30.「ぎょわわわわぁぁぁ!!!!!お、お助けぇ!!!!」
「はぁ……」
白銀に煌めく髪を三つ編みにし、それを頭の後ろで束ねた、凛とした雰囲気を漂わせる女性……プラネ・ノーヴァは大きな溜め息を吐いた。
それも今日何度目になるか分からない溜め息。
その溜め息の理由は、今彼女が向かおうとしている場所にあった。
「どうして私が当主になど」
───先日。
皇帝陛下の御前で当主交代の儀を済ませたプラネ。
これで立場上はノーヴァ家の当主になったのだが、彼女は全く嬉しくなかった。何故なら彼女は当主になどなりたくなかったからだ。
彼女は自らの才覚を自覚している。帝国の軍部を司るノーヴァ公爵家……その当主ともなれば相応の武勇や名声が求められる。
だが、プラネにはそれがない。軍に所属はしているものの、姉・アイリスのように前線で活躍していた訳でもないし、特に名声がある訳ではない。
要するにプラネは中途半端なのだ。
才能はあるのだろうが、それを開花させるだけの切っ掛けがない。功績を立てるに足る手柄を立てていない。
そんな自分が当主になったところで、誰も付いてこないのは目に見えている……それがプラネの考えだった。
実際、母ミラージュも自分を傀儡としてノーヴァ公爵家を動かそうとしているだけだ。だからこそ余計に厄介な立場を押し付けられたという感覚しか彼女には無かった。
「プラネ様!もうすぐラインフィルに到着致します!」
「ん……?あぁ、そろそろか……」
プラネが馬車の中で揺られてそんな事を考えていると、不意に窓の外から声が掛かった。
馬車に随伴している騎兵が、ラインフィルの到着が近い事を伝えてきたのである。
それを聞いたプラネは窓越しに外を見ると、そこには確かに巨大な街……いや、ラインフィルが誇る大壁に囲まれた街があった。
空をも穿つようなその大壁は、侵入者を阻む盾であり、街を守る鎧でもある。
古代の超文明によって建てられたそれには傷一つ見当たらない。それも当然である、この壁は如何なる技術か魔法か……現代でも解明不可能な技術で造られたからだ。
「あれがラインフィルの大壁か……噂には聞いていたが、本当に空まで届きそうなくらいに大きいんだな」
大壁の迫力に圧倒されながら、プラネが呟く。
プラネはラインフィルに訪れたのは初めてである。もちろん、噂は知っている。
曰く、ラインフィルには世界中から富と物が集まって来る。
曰く、ラインフィルでは手に入らない物はない。
曰く、ラインフィルではあらゆる人種が暮らし、思いのままの生活を送ることができる。
等々……様々な噂を聞いていたプラネ。
話には聞いていたが実際に見るのは初めてだったプラネは、大壁の迫力に圧倒されながらその巨大な正門を見上げるのだった。
「はっ!私も初めて見た時には圧倒されました!古代文明というのは凄まじいものですね!このような城壁があれば侵略者など一捻りでしょう!」
プラネの呟きに同意するように、馬車と並走する騎兵がそう元気よく返事をした。
黒い髪を肩まで伸ばした、若い女性の兵士。彼女の名はミア・ロトナイトといい、プラネのラインフィル行きに同行する側仕えのような役割である。
ミアが特別プラネと親しいとかそういう事はなく、ただ単に手が空いていて一回ラインフィルに行った事があるから適当にプラネに付けられたというだけの話だ。
「この間来た時はあまり街を見る機会がありませんでしたが、噂ではラインフィルの街は全てが揃う、まるで御伽噺のような場所だとか!あぁ、今度は観光出来ますかね……!!」
目をキラキラと輝かせながらそんな事を言うミア。普段は堅物な彼女だが、時折感情が高まるとこうして子供のように表情が豊かになる。
最初会った時は軍人気質の、プラネが苦手なタイプだと思ったが、彼女はこうして明るく親しみ易い性格で、接しやすい相手だった。
……元気が良すぎて鬱陶しいと感じる事もあるが。
「ミア、我々の目的は観光ではない。あまりはしゃぐんじゃない」
プラネはうっとりと大壁を見上げるミアを見てそう言った。
そう、今回のプラネの目的は観光ではない。れっきとした仕事だ。それも公爵家当主のお仕事……。
プラネの脳裏に、母ミラージュの言葉がよぎった。それはプラネがここに来る前に彼女に言われた言葉であった。
