33.「見なさいプラネ。アンタの連れの凄惨な姿をねぇ……!!」

プラネにとってアイリスという姉は、まさに暴虐の象徴そのものと言える存在だった。

プラネがアイリスに抱く感情は、恐怖である。

アイリスという存在を認識するだけで、吐き気や頭痛、目眩を感じるのだ。

だがしかし、これはある意味では仕方のないことだった。


『プラネ!今日はこの森にいる魔物を全部ぶっ殺すわよ!』


記憶の中の小さな少女がそう言った。とても小さな子供が言う言葉ではない物騒な台詞であったのだが、それを否定するほど当時のプラネは精神的に成熟していない。

ただ姉の言っていることをポケーっと見ているだけ。それが、プラネという少女にとっての日常であったのだ。


『あねうえ……この森は危ないから入っちゃだめって……』


プラネがそう姉に忠告しようとした瞬間である。

幼女アイリスはおもむろに近くに在った大木に向かってパンチを放つと、凄まじい衝撃波が生まれて、大木が粉々になって吹き飛んだ。

その衝撃波はどんどんと大きくなっていき、やがては森そのものを吹き飛ばすような暴風が生まれ全てを粉々にしていく。


『……』


突然の出来事にプラネは驚きを隠せない。だが幼女アイリスはそんなこと気にせずに続ける。


『ふぅ、これで皆殺しに出来たかなぁ?』


にこっと笑うアイリス。見る者が見れば可愛らしい、天使のような彼女の笑顔だがプラネにはそれが悪魔が人間の振りをしたような、おぞましいものに感じた。

この時、プラネは察したのだ。姉は暴虐の象徴であり、自分に平穏など訪れることがないということを……。


『あ!今なんか奥の方で動いた!よし、殺すわ!』


アイリスは近くにあった木を掴むと、その巨木をまるで枯れ葉を摘むかのように軽々と持ちあげ、そのままぶん投げた。

投げられた大木が飛んでいった先には魔物がいた。そして木は魔物の体を貫き、さらに後ろにあった大木にぶつかってようやく止まった。

哀れ、逃げようとした魔物は一瞬で肉片と化し、今のように地面に転がることとなった。

とても人間が行える所業ではない。震えるプラネに対しアイリスはこう言った。


『プラネ。私はね、私に歯向かう奴に容赦しないの』


その言葉には、小さな子供が放ってはいけない禍々しさと怒気が込められていた。

プラネは恐ろしくて仕方がなかった。そして、それが自分に向けられる日が来ることが何よりも恐ろしかった。


大丈夫だ。彼女は私の姉なのだ。私が妹である限り彼女の暴虐は自分に向けられる事はない。


ない……よな?


プラネは遠い目をしながら、そんなことを考えていた。

その瞳には、肉塊になった魔物の成れの果ての姿が映る。

姉に歯向かったら……姉を裏切ったら……妹とはいえ、容赦しない……。

そう。姉は、彼女に牙を剥いた物、裏切った物に一切の情けを掛けないのである。

そして、この一件が切っ掛けとなりプラネは決意した。絶対に姉を裏切ってはいけないと……。


『アンタはナメクジみたいに弱いけど、従順だけが取り柄ね。いつまでも私に従順でいなさい。さもないと……』


恐怖と絶望に支配されたプラネに向かって、アイリスは言った。


『あの魔物と同じような目にしてやるわ───』




─────────




「うわあああああああああ!?!?!?」


プラネは絶叫を上げながら目を覚ます。全身から汗を流し、息を切らしながらプラネは自分が夢を見ていたことを理解した。


「ゆ、夢……か……」


あの夢を見たのは何度目だろうか? アイリスという姉を思えば思うほど、あの日の恐怖が蘇る。

幼少期のトラウマというのは、成長と共に薄まっていくものだ。だがプラネの中で、あの日の記憶だけは今でも鮮明に残っている。


「……っはぁ……はぁっ……!」


ようやく呼吸が落ち着き、プラネは朦朧とする意識を覚醒させる。

そして、周囲を見渡すとそこは見覚えのない場所であった。

薄暗い部屋。窓にはカーテンが閉められており、外の景色を確認することは出来ない。

ベッドがある事からどこかの客室のようだが……。ベッドには天幕が掛けられており、その中は伺い知れない。


「ここは……どこだ?」


不安げな表情を浮かべながらプラネは立ち上がろうとする。しかし、動かない。

そこで初めてプラネは自身の身体が拘束されている事に気が付いた。


「なっ……!?」


なんだこれは。身体が縄でグルグル巻きにされている。

プラネはなんとか縄を解こうとするが、凄まじい力で絞められたのかびくともしない。

一体何が起きっているのか。ここは何処なんだ。

プラネは自身の記憶を必死に呼び覚まそうとする。


「確か……私は……」


そうだ。確か自分はラインフィルにあるノーヴァ公爵邸に来て……そこで中庭で美しい青年と出会って……それから……なにかヤバい事に気が付いてしまったような……?


