32.「私の屋敷に……ナメクジが……入り込んだようね。クソ雑魚ナメクジが……

「素晴らしい歌だった」

「……っ!?」



背後からそんな声が掛けられた。歌い終わったエリムの肩がビクリと震える。

そして恐る恐る振り返るとそこには彼の知らない女性が佇んでいたのである。



「あなたは……?」



エリムは呆気に取られながら女性を凝視する。

この人は誰だろうか、何処かで見たような……?

白銀に煌めく髪を三つ編みにし、それを頭の後ろで束ねた、凛とした雰囲気を漂わせる女性。

その顔立ちは、年相応に大人びてこそいるがどこか幼さも感じさせる。

軍服を着ているのが余計に彼女の凛々しさを際立たせており、エリムでなくとも見とれてしまうだろう。

そんな彼女は、一歩前に踏み出してこう言ったのである。



「驚かせてすまない。私はプラネ。プラネ・ノーヴァ。訳あってこの屋敷に来た帝国の者だ」



プラネ……。プラネ・ノーヴァ。

エリムは頭の中でその名前を反芻し、そして目の前の女性をよく見ると何かに気付いたかのようにポンと手を鳴らした。

そして満面の笑みを浮かべ、目の前の女性を見る。



「ノーヴァ……もしかして、アイリス様のご姉妹の方ですか?」

「その通りだ。アイリスは私の姉にあたる人物だよ」



プラネの言葉を聞いたエリムはやっぱり!と顔をほころばせると、胸に手を当てて一礼する。



「わぁ!アイリス様の妹君でいらっしゃいましたか! お会いできて光栄です!」



エリムはそう言い、嬉しそうに破顔した。

まさかのアイリスの姉妹の訪問である。しかもアイリスと同じように見目麗しい美女だ。

エリムの胸中は興奮で包まれていた。アイリスに姉妹がいたとは知らなかったが、顔立ちもアイリスと似ているし、間違いないようだ。

アイリスとはまた違った雰囲気の女性。アイリスは柔和な女神(エリムにはそう見えている……)だが、目の前の女性、プラネは軍人然とした、凛とした雰囲気を漂わせていた。

まるで女騎士のようなその毅然とした雰囲気に、思わず見とれてしまう。女人にょにんならば誰でも見惚れてしまうエリムだが、ノーヴァ家の人間には特に弱いようだ。



「ところで、姉は何処に……あぁいや、その前に君は姉とどういった関係なのだろうか?」



もじもじと顔を赤らめるエリムを不思議に思いながらもプラネは気になっていた事を聞いてみた。

見れば想像を絶する美男子。とてもではないが、あの姉と一緒にいるような人物ではない。

そもそも男の時点でアイリスの知り合いだとは思えなかった。


プラネがそう問うと、エリムは一瞬考える素振りをしてから口を開いた。



「えっと、僕はアイリス様の奴隷です!」

「───は?」



今、なんと言った。

今、この青年は、なんと言った。


奴隷……?いや、まさか。そんなものを、我が姉が買う訳がない。

馬鹿で間抜けで向こう見ずで脳味噌まで筋肉になっている姉だが、奴隷などという男を性的に搾取するような鬼畜行為を行う程性根は腐っていない筈だ。



「……すまない、良く聞こえなかった。もう一度言ってくれないか?」



だからプラネはもう一度エリムに問う事にした。だが、エリムは再びにこりと微笑んで、口を開く。



「僕はアイリス様の奴隷です!」

「……」



なんて事だ……。思わず頭を抱えてしまうプラネ。

