14.「そ、そ、そうでしゅか。よ、喜んでもらえて、私も嬉しいでしゅ……はい……」

ミアを見送った後、皇帝の使者を待たせている部屋へと向かった。

その道すがらマリアが心配そうな表情を浮かべ呟く。


「お館様……このままでは本当に当主の座を剥奪され、お屋敷を追い出されてしまいますよ」

「ふんっ、あんな耄碌したクソババァの目論見通りにはさせないわ。マリア……私にはね、皇帝陛下の勅命が下ってるのよ。エルフの奴隷を確保して、森林国を戦乱に巻き込むという重要な使命がね!それを邪魔するアイツこそ公爵家を追われるべきなのよ!?丁度陛下からの使者が来てるし、陛下の命を邪魔する朝敵として報告してやるわ!そうしたらあのババァは処刑よ処刑!ギロチンであの首ぶった切ってやる!」


そうまくし立てながらけけけ、と笑うアイリスを見てマリアは頭を抱えたくなった。

この人の企みは大抵失敗する。それは長年仕えてきた自分が一番よく知っている。

当主になったのだって先代ノーヴァ公ミラージュ・ノーヴァがアイリスを傀儡にしようと画策した結果だし、それを自分の実力だと勘違いしている節がある。

脳味噌筋肉女と揶揄されるアイリスが頭脳戦で先代や他の姉妹に勝てる訳がないのに……。

だが、それでも自分はアイリスについて行くしかないのだろう。それが自分の役割なのだから……。


「お館様、くれぐれも無茶だけはしないでくださいね」

「分かってるわ。まぁ見てなさい。あのクソババァを失脚させて、私は晴れて当主に返り咲くんだから」


そう言ってアイリスは意気揚々と皇帝の使者が待つ部屋に入る。マリアは不安げな表情を浮かべ、アイリスに付いていった。


「使者殿、遅れて申し訳ありません。大事な用事があったものですから」


アイリスは先程までのイラつきなどなかったかのように、満面の笑みを浮かべて使者を出迎えた。

表面上だけ取り繕うのが得意なアイリスにマリアは感心すると同時に呆れていた。

アイリスのこういうところは本当に凄い。彼女はどんな時でも自分の感情を表に出さず、相手の望む仮面を被り続ける事ができる。

確かに貴族に必須の技能ではある。本来は骨の髄まで武人のアイリスだが、仮面を被るのだけは上手かった。


「いえいえ、こちらとしても急なお話ですから。時間をとっていただきありがとうございます、ノーヴァ公」


そう言って、皇帝の使者はソファから立ち上がってアイリスと握手を交わした。

先程会った軍人のミアとは違い瀟洒な雰囲気を纏っている。その佇まいから宮廷の貴人だという事が察せられた。

アイリスは彼女のような気品溢れる人物が好きだ。何故なら自分もまた、高貴で美しい人間だと思っているからだ。

周囲の評価はまた違うのだが。


「それで、本日は何の御用でしょうか?」


アイリスは優雅に微笑む。使者もまた、柔和に微笑みながらアイリスを見つめていた。


そして言った。


「陛下からの勅命をお伝えします。我等が主君、オルゼオン帝国皇帝陛下は貴君に命じていた森林国調略作戦の中止を命ずる、との事です」




















「……えっ?……はい?」


アイリスは予想外の言葉に一瞬思考が停止する。


作戦の……中止……?一体何故手?

だってこの作戦は皇帝陛下直々に命じられたもので、陛下もノリノリだったはずなのに……。

あまりの衝撃にアイリスは目眩を覚える。しかしそんな彼女を尻目に使者は淡々と説明を続けた。


「アーメリア神聖国が大軍勢を帝国との国境に進軍させたとの情報が入っています。恐らく近々、大規模な衝突が起きるでしょう」


アーメリア神聖国とはオルゼオン帝国の東に位置する宗教国家だ。国土の大半が山岳地帯であり、その過酷な環境で生きる為か国民達は皆たくましく、信仰心に篤い。

その性質故、国民の殆どが敬虔な信徒だが物騒な教義故に他国との戦争にも積極的に介入してくる野蛮な国である。


「今回の戦争は間違いなく大きなものになる。流石に王国、神聖国に続いて森林国まで同時に相手にするのは我が国にとって得策ではないと陛下は判断致しました。よって、森林国の侵攻誘発は中止するとの事です」



なん……だと……。


そんな馬鹿な……。


そんな……。



アイリスの身体から力が抜けていく。ふにゃりとその場に座り込みそうになるがなんとか耐える。

アイリスの横に侍っていたマリアもまた、顔面を蒼白に冷や汗を流しながら震えていた。



「陛下はこうも仰られました。『今は絶対に森林国のエルフを刺激してはならぬ。もしも奴等の怒りを買ってしまったら我が国は3カ国を相手にせねばならなくなり滅亡の危機に瀕してしまう』と。これは陛下のご意志です。どうかご理解下さいませ」



そう言って使者は深々と頭を下げる。アイリスはしばらく放心していたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「し、し、承知、致しました、わ。へ、陛下には……りょ、了解したとお伝えください……」


