21.「私とエリムのイチャイチャを邪魔しないでくれるかしら?ぶっ殺しますわよ?」

ちゅんちゅんとスズメの鳴く声が聞こえる。

ここはラインフィルにあるノーヴァ公爵家の豪邸の一室。当主が寝泊まりする豪華絢爛な寝室のこれまた天蓋付きのベッドの上で一人の女性が背伸びをして瞼を擦る。


「んん~……」


彼女の名はアイリス・ノーヴァ。華麗なるノーヴァ一族を率いる公爵家の当主であり、そして──


「……むふふぅ♡」



一人の"女"である。

そう、アイリスは昨晩"女"になった。それも美青年とのイチャラブという、この世界ではあり得ぬ至高の体験を通して。

昨日までは確かに未熟な女であった。


「んっ……ふぅ♡♡」


昨日の甘美な記憶を思い出し、思わず熱い吐息が漏れる。まるでその感覚がまだ残っているかのようだ。


「ふにゃあん……♡♡」


また熱い吐息が漏れる。最早起きてからずっとこの調子である。

昨晩の体験を思い出しただけでアイリスは疼いてしまうのだ。

……とはいえ流石にそろそろ朝食の時間だ。いつまでも惚けているわけにはいかないだろう。


そうしてアイリスは隣に眠っているエリムを起こそうとするが……


「!?」


そこにいる筈の天使はいなかった。


「……っ! エリム!?」


慌ててベッドから飛び起きる。だが、寝室には既にアイリスしかいない。

何故?どうして?もしかして昨日の出来事は夢だったとでも言うの!? いや、そんなはずはない。確かに私達は……いや私は彼と愛し合ったはず……! 混乱しきった頭で必死に考えているとそう言えばマリアの姿も見えないのに気付く。

いつもならばとっくに自分を起こしにきている筈の時間なのに、何の音沙汰もない。


もしや、何かあったのか?屋敷に何者かが侵入して、エリムを奪い去ったのだろうか?

エリムが逃げるとは思えない。だって、彼はあんなにもアイリスを求めていた。確かにそこに愛があったのだ。

……では、何故二人はいないのだろうか? 嫌な予感が頭を過る。まさか、まさか!?


