29.「擦る!?素手で!?」
夜も更ける頃、エリムはいつも通りアイリスの寝室で彼女を待っていた。
エリムはあくまで奴隷だ。王族とは公表したものの、アイリスはそれを気にしないで今まで通りにエリムに接している。
エリムにはそれが何より嬉しかったし、アイリスの懐の深さにエリムは頭が上がらなかった。
そんな奴隷のエリムくんであるが、彼にはお仕事がある。
それはアイリスへの性奉仕……もあるが、身の回りのお世話も彼の仕事なのだ。
エリムはアイリスのベッドで彼女を待っていた。
しばらくして、部屋の扉が開く。
「あー……今日も疲れたわぁ」
扉から現れたのは、バスローブ姿のアイリスだった。風呂上がりで頰を赤く染めて、わずかに髪が湿っている。
普段も美しいが、今はより色気を醸し出している。
「お疲れ様でした、アイリス様」
エリムはそんな彼女にぺこりと頭を下げる。
今日はファルツレイン侯とティータイムを楽しみ、その後お昼寝の時間があり、その後エリムとイチャイチャしていただけなので別に仕事らしい仕事はしていないのだが、何故かアイリスは疲れているらしい。
不思議に思うエリムであったが、特に口には出さずにアイリスを労う。
そしておもむろに風呂上がりのアイリスに近付くと、彼女の湿った肌や髪を丁寧にタオルで拭いてゆく。
アイリスの雪のように白く、きめ細やかな肌にタオルで水分を拭き取ると、ふわりとした女性特有の甘い香りがエリムの鼻腔をくすぐる。
「ふぁ……気持ちいいわ……」
エリムは優しくアイリスの髪を拭きながら、その可憐な肢体を眺める。
バスローブを纏った彼女は、どこか色香を感じさせた。
バスローブ越しに分かる豊満な胸と、思わずむしゃぶりつきたくなる太もも。そしてその下にはタオルで覆い隠された女性らしい下半身……。
「……はっ!?」
無意識のうちにエリムの鼓動が早くなる。いけない、今の自分はアイリスのお世話係なのだ。
発情してる場合じゃないだろう……。エリムは己の劣情をなんとか抑え込むと、髪を乾かし続ける。
「エリム、貴方って身体とか髪とか拭くの上手だけど誰かにやってあげてたの?」
「え?あ、はい。姉や母のお風呂上がりの身体をよく拭いてました」
「えっ……?姉や母の……?」
アイリスはエリムの言葉を聞き訝しむような視線で彼を見つめる。
家族の風呂上りの身体を拭く……?なんかおかしくないか……?
い、いや……エルフの価値観ではそれが普通なのかもしれない……。
それに家族の身体を拭いてあげるだなんて美しい家族愛ではないか。うん、そうだ、自分の心が汚れすぎているのだ。
アイリスは無理矢理そう思い、自分を納得させる事にした。
「……ちなみにどんな風に拭いてたの?」
「そうですね……まず僕も姉も全裸になって……」
「全裸!?ていうかどっちも!?」
「それで、向かい合ったまま抱き合って……」
「抱き合う!?全裸で!?」
「僕が素手で彼女達の全身の肌を擦って、余分な水分を取ってあげて……」
「擦る!?素手で!?」
アイリスは混乱していた。いや、混乱するなと言う方が無理だろう。
自分の知らないところで、このエルフの青年は全裸で実の姉や母と抱き合っているのだ。しかも肌が擦り合うほど密着して……。
そ、それは家族愛なのか……?もう何か違う気がするぞ……?ていうか私も混ぜなさいよ……っ! そんな思いが脳内でグルグルと駆け回るが、次第にアイリスに怒りの感情が込み上げてくる。
「アイリス様……?」
「エリム、ちょっとそこに立ちなさい」
急に不機嫌そうになったアイリスに、エリムは恐る恐る言う通りにする
すると、アイリスは息を大きく吸って、そして叫んだ。
「わ、私の身体も素手で擦りなさいっ!!!」
♢ ♢ ♢
「ってな事があったのよ……!」
アイリスは怒り心頭といった感じで、午後のティータイムを楽しんでいた。
お茶会の為に造られたこの部屋はノーヴァ公爵邸の中でも特に優雅な場所であり、窓から差し込む日差しは明るく暖かい。
