絆の章

Case1 憑かれる少年

1 入学式

 私立四条高校、入学式。

 体育館のパイプ椅子に座った土間どま千鶴ちづるは、背筋を伸ばし前に飾られた花々を見つめていた。


 A組から出席番号順に点呼が行われる。千鶴はそのA組、出席番号は15番だ。


「土間千鶴」

「はい!」


 大きな声で返事をする。本当に自分がこの学校に入学したことに、合格発表から1ヶ月以上経ってようやく実感した。

 喜びを噛み締めていると、親友、海月かいげつなぎが所属するE組の点呼が始まった。



「海月凪」

「はい」



 凪の性格を知っている千鶴としては、上の空で返事ができるかどうか不安だったが、杞憂きゆうに終わったようだった。


風見かざみ昴大こうだい


 凪の後ろの出席番号に当たる生徒はこの華々しい式典に欠席しているようで、教師はすぐに次の生徒の名を呼んだ。


 約400名の入学生の点呼が終わり、次は来賓挨拶がある。その後には保護者会の会長、校長、理事長……各方向からの祝辞がある。入学式が終わるのはずっと先だ。


 千鶴は帰りに凪と話すのが待ち遠しくて堪らなかった。




 時は遡り、凪は高校に着くと直ぐに昇降口のクラス分け発表を見に向かった。


「人多すぎ……」


 必死に背伸びをするが、中々自分の名前を見つけられない。

 凪は女子の中では身長が高い方だが、この高校の入学生は男子が多い。中には身長180cmを超える生徒もいる。

 何とか人混みをかき分け前に出ると、自分の名前を見つけることができた。


「あった!E組か」


 千鶴とは高校に着く前にはぐれてしまったため、千鶴の名も探そうとしたが人波に押し戻されそれは叶わなかった。


 凪は諦めて自分の教室に向かおうと思ったその時、とんでもないモノを目撃した。


「何……あれ」


 薄ぼやけた”何か”に全身覆われ、真っ青な表情で立ち尽くす少年を見た。

 凪はこれが何か、知っている。


 思わず彼の身を案じて軽くそれらを払い除け、声をかけた。


「君大丈夫?顔色が悪いよ。医務室行く?」


 顔を上げて彼は凪を見た。瞳は虚ろで、焦点が合っていない。


「……大丈夫です、よくあることなので。どうかお気になさらず」


 彼の様子を見るに、今この場で倒れてもおかしくない。こんなことが日常茶飯事なんて、ただ事じゃないだろう。


 凪は彼の体質について考えながら、尋ねた。


「クラス、このままじゃ分からないでしょ?見てこようか?」

「いえ今、じいちゃんが見てくれてるので」

「あー……あの」


 凪は直ぐに、若者の人波に抗う老翁ろうおうを見つけた。生徒達よりも背が明らかに低い彼にこの少年の名を探せるとは到底思えない。


「ちょっと厳しそうだから、やっぱり私が見てくるよ。何科の何て名前?」

「……理数科の、風見昴大です」


 絞り出すように出たその名を聞いて凪は驚いた。先程見た名前だからだ。


「出席番号私の後ろか。同じクラスだよ」

「何組ですか……?」

「E組7番、海月凪。よろしくね。E組8番、風見昴大くん」

「よろしくお願いします」


 彼は深々と頭を下げてそう言った。顔色は未だに治っていない。




 風見昴大は、酷い吐き気に襲われていた。それだけではない。身体が重く、頭もズキズキと痛く止まない。


 先程、声を掛けてくれたクラスメートの海月凪の気遣いもあり、少しは改善されたようだがそれでも辛いことには変わりなかった。


 昴大は物心ついた時から、この原因不明の体調不良に襲われ続けていた。どんな名医にもその症状の全容は分からず、どんな秘薬を使っても治すことはできないと言われ、早十年。

 ロクな生活を送った記憶がなく、高校からは楽しく過ごそうと決意した矢先にこれである。


「風見くん?」


 前の席に座る凪が昴大を心配そうに見ている。


「やっぱり医務室に行った方が良いと思うけどな。さっきより顔色が悪いし」

「で、でも僕……」


 いつものことだからあまり気にかけないでほしい。そう言うべきか迷って、やめた。


「ごめん、強制連行する」


 凪は昴大をひょいと立ち上がらせると、昴大の右腕を自らの肩に掛けて歩いた。


「え、あの、海月さん?」


 どうやら彼女は力が強いらしく、昴大が体重を預けた状態でも普通に歩いている。


「式に参加出来ないのは残念だけど、このままじゃ明日からの登校も出来なさそうだね。とりあえず行ってみよう。これからもお世話になることになるだろうし」


 どうせ医務室に行っても治らない、と昴大は諦めている。この体調不良は発症原因も分からなければ、一時的に改善される理由すらも分からない。

 しかしそれを凪に告げても理解が得られないと昴大は思い、今は彼女の親切心に甘えることにした。


 医務室に着いたようで、凪が代わりに養護教諭を呼ぶ。


「すいません」

「はい、どうしたの」


 昴大は医務室の扉の直ぐ隣にあるソファに降ろされた。


「1年E組、海月凪です。同じクラスの風見昴大さんが体調がとても悪そうなので、式典の間ここで休ませてあげてくれませんか?」


 養護教諭はチラリと昴大を見やる。昴大には自分の様子がどう見えているか分からないが、養護教諭の表情を見るに、かなり酷いものなのだろう。


「担任の先生と親御さんに言っておくよ。ありがとう」

「それじゃ風見くん、またね」


 凪が去ろうとする。


「か、海月さん」


 引き止めると凪はこちらを向く。


「ありがとう」

「いえいえ。お大事に」


 養護教諭にベッドに寝かされしばらくして、体調が段々と良くなっていくのが昴大自身分かった。

 ここ最近では1番良いかもしれない。


 起き上がると祖父の清が心配そうに見つめており、昴大は微笑んだ。


「もう大丈夫だよ」


 半分は本心だ。未だ完全に身体の重さが解消された訳ではないが、笑顔をつくろえる程には回復している。何より、この高校生活に一筋の希望が見えた。


「そうか、良かった。昴大をここに連れてきてくれた子にも感謝せんとなぁ」

「うん」


 ある程度体調不良が改善されると、E組の教室へと一人で戻った。

 クラスメート達からの視線が少し痛く感じるが、今の体調の爽快さに比べれば大したことは無かった。


 席につくと、凪が振り返って言った。


「体調良くなった?」

「うん。ありがとう、海月さん」




 集合写真を撮る為に教室の机と椅子を退け、凪はずっと昴大の様子を念入りに観察していた。

 昴大に纏わり付く”何か”の数は減ったものの、それが彼の身体を蝕んでいることには変わりなかった。それに、先程凪が引き剥がした分までまた現れていた。

 しかし彼の表情は朝より遥かに明るい。

 あれで体調が良い方らしい。しかし観察はやめない。


「撮りますよー」


 ザワザワするクラスメートを押しのけ、凪は昴大の肩を叩いた。


「風見くん、隣いい?」

「どうぞ」

「はい、1E!」


 担任の言葉に笑う昴大。

 凪にとっては然程面白いものでもなかったが、昴大は違うらしい。

 様々なポーズで写真を何枚も撮り、それから昴大を見る。

 遠慮がちな表情ばかりの彼の心からの笑顔を見て、凪はあることを思いついた。

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