27.「マジで!?」

エリム・アウディハウルという青年には前世の記憶がある。

それは今世の彼が産まれるよりも遥か昔の事かもしれないし、もっと未来の事かもしれない。

前世の事は、あまりよく覚えていない。名前も、性別も、年齢も、自分が何者だったのかさえ朧気だ。

ただ、その前世と今世の価値観に相当な差異がある事だけは分かった。


彼の記憶では男と女の役割が逆だったような気がするのだが、生憎と今世ではその価値観は捨てなければならない。

この世界は女が強く、女が権力を握る。男なんてものはただ搾取される存在にすぎない。

その事に気が付いたのは彼が何歳の頃だったか……。森林国の王城で箱入り息子として育てられてきたエリムは、文字通り王城の限られた区域で生活をしていた。

彼が接するのは母である女王プリムラ。姉である王女レメリオーネ。宰相であるコロネ。そして世話役の侍女や、たまに王城に迷い込んできた妖精さん……。

彼が成人するまでに会った人物は極端に数が少ないが、それでもエリムは彼女達から教育を受けたり、他愛もない話でこの世界の事を徐々に理解していったのだ。


そんな中でエリムは姉、レメリオーネに疑問をぶつけた事がある。



『姉さま!僕は何故、ここから出てはいけないのですか?』



エリムの問いにレメリオーネは一瞬動きを止め、そして少しだけ悲しそうに笑った。



『エーちゃん、この世界はね……危険で溢れているの。だから貴方はこの安全な場所で成人するまで過ごしているのよ』

『危険?』

『そう、危険。お外にはね、エーちゃんを(性的に)襲おうとする変態……じゃなくて悪い女の人が沢山いるの。貴方はとても美しいし、とても可愛いから』

『……?』

『成人したら私と沢山子作りラブラブしまくる予定なんだから他の女に穢される訳には……あ、いやゲフンゲフンなんでもないわ』



その時のエリムは姉が何を言おうとしているのか分からなかった。

それは自分の価値にまだ気付いていなかったからでもあるし、未だにこの世界の価値観を理解していなかったせいでもあった。



『母さま!僕、お外の世界に行ってみたいです!』

『まぁ、エーちゃんったらどこでそんな悪い言葉を覚えたの?でもダーメ』

『どうして?』

『だって外は危険だもの。エーちゃんみたいな天使ちゃんが外に出た瞬間、全裸の変態女達が飛び掛かってくるのよ?そんなの私が許しません!』

『……???』



エリムはプリムラが何を言っているか分からなかった。

だが、言葉の端々から危険を感じ取り、お外に興味を失う事にしたのだった。



『エリム様。今日はこの国の歴史について学んでいきましょうね』



王城から出る事が出来ないエリムの教育係を務めたのは森林国の宰相コロネである。

彼女はモノクルを右眼に装着し、見た目は30歳前後の知的な雰囲気を纏う女性だ。

実際は女王に次ぐ年齢のエルフらしいのだが、とてもそうは思えない。

家族ではないものの、エリムは彼女の事が好きだったし信頼もしていた。

なにせ彼女は女王の良き相談相手でもあり、宰相として内政に多大な影響を与えている人物であるからだ。



『コロネさん、この国の歴史もいいんですけど……外の世界がどうなっているのか教えてくれませんか?』



コロネの授業の合間。不意にそんな事を言ってみた。

彼女は少し驚いた様子でエリムを見てきたが、すぐに考え込むような仕草をした。



『王子も外の世界の事を知りたがるお年頃ですか。……そうですね。知っている限りの事をお伝えしますが、それはとても恐ろしくて悲しいお話ですよ?』

『構いません!聞かせてください!』



コロネはエリムの真剣な様子に渋々頷くとコホンと咳払いをした。そしてエリムが知らない外の世界の事をぽつぽつと話し出したのだ。



『外の世界は過酷です。特に、エリム様のような美少年にとっては……。それは悲しい出来事で溢れています』

『……?』

『まず、エリム様みたいな美しい男の子は変態達に狙われます』

『!?』



思わずマジで!?と叫びたくなったエリム。

しかしそんなはしたない事はしない。何故なら自分は高貴なる身分であり、王族なのだから。