♢ ♢ ♢
『よいかプラネ。今回のお前の仕事は、ラインフィルにいるアイリスに当主交代の儀を済ませた事を伝え、そして800億の借金を回収し、森林国の侵攻の件で何かやらかしてないか調べてくることじゃ』
『……』
いや、無理だろ……とプラネは思った。
あの姉に……あの化け物に、面と向かって当主交代の儀を伝える?そんな事を言った瞬間プラネの顔面が弾き飛んでしまうかもしれない。
あのゴリラのパンチを食らって粉々になる自身の身体を想像してプラネは人知れず震えた。
そして、800億もの借金を回収……何に使ったかは知らないが、もう使ってしまったのを取り返せる訳がない。いくらアイリスといえど無い袖は振れないだろう。
最後の森林国の侵攻の件については……正直あまり関係ないと思っていた。流石の姉も、それには関与していないだろう。多分。
『母上……私が当主になるのはいいですが、何故当主自らそのようなお使いをせねばならないのです?』
『そんなの決まっておるじゃろ。お前はどうせお飾りの当主なんだからお使い程度が丁度いいのじゃ」
『母上が行っては?』
『はぁ?妾はこれから森林国との戦争に駆り出されたんだから忙しいの!それともなにか?お前が妾の代わりに最前線でエルフ共の魔法受けてみるか?ん?』
せめてもの反抗で母にそう食い下がるプラネだったが、それも母の一言によって撃沈された。
ミラージュは皇帝直々の命により、戦争に参加することを義務付けられた。引退している御大が戦争に行くとは奇妙な話だが、アイリスがいない今、軍を率いる事が出来るのはミラージュ先代公爵しかいないのだ。
『いいか!?エルフ共の魔法で粉微塵になりたくなかったらアイリスをここに引っ張りだしてくるのじゃ!分かったな!?』
母の言葉にプラネは頷くしかなかった……。
♢ ♢ ♢
「はぁ……」
ここに来る前の事を思い出し、プラネはまたもや気分が大きく沈んだ。
何故、こんな事になるんだ。自分には書類整理が向いているというのに。何故、何故……。
「はっ!確かにそうでありましたな!不肖、このミア・ロトナイト!プラネ様の崇高なるお言葉に目から鱗が落ちる次第であります!」
プラネの気持ちも知らずに、ミアが大袈裟なリアクションでそう応える。
彼女は悪い人物ではないが……やはり軍人というのは暑苦しくて、嫌いだ。
「さぁ、プラネ様!!頑張って御役目を果たしましょう!!!えいえいおー!!!!」
暑苦しくて、嫌いだ……。
♢ ♢ ♢
ラインフィルの大壁を抜けると、そこはプラネの想像の遥か上を行く街の景色が広がっていた。
プラネの驚きと、ミアの歓喜が同時に漏れる。その二人の前に広がっていたのは、巨大な街だった。
いや、もはや街ではなく都市と呼んだ方がいいかもしれない。規模は帝国の首都にも匹敵する程で、遠くに見える巨大な建造物から光の柱が天に向けて伸びている。
それが何なのかはプラネには分からないが、とにかく凄まじい規模の都市であることは理解出来た。
「ここが、ラインフィル……古代文明に護られた大都市か」
嘗て黄金都市と呼ばれた古代の街を彷彿とさせるように、人々の活気が都市全体を包んでいた。
如何なる仕組みか、大通りにはゴミ一つ落ちておらず、道には何両もの馬車が行き交い、その両脇を大勢の人々が歩いている。
人間や獣人、そしてエルフなど多種多様な人種が行き交うが、この大都市においてその違いは些細なものなのだろう。何故なら皆それを気にした様子はなく、楽しそうに過ごしているのだから。
「凄いですね!前にも思いましたが、こんなに活気のある街は見ました!」
「あぁ、そうだな」
そんな街の景色を見てはしゃぐミアに同調するようにプラネは頷いた。実際、帝国でもここまでの規模の街は少ない。
そんな景色に圧倒されながらも、二人は一先ずの目的地……この街の中央に位置する場所に足を向けた。
そこはいわゆる貴族街であり、各国の重鎮が居住するエリアである。
「ん?」
その途中、プラネは上空に何かが飛んでいることに気付いた。
鳥……にしては大きすぎるし、羽ばたく音が聞こえる訳でもない。ゴーッという奇妙な轟音が鳴り響いている。
