12.「いやですわ、御屋形様ったら。謎のお水でお手がお汚れておりますわ」
ロゼッタの嘘により倒れてしまったアイリス。しかし生来の身体能力の高さからか、すぐに彼女は復活した。
だが、アイリスはウキウキとした表情と熱っぽい視線でエリムを見つめてくる。
その瞳を見たらエリムは今更嘘とは言えず、誤解は解けず仕舞いだった。
「(恨みますよ、ロゼッタ様)」
エリムの怒りの矛先は、飄々と佇む美女、ロゼッタに向けられる。
しかしロゼッタはそんなエリムの視線を受け流し、何やらアイリスと話をし始めた。
「これで商品の引き渡しは完了致しました。200億は即金で頂戴致しましたが、残りの800億の方は、先日仰られたようにご実家の方に……」
「そうそう。ラインフィルに持ってきた現金は200億だけだから、残りはノーヴァ家に請求しておいて」
「畏まりました。請求書はもう送付させて頂いておりますので」
ロゼッタがアイリスに頭を下げる。その時、何故かマリアが無表情になった。
その理由はエリムには分からなかった。
「では、私はこれで失礼致します。ノーヴァ公爵家、引いてはオルゼオン帝国の更なる繁栄を願っております」
ロゼッタはそう言いながら深く一礼をする。
一瞬、エリムと目が合うも彼女は悪びれもせずにくすりと笑うとそのまま背を向ける。
「エリム様」
「?」
「どうか、ご自愛くださいね」
「……?」
去り際、ロゼッタはエリムにそう言いパチリとウインクをする。
彼女が何を言いたかったのか分からなかったエリムは首を傾げるのだった。
……なんだかよく分からない人だった。何故あんな嘘なんか吐いたのだろうか?
そもそも司会者が何故自分を送り届けるのかも分からないし、怪しさ満点だし謎が多い人だ。
しかし今そんな事を考えても何にもならないだろう。エリムは気持ちを切り替えて、アイリスとマリアに向き直る。
先程あんな事をしてしまったからか彼女達は妙に色っぽい瞳でエリムを見つめていた。
エリムは頭を抱えたくなるも、しょうがないかと無理矢理自分を納得させる。
「さぁ行きましょエリム。私達の家を案内するわ」
そう言ってアイリスはエリムの手を握る。
しかしその瞬間、ビチャア……と、エリムの掌にアイリスの生暖かい感触が伝う。
なんだ……?と思いエリムは訝しげに繋がれた部分を見ようとするが、その直前にマリアがアイリスとエリムの手を引きはがし、ハンカチでアイリスの掌をゴシゴシと拭いた。
「いやですわ、御屋形様ったら。謎のお水でお手がお汚れておりますわ」
マリアは拭ったハンカチを綺麗に畳みポケットにしまうと、何事もなかったようにアイリスとエリムの手を繋ぎ直しサッと歩き始める。
……言うまでもないが、エリムが感じたのはアイリスの手汗でありその事に気が付いたマリアはそれとなく主のキモイ手汗を拭うというファインプレーを見せたのだが、それをエリムが知る由はなかった。
不可解なマリアの行動に首を傾げるエリムであったが、今はそれよりもすべき事がある……。
「あの、アイリス様。一つ宜しいでしょうか」
「何かしら?」
「他の使用人の方々は何処にいらっしゃるのですか?皆様に御挨拶をしたいのです」
エリムがそう言うと、アイリスとマリアが一瞬固まり、そして表情が陰ったのが分かった。
そして、マリアがチラリと横目でアイリスを伺うと彼女は呟くように口を開く。
「エリム…このお屋敷には現在我々三人しか住んでおりませんよ」
「……はい?」
一瞬彼女が何を言っているのか理解できなかった。
三人?この広大な屋敷に三人?そんな事がありえるのだろうか。
今までどうしていたんだ?まさか、マリア一人だけでこの巨大な庭園と屋敷を管理していたのだろうか。
「(いや、待てよ……。ここは異世界……)」
エリムは思い直す。
そうだ、ここは前世の世界ではない。確かに魔法も存在する異世界だ。もしかしたら凄い魔法で全てを維持出来るのかもしれない……。
エリムがそんな考えを浮かべると、何とも言えない微妙な表情になったマリアが小さく呟いた。
「そう、三人だけ。他の人は全て解雇してしまいました。何故ならもうお金が……」
その瞬間である。
アイリスの拳が風を切り、マリアの腹部にめり込んだ。
帝国最強……いや、世界最強の力で放たれたその拳はマリアの内臓を激しく揺らし、その身体を大きくくの字に曲げさせる。
「ぐぼぉっ!?お゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ーーー!!」
マリアの苦悶のうめき声が響く。盛大に嘔吐したようで、床には吐瀉物が撒き散らされた。
「余計な事を言わなくていいわよ、マリア」
その場に崩れ落ち、そのまま白目を向いて痙攣するマリアをゴミを見るような瞳で見下ろすアイリス。
そのあまりの迫力に、エリムは何も出来ないでいた。
な、何が起こっているんだ?今、アイリスがマリアに盛大な腹パンをかましたようにしか見えなかったのだが……。
いや、まさかそんな事があるはずがない。お優しい(エリム視点)アイリスがそんな暴力的な行為をするはずがない
訳も分からず呆然と立ち尽くすエリムにアイリスは優しい笑みを浮かべて言った。
「さぁ、エリム。こちらです。私が案内してあげますね……」
そう言って彼女はエリムの手を握り締めると歩き出す。
その表情はまるで慈愛の聖母のようだ。その天使のような笑顔を見るとやっぱり見間違いだったのだ。