「───あら、起きた?」


その瞬間。声が掛けられた。

その声を聞いた瞬間プラネの鼓動がドクンと跳ね上がる。

この声の主は……まさか……! プラネが声のした方角へと視線を向けると、そこに居たのは彼女にとって予想通りの人物であった。


「あ、姉……上……?」


そこに居たのはプラネにとっての恐怖の象徴。アイリス・ノーヴァその人であった。


「お久しぶりねぇ、私の可愛い妹ちゃん?」


美しい顔を歪ませて、彼女は笑う。その姿はまさしく悪魔であり魔王と呼ぶに相応しい姿であった。


「な、なんでここに……」


そこまで言い掛けてプラネは全てを思い出した。

自分がこの屋敷に来た経緯、中庭であったエルフの青年、そしてこの状況はアイリスが引き起こしたという最低最悪な事実を。

プラネの全身がカタカタと震え始める。

だがそれも仕方のないことだろう。彼女にとって姉は、幼いころから植えつけられた恐怖の象徴。

しかも知ってはいけない事を知ってしまった。エルフの王族を性奴隷として買い、世界を戦火の渦に巻き込んだ外道……。

そんな彼女にプラネは捕まってしまったのだ。


「ふふふ、そんなに怖がらなくてもいいわよ?私ってほら優しいじゃない?」


優しい声でアイリスはそう語る。だが、その笑みは邪悪に満ち溢れており、とてもではないが優しいとは思えない。


「……あ、あ、姉上……私は……わたし、は……」


ガチガチと歯を鳴らしながら、プラネは姉に告げる。


「わ、わたしは……貴女の敵では……ありません」


恐怖に怯えながらも、プラネは必死にそう口にした。


「ふーん」


アイリスは小さく呟くと、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。その表情には先ほどのような笑顔はなく無表情であった。

そしてアイリスは身動きできないプラネの目の前に屈むと彼女の顎を鷲掴みにした。


「……っ!」


プラネの顔に自らの顔を近づけたアイリスは再び微笑む。


「貴女は私の可愛い妹。そうだとしても、私の秘密を知ってしまったからには……ねぇ?」


怖い……怖い、怖い、怖い怖い怖い!!!!

恐怖がプラネの全身を支配する。呼吸が上手く出来ないほどに震えてるというのに姉はそんな様子を気にした様子もなく話を続ける。


「私の邪魔をされるわけにはいかないし……何よりも許せないのよ」


アイリスは暗い笑みを浮かべるとゆっくりと語りだした。


「私の邪魔をする奴はどんな奴であろうとも絶対に許さない……」


ああ、やはり自分はここで死ぬのか。

プラネは覚悟を決めたように目を瞑る。

昔見たあの魔物のように……肉片と化して死ぬんだ……。


「私に盾突いた愚か者がどうなると思う?そう、地獄以上の苦しみを味わいながら絶望するの……」


ゆっくりとプラネの目の前で手を伸ばすアイリス。そしてパチン、と指を鳴らすとベッドにかけられていた天幕がゆっくりと開かれていく……。


「見なさいプラネ。アンタの連れの凄惨な姿をねぇ……!!」


まさか───と思った。

連れというとミアしかいない。彼女は自分が寝ている間に何をされたというのだ? いやだ……見たくない。

だが、プラネの思いとは裏腹に天幕は開かれていき……そして絶望が姿を現した。



「あは……♡♡もう……らめぇ……♡♡」



そこには、ピクピクと痙攣しながらよだれを垂らすミアの姿があった。

視点は定まっておらず、彼女の口からは涎が垂れ流され、恍惚の表情を浮かべている。



その姿を見て、プラネは口をポカンと開けて唖然とする。


───え?これなに?


これが姉の言う凄惨な姿?

いや、確かに凄惨な姿ではあるものの、その表情は幸せそのもので、もっとこう……拷問のようなものを想像していたプラネは何も言葉が出なかった。



「あ゛……♡♡アハハっ♡もっとキスしてぇ~♡♡」



笑いながらミアはそう言った。

その姿を……姉であるアイリスは冷たい表情で見つめていた。


そして暫くの静寂の後、姉は言った。


「え?これなに?」




─────────




それはプラネが目覚める少し前……プラネが恐怖のあまり中庭で気絶してからすぐの事だった。



「あっ……」


アイリスの姿を認めたプラネはその場に崩れ落ちる。目の前で女性が崩れ落ちた光景を目にしたエリムは慌ててプラネに駆け寄るが、完全に意識を手放しているようだった。


「プ、プラネ様!?」


いくら呼びかけても返事がない。まるで悪魔か魔王のようなとんでもないものを目にしたかのような反応にエリムは首を傾げた。

一体彼女に何が……?


「あら?どうしちゃったのかしら、ナメクジちゃんは」


アイリスが突如として倒れたプラネに歩み寄る。だがその目は笑っておらず、どこかつまらなそうな表情であった。


「まぁいいわ。問題は……」


そう言うとアイリスはプラネの横に芋虫のようにして転がっている簀巻きにされたミアを睨みつける。


「ひっ!?」


ガタガタを振えるミアは恐怖に支配された顔をしている。それもそうだろう、ミアは見てはいけないものを見てしまったのだ。

それはミア自身も理解していたし、すぐに処分されるかと思っていた。しかし、アイリスは一向に動く気配がない。


その時、アイリスの背後から一人のメイドが現れる。


「お屋形様。この方の処分は私にお任せを」

「どうするつもり?殺したらこの屋敷毎吹っ飛ぶけど」

「殺すだなんてお屋形様みたいな脳味噌筋肉女と一緒にしないでください。この方……ミア様にはこれから我々に従順になってもらうのです」


マリアはそう言うとミアの首を掴み持ち上げる。そして、その顔を見て小さく嗤った。


「さぁ、気持ちよくなりましょうね♡」

「えっ……?」


訳も分からずただマリアを見つめる事しか出来ないでいるミア。だがマリアはそんな彼女を他所にアイリスに向かって口を開いた。


「お屋形様。エリムくんを少しお貸しいただけますか?」

「エリムを?別にいいけど……なにするの?」


アイリスの言葉にマリアはニヤリと笑みを浮かべた。


「エリムくんに、女を"従順にする魔法"を掛けてもらうんです」

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