77 布石
次の日、昴大がいつもよりも早く支度をしていると、ドアベルが鳴った。
「はい」
清が出ていく。こんな朝早くに、一体誰だろう。
昴大はよく知らないが、清は近所付き合いがいい。その知り合いかもしれない。
「昴大ならおるよ」
清が戻ってきて、昴大に告げた。
「いつも学校に一緒に行ってる子ら、今日は迎えに来てくれたみたいやで」
「……え?」
昴大は急いで玄関に出ると、千鶴が立っていた。
「おはよう、昴大!」
「……おはよう」
ペコリと頭を下げる昴大。凪が顔を出して、口を尖らせて言った。
「なんで昨日、一人で帰ったの?危ないよ?襲われでもしたらどうするの」
「凪ちゃん、あんまり昴大を責めてやるな」
雄太郎も凪の隣に立っていた。状況が上手く飲み込めず、昴大はその場に立ち尽くした。
「昴大?」
「もしもーし、昴大さん?」
「お前らは説明が足りないんだよ。昴大、一緒に学校行こう」
「えっと、それは」
「昴大、支度できてるか?」
「うん」
そうか、と小さく雄太郎は頷いて、凪が話しだした。
「言ったでしょ。昴大は今日、絶対いつもより早く準備してるって」
「……どういうこと?」
「昴大が今までありがとう、って言ったからだ。区切りをつけるような真似して、なんのつもりなんだ?」
「……だって、僕は」
一人でいたほうがいい。一緒にいるだけで周囲の人間を傷つけてしまう。昴大はそう言うつもりだった。
しかし、何故か口に出せない。
「僕、は……」
違う。原因は分かっている。3人の雰囲気が、それを許さないのだ。
昴大がこれ以上自分の殻に閉じ込めるのを、みすみす見逃す気は彼らには無いらしい。
「とりあえず行こうよ、昴大。話は後で聞くから、ね」
千鶴に促され、昴大は3人と自宅を出発した。
「読んだんだね、啓さんからの手紙」
「うん」
昴大は頷く。すると後ろにいた凪が身体を乗り出して、調子のいい声で尋ねてきた。
「なんて書いてあったの?」
「うーん」
昴大は回答に困った。一言で言い表せるような内容でもないし、そもそも人に話すには重すぎる。
「凪、昴大の心の中だけにしまわせてあげなよ」
「んーまあそれもそっか。ごめんね昴大」
「でも僕、最後まで読んで、本当に父さんが僕のこと、愛してくれたんだって感じた。読んで良かったよ」
「それならよかったじゃないか」
昴大の足取りは軽かった。
昴大が読んだ、3枚目の手紙に書かれていたこと。
それを胸に、昴大は今日も学校へ向かう。
「おはよう」
「おはよう風見。昨日大丈夫だったか?」
「えっ?」
教室前の廊下で茨木に尋ねられ、思わず昴大は戸惑いの声を上げた。
「昨日ずっと一人でいたから。体調悪いのかと思って」
「ううん、そんなんじゃないよ。とにかく、僕は大丈夫だから」
「本当に?」
後ろから現れたのは志朗だった。
「本当に風見くん、無理してない?」
「してないよ……ちょっと色々あって、忙しかっただけだから」
昴大は、ふと教室内にいる凪を見た。
彼女は虹夏や初菜と話しており、こちらに気づく気配はない。
「やっぱり海月さんと付き合ってんの?」
「え!?」
「違うよ茨木くん。風見くんは暁くんっていうK組の男子が好きなんだから」
「早乙女くんそれも違うよ!」
一体どこからそんな誤解が生まれたのかは分からないが、未だにこれが解けていないのは昴大にとっても心外だった。
「僕に今好きな人はいないよ。というか、今までいたことないから!」
「怪しい」
「確かに」
「信じてよ……」
昴大がため息をつくと茨木が笑い出した。
「恋人はいいぞ?」
「そうなんだ……?」
昴大には色恋が縁遠すぎてイマイチピンとはこないが、茨木が毎日楽しそうなことだけは昴大にも理解できた。
「リア充の戯言だよ。風見くん、放っておこう」
早乙女が嘆息したようにそう言うので、昴大は頷いた。
「僕、ちょっとトイレ行ってくるね」
昴大は教室に荷物を置き、トイレに向かった。
そして昴大は、手紙のことを思い出し、呟いた。
「どうして、早乙女くんが……」
昴大の様子を見ていた凪は、一人、ため息をついた。
「ありゃあ、何か悩んでるね」
凪は一人、昴大がトボトボと歩くのを見て呟いた。
「凪!」
「虹夏。どったの?」
「どうもこうも、凪がなんかボーっとしてたから声かけたの。大丈夫?」
「別にボーっとはしてないけどな……」
凪は言ってから、端から見れば自分がそう見えていることに気がついた。
「体調が悪いわけじゃないから、心配は御無用。でも、ありがと」
「凪が黙ってたら誰でも心配するって……」
そう言われ、思わず凪は笑ってしまった。
そして、虹夏の目を真っ直ぐ見て告げた。
「私は大丈夫。なんたって、天下の凪ちゃんですからね」
「はを強調すると他の誰かは大丈夫じゃないみたいに聞こえるんだけど?」
「うーん、まあ」
ここで否定できないのが凪の短所であり、長所だ。
昴大の悩みの原因は大体啓の手紙関連であることが見当ついているので、下手に虹夏に告げるわけにもいかなかった。
「いや?なんでもない」
凪のその言葉で何かを察したのか、虹夏は言った。
「分かった。でも、何かあったら相談してね」
「はいはーい」
凪は思い切って、一人歩く昴大の元へ向かった。
「昴大!」
「……なに?」
眉間にシワを寄せ、機嫌悪そうに振り返る昴大。
いつも笑顔で答える昴大にしては、珍しいリアクションだった。
「何か、悩んでるみたいだけど。私が話聞こうか?」
できるだけ気を使わせないよう、凪はそう言った。しかし昴大の反応があまり思わしくない。約1年の付き合いになるが、もうその辺りは察していた。
「……いいよ。僕一人で解決できることだし」
「それで心とか、身体壊さないならいいけど」
「……どういう意味?」
昴大の表情が一層険しくなる。そんな昴大にも凪は怯むことなく、話を続けた。
「今の昴大、相当思い詰めた顔してるよ」
「……!」
昴大は目を大きく見開き、凪を見た。やっと目が合ったと思い、凪は言った。
「啓さんからの手紙に、何が書かれていたの」
「……凪には、関係ない」
一線を引くその言葉。それが昴大から発せられたことが些か凪にとっては心外で、それと同時に、昴大が自分の意思で凪を拒絶したことに、何とも言えない、喜びを覚えた。
「あっそう」
昴大がこちらを見た。背も伸びて、今ではしっかり見下ろされるようになった昴大に、若干の威圧感を覚えながら、凪は語った。
「じゃあもう、昴大の手助けはしない」
「……その方がいいと思うよ」
「私は私で好きにするから」
昴大は、凪の言動が不可解なのか、表情が緩んだ。
「昴大に何かあったら強引に割り込む」
「……なんで?」
「それ、説明必要?」
凪は、当たり前のことをどう言ったものかと少し思案した。
「千鶴もユウくんも、昴大が怪我したら嫌だからね。もちろん私も。昴大だって、私たちにそう思ってるんでしょ。だから拒むの」
「そう、だけど」
いつものオドオドした昴大に少しずつ戻ってきた。安心した凪は調子を戻し、続けた。
「今のうちに手を借りたほうがいいと思うよ?私ね、ユウくんからこの間、バーサーカーって呼ばれたから」
「ば、バーサーカー……?」
「狂戦士って意味なんだって。私、前に暴走しちゃってね。あだ名がそれだよ?結構酷くない?」
「確かに言い過ぎだと思う」
「でもさ、友達傷つけられたら悲しくない?怒り覚えたりしない?」
「それは、僕でもするかな」
昴大が頷いた。
「そういうこと。私がまたバーサーカーになる前に、相談してよ。お願い」
「……分かったよ」
安心した凪は、ホッとため息をついた。しかし、昴大が次に紡いだ言葉は意外なものだった。
「また、今度ね」
昴大はそう言って、何処かに走り去ってしまった。
撒かれたと気がついたのは、昴大の姿が見えなくなってからだった。
昴大は走り去って、校舎裏までやってきた。
「ごめん、凪」
昴大は立ったまま、目を閉じ、祈る。
「来て」
昴大の言葉に呼応するように、霊が集まってきた。そこに敵意などはない。
「僕に力を貸してくれる?」
霊たちが次々に頷く。それを見て昴大は笑った。
「絶対に、みんなに心配はかけへん」
その頃、四条高校の校門前に、自転車で学ラン姿の男子中学生が訪れていた。
とても地毛には見えない白髪と真っ黒な瞳を持つ彼は、校舎を見る。
「ここが四条高校……」
自転車を校門前に停め、少年は敷地の周りをグルグル回る。
「今行きます。待っててくださいね、風見センパイ♡」
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