21 一悶着

昴大には現状がいまいち理解できていない。


「……クソ」


雄太郎は壁に右手の拳をぶつけながらぼやく。


「今、何が起こってるの?」

「俺にも分からん。ただ一つ言えることは、霊的な何かが影響しているということだ」


雄太郎が心配そうに尋ねた。


「……昴大、体調は大丈夫なのか?」

「特に何も……いや」


身体を軽く動かそうとするが、ふと違和感を覚えた。


「身体が重い……?」


何故か、思い通りに動かすことができない。


「なんでそこに疑問符がつくんだ。吐き気はないのか?」

「……少し。でも、凪たちに出会う前よりはかなり楽だよ」


雄太郎の表情が一気に青ざめた。


「そうか……昴大も苦労してたんだな」


雄太郎は昴大に背を向けた。表情は分からない。




雄太郎は昴大に纏わり付く霊を見た。


”それ”は雄太郎を見つめ、ニヤリと嗤った。

ケタケタケタ、と甲高く嗤う声が雄太郎の耳に響く。それが耳障りで雄太郎の苛立ちを加速させた。

赤い眼が雄太郎を見つめている。

雄太郎が一歩昴大へ近付くと、悪霊は牽制するように昴大に更に依る。

何がしたいんだか、全く分からない。


「コウダイにチカヅクな」


そう言ったように聞こえた。


五月蝿い。怖い。寒い。逃げたい。嫌だ。

なんでこんなことになったんだ。

コイツのせいか?


雄太郎は目の前にいる昴大をただ見つめた。


二人の自力ではこの状況はどうしようもない。雄太郎には分かっている。


凪や千鶴なら容易に対処できるだろうが、ここは男子トイレだ。圧倒的に場所が悪すぎる。


「やっぱりだめだ……」


昴大が落胆して呟く。

凪や千鶴でなくていい。誰でも良い。助けがほしい。雄太郎は願った。


空気が段々淀んできた。元々環境がいい場所ではないが、あまりの息苦しさに目が眩む。

爪先から徐々に力が抜け、立つことが難しくなってくる。

雄太郎の意識は緩やかに、しかし確かに沈んでいった。




千鶴はやるべきことを終え、凪に追いつくために廊下を全力疾走して体育館に向かっていた。


「はっ、はぁ……」


体力がある方ではない千鶴は、息切れしながら体育館の扉を開ける。


そこに凪はいない。


「あれ……?」


しかし邪悪な気配は消えていない。近づいたからか、余計に酷く感じる。

耐えられない程ではないが、身体全体に何かがのしかかるようなずっしりとした重みがある。


「うっ……」


拳を握り、一歩一歩確実に気配の方へ進む。

この気配の下に昴大がいたらどんなに苦しいだろうか。雄太郎は気をやることなく立っているのだろうか。

考えるのはそればかりで、他に気を配る余裕がなかった。


体育館の気配が一番強い場所へと歩く。そこは男子トイレだった。


入り口には結界のようなものが張られている。

どう考えても自分の手に負える領域ではない。千鶴には分かっていた。これは父親や母親に頼むべきことだと、見習いにはどうしようもないことだと理解していた。


それと同時に、確信していた。

雄太郎と昴大はこの中にいる、と。


ここに来るまでに、何度か彼らに電話を掛けた。出ないどころか繋がりもしない。電波の届かないところにいるか電源が入っていないのだと、着信拒否のガイダンスが千鶴に知らせた。

そんな状況で理屈を並べる余裕も他の誰かを頼る余裕も千鶴にはなかった。


千鶴は手で型を作り、結界を壊すために霊力を練る。


「必ず助けるからね、二人とも」




「雄太郎、雄太郎!!」


昴大は声を振り絞り、その場に座り込んで動かない雄太郎を呼んだ。


雄太郎の脚は肌の色がすっかり青白くなり、心なしか小刻みに震えていた。

自分も少しずつ体調が悪くなってきている。

数ヶ月前まで当たり前のように付き纏っていた吐き気と寒気。身体の重み。何故か少し、頭もボヤボヤとして視界が眩む。

ただ今は悪霊のせいだと分かっている。しかし分かっているからといってどうにかなる段階はもうとっくに越えていた。


「嫌だよ、雄太郎……」


今度の声は震えていた。弱気になんてなりたくなかったが、昴大もまた、虚勢を張れるほどの元気はない。

縋るように昴大が雄太郎の半袖の裾を掴むと、雄太郎のもう片方の手が昴大のその手を握った。


「……雄太郎?」


雄太郎が顔を上げる。

雄太郎の目は冷淡に、かつまっすぐに昴大を見据えた。


「昴大、十秒、目を瞑れ。耳も塞いだほうがいい」


雄太郎の言葉の意味は分からない。しかし昴大にはこの状況で雄太郎に逆らう理由はなかった。

雄太郎が何か現状を切り抜ける策を持っていると信じる他になかったのだ。

昴大はしゃがんだまま、目を閉じ下を向く。両手で耳も塞いだ。




雄太郎は昴大の背後にいる幽霊をただ見つめた。

ゆっくりと手を伸ばし、形を掴むように拳を握る。


「    」


それだけ言うと、空気は晴れていった。




千鶴は霊力を全力で練る。失敗は許されない。

肩で深呼吸して、結界の核を観察する。


「……え?」


刹那、千鶴が必死に練り上げた霊力は消失した。霧散した、といったほうが正しいか。


「千鶴!」


後ろから駆け寄ってきたのは凪だ。


「終わった?」

「う、うん」


確かに、邪悪な気配は一切ない。千鶴の言葉を聞いた凪は肩を叩いてきて、言った。 


「流石千鶴。私の親友。やっぱ天才だわー」


何がなんだか、理解できずに凪にされるがまま立ち尽くしていると、中から雄太郎と昴大が出てきた。


「たっ、助かった……」

「もう僕、死ぬかと思ったよ」


二人はフラフラと広間へ歩くと、その場でへたり込んだ。


雄太郎を凪が、昴大を千鶴が支える。


「千鶴のおかげだよ。ありがとう」


ベンチに座った雄太郎が、滅多にない笑顔で言った。


「やっぱり、千鶴さんのおかげなんだ」

「そうそう。まあ、千鶴の出力今回もトチ狂ってたけどね」

「あれは明らかにオーバーキルだぞ……」


違う。絶対に外部からの干渉があった。千鶴にはそうとしか思えない。しかし、3人はそうではないらしい。完全に千鶴の所業だと思っている。


「ま、まあね。ごめん」


千鶴はここでは、話を合わせることしかできなかった。

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