第6話 大学2年
正臣が大学2年になると、小百合は「若松天使園」の先生になった。
そのため、二人で会う機会はめっきり減った。
若松東高は灘高やラサールに比べると有名大学への進学率が低いということで、正臣の弟の光安は県外にある私立の進学校に、妹の尚江は区外にある私立の進学校にそれぞれ入学していた。
正臣が大学2年になった年に、光安が東大の経済学部に現役で合格した。
正臣の父親が勤めていた若松工場の従業員は二千人程度で、そこで作っていたものは、帝国製鉄が使う大型機械の大型工具であった。
正臣は小学校の低学年の頃、父親の会社の現場に行くのが好きだった。正臣が工場に行くと現場のおじさん達は、
「おー、正臣、来たか」
と言って、正臣を可愛がってくれた。
「あっちにはピットがあるから、行っちゃいけない」
と言われ、鋳造のために掘ってある深い穴や溶けた鋼には近寄らせてもらえなかった。それでも正臣は、現場のおじさん達に色々なことを教えてもらった。
鋼の性質に大きな影響を及ぼすのは炭素の含有量で、一般的には発光分析で鋼に溶け込んでいる炭素の量を分析してから鋳込むのだが、溶けた鋼をほんの少し床に置かれた鉄板の上に落とし、その時に出る火花の色を見て炭素の含有量を当てるおじさんがいた。それは、熟練の技と言うよりも、魔術であった。
正臣は、日本のモノづくりの現場のスタッフの優秀さを子供の頃から知っていたのである。そして正臣が大学で父親の会社がその専門家を必要としている『金属工学』を専攻したのもこれがきっかけだったのである。
正臣は、幼稚園の先生になって忙しそうにしている小百合をなかなかデートに誘えなかった。正臣の方から小百合に電話して、お互いの近況を話す程度であった。
その年の八月、小百合も好きだったポール・モーリア・オーケストラのコンサートが小倉で開かれると知った正臣は、そのチケットを二枚買って一枚を小百合に郵便で送った。
前もって彼女に連絡していなかったのがいけなかったのか、それとも短大時代と同様に夜の外出がいけなかったのか、とにかく小百合のお母さんのお断りの手紙と一緒に、小百合に送ったチケットが正臣の元へ送り返されてきた。手紙の内容は、『仕事で毎日とても疲れるから』というものであった。
正臣は仕方ないので九工大の同級生の小林と一緒にコンサートに行った。
男と一緒に聞くポール・モーリアは、まったく楽しくなかった。
よく考えると、正臣は小百合とキスさえしていなかったので、
(小百合とはまだ恋人同士になっていなかったのか?)
と思った。そして、
(彼女のことを想っているだけじゃ駄目なのか? それじゃ、どうすればいいんだ)
と、正臣は思いあぐねた。
その次の年の三月、正臣の妹の尚江が東大の教育学部に合格した。
その前の年の光安に続いて、兄弟での東大への現役合格は、小さな町でニュースになった。
ここで少し、若松の町で「河村三兄弟」として知られる正臣の弟と妹のことを書いておこう。
河村家の長男の正臣と長女の尚江は三つ違いで、その間に次男の光安がいるので、河村三兄弟は年子であった。ただし、正臣が早生まれで光安は遅生まれだったので、正臣と光安は一つ違いでも、学年は二学年開いていた。
河村三兄弟は、三人とも小学校は深町小学校で中学は紅葉中学と、中学までは同じ学校に通っていた。しかし、高校は三人とも違う高校に進学した。
小学校から大学まですべて公立学校だったのは、正臣だけであった。
正臣は生後間もなく、心臓弁膜症か
正臣の心臓に欠陥はなく、むしろ心臓に毛が生えているほど正臣の心臓は丈夫で、心臓の音が極端に大きいだけだと分かったのは、正臣が中学一年の時であった。
しかしながら、子供の頃に死んでしまうと思われていた正臣は、両親の心配と愛情を独り占めにして育った。
次男の光安は両親の愛情をあまり感じることなく育ったので、小さい時からたくましくなった。光安は小学校に入る頃には、兄の正臣よりも体が二回り大きくなっていた。
二人が中学生だった頃、正臣は音楽や絵画や詩と言った芸術の分野で才能を発揮していた。一方、光安はスポーツ万能になっていた。
例えば、北九州市教育委員会の読書感想画コンクールで最優秀賞を取った中学三年の河村正臣の絵が校内に掲示された翌日に、中学一年の河村光安は、北九州市の中学生の水泳大会で大会新記録を出して個人優勝した。