「マリア!何処にいるの!?」


寝室を飛び出し、屋敷の廊下を見渡すが誰もいない。大声で呼んでも返事がない。


「マリア!エリム!」


アイリスは屋敷を駆けずり回った。だが、一人も見つからない。


「誰かっ……!!」


そうしてアイリスが怒涛の勢いで食堂の扉を開けた時だった。


「!!!!!」


アイリスが食堂で目にした光景……。


それは──


「はい、あーん♡」

「あ、あーん……」


マリアが甲斐甲斐しくエリムの食事を世話をする姿だった。

エリムに食事を食べさせている。所謂"あーん"という奴である。

マリアがエリムを膝の上に乗せ、まるで新婚の夫婦みたいなやり取りをしている姿。

イチャラブする二人を見て、アイリスは深い溜め息を吐いたのだった……。


なんだ、二人でイチャラブしてただけか。じゃあ問題ないな。


「って問題大ありじゃねぇか何やってんだこの泥棒猫!!!!」


アイリスの蹴りが側にあった椅子に炸裂した。豪華な装飾が施された椅子はあまりの衝撃に塵となって消滅した。

その轟音でアイリスが来た事に気付いた二人。

エリムはアイリスを見るとにぱぁと笑顔を浮かべる。


「あっ、アイリス様!おはようございます!」


彼はまるで天使のような無垢な笑顔を浮かべてそう言った。

対してマリアはゴミを見るような目で主人であるアイリスをちらりと一瞥すると、小さく呟いた。


「あ、起きたんですね。そのまま寝てて良かったのに。一生」


最早毒舌を通り越して殺害予告レベルの言葉を放つマリア。明らかに敵に向かって放つ台詞である。

そんな天と地ほどの差がある対応をする二人。アイリスは額に青筋を浮かべながら二人を睨み付ける。


「マリア……貴方、どうして私のエリムと密着して、まるで恋人みたいにイチャラブしてるのかしら……?」


ピクピクと頬を震わせながら問いかける。だが、マリアは何処吹く風。


「"私"の?何を仰いますお屋形様。エリムくんはノーヴァ家の財産で購入した子。つまりノーヴァ家のもの。つまりノーヴァ家に仕えるこのマリアのものでもあるのです」

「何言ってんだてめぇ殺すぞ」


あまりにも無理矢理なマリアの論法にアイリスの額に青筋がビキリと浮かび上がる。

それを見てエリムはドン引きしていたのだが、二人は構わず口論を続ける。


「私とエリムくんはノーヴァ家に仕える者同士……いわば同僚のようなもの……つまりそれは自然恋愛も起こり得るという訳です」

「どうでもいいけど彼の事エリム"くん”って呼ぶのやめてくれない?それはもっと仲良しな男女が使う言葉だから」

「え?エリムくんはエリムくんですよね?ねぇ、エリムくん。私とエリムくんは仲良しですよね?それはもう、エリムくんが望むなら一線を越えてしまっても構わないくらいに」

「あっ、あっ、えと、その……」


ヒートアップする女性二人に挟まれた哀れなエルフの青年にはこの状況を打破する力は無かった。




♢   ♢   ♢




それから一時間ほど経って、二人は落ち着いたのかようやく朝食を落ち着いて採る事が出来た。

アイリスはエリムの真横に席を置き、ぴったりと肩を密着させて食事を開始した。

マリアもまた、エリムの真横に席を置き、ぴったりと胸を彼の腕に密着させて朝食を摂る。


「いや使用人のアンタがなんで主人と一緒に食事しようとしてんのよ。アンタは後ろで立って見てなさいよ使用人らしく」

「今は使用人の食事の時間です。使用人同士であるエリムくんと私が一緒に食事を摂るのは当たり前です。むしろお屋形様がここにいるのがおかしいので出ていってください」

「……」


全然落ち着いてねぇ……。

エリムは二人の美女に挟まれながら困った表情を浮かべる。まるで抱き着くかのように密着してくるので、腕も動かせないしこれでは食事を摂れない……。

まぁ、この状況で呑気に食べたいとは思えないが。


そんなエリムの表情に気付いたのかアイリスはにこりと優しい微笑みを浮かべると、自らのスプーンでスープを掬いそれをエリムの口元に持っていく。



「はい、エリム。あーんしなさい」

「え?」


自然に行われたアイリスの行動に思わず目を丸くするエリム。先程はマリアにあーんをされて食べさせて貰っていたが、主人であるアイリスが何故奴隷の食事の世話を行うのかが理解出来なかった。