一体、姉はいつから性奴隷を囲うような真似をするようになってしまったのか。

いや、もしかしたら何か事情があるのかもしれない。そう考えるプラネだが……。

ふと、彼女の脳裏に800億という数字が浮かんだ。おぼろげながら浮かんできたのだ、800億という数字が。



「(……まさか、この奴隷の青年を買うために800億もの大金を)」



そこまで思ってからプラネは首を横に振る。いや、美しいとはいえ所詮は奴隷。奴隷如きにそんな小国の国家予算を遥かに超える金額を出すわけがない。

それこそ、どこかの国の王族やエルフの男子でもない限り……。


そんな時だった。プラネの視界にエリムの耳が映った。

人間とは違う、明らかに長く、そしてとがった耳……。


───間違いなくエルフ。



「……」



プラネは一瞬目眩がしたが、直ぐに持ち直す。

落ち着け。落ち着くのだプラネ・ノーヴァ。冷静になるのだ。

そうだ、目の前の青年はエルフではあるが、それでも800億にはならない。筈……。貴族以上の地位でもない限り。

だから、姉が奴隷購入にそんな大金を使う訳がない。

しかし……一応聞いておかざるを得ない。聞きたくないが、キカナイト……。



「き、き、君は……もしかして森林国の貴族だったりするのか?」



ショックでふらつくプラネだったが、最後の気力を振り濡ってそう尋ねた。

頼む、違うと言ってくれ……。

だが、そんなプラネの思いも空しくエリムはまたしても満面の笑みを浮かべてこう答えたのである。



「えっと……僕は森林国女王プリムラの息子なので貴族というか……王族?」



プラネは後頭部を鈍器で殴られたかのような衝撃を覚えた。

───王族?今、王族と言ったのか?プラネの頭に、色々な情報が錯綜する。

800億の借金。エルフの王族の男奴隷……。突然始まった森林国の侵略。

点だったその情報はやがて線になり、プラネの脳裏でカチリと全てが繋がっていった。

そして、プラネはフラリとよろめくと、膝から崩れ落ちたのである。



「な、なんてことだ……」



全て、全てが繋がった。繋がってしまった。

プラネの全身に悪寒が奔る。それは、底知れない恐怖であった。

森林国侵略の理由はこれだったのだ。当たり前だろう、男を至宝と明言しているエルフという種族……しかも王子を奴隷にされたとなれば、激怒するのは当然である。

一番最悪な事実は、その引き金を引いたのが自分の姉という事だった。その事実はプラネの人生を終わらせるのに十分すぎる破壊力を有していたのである。



「あの、大丈夫ですか……?」



心配そうに膝をつくプラネの顔を覗き込むエリムだが、プラネはそれどころではない。

い、いや。まだ間に合うのではないか?性奴隷にはされているものの、彼は……森林国の王子はまだ生きている。

ならば、彼を返還し、森林国との和解の協議を行えば……。

そうだ、まだ手はある。プラネの脳内に一筋の光が差し込んだ気がした。



「き、君!!い、いや!エリム王子!?」

「ふぁい!?」



急に立ち上がり、エリムに詰め寄るプラネ。エリムはびくりと肩を震わせると、その綺麗な顔をエリムの鼻先まで持ってくる。



「謝罪は幾らでも行います!!私……はいやだけど姉の首が欲しければ後で要求してもいい!!」

「はい?」



この人は何を言っているんだろう。姉の首?何かの隠語か?

