にまで足を進めるが、やはり王女の姿は何処にも見えなかった。

勝手に入るのはどうかとも思うが、賊が侵入して王女を狙ったとも限らない。彼女の無事を確認しなければという一心でラティファは歩を進める。


「誰もいない……ん?」


その時であった。ふと、ラティファは壁に目を向ける。


「!?」


そして絶句した。何故なら。薄暗い天幕の中壁一面に貼られていたのはとあるエルフの美青年の写真だったからだ。

金髪慧眼の身も眩むようなその美貌は写真越しですら見る者を魅了してしまう。


「こ、これは……エリム王子……?」


そのあまりの数にラティファは動揺を隠せない。何故に王女の天幕にエリム王子の写真が大量に貼られているのか……。

いや、別に弟の……家族の写真を飾るのは構わないし普通だろうが、壁一面に、色々な角度から取られたまるで盗撮したかのような王子の写真が貼られているのを見てラティファは呆然とする。


「こ、これは一体……」


エリム王子はレメリオーネ王女から見れば弟だ。弟を可愛いと思うのは普通だろうが、流石に壁一面に写真(盗撮)を貼りまくるのは常軌を逸した行為と言えよう。


「……」


見てはいけない物を見てしまった───。そう言えば王女はこの天幕に入るのを固く禁じていたような……?

その事に気付いたラティファはハッと顔を青褪めさせ、急ぎここから退避しようと踵を返した。


だが───


「!?」


不意に、彼女の頭上からパキパキと何かが割れる音が鳴り響く。

ラティファはすぐのその歪な音が空間転移の際に漏れる音だと気付いた。そして、もう逃げるのは間に合わないと瞬時に判断する。

そこからの動きは早かった。ラティファは考えてからではなく、半ば本能的に側にあった王女のベッドの下に潜り込む。

その直後であった。突如、何かが割れる音と共に空間に穴が開き、そこから王女レメリオーネが飛び出してきたのだ。


「ふぅ」


レメリオーネは絢爛なドレスを靡かせ、地面へ着地する。魔力の残滓がキラキラと輝き、彼女の美しい金髪が揺れた。


「お母様ったらエーちゃんエーちゃんすすり泣くばかりで全然話を聞いてくれないんだもの、もう面倒臭いなぁ」


レメリオーネはそう言ってベッドに腰かける。ギシッとベッドが軋みその下に隠れているラティファは冷や汗をかいた。

どうやら自分はギリギリ間に合ったらしい。王女は自分に気付いていないようだ。


「いっそのこと、お母様ごと全部皆殺しにしちゃおうかしら。でもそれはまだ早いか」


ピキリと。


ラティファの身体が固まった。


なんだ?この御方は今なんと言った……?


「せっかく世界樹から引き離せた今が殺すチャンスだけど……まだ早いかな。私もまだ力が完全じゃないし」


レメリオーネはそう一人呟くと、懐から取り出した豪奢な手鏡を見て自身の姿を入念にチェックする。


「エーちゃんを見つけたらお母様は用済みだし、準備はしとかないと」


ラティファの鼓動が高鳴る。今自分は聞いてはマズイ話を聞いているのではないかと。

カタカタと身体が震えそうになるのを必死に堪える。王女は、彼女は一体、何を言っているのだ……?


「あぁ、私のエーちゃん……。待っててね、今お姉ちゃんが助けに行くから……♡」


王女はそう呟くとベッドに寝転び、そのまま静かに自身の身体に手を這わせ始めた───。

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