14 校外学習後日談(2)
雄太郎のクラスは校外学習の日、山奥でバーベキューの設営を始めた。
「俺はやることあるか?」
「今のところない」
雄太郎は事前の買い出し係だったため、当日の準備には参加しなくてもいいと告げられた。
なので千鶴に頼まれた写真を撮りに一人で山の中の方へ入っていった。
草むらをかき分け、道なき道を進む。事前の下調べによるとここを抜ければよい景色があるらしい。
「虫うぜー……」
蚊がやけに多い。しかも纏わり付くように何匹も雄太郎の周囲を飛び回っている。
虫除けの対策は充分に行ったはずだが、それでも山というのは面倒だと思った。
シッシと手で払おうとするが、既に刺されていた。腕には赤い跡がいくつか付いている。
「……最悪」
だからなのか、雄太郎をつけ狙うモノに全く気が付かなかった。
「……!?」
突然寒気が襲い、立っていられない程の威圧感を覚えた。足が竦んで逃げることさえもできない。何とか頭を上げると、目の前には黒い霊が雄太郎を睨んでいた。
おぞましい造形をしており、人の霊なのかはたまた動物の霊なのか、それともまた別の何かなのか。雄太郎には皆目見当がつかない。ただ、目の前にいるそれが、悪霊であることは確かだった。
霊は幾つもの眼球を持っており、その全ての視線が雄太郎を見つめるが、何も言わない。後ろにも何体かの霊の気配が雄太郎の退路を塞ぐようにいるようだ。
立ち退くことすらもままならない、この状況を切り開く術は雄太郎にはなかった。死んだな、と雄太郎は確信した。そこで意識を失った。
目を覚ますと、川辺の大きな石に雄太郎は座っていた。
「大丈夫?」
同じクラスの名前も知らない女子が雄太郎にスポーツドリンクを差し出した。
「ありがとう。俺は……?」
周囲を見回してもあの霊はいない。
それどころか、少しはいるはずの善良な霊の気配すら全く感じない。
生命の危機は過ぎ去ったにも関わらず、不自然な状況を恐ろしく感じた。
「さっきまで話しかけても全然返事しなくて。夢遊病……?みたいにフラフラ歩いてたから、ここに座ってもらったの」
「……ごめん、全く覚えてない」
自分がフラフラと夢遊病のように歩いていたことに、背中がまた寒くなる。
「もう体調大丈夫?」
「ああ。心配ないよ」
そうは言うが雄太郎の心からは不安が消えない。
彼女が去って、渡されたスポーツドリンクを飲み干すとスマホをポケットから取り出した。
画面には先程までは無かったヒビが入っていた。
電源ボタンを押すと普通に画面が光る。しかし斜め方向に大きく割れていて、とてももう使い物にはならなそうだった。
雄太郎の話を聞いていた千鶴は、その怪奇現象に驚き、雄太郎に激しく同情した。
「大変だったね、良く生きて帰ってきたよ」
「そうだろう。だから俺はもうあの場所には近づかずにいたんだ」
雄太郎の言うことは最もだ。確かに、もう既に霊はいないとは言えそのような場所に再び近づくのは危険である。しかし、千鶴には疑問があった。
雄太郎の夢遊病まがいの話だ。
「にしても、記憶がないのに戻ってきたなんて……今までそんなことあった?」
「……ないと思う」
千鶴の頭には、非現実的な説が過った。
「実は二重人格で、もう一人のユウくんはヘタレじゃないとか?」
「おいヘタレとはなんだ!」
千鶴は知っていたが雄太郎は全く気が付かなかったようで、雄太郎の背後に立つ凪を見てたちまち腰を抜かした。
「おっ、脅かすなよ」
「驚く方が悪い」
「そんな暴論通用して堪るか!」
声を荒げる雄太郎の真横に椅子を持ってきて、凪は座った。
「大変だったねユウくん。後遺症がないか診てあげようか?」
「凪ちゃん、一体何をする気だ?」
「念のためレントゲン撮りますねー」
凪がスマホを取り出しかざす。
「人の話を聞け!」
ザッと椅子ごと離れる雄太郎を見て凪は笑顔で立ち上がり、千鶴の横に座った。
「ユウくんにも怪奇現象が起こるなんて……」
「どういう意味だ?」
雄太郎は首を傾げる。
「凪にも怪奇現象が起きたんだよね」
千鶴は先日、凪から聞いた話を思い出した。
遡ること校外学習。
凪はサバンナの動物を一通り見終えると、写真を見返した。
「写ってる……」
写真の中の昴大の肩には、悪霊が乗っている。
もちろんいつも通り鞄には御守りなどの魔除けグッズが仕込んであると昴大も言っていたし、博物館では少なくとも悪霊は憑いていなかった。
写真を撮ったとき、既にいるとは感じたが昴大の体調に不具合をきたしていなかったためあまり気にはかけなかった。
ただ、昴大の肩に乗っているソレは悪霊としての格が普通のものより数段上であることが凪にも分かった。
どの写真を見ても写り込んでいる。凪は霊の気配は感じないため分からないが、これで昴大が何も異常を感じないことに凪は強烈な違和感を覚えた。
「それがこれなんだけど」
千鶴が校外学習に行った夜にLINEで凪から送られたその写真には、確かに悪霊が写り込んでいた。
「昴大は何も言ってなかったの?ほんとに?」
「本当に何も言ってなかった
楽しかったって言ってご満悦だったよ」
「これでご満悦か……」
千鶴にもこの状況がおかしいということは理解できた。
「聞いてみる」
千鶴は昴大に個人メッセージを送信した。
「今日体調大丈夫だった?」
「絶好調だったよ
凪にも同じこと聞かれたんだ
心配しなくても僕は大丈夫だから」
そう返され、千鶴はこれ以上聞いても意味が無さそうだと思ってやめた。
雄太郎は一連の二人の話を聞き、あることを思い出した。
「昴大、校外学習本当に楽しかったって言ってたな。こんなに体調良く過ごせたのは凪と千鶴さんのおかげだって」
「……そうなんだ」
「本当に何も無かったんだね」
何もないこと自体は良いはずなのだが、千鶴の顔色は良くならない。
「何もないなら良いんじゃないか?俺もまあ、別に害があったわけじゃないから気にしてない」
「まあ確かに。昴大は楽しかったわけだし」
千鶴の表情は明るくならない。
「どうしたんだ?」
「気配を感じられない霊って結構危険なんだよね……」
「なんで?」
凪が尋ねると、千鶴は言った。
「気配を消してるってことだから、かなり強いか弱い霊だよ。凪に見えるってことは、強い方の可能性が高い」
想像するだけで背筋が寒くなることを千鶴が言うので、雄太郎は思わず顔が引きつった。
「……そうなのか!?」
「そうだよ。だから気をつけないと、昴大が死ぬ」
昴大が死ぬかもしれない。
雄太郎の頭には昴大の笑顔がよぎった。
その事実は雄太郎の心を酷く抉るように重く、苦しかった。
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