『それも複数人に。襲われて服を剝かれるなんて日常茶飯事ですし、女にも男にも襲われます』

『マジで!?』



女は勿論、男にも……!?これにはさすがのエリムもはしたなく反応してしまう。



『そして女達に無理矢理犯され、玩具のように扱われ……その美しい身体に汚い汁をたっぷりと浴びせられてしまいます』

『!?!?!?』



エリムはあまりの衝撃に言葉を失った。まさか、そんな事が外の世界では日常的に行われているのだろうか……?と戦慄したからだ。

だが、そんなエリムの動揺を見抜いたのかコロネは優しく諭すように声を掛けてきた。



『大丈夫です、王子。そうならないように私が貴方を護りますから』



そう言い、宰相コロネはエリムを胸に抱きしめた。

暖かなその感覚に、エリムの心と身体に平穏が戻る。

この王城から外に出られないのはそれなりの理由があったのだ。軟禁状態にあるエリムは外の世界に憧れていたが、そんな恐ろしい世界だと思うとそんな気も無くなってしまう。



『貴方は外の世界に行かなくていいのです。この安全な場所にいれば、絶対に安全ですから』



エリムは自身の幸運に感謝した。こんなにも恐ろしい世界で、このような安全な場所に生まれた事を神様に感謝する。


少しだけ、興味は残っていたが。


道を歩くだけで女の人達に襲われてしまう世界……。

恐ろしい……恐ろしいけど、少しだけ、ほんの少しだけ気になる……。

よく考えたら前世の価値観だと、それはご褒美ではないか?何もしなくても女性達に群がられるなんて。

いやでも男に襲われるのはちょっと……

そんな事を思い、ちょっとだけ外の世界が気になってしまうエリムだった。


そう悶々としながらも、彼は王国で平穏な日々を過ごしていた。

それが一番安全だからという理由で王城の中だけで過ごす日々。

その事に不満がない訳ではなかったが、美人な母と優しい姉、そして聡明な宰相に囲まれて幸せに暮らしていた。


そんなある日の事だった。



『いやそれ絶対嘘だって……騙されてるよ君』

『えっ』



肩に乗れそうな程小さな姿をした美しい少女……妖精さんがそう言った。

彼女は何処からか迷い込んできた翠色の髪が可愛らしい妖精さんだった。


妖精。


レネゲスト大森林に住まう可愛らしい存在であり、自然の化身でもある。

彼女達はエルフの眷属として、エルフと共に生きる事を喜びとしている。

それは女王であるプリムラも同じであり、王城には多数の妖精さん(小)達が住んでいるのだ。

……たまに母や姉が鬱陶しそうに彼女等を魔法で吹き飛ばしているところを見ると、住んでいるというか勝手に侵入して遊んでいるだけなのかもしれないが……。


最初彼女達を見た時、エリムは自分の頭がおかしくなったのかと疑った。

悶々と外の世界の事を妄想し続けた結果、妖精さんが見えるようになったのかと本気で考えたものだ。

しかし、エリムがいくら目を擦っても、頬をつねっても、目の前の少女達は消えなかった。


これは現実なのだ。幻覚ではないのだ。


彼女達は間違いなくそこに居た。そして言葉を交わす事も出来た。

目の前にいる少女の正体は自然から生まれ、自然と共に消える森羅万象の化身だ。

肉体的な死を持たず、概念として存在している彼女達はそこらかしこに遍在しており、この世界では珍しくない存在なのだった。



『外に出たらいきなり全裸の変態女が群れをなして襲い掛かってくるだなんて、そんな訳がないだろう。どこの世紀末の世界だそれは……』



目の前の妖精さん……名をララミアヴェールというらしいが、彼女は呆れたように溜息を吐いた。


……妖精というのは基本的にあまり頭がよくない。

それも控えめな表現だ。見た目は子供、頭脳も子供の存在。それが妖精だ。


しかし、目の前の彼女は違った。


その瞳からは明らかな知性を感じるし、その口から紡がれる言葉からも教養を感じる。

彼女の知性はエリムとどっこいどっこい。いや、もしかするともっと上かもしれない……。

恐らく彼女は妖精の中でも上位に位置する存在なのだろう。



『そりゃ君は可愛い外見をしているから、悪戯くらいはされるかもしれないけどさ』



