Case16 語らう少年

80 不思議な夢

2月も末に差し掛かってきた頃。

時刻は昼の14時手前。日差しが最も強い時期だ。


そんな中、教室の窓辺一番後方の席で、雄太郎は眠気と戦いながら5時限目の古典の授業を受けていた。

雄太郎にとって古典は得意教科のはずだが、それでも、食後の睡魔にはやや劣勢のようだ。


「……の音便が……」


教師が文法の解説を始めた途端、一気に形勢は変わり、雄太郎は睡魔に白旗を上げた。




「ここは……」


雄太郎が次に目を覚ましたのは、普段と何も変わらない教室。席も、雄太郎が先ほどまで座っていた場所だ。

しかしここには、雄太郎以外誰もいない。一人きりだった。


よく見れば、空の色も少し変だ。

桃色に染まった外の空間には、生えているはずの木々も見当たらない。

困惑している雄太郎の耳に、女性の声が聞こえた。


「始めまして、というべきか?」


雄太郎が声のした扉の方を見ると、雄太郎と同じ、赤色で長髪の、小柄な女性が立っていた。

なぜか彼女は、女子という気がしなかった。背は千鶴よりも遥かに低く、顔立ちも幼いにも関わらず、雄太郎には、彼女は確かに落ち着いた雰囲気を放った大人の女性に見えた。


「……誰ですか、あなたは?」


それに答えぬまま女性は空いている雄太郎の前の席に座り、椅子を雄太郎の方に向けた。


「私の名前は……今はない。昔は、ゆう、と呼ばれていた」

「ゆうさん、ですか」


聞き馴染みのあるその響きに、雄太郎は少し抜けた気持ちになった。


「雄太郎、私の正体を知りたいか?」

「正体……?」

「ここが夢の中であることは、お前も知っているだろう?その中に干渉できる私を異常だとは思わないのか?」


言われてみればこのゆうという女性の言う通りであった。

思った以上に尊大な態度に雄太郎は驚いたが、彼女の正体が雄太郎の想像通りなら、何ら不思議なことではない。


「……霊障とか、その類には慣れているんだ。別に、特段おかしいことではないだろ」


雄太郎がぶっきらぼうに言うと、ゆうは首を横に振った。


「霊障か……あれと一緒にされるのは心外だ」


嘆息するようにそういったゆうは、二人の間にある雄太郎の机に右肘をついた。


「私はお前だよ、暁雄太郎。そして、お前は私だ」

「……言っている意味が分からない」

「分からないのも無理はない。私は今まで完全に、お前に気取られないよう存在を隠蔽してきたからな」


ゆうはそう言うと立ち上がり、教室に入ってきた悪霊に手をかざした。


「邪魔をするな。ここは私と雄太郎だけの空間だ」


たちまち悪霊は消え去り、ゆうは雄太郎を見た。


「私の正体は、神霊だ。お前と魂が融合している」


荒唐無稽にもほどがあるゆうの言葉に、雄太郎は唖然とした。

しかしゆうは表情を変えずに雄太郎を見ている。本人は至って真剣らしい。


「神霊ってなんなんだ?」


雄太郎が尋ねると、ゆうは再び座った。その瞳は紅く輝いており、不気味だった。


「簡単に説明すると、霊よりも上位の存在だ。死んでなる普通の霊と違って、私はこの世に発生したその時から、使命を与えられている」

「使命……?」

「この世の秩序を保つ使命だ。場合によっては、実力行使で秩序の維持に努める」

「……それがどうして俺と融合している?」

「それは私に聞かれても分からない。とにかく、私とお前は一体。離れることはできない」


雄太郎は絶句した。情報量が多いのはもちろん、平凡に生きてきたつもりの雄太郎にはあまりにも受け入れがたい事実だったからだ。


もう一度、雄太郎はゆうを見た。よく見ると、表情の作り方までよく似ている。ゆうは、血の繋がった家族よりも雄太郎そっくりだった。


「一つ尋ねてもいいか?」

「構わない。なんでも答えよう」

「……いつからだ?いつから、俺とお前は一体だった?」

「お前が生まれたときからだ。お前が生まれたとき、私は何かの力に引き寄せられるようにお前と一体になった」

「それをなんで今、俺に明かした?」

「質問は一つじゃないのか?」

「いいから、教えてくれ」


雄太郎が言うと、ゆうはため息をついて答えた。

その仕草まで、寒気がするほど雄太郎と同じだった。