不思議そうに空を見上げていると、ミアがその物体を指さして興奮した様子でプラネに話し掛けてきた。
「あれは古代文明の機動兵器ですよ!このラインフィルの名物の一つですね!」
「機動兵器?」
聞き慣れない単語に首を傾げるプラネ。それを見たミアが丁寧に説明する。
「はい、あれも古代文明の技術で作られた物で、確か空を飛ぶ鎧だと言われています」
「鎧?ではあの中に誰か入っているのか?」
「いえ、アレは無人で動き回る鎧らしいです。つまり、勝手に動いて空を飛んでいるという訳です」
「なんだそれは……原理はどうなっているんだ?」
「さぁ、そこはまだ解明されていませんね!とにかく古代文明の技術力は凄いという事ですよ!」
ミアの話を聞く限りだと、あの空飛ぶ機械は古代の超技術で作られているらしい。
それに人が乗っている訳ではないと聞いてプラネはますます困惑した。
「なんの為に空を飛んでいるんだ」
「え?それは勿論殺傷行為の監視と、殲滅ですよ」
「……殲滅?」
不穏な言葉が返ってきて、プラネは眉を顰めた。
「はい!どんな理屈かは私も存じ上げませんが、古代文明の兵器達はこの都市の殺傷行為を常に見張っていて、もしも命の奪い合いが発生した場合、あの鎧みたいな兵器が沢山集まってきて、有無を言わさず全てを殲滅してしまうそうです!被害者も、加害者も全て光の渦に飲み込まれて消滅してしまうみたいですよ!」
「えぇ……?」
意味不明な内容に、プラネは変な声が出てしまった。
あの空飛ぶ機械は古代文明の兵器で、この都市の殺傷行為を見張っていて有無を言わさず全てを殲滅する……。
なんというか……物騒すぎるというか、とても人間の考えることではない気がするが……そんな兵器を作った奴は一体何を考えていたんだ……?
そんな考えが頭に浮かんでくるが、そのどれもが答えが出ない事に気付いてプラネは再び空を見上げる。
既に空飛ぶ鎧は視界から消えていた。凄まじい速度で飛んでいたのだろう。
「まぁ、殴る蹴るくらいならば監視網に引っかからないみたいなので、妙な気を起こさなければ大丈夫ですよ」
「線引きが不明瞭だな。何処からが駄目で、何処までがいいんだ?」
「そうですねぇ……武器を使った傷害は駄目と聞きましたが……あっ!」
そこまで言い掛けてミアはハッとした表情を浮かべる。どうやら馬車の先に何かを見つけたようだ。
「どうかしたのか?」
「ちょうどあのエルフが我々に弓を引いているようですね!あれはまさしく一発アウトですねぇ!あの弓矢が発射されたら、ここら一帯は更地になるでしょう!」
「は?」
ミアの言葉にプラネは馬車の窓から身を乗り出して、彼女の指差す方を見る。
するとそこには一人のエルフが弓をこの馬車に向けている姿があった。
「!?!?」
な、なんだあのエルフは!?何故、こちらに弓を向けているんだ!?プラネは混乱して、そのエルフと弓矢を交互に見つめる。
彼女は憎しみの籠った瞳でこちらを睨みつけており、弓矢を引き絞って今にも放ちそうな様子だった。
「お、おい!なんだあれは!?何故あのエルフは弓をつがえている!?」
プラネの焦ったようなその叫びにミアは一瞬首を傾げるも、すぐに事の重大性に気付いたようでギョっと目を見開くと、すぐに馬から飛び降りて臨戦態勢を取る。
「ぎょわわわわぁぁぁ!!!!!お、お助けぇ!!!!」
臨戦態勢というよりも、手を上げて命乞いをするという情けないものであったのだがプラネもまた冷や汗を掻いて馬車から飛び降りた。
「おいそこのエルフ!何故我々に弓を向けている!今すぐに下ろすんだ!」
プラネが弓を向けているエルフに対してそう叫ぶ。
その言葉に弓矢のエルフはギリッと歯を食いしばった。そして叫ぶようにして声を発する。
「うるさい!!よくも王子を攫ってくれたな!人間の貴族め!!」
「はぁ?」
王子を攫った?何を言っているんだこのエルフは。身に覚えの全くないエルフの言葉に、プラネは混乱する。
「な、何の話だ!そもそも我々はお前と面識はない!王子とはなんだ!?」
「とぼけるな!お前達が我らの至宝を奪った事は知っている!!絶対に許さぬぞ!!」
そんなエルフの言葉にますます混乱するプラネ。なんだ?至宝を奪った?我らの至宝……?
