7.「……はぅあっっ!!!」


「お、男…?」


アイリスは自らの耳を疑った。確かに今司会はエルフの男子と言った。隣りにいるマリアも驚愕の表情でステージを見つめている。

いや、二人だけではない。会場にいる全員が信じられないものを聞いたかのようにざわついている。


「エルフの男ですって…?」

「本当かしら…?いや、しかし…そんな馬鹿なこと」

「オスのエルフ…?」


次々に飛び交う疑問の声。アイリスもまた同様であった。


「男?男って言った?今……」

「お館様、どうやら聞き間違えではないようです。これから出品されるのはエルフの男性……。情報屋が敢えて性別不明と言っていたのもある程度情報は得ていたからでしょう」

「そ、そう。ふ〜ん。そうなんだ。いや、別に男のエルフだからって私のやる事は変わんないけどね?エルフの奴隷を買って、森林国を挑発する、それだけよ?男だろうが女だろうが別に私には関係ないし?いや、でもあれよ?私はエルフの男だからって区別するつもりはないわよ?どうせ女を穢らわしいものとしてみる人間の男と同じですし?ちょっと見栄えがいい人間の男みたいなもんでしょ?いや、違うわよね。うん、そんなんじゃダメだわ。私はそんな軽い気持ちでこのラインフィルに来たわけじゃない。そうだ。もっと真剣に考えないと。エルフの男がどんなに綺麗だって、私には関係のないことよ。だって私は皇帝陛下直々に森林国調略を命じられているのだし……あ、でもエルフの男の子ってどんな姿してるのかしら…。いえ興味本位よ?ただの興味。私はノーヴァ公爵家当主であるのと同時に帝国第三軍の大将なんだから…あ、でも女は女で…」


マリアは不味い、と思った。


──この処女、錯乱してやがる……。


このままでは面倒ごとが起きるに違いない。昨日はエルフの男と聞いて威勢のいい事を抜かしてたが、いざ本当にエルフが男だと分かると処女丸出しの動揺っぷりを晒しているではないか。

これではせっかくの作戦も台無しだ。ここは自分がなんとかしなければ……!


「お館様…しっかりなさいませ。エルフの奴隷を手に入れ森林国を挑発する計画ではありますが、皇帝陛下から頂戴した調略費は200億…。これ以上掛かるとなると別の作戦で森林国を引き摺り出すのがよろしいかと思います。ですので200億以上掛かると判断したらすぐに手を引いて下さいませ」


マリアの言葉にハッと我に戻るアイリス。

そうなのだ。今回の計画で使える資金には限りがある。帝国とて森林国だけに構っている訳にはいかない。王国や部族連合の蛮族に、神聖国……。敵は全方位に存在するのだ。

ここで無駄遣いをする訳にもいかない。予算を超えた分はノーヴァ公爵家の財産を切り崩す事になる。最近戦続きで疲弊している公爵家としてはそれだけは絶対に避けなければならなかった。


「そ、そうよね。うん。私はあくまで軍人よ。私利私欲でお金を使う訳にはいかない。予算オーバーしたら潔く手を引くわ」


アイリスはそう言うとキリッと顔付きを変えた。その表情は戦場に立つ時の凛々しい顔付きそのもの。

その顔を見て一安心と胸を撫で下ろすマリア。

これでひとまずは大丈夫であろう。


多分。


いや、そうであってくれ。


「皆様、信じられないかもしれませんが事実でございます!!女のエルフならばそこまで珍しくもないでしょうが彼はなんと、男のエルフ!!なんとなんと珍しいことでしょう!さぁさぁ、ご覧ください!彼の姿を!!」