「私たちに危険が迫っている」

「……危険?」


ゆうは立ち上がり、右手で雄太郎を手招いた。

そのままゆうは黒板の前に立ち、白いチョークを手に取った。


「風見昴大」


ゆうはチョークでその名を書くと、雄太郎を見た。

雄太郎は少し離れたところに立ち、その様子を見ていた。


「昴大が……なんだ?」

「見ただろう、あの異常な“力”を。あれは危険だ」

「……確かに、昴大の膨大な霊力は俺も見た。だが、アイツがそれを利用して俺達に害を及ぼすわけないだろ」


雄太郎は必死に弁明した。ゆうは少し笑うと、チョークを置いた。


「それは私も分かっている。だが、その力を利用されたらどうだ?」

「……!」


思いつかなかった可能性だが、確かにゆうの言う通りであった。

あんな膨大な力、しかも本人が制御できないような代物、誰かが知ればどう思うだろうか。霊を使役できるなんて、悪事に利用しようと思えば簡単だ。

それを分かっているから、雄太郎は黙り込むしかなかった。


「現に、それらしい者達が動いている」

「それは……?」

「私達を何度も襲った者たちだ。奴らは最初から、”風見昴大”を目当てにしている」

「そんなバカな話があるか。あのときはまだ、昴大の力は……」

「種があることを知っていたのだろう。それはあの父親も分かっていたようだしな」


種、というのは昴大の才能のことだろう。次々と残酷な事実を淡々と述べていくゆうだが、矛盾はない。ゆうは続けて、二人の名を書く。


「海月凪」

「土間千鶴」


「彼女らもまた、その渦にいることは分かるな。何の因果か、私達4人が揃ったことは、不幸とも捉えられるが、これは同時にいい機会でもある」

「いい機会……?」

「因縁に終止符を打てるかもしれない、ということだ」

「因縁?」

「……それは、また今度」


時計を見たゆうの身体が段々消えていく。雄太郎は引き止めるように手を伸ばすが、触れることはできない。


「おい、質問に答えてくれ。因縁とは、なんなんだ!?」

「そろそろお前は戻らないといけない。続きは、またお前の夢で」



「……!」


誰かの声が聞こえる。雄太郎の意識が、浮上する。


「雄太郎!」

「……湊?」


目を覚ますと、そこには久賀湊の顔があった。


「授業終わったぞ。次、移動だから起こした」

「……俺は寝てたのか?」

「自覚なし?昨日何時に寝たんだよ……」

「10時には寝たぞ」

「偉いな……って違う!ほら次、化学」

「今行く」


雄太郎が目を擦り、立ち上がるとクラッと目眩がした。

思わず机に手をつくと、湊が心配そうに顔を覗き込む。


「貧血?」

「多分違う」

「寝すぎなんじゃね?」

「そうだろうな。よし、用意できたぞ」


雄太郎が教科書とノートを持って言うと、湊が尋ねた。


「筆箱は?」

「あ」


湊が吹き出し、笑い出す。


「まだ寝ぼけてんじゃないのかお前」

「笑いすぎだ……いや、自分でもなんでこんなことしてるのか分からないが」

「心配だなあ?俺が介護してやるよ」

「いらん!!」


雄太郎は湊の手を振り払って勢いよく教室を出て、左に曲がった。


「雄太郎、化学室はそっちじゃないぞ!」


湊は小走りで雄太郎に追いつくと、雄太郎の手を引いて右に曲がった。


「もしかしてお前わざと?」

「んなわけあるか」

「嫌な夢でも見た?」

「……そうかもな」


雄太郎は先ほど、ゆうに告げられたことを思い出した。

まだ何も起きていないものの、気の良い話は一つも聞かなかった。それに、雄太郎の疑問は解決していない。そればかり考えているのがこの不調の原因であることは明白だった。


「そんなの忘れろよ。所詮は夢なんだから」

「そう割り切れたらどんなに良かったか」

「あ、結構リアリティある夢だった?」


雄太郎は答えない。というか、答えることができなかった。


「大丈夫、俺はお前から離れたりしないから」


湊は肩を組みながら、見当違いの推測を口にした。雄太郎はその手を掴むと、笑って言ってやった。


「ありがとう。でもお前じゃない」

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