エリムは首を傾げるもプラネは言葉を続ける。



「王子、私と一緒にここを出て、そして女王の元へ……」



その時だった。


プラネの背後からドサリ、と何かが倒れるような音が聞こえてきたのだ。



「っ!?」



プラネが慌てて振り返ると、そこには予想だにしない物体が中庭の地面に転がされていた。



「プ、プラネさま……たすけてぇ……」



それはこの屋敷に一緒に来たミア・ロトナイトであった。彼女は全身を簀巻きにされ、芋虫のように転がされている。



「み、ミア!?一体何が……」

「うっ……うっ……たすけてぇ……」



泣きじゃくる彼女に慌てて駆け寄るプラネだが、中庭の入り口から物凄いプレッシャーを感じその歩を止める。

殺意にも似た、威圧感。プラネには直ぐにそのプレッシャーの元が誰か、理解できた。



「あ……あぁ……」



彼女の口から情けない声が漏れる。全身から嫌な汗が吹き出るのを感じた。ガクガクと体が震えだすのを止められない。

そして、遂に中庭の入り口に一人の人物が姿を現す……。



「私の屋敷に……ナメクジが……入り込んだようね。クソ雑魚ナメクジが……」



白銀の髪。碧い瞳。

それはプラネが幼少期から知っている、姉……帝国軍最強の存在、アイリス・ノーヴァその人であった。




♢   ♢   ♢




プラネが恐怖の大魔王に見つかる少し前の出来事である。


ミアは意気揚々とノーヴァ公爵邸を散策していた。以前ここに来た時もそうだったが、この邸宅は異常な程に静かで、まるで人の気配がしないのだ。

それでも、ミアは動じない。今更緊張などしない。真面目だが、楽観的な思考の彼女は、むしろ人の気配が無い方が気兼ねなく見学できるとさえ思っていた。



「右よしっ!!左よしっ!!安全確認ヨシッ!!」



軍人ならではの掛け声を上げながら、ミアは邸宅内を進んでいく。

公爵邸と言うだけあってか、長い廊下が続き、その突き当たりに一際大きい部屋を見つけた。



「おっ?なんか人の気配がしますね!」



ミアの耳がピコピコと動く。確かにあの扉の向こうから何やら人の話し声のようなものが聞こえるし、物音もする。

やっと感じた人の気配にほっと一息つきながらも、ミアは扉の前に立ち、ドアノブに手をかける。

恐らくここにアイリス・ノーヴァがいるのだ。当主ではなくなったものの、ノーヴァ家の一員である事には違いないし何より軍人の憧れであるあの武神アイリスだ。

失礼のないようにしないといけないとミアは気を引き締め、ドアノブを捻る。



「……失礼いたします!プラネ様の側仕えとして本日からここに着任致しまし…………えっ?」



そう叫びながら部屋に入り敬礼するミアだったが、その言葉が最後まで紡がれる事は無かった。

何故なら、彼女の目に予想外の人物の姿が飛び込んできたからだ。


部屋にいるのは三人。

アイリス・ノーヴァ。そして彼女の御付きのメイド。

そして、最後は紫色の髪をした、くっっそセンスのわりぃ喪服みたいなドレスを着たババァ……。



「えっ……?」



ミアは呆気に取られた。

アイリスは勿論知っている。ミアの憧れでもあり、帝国の英雄だからだ。

横にいるメイドも、前回来た時に会ったから知っている。ノーヴァ家御付のメイドだろう。

そして……もう一人……。一人だけ年齢が高い、その女性の事もミアは知っていた。

それは帝国軍に属する者ならば誰もが知っている姿である。



───ファルツレイン侯爵。

ヴィンフェリア王国の重鎮にして、希代の智将。幾度となく帝国軍の前に立ちはだかりアイリスという最強の武すら跳ねのける本物の英傑だ。

帝国の仇敵とも言うべき存在。ミアも勿論彼女の姿を知っていたし、もし彼女を討ち取れば一生遊んでも御釣りがくる程の報奨金を陛下直々に頂戴する事が出来るだろう。


しかし、そんなファルツレイン侯が何故、ノーヴァ公爵邸にいるのだ?

しかも、何故か仲良く紅茶を嗜んでいるではないか。

まるで旧来の友人のように和気あいあいと(実際には違うのだがミアにはそう見えた)楽しそうに談笑しているではないか。

ミアが呆然と立ち尽くしていると、アイリスとファルツレイン侯もミアを見つめている。

その瞳は感情を感じさせず、そこで初めてミアは自分が招かざる客だと認識した。



「あっ……あっ……」



本能的に。ミアは逃げようとした。

だが、遅かった。ミアが足を動かした瞬間、ドン、と背後にいた何かにぶつかる。振り向くと、そこには部屋の中にいた筈のメイド……マリアがにっこりと笑みを浮かべて立っていた。



「ミア・ロトナイト様でしたか。本日はようこそおいでくださいました」



その瞬間ミアの身体が簀巻きにされる。あまりの速度にミアは全く反応できなかった。

そして、声にならない悲鳴を上げながら、ミアは地面を転がっていき、アイリスとイライザの足元で止まった。



「うぎゃぁぁぁぁっ!もごぉぉぉっ!?」



じたばたと暴れながらも、もう既に芋虫のように転がされたミアは、それでも必死に懇願する。



「た、助けて……」



ミアの言葉にアイリスとイライザの両人は顔を見合わせる。そして言った。



「どうする?こいつ……」

「殺して埋めればバレないんじゃない?」



ミアの全身に寒気が走る。冗談を言っている風ではない。本気でこの二人は自分をどうにかする気だとミアは思った。

自分は見てはいけないものを見てしまったのだ。アイリスとファルツレイン侯の密談という、重大な秘密を。



「いや殺したらラインフィルの監視網に引っかかるだろうが。ここは手足全部折って身動きできないようにしてからラインフィルの外で殺すべきだろう」

「!?」

「私としては今すぐ頭をかち割って脳みそを抉り出したいのだけれど……」

「!?!?」



自分を逃がす気など全くない二人に、ミアは恐怖のあまり失禁する。ガタガタと震えるミアの姿を見て、アイリスはふぅ、とため息を吐いた。



「ま、それよりもいい方法があるわ。プラネも一緒にどうにかできる、いい方法がね……」



ニヤリと、アイリスが笑った。ミアにはその笑顔が悪魔の微笑みに見えた。

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