エリムはホッと息をついた。
そしてアイリスの手を握り返す。
ビチャア……
「?」
エリムの掌に再び謎の液体の感触が広がった。
♢ ♢ ♢
ノーヴァ公爵邸は広かった。エリムの想像の範疇を越えて……。これが別邸だというのだから驚きである。
無論エリムとてエルフの王族。彼も城に住んでいたのだが、居住区からほぼ出ていなかった為にこんなにも豪勢な世界を知らなかったのだ。
「エリム、ここが貴方の部屋です」
アイリスに案内されながら歩くこと数分。エリムはようやく自分の住む部屋へと辿り着いた。
そこは、今まで見た中で最も大きな扉の前だった。その扉を前にエリムはゴクリと生唾を飲み込む。
明らかに奴隷が住まう部屋に通じる扉ではないのだが、これは一体どういう事なのだろうか。
不思議そうな表情を浮かべるエリムであったが、そんな彼を他所にアイリスはゆっくりと扉をあける。
そして、その内部を見た瞬間──エリムは思考停止した。
天蓋付きのベッド、豪華なソファー、キラキラと煌めくシャンデリア。
とても奴隷を住まわせる部屋とは思えない。まるで貴人が住むような豪勢極まりない部屋である。
というか女性ものの化粧品が置いてある時点で何かがおかしいとエリムは気付いた。
「あのぅ……アイリス様?」
エリムが上目遣いでアイリスに問おうとすると、アイリスは妙に挙動不審になり口を開いた。
「ここは私の部屋でもあります。つまり、貴方は、こ、ここ、ここで私とい、一緒にす、す、住むのですよ」
彼女はどもりながらそう言った。もじもじと、まるで乙女のように顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている。
「え?私がアイリス様と同じ部屋なのですか?」
エリムは困惑した。彼は奴隷の生活に詳しい訳ではなかったが、それが普通だとは到底思えない。
奴隷と一緒に寝る貴族の主人などいるだろうか?これが猫や犬ならまぁいるだろうが、流石に奴隷とは……。
不可解な表情を浮かべるエリムだったが、アイリスはハッとした様子で口を開く。
「あ、あの、エリム。勘違いしないで下さいね。わわわ私は、べ、別に、貴方と一緒に寝たいからこんな事を言っている訳ではなく、奴隷と主人は四六時中一緒にいるのが当たり前なだけで、これは文化みたいなもので……そ、そうこれがラインフィルの文化なの!決して貴方の事を無理やり束縛しようとかそんなんじゃないんです。寝てる時に貴方のおちんちんをにゃんにゃんしようとなんか思っていません、本当ですよ!」
とてつもない早口でそうまくし立てるアイリス。エリムは引き気味に一歩後ろに下がった。
「そ、そうですか……」
彼女の言っている事は意味不明であったが、とりあえず頷いておく事にした。
ていうか今おちんちんがにゃんにゃんとか訳の分からない言葉の羅列が聞こえたような気が……?
「ええ!そうです!当たり前じゃないですかぁ」
アイリスは慌てた様子でエリムの手を握り締めるとブンブンと振りながらそう言った。
その瞳はまるで恋する乙女のような色をしており、心なしか頰も上気しているように見える。
「(うん……)」
これ以上追及すると碌な事にならない気がするので、エリムはこれ以上考えるのをやめた。
もうどうにでもなれという気持ちで彼は部屋の中へと足を進める。
見れば見る程豪華で、そしてまるでお姫様の部屋のようだった。
「……凄い」
思わずそんな言葉が口から漏れた。エリムはこのような女性の部屋に足を踏み入れた事がなかった為、圧倒されてしまう。
しかし、それと同時に疑問に思った。こんなにも綺麗で豪勢な部屋、使用人がほぼいないというのに維持出来るのだろうか?
「ところでアイリス様。何故、このお屋敷には使用人の方々がいないのでしょうか?こんなに大きなお屋敷で、そしてこんなにも広いお部屋なのに……」
エリムは気になっていた事を聞く事にする。すると、先ほどまでニコニコしていたアイリスの顔が曇った。
だがそれも一瞬。次の瞬間、彼女はいつも通りの優しげな笑みを浮かべていた。
「エリム、ノーヴァ公爵家は武を尊ぶ家柄です。故に、質実剛健という家訓がありまして、無駄なものは雇わぬ主義なのです。このお屋敷も必要最低限のものしかありません」
質実剛健……?
それにしてはこのお屋敷は豪華絢爛だし、内装にもお金を掛けているように見えたが。
というかそんな四字熟語がこの世界にもあったのか、と感心するエリムであった。
「さ、エリム。次はお庭を見に行きましょ。ウチの庭園は凄い手間と沢山のお金を掛けて作り上げた自慢の庭園なんですよ」
そう言ってアイリスはエリムの手を引いて歩き出す。
……?今さっき、無駄なものにはお金を掛けてないと言っていなかったか?
庭園は無駄なものじゃないのだろうか。いやでも、貴族の邸宅なのだから見映えが悪いと家の名誉にも関わるから重要なものなのだろう。
いやしかし必要最低限のものしかないと……?
エリムの中でグルグルと疑問と疑念が湧き出すが、その内に彼は考えるのをやめた。
どうせ自分は奴隷の身なのだ。そんな事を考えても何にもならない……。
適応能力が高いエリムはそう結論付けて、アイリスに手を引かれるままに次の目的地に向かうのであった。
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