そうしてエルフの奴隷のお披露目が始まった。

遂に女に手を引かれてステージ上に姿を現したエルフの少年。スポットライトに照らされた少年は照れ臭そうに俯いている。


「……」


その容姿はアイリスの想像を遥かに超えるものであった。

会場にいる誰もが言葉を発せずにいた。それほどまでに目の前のエルフの奴隷の姿は美しかったのだ。

金色の、そして艶のある髪はその一本一本がまるで光り輝いており、瞳は宝石のような碧眼で、吸い込まれてしまいそうな程澄んでいる。

肌は雪よりも白く、シミ一つない。まさに理想を体現したかのような美しい男子であった。


「……はぅあっっ!!!」


アイリスは言葉を失った。

これが本当に同じ人型の生き物なのか? あまりの美しさにアイリスの思考は完全に停止していた。


「お館様、お館様……お気を確かに!」


マリアの声掛けも耳に入らない。


「……ほぇ?」


完全にアホ面になっているアイリス。

だがそれも仕方のない事だろう。彼女は生まれて初めて本物の美貌というものを目の当たりにしてしまったのだから。


それを見てマリアは再び不味い、と思った。今までろくに男と接した事が無いアイリスにあのエルフの青年は刺激が強すぎる。

マリアですら、見ているだけで頭がクラクラする程の美貌なのだ。

あれはまさしく女を狂わせる魔性の男。あんなものを見せられて正気でいろと言う方が無理な話である。

案の定、アイリスは顔を真っ赤にして、口をぽかんと開けている。完全に目がハートマークになっていた。


「(あ、これはもうダメだ)」


マリアは即座に理解した。やはりこの処女を拗らせた女には荷が重すぎたか……。


……と思った瞬間、意外にも再び表情を戻したアイリス。

まだ目はトロンとしているものの、なんとか自我を保っているようだ。


「う、美しいけど……どうせ女嫌いだろうし……イチャラブなんて出来ないだろうから……うん……」


と、自分に言い聞かせるようにブツブツ呟いていた。

その姿を見たマリアはホッとした。良かった…どうやらギリギリ理性を保てたようだ。

ブツブツと陰キャ丸出しの、処女丸出しの今の姿が栄えあるノーヴァ公爵家の当主に相応しいかは甚だ疑問ではあるが。


「それでは早速入札に移りましょう……と、言いたいところなのですがこの商品については幾つか注意事項がございます。まず一つ目に、彼を所有している時点でエルフの怒りの矛先は所有者様に向けられるという事をご理解ください。エルフの国の軍勢が領地に侵攻してきたら困る…といった方は入札をお控えになった方が宜しいかと」


この情報は二人にとって願ってもない話であった。元々森林国を挑発する為にエルフの奴隷を求めに来たのだからなんの問題もない。

奴等の方から帝国領内に侵攻してくれるのであれば好都合というものだ。諸手を挙げて歓迎しようではないか。


「二つ目ですが……このエルフの男の子には奴隷紋がありません。エルフの男性は女性のエルフよりも魔力が膨大で、人間の魔力では隷属魔法を掛けれないのです」


この言葉にはアイリスもマリアも「ん?」と首を傾げた。

奴隷なのに隷属魔法が描けられていない?それは奴隷と言えるのだろうか?

まぁ…世の中には隷属の呪印が刻まれていない奴隷もいるにはいるらしいから一応奴隷として扱っていいんだろう、多分……。

仮に反抗しようとしてもあの華奢な肉体では強靭な身体を持つアイリスに傷一つ付けれまい。


だが次の一言で安堵の気持は一気に吹き飛ぶ事になる。


「そして三つ目。たった今申し上げたようにエルフの男性は膨大な魔力を持っています。この子とてまだ少年とは言え男は男。強大な魔法で今この会場にいる皆様を一瞬にして焼き尽くす事が出来るでしょう」


二人の目が点になった。というか会場にいる全員が唖然としている。

エルフという種族は天性の魔法使いだ。アイリスもエルフとの交戦経験があるから身を持ってそれを知っている。そんなエルフの中でも更に桁外れの魔力を持つのが目の前のエルフの青年だという。

そんな存在が隷属魔法無しに解き放たれている……。

会場の空気が完全に凍りついた。誰もが言葉を失っている。


アイリスとて例外ではない。帝国最強の戦士でも怖いものは怖いのだ。

何が怖いかと言うともしあの少年が魔法を放ち暴れ始めたら、守護者と呼ばれる古代の機械人形が、この場にいる全員を皆殺しにやってくる。

過剰と言わざるを得ない古代文明の防衛機構は、今も尚ラインフィルの全生命体を見張っているのだ。


そんなアイリス達の戦々恐々とした様子を察してか、司会者はニコッと微笑んだ。


「ですが皆様!ご安心下さい!このエルフの少年はなんと女性に……延いては人間に敵意を持っておりません!その証拠に……」


そう言いながら司会がエルフの少年の頭へと手を乗せる。

それを見て思わずアイリスがあっ、と声を漏らした。

普通、男が急に女に触られたら本能的に抵抗するし、恐怖のあまり錯乱する事だってある。

もしあのエルフの少年が錯乱して魔法をぶっ放したら…!守護者がたちまち飛んできて殺戮の嵐が吹き荒れる!