そんな雰囲気をぶち壊すようなアイリスの怒りに満ちた声に対し、彼女の目の前の椅子に座っている女性……ヴィンフェリア王国の南部に広大な領地を持つ大貴族、ファルツレイン侯爵イライザは無表情でティーカップを傾けていた。
「……」
「全く、家族の男に身体を素手で擦らせるとかどこの変態よ!?きっとエリムの姉や母はろくでもない変態女なのよ!そうに違いないわ!」
アイリスは激怒していた。愛するエリムが既に汚されていたことに。
エリムはアイリスが買った奴隷だ。故に彼女はエリムの細胞の一つに至るまで自分のものだと思っていた。
彼の髪の毛も、彼の身体も、彼の陰毛も、彼のアレも、全て一滴残らずこのアイリスのものだ───と。
「まぁ……それはそれは。変態エルフ女は怖いですね」
だが、アイリスの怒りにまるで関心が無いというように、アイリスの横に侍るノーヴァ公爵家に仕えるマリアは淡々とそう答えた。
柔和な笑みで、憤怒に染まるアイリスなど眼中に無いかのように紅茶を注いでいる。
「エリムくんの身体を擦るだなんて、そんな大それた事、私にはとても出来ませんわ」
そう言い、紅茶を注ぐマリア。しかし紅茶はティーカップからとっくの昔に溢れ出ているのだが彼女はそれに気付かずにティーポットの紅茶を注ぎ続けている。
その様子を訝し気に見るアイリスだったが、不意にマリアに向かってこう聞いた。
「マリア、紅茶溢れてるけど」
「……あら、これは失礼?」
アイリスの言葉にようやく自分が紅茶を注いでいることに気付いたマリアは、少し驚いた様子でそう言った。そしてすぐにティーポットを置き直す。
様子のおかしいマリアに対し、アイリスはジト目で見つめる。
「そう言えばマリア。エリムが奇妙なことを言っていたけど。ノーヴァ公爵家の使用人同士は裸で身体を擦るのが習わしとか言われて、マリアと全裸で身体を擦りっこしあって……」
「おっと手が滑ったぁ!!」
「うあっちぃ!?」
マリアがティーポッドを傾け、アイリスの頭上から熱湯が降り注ぐ。
頭から熱湯を被ったアイリスは悲鳴を上げ、わたわたと慌て始める。
「あひっ!!うひっ!!うぎぃ!!」
「あら?お屋形様?どうなされました?お顔が変になっておりますよ。見苦しいからやめてもらいます?そういうの……って、うぐぅっ!?!?!?」
マリアの腹部に拳が突き刺さる。身体をくの字に曲げ、腹を抱えて悶絶するマリア。
そんな彼女をゴミを見るような目で見下すアイリス。そして言った。
「テメーこのクソメイド!!エリムに変態的な行為を教え込んでんじゃないわよ!!ていうかアンタもエリムと全裸で擦りっこしてんじゃないわよ!!」
「ひ、酷いです……お屋形様……!わ、私はただエリムくんの身体をお清めしてただけだというのに……!!!変態怪力公爵女に汚されたエリムくんをお清めする儀式なのです!!」
「アンタ何言ってんの!?マジで殺すわよ!?」
涙目になりながらそう訴えるマリア。だがそんな様子を無視し、アイリスはマリアを糾弾し続ける。
「おのれこの泥棒猫……!!私の目を盗んでエリムとイチャイチャしおってからに……!!」
「でもエリムくんは私の身体で気持ちよくなってくれてたし、彼は私のものですよね。お屋形様が所有権を主張するのはおかしな話です」
「はぁ!?ふざけんじゃねーよ!私のものよ!」
「いいえ、私のものです。エリムくんは私のもの。エリムくんのアレも私のモノです」
バチバチと火花を散らしながら睨み合う二人。
───そして、その様子を無言で見るのは、ファルツレイン侯爵。
彼女は無表情のまま持っていたティーカップを机に置くと、ゆっくりと口を開いた。
「ええい!!!貴様らは一体何をやってるんじゃ!!」
「「えっ?」」
突然の怒声に驚く二人。だが、そんな彼女達に構わず、ファルツレイン侯爵イライザは言葉を続けた。
「さっきから黙って聞いてればエリムの裸やら全裸で擦り擦りとか!貴様らよくもエリムを汚してくれたな!!エリムの初めては妾のものだったというのに……!!!」
イライザの絶叫を聞いたアイリスとマリアは二人して顔を見合わせる。
そして言った。