二人とも知能指数が高く、勉強はよくできた。妹の尚江は二人の兄以上に勉強ができたので、紅葉中学の同時期の人達には、「河村三兄弟」として知られる存在になったのである。
面白いのは、正臣と光安は外見がまったく違っていたことである。
二十歳の頃の光安は、身長百八十三センチ、体重八十キロで、東大に入ってから始めた部活のホッケーの正選手になっていた。光安のマスク(顔)は、その体に似合った、その頃のハリウッド俳優でいうと、クリント・イーストウッドを思わせる、いかつい顔をしていた。
長男の正臣は光安とは対照的に、身長百六十五センチ、体重五十三キロと、弟に比べるときゃしゃな体格だったが、話が面白く、顔はロバート・レッドフォードを思わせる、端正で甘いマスクをしていた。
実際に、栄盛川町の交差点の近くにあった写真館は、正臣が運転免許証を申請するために撮った写真を店頭に飾っていた。
それは、「証明写真の見本」のはずが、どう見てもポートレートであった。
その店を訪れた正臣の母親が店頭にあった正臣の写真を見て、
「ウチの息子の写真を飾っているの?」
と言うと、写真店の主人は、
「お坊ちゃんの写真、よく撮れたので使わせてもらっています」
と言った。
正臣は、その町で一、二を争う美男子だったのである。
高校時代、『私は、お父さんが決めた人と結婚するの』と言っていた小百合の言葉が不安材料になっていた正臣に、『思ってもいない、とんでもない事』が起こったのは、正臣が九工大の三年生になった時であった。
正臣の父親は、お得意様である帝国製鉄の部長さんや就活中の学生を推薦してくれる帝国大学の教授を接待するため、日曜日にはよくゴルフに行っていた。小百合のお父さんもゴルフをやっていて、ゴルフの腕前は正臣の父親以上の『ハンディはシングル』だと聞いていた。
その年の四月上旬の日曜日、ゴルフを終えて帰ってきた正臣の父親が、
「今日、若松ゴルフ倶楽部のクラブハウスのお風呂で近美さんと一緒になった。近美さんが、『娘がいつもお世話になっています。これからも娘をよろしくお願いします』とおっしゃるので、『こちらこそ、息子をよろしくお願いします』と返事をした。
すると近美さんが、『その内に正式なお話を』とおっしゃるので、『分かりました』と返事をしておいたよ」
と話したのである。
これはお互いの父親が二人の交際を認め、近い内に二人を一緒にしてやろうと思っている証拠であった。
正臣は喜びに、天にも昇る気持ちになった。
小百合とはキスをしたこともなかったが、十七才で知り合い、二十二才まで付き合っていたのは、将来は彼女と結婚したいと思っていたからに外ならなかった。
その頃の正臣は、小百合のためにも頑張ろうと大学の授業は一コマも欠かさずに出席して、復習だけでなく予習までやって、九工大では首席を通していた。
普通なら、これでハッピーエンドを迎えられるはずだった。
これから先は、人生一歩先は何が起こるか分からないということと、ちょっとしたことで人生は大きく変わるということ、そして人生で何が幸運で何が禍かは、おそらく死を迎えるまで分からないということを紹介することになる。
正臣と小百合の父親同士が若松ゴルフ俱楽部のクラブハウスで話をして一週間もたたない内に、正臣の母親がとんでもない事を言い出した。
「福村さんが言うには、近美さんのお父さんは『やくざ』だってよ」
正臣は、
(そんな馬鹿なことはない)
と思ったが、正臣の母親は福村さんが言うことはすべて真実だと思っていた。
そもそも正臣の母親は、世間知らずのお人好しであった。
正臣の母親の友人である福村和枝は、実際には若松にいる善良な人達から数千万円にのぼるお金をだまし取っていた詐欺師であった。
しかしながら正臣の母親は、福村さんは貧しい人や恵まれない人達のための基金を運営している正義の味方だと思っていた。
後の警察の捜査で、正臣の母親は福村和枝から二十年以上マインドコントロールされていたことが明らかになったが、その当時はそれを知る由もなかった。
そこで正臣の母親は、父親同士で縁談がまとまりそうになっている小百合の家がどんな家なのかを、正義の味方と思い込んでいた福村さんに聞いたのである。
その答えが『小百合のお父さんはやくざ』だったので、正臣の母親は、
