第10話 修士課程2年(前半)

 前年のオイルショックのため、正臣が就職活動をする修士課程の二年生になった時には、それまで数社来ていた製鉄会社の求人が帝国製鉄一社だけになった。

 

 正臣は帝国製鉄が嫌いであった。なぜなら、帝国製鉄は父親の会社に無理な注文を付けたり、父親にゴルフの接待をねだっていると思っていたからである。その上、帝国製鉄は、歴代の社長がすべて東大法学部出身という、親方日の丸の官僚会社だったからである。

 

 正臣はもともと帝国製鉄のライバルの製鉄会社への就職を希望していた。

 しかしながら、そういった製鉄会社は、正臣が在学していた九工大にはその年求人を出さなかったのである。

 

 その頃の工学部の学生には自由応募での就職活動はなく、大学に求人が来ていない会社への就職はできない時代であった。

 

 正臣は、希望していた製鉄会社への就職が不可能になったのである。

 

 そこで正臣は、もしも近美小百合が自分のことを待っていてくれたら、将来は高炉(溶鉱炉)を持つかもしれない中堅の鉄鋼会社に就職して、小百合と結婚して頑張ろうと考えを切り替えた。

 

 

 昭和五十年六月十日、正臣は思い切って小百合が勤めていた幼稚園に電話した。

 それは、小百合が二十五歳になって二か月後のことであった。


「近美先生をお願いします」

 と言った正臣に、幼稚園の事務の女性は、

「近美先生は、今年の三月でお辞めになりました」

 と答えた。その返事に正臣は、

(彼女は、僕の知らないところに嫁いでいくのだ)

 と確信した。

 

 なぜ確信できたのかというと、その年の一月に若松にいる友達の牛嶋に会いに行った時に牛嶋が、

「河村、近美さんが見合いをするそうだぞ。お前は、それでいいのか?」

 と聞いたからである。

 その時正臣は、

「近美さんは、もう僕とは関係ない」

 と答えた。

 内心はそうではなかったのだが、正臣は今さらどうしようもないと思っていたのである。


(あれだけの美人だから、縁談は降るようにあるだろう。彼女なら僕が太刀打ちできないような素晴らしい相手と結婚できるはずだ)

 正臣はそう自分に言い聞かせて、小百合の事をあきらめようとしていたのである。

 

 高校の頃から彼氏がいると噂になっていた小百合の縁談は簡単ではなかった。

 その彼と5年間付き合っていたのにキスさえしていないことは、当人同士しか知らなかった。

 世間の人達の多くは、二人には体の関係があったと思っていた。

 

 婚約していた訳でなく、身体からだもてあそんだ訳でもなかったが、これはある意味、正臣がとんでもなく悪いことをしたということである。

 

 小百合は、正臣のことを忘れられなかった。

 それでも、二十五歳までという両親との約束は約束である。

 

 小百合は、正臣の知らない所に嫁いでいった。


 『男はいつも待たせるだけで、女はみんな待ちくたびれる』のが恋だという時代であった。


 

 親に捨てられ、入社したいと思っていた企業への就職の道を絶たれ、ずっと愛しく思っていた女性が自分の知らない男と結婚すると知って正臣は、


(この世は終わった)

 と思った。

 

 この世が終わり、今までやってきたことのすべてが無に帰したと思われたその時、正臣は岐路に立っていたのである。


(世界が終わったというのに、俺の心臓は、なぜまだ動いているのだ?)

 

 正臣は、よく考えると自分がこの世に生を受けたこと自体が奇跡に近いことだと気付き、ある決心をした。

 

 それは、世界を救うことができる科学者になるため、博士課程(ドクターコース)に進むという決心であった。

 

 それまで持っていたすべてを失い、生活もままならなくなった若者の選択として、より高みを目指すというのは、そんな時にできるベストな選択である。

 

 しかしそれは、実力しか通用しない研究者になるためのいばらの道で、人には言えない艱難辛苦かんなんしんくの始まりであった。

 

 ドクターコース進学を心に決めた正臣は、それまで経済的に援助してくれた父親に電話した。

「お父さん、僕は博士課程に進もうと思っているけど、許してくれますか? 今まで仕送りをしてくれたけど、博士課程に進んだら当分就職できないから、恩返しができません。それに僕はもういい年だから、博士課程に入ったら仕送りはいりません」

 と正臣が言うと父親は、

「今まで通りに仕送りをするから、体に気を付けて頑張れ」

 と言ってくれた。

 

 ドクターコースに進むと言っても、正臣が在学していたような地方の国立大学にはその頃はまだ博士課程はなく、博士課程があるのは旧制帝大だけであった。

 

 そのため博士課程に進学するには旧制帝大の門を叩かざるを得なかった。そして、博士課程の入試を受けるためには、ただ願書を出せばいいというものではなく、必ず推薦者がいなければならなかった。

 

 しかし、いい縁というのはあるもので、正臣が修士課程になって指導を受けた杉原教授は九大から九工大に移ってきた先生だったので、杉原先生に九大に話を持って行ってもらえたのである。

 

 九工大での修士課程の残りの半年、正臣は九大の博士課程に合格できるように、勉強と研究に力を注いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る