全く身に覚えがない。一体何を言っているんだこのエルフは。
その内に周囲にいる者達が騒ぎに気付いたのか、ザワザワと戸惑いと恐怖の声が広まっていく。
「お、おい!喧嘩か?」
「いや、殺し合いだ!見ろ、武器を構えてやがる!」
「逃げろ!巻き込まれるぞ!」
あっという間に騒ぎは広まり、そして逃げ惑う人々で大通りが埋め尽くされる。
その光景はミアが先程プラネに言った言葉が真実だと裏付けているようで、プラネは狼狽えた。
『有無を言わさず全てを殲滅してしまうそうです!被害者も、加害者も全て光の渦に飲み込まれて消滅してしまうみたいですよ!』
プラネの背筋に冷たいものが走る。
それはつまり、あのエルフが次に弓を放てば自分はおろか周囲の人間達も含めて消滅するという事を意味していたからだ。
「貴様は何をしているのか分かっているのか!その矢を放てば貴様も死ぬんだぞ!」
「構わない!我等の恨みを晴らせるならばこの命など惜しくない!!」
プラネの言葉にエルフはそう叫び返した。
その悲壮な決意に、プラネはゴクリと息を飲む。彼女は本気だ。本気であの矢を放とうとしている……。
一体なにがあのエルフをああまで駆り立てているのか。何故、その矢を我々に向けているのか。プラネには何も理解出来なかった。
「(な、何故こんな事に……!?)」
自分は今しがたこの都市にきたばかりだとういうのに何故こんな目に合わなくてはならないのだ。
それもこれも姉のせい……かは分からないが、とにかくプラネは姉と母を恨んだ。
これで死んだら化けて出ようとおもうくらいには恨んだ。
そしてエルフの腕がゆっくりと引かれる。その動作に、周りの人間達は息を飲んだ。
その瞬間───。
「はいはい、そこまででーす」
不意にそんな声が響いて、エルフの腕が止まる。
刹那、黄金の鎧に身を包んだ騎士達が何処からともなく現れてエルフを取り囲む。
「なっ……!」
エルフは一瞬抵抗する素振りを見せたものの、黄金の騎士の圧倒的な力に為す術なく取り押さえられてしまった。
その光景を見てプラネはホッと胸を撫で下ろす。どうやら最悪の事態は免れたようだ……。
「……お、おい。なんだあれは?」
しかし突如として現れた騎士達にプラネは戸惑いを隠すことが出来ずに、横で腰を抜かしているミアにそう問いかけた。
「ふ、ふぁい!あ、あれはラインフィルの自治勢力の武装集団、黄金騎士団でふ……」
「黄金騎士団?」
「なんでもあの黄金の鎧を着たものだけはこの都市内で殺生が許されているみたいで……」
なんだそれは。どういう集団なんだ。自治勢力とは言うが、それは古代文明と何かかかわりがあるのか?支配勢力とはまた別なのか?
プラネの頭に沢山の疑問が沸きまくるがそんな彼女の元に一人の騎士が歩み寄ってきた。
「いやはや、災難でしたねプラネ様。お怪我はございませんか?」
その騎士は兜を脱ぐと、丁寧なお辞儀をしてきてそう語りかけてくる。
それは長い黒髪を後ろで纏めている女性であった。彼女はにこやかに笑いながら、プラネに対して手を差し伸べてくる。
「あ、あぁ……なんともないが……何故私の名を?」
その手を取り、彼女はそう問い掛ける。すると女性騎士はフフッと微笑みながら口を開いた。
「この都市に訪れる者は全て把握しております。性別趣味嗜好に性格。家族構成から仕事内容まで。我々は何でも知っておりますよ」
「……」
何故そんな事まで知っているのだろうと疑問に思ったが、それを口に出すことはしなかった。
……何故か、聞いてはいけない気がしたのだ。
「もっとも、貴女様は有名人。なにせ帝国のノーヴァ公爵家のご当主様であらせられるのですから」
当主。ノーヴァ公爵家の当主。
それを聞いた瞬間プラネの疑問は不審に代わった。
───何故、その事を知っている。その事は皇帝陛下と、母ミラージュと、自分しか知り得ぬ情報だ。
アイリスからプラネに当主が変更された事を知るものは他に誰もいない。
何故、それをこの黄金騎士団とやらの女性騎士は知っている……?
「さぁ、気を付けていってらっしゃいませ。世情がピリピリしている以上、このラインフィルの地も必ずしも安全では御座いません。特に、エルフに気を付けた方がよろしいでしょう」
そう言って彼女は馬車に手を向けると、プラネに馬車に乗るのを促すように目配せをしてきた。
「貴殿の名は?」
馬車に乗り込む直前。プラネが振り向き、彼女にそう問い掛ける。
その言葉に彼女は微笑みを絶やす事なく口を開くと、自分の名を口にした。
「私は黄金騎士団・団長のロゼッタと申します。以後お見知りおきを……」
それを聞いたプラネは目を細めて彼女を見つめるも……それ以上詮索することはせずに馬車に乗り込んだのだった……─────。
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