やれやれ、といった風にララミアヴェールは煌めく翅を羽ばたかせ、エリムの肩の上に乗る。



『恐らくプリムラとレメリオーネは君の貞操が目当てでそんな事を言っているんだと思うが』

『僕の貞操?母さまと姉さまが?あはは、何言ってるのララミア。僕と彼女達は家族なんだからそんな訳ないじゃん』

『家族ねぇ……』



ララミアヴェールは訝し気な視線をエリムに向けていたが、すぐに首を横に振った。



『まぁいいさ。君は君のしたい事をやればいい。この世界は君が思っているよりも広くて……そして、優しいと思うよ』



そう言って彼女はエリムの肩から降りた。そして手をフリフリと振りながら窓から出て行こうとする。

この妖精は不思議だ。彼女の顔にはまだ幼さが残っているが、その表情はどこか達観した雰囲気を放っていた。

そんな彼女の顔を見ながら、エリムもまた彼女に手を振り返す。

その途中、ララミアはピタリと動きを止めると、こちらを振り返った。そして言った。



『困った事があったら、そこらにいる妖精を捕まえて私を呼ぶがいい。きっと助けになるよ』



……そしてララミアヴェールは窓から出て行き、どこかに行ってしまったのだ。

妖精さんは自由奔放だ。そしてそれは彼女にも当てはまるらしい。

エリムは彼女の事を不思議に思ったが、妖精という不思議な存在を真面目に考えてもしょうがないなと思い直した。



それからしばらくの間、エリムは外の世界に出る事なく平穏な日々を送った。

妖精のララミアヴェールとは時折顔を合わせる事があったが、彼女の言う通りの困った事は特に起こらなかった。

母プリムラや姉レメリオーネと暮らす日々は平和そのものだったのだ。



そして、エリムは、成人の日を迎える事となる。



『貴方のお見合い写真ですよ、エリム』

『うーん。エーちゃんさあ。この子じゃ余りに平凡じゃない?』

『初めまして、エリム様。私スプール公爵家の嫡女ラティファと申します』

『さぁ、寝室に参りましょう♡』

『ど、どぼして……?』



それからは色々な事があった。成人の日を迎えたのはついこの間だと思ったのに、そこからの日々はまさに激動の日々であった。

憧れていた外に予想だにしない形で出られた事は嬉しいが、何故か奴隷になっているではないか。

王族としての矜持も、自負心も、安全な生活も全ては壊れてしまった。

今のエリムは奴隷であり、搾取されるだけの存在だった。

だが、エリムはさほど悲しんではいなかった。何故ならば、こうしてアイリスやマリア、イライザのような美しく、そして聡明な人間と出会えたのだから。

そして、それはとっても気持ちが良くて、エリムは初めて味わう快楽の渦に抗う事ができなかった。

こんなにも気持ちいい事があったなんて知らなかった。こんなにも気持ちが良い事が世の中にはあっただなんて知らなかった。

知識として、前世の知識としては知っていたが、実際に体験してみるとその快楽に抗う事などできるはずがなかった。

奴隷になってもいい。いや、なって良かった……♡


この気持ち良さを享受できるのならエリムは奴隷でも良かったのだ。もうこの生活から抜け出す事は考えられない。いや、考えられないようにされてしまったのだ。


全ては、彼女……アイリスを見てから……エリムは……。




♢   ♢   ♢




「僕の名はエリム・アルディハウル。レメゲスト森林国の王子です」



カチャンと。イライザが持っていたティーカップを床に落とした音が部屋に響いた。

それと同時に静寂が部屋を支配し、エリムの言葉はまるで呪文のように空気に溶けて消えて行った。



「……」



イライザも、マリアも白目を向き、口をパクパクさせていた。

身体がプルプルと震え、今にも倒れてしまいそうだったが、なんとかギリギリのところで踏みとどまる。

そんな時間が凍ったような空気の中、アイリスだけが無表情でエリムを見つめていた。


そして、カッと目を見開いて言った。














「マジで!?」

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