「いや、アンタのじゃないでしょ」
「ええい、妾のものだったの!エリムは妾のものなの!おのれクソビッチどもめ、貴様らのような下品な奴等にはエリムは相応しくないわっ!!!」
「え?アンタがそれ言うの?」
「孫までいる、愛のないセックスしまくったクソビッチババァが言っても何の説得力もありませんね」
二人だけでも話がややこしくなっていたというのに、イライザまで加わって最早収集がつかなくなる。
優雅なティータイムは遥か彼方、部屋は下品な女達によって下品な空間に成り下がっていた。
「やかましいわっ!!くそ、くそっ……!!エリムが穢されてしもうた……!!これは早めに妾が保護しないと、堕天使に堕ちてしまう……!妾の可愛いエリムが悪魔になってしまうぅ……!!」
「穢されたとか人聞き悪いわね。私とエリムは愛しあってるわけ、分かる?」
「ええ。エリムくんは私の身体を堪能して、腰へこへこさせてちゃんと感じてましたから」
「妾の可愛いエリムがそんな変態みたいな真似するわけないじゃろっ!バカモンっ!!」
机を叩きながら叫ぶイライザだったが、ふと何かに気付きキョロキョロと辺りを見渡す。
「そう言えばエリムはどうしたのだ?姿が見えないようだが……」
「エリムなら今日は中庭で日光浴してるわよ」
「日光浴?」
「えぇ、お屋形様の変態趣味に付き合わされてすっかり汚れちゃったエリムくんを浄化する為に、しばらく中庭で日光浴をして貰おうと思いまして」
「ふぅん……」
よく分からないが、彼は今中庭にいるようだ。エルフというのは自然を好むと聞いた事があるので、そこにいると気持ちが落ち着くのだろう。
「エリムを一人で行動させて大丈夫なのか?」
「なによ、あの子が逃げるっていうの?そんな訳ないわ、エリムは私を愛してるんだから」
「いや違う、そうじゃない。もし誰かにエリムを見られでもしたら……」
エリムは森林国の王族だ。そんな人物がここで奴隷になっていると知られたら騒ぎになるだろう。
まぁ、オークションでアイリスが美しいエルフを買ったという事実は広がりつつあるので今更なのだが。
しかしそれでも隠匿すべきだろう、噂はあくまで噂どまりだろうし実際に彼を見られると不味い事になる。
森林国が激怒し、攻めてきているのはアイリスが原因だと知れたらどうなるか……。
イライザのそんな心配をアイリスを鼻で笑い飛ばした。
「はっ、何言ってんのよ。この屋敷には私とマリアと、そしてアンタだけしかいないわ。だってお金ないから全員解雇したんだもんね」
「胸張って言う事じゃないだろうが……」
「そもそも私とアンタがこうしてお茶会してるのを見られただけでアウトよ。ファルツレインとノーヴァが密会してるようなもんだからね」
「まぁそれはそうだが」
帝国の軍部の長であるノーヴァと、王国の武家のトップであるファルツレイン。その当主がこうして仲良く茶を飲んでいるところを他の誰かに見られたら面倒な事になってしまうだろう。
それこそ国に対して二心ありとされ、謀反を疑われかねない。それ程までに両家の力は強大だし、そして影響力もあるのだ。
実際には下らない下世話な話をしているだけなのだが、他の人間からすればそんな事情は分からないのだから。
「ま、兎に角この屋敷には私達以外には誰もいないんだから大丈夫よ!」
アイリスがそう言った瞬間である。
ふと、マリアが何かを思い出すように「あ」と声を漏らした。
「お屋形さま。そういえば」
「なによ?」
「本日、プラネ様がこの屋敷を訪ねてくる予定です」
「は?」
アイリスの呆けた声が部屋に響いた。
そして、それと同時だった。
不意に、部屋の扉がガチャリと開く。
「……失礼いたします!プラネ様の側仕えとして本日からここに着任致しまし…………えっ?」
アイリス、マリア、イライザが一斉に扉の方へ視線を向けた。
そこに立っていたのは、帝国軍の軍服を着た女性……ミア・ロトナイトであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます