72 救済(2)
凪と啓は神社に、雄太郎は昴大を連れて昴大の家に向かった。
「啓さん」
「凪さん、どうした?」
「……これは私の興味本位なんですけど」
凪は聞いていいのかどうか少し迷ったが、ここまで来て聞かないわけにもいかないだろう。
「なんで、今になって現れたんですか」
「……ああ」
「タイミングがちょーっと、良すぎません?」
「そうやな」
「私、結構そういうの追及しないと気がすまない性分で」
「なるほど」
短文の、しかし若干キレの悪い返事をする啓。その横顔はいつもの飄々とした彼ではない。
確かに啓はもうこの世の者ではないことを凪は視覚で実感させられた。
「お盆で帰ってきたんですか」
「ちゃうよ。千鶴さんなら知ってはると思うけど、ボクみたいなのはお盆に帰られへん。そもそもボク、一回も成仏してへんし」
「じゃあなんで?」
「聞きたい?」
「……まあ」
啓といると、凪の調子はどうしても狂う。冷静で居られなくなる。堪らなく、好奇心に駆られる。
「そか。じゃあ、ボクの話をしようか」
啓は神社に入ると、静かに笑った。
「ボクは今まで、ただの亡霊として彷徨ってきた」
啓が死んだのは10年以上も前のこと。
その間ずっと啓は、意思のない霊としてこの世に留まり続けてきたのだ。
「息子のことは……覚えとったっちゃあ、覚えとったけど。なんやろ、父親として大切な気持ちは無くなってた」
啓の魂には、息子である昴大の記憶が残っていた。しかしそれをどうこうしようという気持ちがなかった。それこそ、普通の霊らしく、この世を意味もなく彷徨い続けたのだ。
「去年の今頃、ボクは突然、妙な組織に捕まった」
全身を黒いローブで覆った、宗教のような組織。そこで啓は、霊的拘束を受けたのだ。
「そいつらにボクの魂は歪められた。魂の奥底にある悪意を引きずり出されて、とうとうボクはボクじゃなくなった」
魂だけとなっても苦痛を与えられることがあるのだと、啓はそこで初めて知った。
心が無理やり作り変えられていく感覚。それは酷く痛くて、思考を奪われるようなものだった。
「ボクは、誰かの持ち霊になった。ボクが霊を従えられるのは知っとるやろう?あれはもともと、魂術言うて、風見家相伝の霊能力なんよ。もちろん、昴大も使える力。あの蛇も昴大に使役されたもんや」
啓は随分前から知っていた。風見家相伝であるはずのその力が、何者かの手によって儀礼を踏むことで再現できるようになってしまったことを。まさか、自分がそれに囚われるとは思わなかったが。
「そうしてボクは、去年の6月、君たちの通う四条高校にやってきた」
ここまで来れば、凪も真実が分かるはずだ。
あの日、昴大と雄太郎を襲撃した霊の正体。それは。
「ボクは自分の息子を襲ったんや。操られていたとは言え、もう二度と昴大とは顔を合わせられんくらいの大失態。……気づいたのは、結界でもうそこから出られんくなった時やった」
啓の意思に反して、啓の魂は昴大と雄太郎を手に掛けようとしていた。その時だった。
”其れ”が現れたのは。
「契りから放つ」
そう言われた途端、啓の視界は晴れたのだ。そして、気づけば元の人間の姿に戻っていた。
「あれが何者かは、ボクも分からへんねんけど。霊力も生前よりあるし、全然あの世に行ける気もせえへん。それでボクは今まで、できんかったことをすることにした。まあ、心残りってやつやな」
凪が黙って頷く。
「息子を、昴大を守ること。そして、昴大たちを狙った、ボクを差し向けさせた奴らを始末すること」
啓は悔しくてならなかったのだ。自分の意思でないにせよ、あのままだと啓は間違いなく昴大を手にかけるところだった。そんなことをすれば、啓はもうこの姿に戻ることはできなかっただろう。
「どう?これで、納得がいく答えになったやろうか?」
「……うーん、難しいな」
啓は話せる限り全てを凪に話したつもりだったが、凪は首を傾げて不満げな表情をしている。
「疑問が多すぎる。本当に啓さん、自分を呪縛から解き放ったのが何者か、わからないんですか?」
鋭い瞳で核心を突く凪。その青い目からは、逃れられそうな気がしなかった。
「……分かっとるよ。でも、その正体は明言せん。そういう約束やねん」
「契約じゃあないんですね?」
「まあな。言わんけど」
啓は、頭上に張られた結界を見上げた。
「……この結界は凄いなあ。ここなら絶対大丈夫っていう、安心感があるわ」
「ああそれ?昴大の引き寄せが前の結界を破っちゃって、千鶴と貴博さんで再建したやつなんですよ」
「……それ、どういう意味や?」
凪の言葉の意味が分からず、啓は凪に尋ねた。
すると凪は、高校の入学式、そして翌日に起きたことを説明してくれた。
「昴大が引き寄せ体質なのって、生まれつきなんですか?」
「いや。そもそも、引き寄せ体質なことも知らんかった。いつからなんやろう?」
昴大は昔から、霊全般に好かれる体質ではあった。しかし、悪霊をそこまで過剰に引き寄せるようなものではなかったはずだ。ということは、啓が死んでから、霊的な事件が起こったということだ。
「……そのへんは、昴大のじいちゃん、まあ、ボクの父親に聞いてくれたほうが早そうやな」
「へぇ。ということは何も知らないと」
「知らんよ……ボクが生きてたんて、昴大が3歳のときまでやし」
啓は昴大が小さかった頃のことをふと思い出した。
名前を呼ぶだけで屈託なく笑い、たどたどしくパパ、と呼んでくれたあの時。啓はそこまでしか知らない。幼稚園の庭を駆け回る昴大も、小学校で友達を作った昴大も、啓は見届けることができなかった。
それでも、昴大を一目見て、自分の息子だと認識できたのはやはり親子だからに他ならないのだろう。
しかし、啓は昴大と親子として過ごすはずだった時間をもう13年も失っているのだ。そして、今から取り返すこともできない。
悔しさで、涙がこみ上げる。
「あー、なんでボク、あん時死んでもうたんやろ……」
見たかった。もっと。息子との日々を、本来、父親として、過ごせたはずの日常を過ごしたかった。
「父さん」
面と向かってそう呼んでもらえたら、どれだけ良かったか。
「昴大……」
嗚咽だけが、啓の口から漏れた。
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