……しかし、ここで反抗する理由もないのでエリムはおずおずと口を開ける。


「あ、あーん……」


ぱくりとアイリスのスプーンからスープを食べる。スープは濃厚なコーンの味がした。

自らの指示に従ったエリムを見て、アイリスは満足気に頷くと空いた手でエリムの頭をなでなでと優しく撫でた。


「良い子ね、エリム。じゃあ私にもあーんして……?」

「えっ」


アイリスの要求にエリムは顔を真っ赤にする。まるで恋人のように甘えている彼女の姿を見て、エリムの鼓動が高鳴った。


「う、あ……」

「ん~?」


顔を真っ赤にしてあわあわと口を開けたり閉じたりしているエリムを見て、アイリスは不思議そうに首を傾げる。

まるで躊躇う理由など無いと言わんばかりに小さく唇を突き出し早く早くと急かす姿にエリムは顔を更に赤くしてーーー意を決してスプーンを彼女の口に近付ける。


「あ、あーん……」

「んにゅ……」


差し出されたものをぱくりと食べるアイリス。そしてその瞬間、彼女の脳髄に電流が駆け巡った。


「……っん~~~♡♡♡」


エリムが食べさせてくれたスープの味が口の中に広がる。それはとても美味しいものであった。

だが、それ以上に、彼女の心を満たしていたのは目の前にいる奴隷エルフの少年から貰った"愛"だった。


「(幸せ……♡♡)」


まるで永遠の愛を誓い合った恋人との食事のような幸福感がアイリスの心を満たす。

嗚呼、なんて愛おしいのだろうか……♡♡♡ この世界でイチャラブあーんをしてくれるのは彼一人だろう♡♡♡自分はなんて幸せで、なんて贅沢な女なのだろうか♡♡♡


「んへへぇ……♡♡♡」


緩みきった表情でエリムを見つめるアイリス。その視線に射抜かれたエリムはゴクリと生唾を飲む。

昨晩の彼女の姿はまるで娼婦のようで、それでいて母性にも満ちており、そして美しく妖艶で……あぁ、思い出しただけで腰が砕けてしまいそうだ……♡


「はい!!!イチャラブやめ!!!!やめやめ!!!!!この流れはやめなさい!!!!」


不意にマリアの大声で二人の甘ったるい空間が引き裂かれた。

アイリスはマリアをキッと睨み付けると、先程の甘い表情から一転して憤怒の表情へと変化する。


「私とエリムのイチャイチャを邪魔しないでくれるかしら?ぶっ殺しますわよ?」

「奴隷に無理矢理あ~んを強要させて恥ずかしくないんですか?そんなんだからお屋形様はモテないんですよ」

「今それ関係なくない!?」


ぎゃーぎゃーと言い争う二人。エリムは朝食のパンを食べながら事の推移を見守る事にした。


と、急にマリアの視線が彼に向けられた。何だろうと思うと、彼女は不意にスープを口に含み、そしておもむろにエリムに顔を近付けた。


「へ?」


その行動に一瞬理解が追いつかなかった。そして理解する前に、マリアの唇がエリムの唇と重なっていた。


「っ!?」


唐突な出来事にギョッと目を剝く。マリアはエリムの唇を舌で無理矢理こじ開けると、そのまま舌を侵入させて彼の舌を絡め取っていく。

濃厚なディープキスによって口の中がスープの味で満たされる。更に唾液も流し込まれ、まるで二人の愛を交わらせるかの如くマリアはエリムの唇を貪る。


「んっ、ちゅっ……はぁっ♡んんぅ♡」

「~~~っ!」


両腕をエリムの背中にがっちりと回しているせいで離れることが出来ない。その間もマリアは舌を絡ませるのを止めない。

やがて満足したのか、二人の唇が離れる。銀色の糸が引く中、マリアはニヤリと笑い舌なめずりをする。


「ぷはっ……どうでした?私の"あ~ん"は……♡」


そう言って唾液とスープで濡れた唇を拭うマリア。清楚な雰囲気からはかけ離れた淫靡な姿にエリムはドキリとする。


「えっ、あ、えと……そのぅ」


エリムはしどろもどろになりながらマリアに何と返せばよいか考えているとーーー今度はアイリスの怒声が響いた。


「何やってんじゃてめーーーーーーー!!!!!!!!」


突然行われたマリアの暴挙にアイリスは呆然と見守ってしまったが、この女は一体なんてことをしてくれるのだ。

怒りの形相を浮かべるアイリスにマリアは悪びれた様子もなく飄々とした様子で話す。


「知らないのですか?使用人同士はこうして"あーん"を行うのですよ。あ、これは使用人同士しかやっちゃいけない行為だから主人と奴隷の関係のアイリス様は駄目ですよ」


そう言って指でバッテンと作るマリアだが、アイリスの怒りは最早怒髪天を衝くほどであった。


「知るかボケェ!!主人である私を差し置いて何勝手にエリムとキスしてんんのよこのクソビッチ淫乱メイド!!!」

「はぁ~?誰がクソビッチ淫乱メイドですか誰が。私は処女ですよ?清らかな処女ですよ?あなたみたいな非処女とは違うんです」

「私はエリムで処女卒業しただけだけど?半分処女でしょこれ。多分処女膜まだ残ってるし!処女膜から声出てるしぃ~」


賑やかな食卓だ、とエリムは思った。だけど、彼は決してこの騒がしい空間が嫌いではなかった。

エルフの国にいた頃はとても静かだった。殆ど誰とも喋らないし、まるで静寂の精霊が支配するかのような空間だった。

時が止まったかのような錯覚がしてしまう程、彼は孤独だった。


……いや、孤独ではないか。母と、もう一人……自分には話し相手がいた。

それはエリムにとって母と同じくらい大切な存在であり、エリムの孤独を埋めてくれたエルフ……。


「(レメリオーネ姉さま、元気かな……)」


今は遠く離れた地にいる自らの姉……エルフの王女レメリオーネを想う。

彼女はとても優しく、自愛に満ちたエルフだった。エリムが寂しい時はいつもその豊満なおっぱい……胸でエリムを包み込んで(物理的に)慰めて貰っていたものだ。

半ば半身のような存在で、恐らく彼女もそう思っていてくれるに違いない。だからこそ、エリムは彼女の事が心配でたまらなかった。


彼女はとても寂しがりやで、そして気弱で、自分がいなくちゃ何も出来ない。誰かが傍にいて支えてあげないと壊れてしまいそうな程に、彼女は繊細なのだ。


『エーちゃん……♡』


ふと、彼女の寂しげな(いや、発情……?)声が聞こえてきたような気がした。それと同時に彼女の大きなおっぱいが脳裏に浮かぶ……。

おっぱい……巨大なおっぱい……♡♡あれ、おかしいな。彼女の顔ではなくて何故おっぱいばかりが……。


「あ゛ーーーー!!つーかこんな事やってる場合じゃないのよ!!!」


姉のおっぱいを思い浮かべるという不埒な妄想をしていたエリムの思考がアイリスの大声により現実に引き戻された。

言い争いが一息ついたのか、アイリスは顔を真っ赤にし、ハァハァと息を荒くしてそう叫んだ。


「さぁ、二人共!出掛けるわよ!」


突然そう言いだすアイリスにエリムとマリアの二人は顔を見合わせ、そして首を傾げた。

はて、出掛ける?一体何処に?


「お屋形さま、遊んでる場合ではありませんよ。我々はその……詰んでる……あ、いや。少々おヤバい状況にあるんですから」


マリアが真面目な顔を浮かべそう言った。

そう、外でのんびり遊んでいる場合ではない。公爵家への借金もそうだし、皇帝と森林国の件もそうだ。

もう引き返せない程にヤバい状態にあるのだから何かしらの動きを見せなければならない。


「何言ってんのよマリア。これから私の策略が炸裂するんだから。外に行くのはその第一弾よ」


しかし、アイリスは不敵に笑った。彼女は立ち上がると、形のいい胸の前で拳を握り力説する。

マリアはまさか……と思った。まさか、前に言ってたあのとんでもない策を本当に実行するのか……?


「お屋形様、ご冗談でございますよね?だってあの策は……」


狂ってる……とマリアが言葉を紡ぐ前にアイリスは満面の笑みを浮かべて言い放った。



「本気に決まってるでしょ。いいから行くわよ」


そう言い、彼女はエリムとマリアの腕を掴み立ち上がらせた。


そして言った。


「ファルツレイン候……イライザのところにね!」

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