「(な、なんて事するのよあの女!)」


アイリスは思わず目を瞑った。


「……」


しかし幾ら経っても物音一つしない。

不思議に思い、彼女は恐る恐る目を開ける。


するとそこには司会の女に撫でられ、気持ち良さそうに微笑む少年の姿が在った。

彼は顔を赤らめながら恥ずかしそうにしているものの、嫌がっている様子は無い。

むしろ、嬉しそうに頬を緩ませていた。


司会者は、まるで幼子をあやすように優しく彼の髪を弄ぶ。すると少年は気持ち良さそうに目を細めた。


「……え?」


なんだ、あの光景は……?

男が女に頭を撫でられて、髪を触られて……拒絶していない?

いや、それどころかもっとやってくれと言わんばかりに自ら女の手に擦り寄っていくではないか……。

エルフの美形っぷりと相成って、その仕草は妙に艶かしい。

アイリスとマリアは勿論、このオークションに参加していた客達までもが、このあまりにも現実離れした情景を前に完全に思考を停止させてしまった。


「このように、彼はとても従順で可愛らしい子なのです」


そう言って、エルフの少年の髪から手を離すと、司会の女は再び会場の客の方へ向き直って言葉を紡いだ。


「人間の男ですら、女にこうも警戒心が無いという事は有り得ません。しかし、この子は違います!今まで外界に一切触れず育ってきた為か、はたまたエルフの男性とはこういうものなのかは分かりませんが、彼は女性に対する嫌悪感が全く無いのです!」


アイリスはその言葉に脳天をぶん殴られたような衝撃を受けた。


そんな……


そんな女の理想を体現したかのような男が……


この世に存在するのか?


しかもエルフで……あんなにも美しい青年が? アイリスの中で何かが崩れ落ちる音が聞こえてきた。


「はぅあっ!?」


いけない、危うく意識を失うところだった。これが一目惚れというやつなのだろうか?

夢物語だと思っていたイチャラブの具現化を目の当たりにして、アイリスの胸の鼓動は激しく脈打つ。

『鉄処女』と呼ばれ戦場では戦鬼の如く暴れまわるノーヴァ公爵家の当主が、まるで初恋をした少女のように真っ赤になってモジモジしている。なんとも奇妙な光景である。


そして彼女の頭の中では、ある妄想が繰り広げられた。


『アイリス様…♡しゅきぃ…♡』

『私もよ、エリム…♡』


エルフの少年と自分のベッドシーン。それだけで、もう既にアイリスの股間は大洪水を起こそうとしていた。


そんな彼女を見て、マリアは本日何度目になるか分からない危機感を覚えていた。


「お、お館様!しっかりしてくださいませ!ここに来たのはあくまでエルフを挑発する道具を買い求めにきただけ…!理想の男を手に入れる為に来たのではありません!」

「ほげぇ…アヘェ…♡♡」


マリアは必死にアイリスの身体を揺さぶるが時既に遅し。


──駄目だ!もうアヘ顔になってやがる!


こうなってしまっては最早手がつけられない。マリアは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、小さく溜息を吐いた。

アイリスが正気を取り戻すまで暫く時間が掛かりそうだ。

というか戻るのか?これは……。


「15億!私の物になってもらうぞ!エルフの子!」

「20億出す!絶対に譲らない!私はこの子のママになる!」


そして始まる競売。超高額から始まった値だというのに、次々と他の者達が値段を上げていく。

会場の熱気が最高潮に達したその時、ある一声が会場に響き渡る。


「50億!」


そう叫んだのはファルツレイン侯爵だ。彼女はしたり顔でエルフの少年を見つめている。

その額を聞いた瞬間、周りの客達は一気に黙り込んでしまった。

それを見た司会の女は、一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに笑顔に戻って言葉を紡ぐ。


「さぁ!50億!きましたねぇー!何せエルフの美少年!しかも女に好意的!それ程の値が付くのは当然でしょう!!」


50億。

マリアは流石ファルツレイン侯爵だ、と内心で称賛してしまった。

侯爵という爵位ではあるが、実際の権勢は他の貴族を遥かに凌ぎ公爵、王族ですらファルツレインに楯突く事は難しいと言われている。

そんな彼女であるが、まさかここまで大金を叩いてくるとは思ってもいなかった。

しかしそれも無理はない。何故なら彼女もまた目の前にいるエルフの少年に惚れてしまっているのだ。

長年男を漁ってきた彼女ですら虜になる程の存在。それでは男慣れしてないアイリスなどイチコロであろう。


「アヘっ……あへへ……あっイクッ」


案の定、アイリスは白目を剥いて口からヨダレを流しながら笑って絶頂を迎えていた。

堂々たる姿のファルツレインとどうしてこうも差が付いてしまったのか……。


「お館様、私は悲しゅうございます……割とマジで………」


最早手遅れであった。


「50億!他にはいませんか!?うーん、もう一声欲しいところですねぇ…」


司会の女はポリポリと頭を掻く。どうやら彼女は50億という大金ですら納得していないようだ。

ステッキをくるくると回したと思うと先端を床にトンと突き立てる。そしてニヤリと笑って口を開いた。


「じゃあ、ここでとっておきの情報を公開しましょぉー!実はですねぇ、彼はなんと…まだ精通もしていないし、童貞なんです!つまり、この子はまだ誰の色に染まってもいない純白の存在という事ですよ!!女を知らない純粋な青年なのです!!」