アイリスはなんとか言葉を絞り出すようにそう言う。横にいたマリアに至っては立ったまま白目を剥き気絶していた。


アイリスは思った。


もう手遅れだよ、と……。


「安心しましたわ。陛下もアイリス様のような忠臣を持ってお喜びになられる事でしょう」

「そ、そ、そうでしゅか。よ、喜んでもらえて、私も嬉しいでしゅ……はい……」


アイリスはガクガクと壊れた人形のように首を縦に振り続ける。もはやアイリスは自分が何をしているのかさえ分からなくなっていた。

使者はアイリスの様子を見て不思議に思ったがこれもノーヴァ公爵家特有の振る舞いか、と何故か納得してしまっていた。


「それにしても……本邸ではなく、ラインフィルにある別荘だというのにここの庭園は素晴らしいですわね。噂ではお美しい中庭があるとか。少し拝見させて貰ってもよろしいでしょうか?」


中庭……?中庭には誰か待たせていたような……。

アイリスは覚束ない頭で記憶を辿り、そして思い出す。


「(やべぇ!!!!!)」


脳裏に浮かんだのは美しい精霊のような美少年……エリム。

駄目だ!今一番見せちゃいけないものが庭園にいる!


「だ、駄目です!!!」

「えっ?」

「あ、いや、その…そう!ウチの庭には猛獣みたいなのがいるんです!!だから危険ですから案内できません!」


アイリスは必死に言い訳を考える。使者はそんなアイリスの様子を訝しみ、首を傾げた。

猛獣……だと?貴族の屋敷の中庭に?そんな馬鹿な。

しかし、目の前のノーヴァ公の狼狽えぶりは確かにとんでもない猛獣がいるかのようであった。

使者は怪訝な表情を浮かべながらも、今話しているのはノーヴァ公だと思い出す。

ノーヴァ家は帝国の武闘派のトップ……。自分のような文官には想像も出来ない文化が彼女達にはあるのだろう。


「そ、そうですか。猛獣がいるのならば仕方ありませんね」

「そう!仕方ない!かっー!!見せたかったんだけどなぁ~っ!いや残念!見るだけで心奪われる超危険な猛獣がいるから無理なんだよなぁ~!!」


アイリスはヤケクソになりながら叫ぶ。使者はそんな彼女を見て若干引き気味に頷いた。


「お館様……もう完全にヤケクソになってますね……」


マリアが悲しげに呟く。彼女は激しく後悔していた。

あの時、オークションでなんとしてでもアイリスを阻止していれば……。いや、それは不可能なのでオークションの存在を教えなければ……。

よよよ、と泣き崩れるマリアとアイリスに使者は奇妙な人達だな、とドン引きしつつ席を立つ。


「では、私はこれで失礼致します。陛下にご報告せねばなりませんので」

「どうぞどうぞ!あ、危険なので中庭には近づかないように!マリア!使者殿をご案内しなさい!」

「畏まりました」


マリアはサッと使者の後ろに回ると、彼女の脇に自身の腕をガッシリと差し込んだ。


「え?あ、いえ……自分で歩けますので……」

「このお屋敷は猛獣が徘徊しておりますので、こうしていた方が安全で御座いますよ」

「猛獣が徘徊!?」


なんという……なんという屋敷なんだ、ここは。中庭だけじゃないのか……?

使者の女性は震えあがった。まさか猛獣が徘徊しているとは予想外だ。

これがノーヴァ公爵家……これが帝国の武の象徴……。普段から猛獣と戦う事でその力を高めているのだろう。


「(まさに武闘派の一族……。彼女達が敵でなく良かったですわ)」


使者はそんな事を思いながらも、マリアに腕をガッシリと掴まれた状態で屋敷を後にした。


「……」


使者がいなくなった部屋で一人アイリスはふにゃりとその場に座り込む。

静寂と共にアイリスの頰を汗が伝い、ぽたりと床に垂れる。


「やっべぇ……」


ぽつりと呟く。


やばい、どうしよう。当主の座とかそういう問題ではない。これはもう帝国全体の問題だ。

遅かれ早かれ自分がエルフを買った事はバレるだろう。既にかなりの人数が知っている事だし、その噂はもう止められない。

公爵家の金を使い果たし、皇帝の命に反して森林国の怒りを買った……。最早国賊ともいえる所業だ。


だが……


「ふっ……ふふふ……ふふふふふ……」


アイリスは虚ろな目で天井を見上げる。そして狂ったように笑い始めた。


「あははははは!!!あーーっはっはっはっは!!!!!」


アイリスの身体から覇気が放たれた。最強の戦士から放たれる怒気は屋敷を揺らし、大地をも震えさせ、外にいた鳥達を羽ばたかせた。


「こうなったらとことんやってやろうじゃない!!私を……このアイリス様を……舐めるなよ……!!!!」


屋敷全体が震えるほどの叫び。いや、これはもはや咆哮に近い。

そうしてアイリスの覇気が最高潮に達した時、彼女はゆっくりと立ち上がった。そして言った。


「美少年とのイチャラブライフは誰にも邪魔させん!!私の野望を邪魔する奴は、全員ブチ殺してやる!!王様だろうが皇帝であろうが神だろうが全員首を絞めてぶっ殺してやる!!!!!」


麗しき最強の公爵は堕ちた。快楽の誘惑に。

果たして彼女の行く末は如何なるものなのか。

それは誰も知らない……。



こうしてオルゼオン帝国……いや、後に世界全体を巻き込む物語が幕を開けるのであった──

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