(これはどんなことをしてでも、正臣と小百合を別れさせよう)
と思ったのだった。
正臣と母親と父親の三人で家族会議が開かれた。
正臣は、小百合の家が正臣の家に負けないくらい広くて大きな家であることは知っていたが、小百合のお父さんには会ったことがなかった。
「近美さんのお父さんの職業を知っているか?」
という父親の質問に正臣は、
「小百合さんは、『ウチのお父さんは、不動産をやっている』と言っていた」
と答えた。正臣の両親は、それを悪徳不動産屋だと誤解した。
とにかく、その家族会議の結果、正臣は、
「小百合には二度と会わない」
と約束させられたのである。
「お母さん、福村さんの言うことを信用しないほうがいいよ」
と言う正臣の言葉を母親は聞こうとしなかった。
この時、正臣が両親に、
「これは僕の一生のお願いだから、信頼できる探偵に頼んで、近美さんの家のことをちゃんと調べてよ」
とお願いしていたら、正臣と小百合の人生は変わっていたかもしれない。
小百合や小百合の両親の方は、父親同士が縁談に近い話をしたのに、それからぱったり正臣からの連絡が途絶えたことをいぶかしく思っていた。
正臣が急に連絡してこなくなった理由として考えられるものは、次のようなものであった。
河村君は、『親は金持ち、成績優秀、
二つ目は、小百合が若くて、あまりにもきれいだから、正臣の母親がやきもちを妬いたというもの。
そして三つ目の理由は、正臣が抱いている一般の人には思いもつかない大きな夢を実現するために小百合が足手まといになる、または、その夢のために小百合に苦労させるのは可哀そうだと正臣が判断したというもの。
小百合の家では、とにかく様子を見て、小百合が二十五歳になるまで待ってみようということになった。
小百合がただ待つだけでなく、正臣に、
「なぜ、会ってくれないの?」
と電話の一本でもしていたら、または、「さみしい」と一言だけ書いた手紙の一つでも正臣に送っていたら、小百合と正臣の人生は変わっていたかもしれない。
良家の息子や娘は人任せとは言わないまでも、恋愛において自発的な行動を取らない傾向がある。そういう二人にとって最大の敵は、世間のねたみや嫉妬である。
二人のことをよく知っている友達は二人が結婚できるように応援するが、その他大勢の世間の人は応援などしてくれない。
むしろ二人が不幸になることを望んだりする。
福村さんみたいな満たされていない結婚生活を送っている中年女性は、町一番の資産家のお嬢様と町で一番大きい工場の経営者の
正臣の母親が小百合の父親はやくざではなく、映画館の他に貸家や貸アパートを何軒か持っている若松一の資産家だと知ったのは、正臣と小百合を別れさせてから五年後であった。また、福村さんが自分や自分の知り合いからお金をだまし取っていたと知ったのは、それからさらに十年後であった。
福村さんの詐欺の手口は、次のようなものであった。
初めの内は、自分が所有している市場の
「利子は十年ものの郵便定期と同じだけど、いつでも引き出しや解約ができる。とにかく、お金に困っている人達のためだから、お願い」
と言って、正臣の母親を含めた知り合いの奥さん達に出資させていた。
福村さんの旦那さんが『行政書士』になってからは、詐欺の手口としてはよくある『つなぎ融資』のお金を貸してほしいというものであった。
とにかく福村和枝は、『貧しい人や困っている人のため』と言って、世間知らずの奥さんたちの自尊心と同情心を利用してお金をだまし取っていたのである。法務局に出入りしている人の奥さんが詐欺をしているとは誰も思っていなかったが、やがて福村さんは自転車操業に行き詰まり、自殺未遂事件を起こして詐欺をはたらいていることが発覚したのである。
福村さんばかりでなく、福村さんの旦那さんも警察に逮捕され、手錠を掛けられて腰ひもで警官に引かれる写真が西日本新聞に掲載された。旦那さんの方は起訴猶予になったようだが、行政書士の資格をはく奪された。
どんなにおいしい話も、逆に堅い話も、どんなに困っている人のためでも、銀行でもないのに人にお金を貸して利息をもらうのは出資法違反で、本来ならば、だまされてお金を失った方も罰せられるのである。
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