その瞬間、会場の雰囲気が一変した。

ゴクリッと喉を鳴らす音が何処からか聞こえてくる…。


「ど、童貞…?しかも精通もまだ…?」


アイリスは目を極限まで見開き、ワナワナと震え始めた。その目は血走り、今にも飛び出しそうな勢いだ。そんなアイリスの様子を見て、マリアは思わず身震いしそうになった。


「お、お館様!落ち着いてくださいませ!ここは冷静に……!ね!?」

「嫌よ!私はもう我慢出来ないの……!早くあの子を自分のモノにして、思う存分可愛がりたいの…!」


完全に当初の目的を見失っている……。

そりゃあマリアだってあんな女の理想を見せ付けられたら胸がときめく。だが、だからといってこんな所で理性を失う訳にはいかない。

そんな事をしたら、アイリスの破滅は目に見えているからだ。マリアは何とか彼女を宥めようと試みるが、興奮しきった彼女の耳には届かない。


「60億!」

「80億!」


どんどんと釣り上がっていく値段。それを見ながらマリアは切に願った。

なんとか200億以下で抑えてくれ、と。それならば調略費として預かっている200億で賄える。だが、それを超えればノーヴァ公爵家の財産を使う事になる。

もし一銭でも自腹を切る事になったら先代…つまり、アイリスの母がなんと言うか分かったものではない。

余りに浪費が過ぎるとノーヴァ公爵家当主の座を追いやられる可能性だってある。


「100億!」


そして遂に100億を越した。

まずい!このままでは本当に200億を超えてしまう…。いや、まだ半分だ。ここで勢いが止まるかもしれない。

いや、そうであってくれ!


だが、マリアのそんな想いは粉々に砕け散る事となる。


「ええぃ…!200億!200億じゃ!」


きてしまった。いよいよ予算の上限200億に到達してしまった……。

勝負に出て、値を急激に引き上げたのはやはりファルツレイン侯イライザであった。

彼女は顔を真っ赤にしながら、エルフの青年を見つめている。その瞳からは並々ならぬ執念のようなものが感じられた。


マリアは彼女の執念に恐れ戦きながらも、エルフの青年を見つめた。

彼の顔は、相変わらずニコニコとしている。しかし、心做しか少しだけ頬が赤く染まっているように見える。


「(まさか、この状況で照れている……?)」


マリアはエルフの青年の反応に困惑した。あんなオバサンに買われるのが嬉しいのだろうか?

ファルツレイン侯に買われたが最後、毎日朝から晩まで強制種付けセックスが待っているというのに。

彼はあまりにも純粋すぎてそれを理解していないのか、それとも……もしかして本当にどんな女相手でも相思相愛イチャラブセックスをしてくれるというのか?


そんなまさか……ありえない……。


「200億!!!もう誰もいませんね!?これが最後のチャンスですよ!?」


会場が静まり返る。それもその筈、200億なんて小国の国家予算に匹敵する金額だ。とてもではないが、おいそれと出せるような額ではない。

無論、帝国から経費として200億を預かるアイリスならば出せなくもないがそれも200億ぴったりまで。これ以上の金額はノーヴァ公爵家の自腹になる為、絶対に使う訳にはいかない。


マリアはアイリスを見てこれ以上の入札は無用と目で訴えた。するとアイリスは急にキリリッとした目付きに変わり無言で頷いた。


…良かった。


流石のアイリスも、もう金を使うわけにはいかないと理解しているようだ。

これ以上は自らの破滅を招く…。引き際を弁えた彼女は、実に頼もしい主である。

マリアは感動した。幼い頃からノーヴァ公爵家の出涸らしと蔑まれてきた彼女がここまで成長してくれた事に涙が出そうになる程嬉しかった。



麗しい主従のアイコンタクトが完了すると、アイリスが一歩前に足を踏み出す。


そしてゆっくりと口を開いた。


「500億」

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