第7話 大学3年~修士課程2年

 両親から小百合に会うことを禁じられた正臣は、『彼女と駆け落ちしよう』と思ったが、大学を卒業しないまま彼女と一緒になっても食っていく自信がなかった。

 

 正臣はさらに思いつめて、『小百合を殺して、自分も死のう』と考えてサバイバルナイフを用意したが、小百合を殺したら彼女の両親だけでなく、自分の両親も嘆き悲しむと思った。

 

 そして正臣は、小百合と二人で観た「ロミオとジュリエット」の主人公の二人がもしも心中しなかったら、二人はその先どうなるのかを体験できるかもしれないと思い小百合を殺すのをやめた。


 それでも正臣は、自分が精神的におかしくなっていくのを感じた。小百合の家への無言電話や、幼稚園児の手を引く彼女を物陰から隠れ見るといったストーカー行為をして正臣は、

(このままでは僕は、気が狂って犯罪者になってしまう)

 と思った。

(何か趣味を持って、ストレスを解消しなくてはいけない)

 そう思った正臣は大学のフォークソングクラブに入った。

 

 三年生になっての入部は珍しかったが、音楽好きの連中はいい奴ばかりで、正臣を快く迎え入れてくれた。

 

 フォークソングといっても、ギター一本で歌うパターンはその頃はもう古く、バンド編成でやるフォークロックが主流になっていた。そして正臣は、北九州のどの音楽サークルでもベーシストが不足していることを知った。そこで正臣はエレキベースが担当できるように練習を開始した。正臣がエレキベースが弾けるようになるのに、あまり時間はかからなかった。

 そして正臣は、家庭教師のアルバイトで貯めていた貯金でサムのレスポール型のエレキベースとフェンダーのジャズベースを買った。


 正臣は、幼稚園の頃から中学一年までピアノやバイオリンを習っていたが、エレキベースが自分に合う楽器だと思うようになった。

 それは、どんなにのってもリズムを外してはいけないという点、そして音楽の行間をつなぐように入れるベースランニングの醍醐味、その両者を満足させるために頭を使うことに正臣は快感を覚えるようになった。

 

 エレキバンドを組んで、自分には分からない音楽を始めた正臣を見て父親は、

(正臣は大丈夫か?)

 と思い始めた。エレキギターは不良がやるものだと思われていた時代であった。

 

 正臣は親の誤解を解くため、両親の前でフォークギターのモーリスハミングバードを弾きながら、ビートルズの『イエスタデイ』を歌った。

 それを聞いた正臣の父親は、

「これが本当にあのビートルズが作った曲か? この曲は将来クラシックになる素晴らしい曲だ」

 と言って、正臣のバンド活動を許してくれた。

 

 大学の授業とその予習復習、部活のバンド活動と知り合いから頼まれた家庭教師のアルバイト、それらは正臣にとって手を抜くことができないものばかりだった。

 

 時間の使い方を間違えたら、どこかで行き詰まる・・・そんな毎日を送ることにより、正臣の頭の中に住み着いていた小百合の面影は徐々にではあるが薄れていった。

 

 人をまとめることが上手な正臣は、大学三年の後期からフォークソングクラブの部長になり、大学の軽音楽部や学内に二つあったロックバンドと合同コンサートを企画した。戸畑市民会館で開催されたそのコンサートには正臣の両親も聞きに来て、感想を述べてくれた。

 

 少し先に時間が飛ぶが、正臣は大学院の修士課程を修了するまでバンド活動を続けた。『好きこそものの上手なれ』と言うが、正臣は(それは逆じゃないか)と思っている。どんなことでも、長くやるとそれが好きになり、また上達するものである。

 大学院の修士課程の修了式の数日前に、後輩から頼まれてエレキベースを担当して小倉市民会館で開かれたヤマハのポップスコンクールの地方大会の決勝のステージに立った時、

「このバンドには、北九州では有名な大学院生のベースがいる」

 と司会者から紹介されたことを正臣は今でも覚えている。

 

 それでも正臣は、音楽で食っていこうとは夢にも思っていなかった。

 マイクなしでも小倉市民会館の一番後ろの席まで通るアンドレ・カンドレ(後の井上陽水)の澄んだ歌声、吉田拓郎のバックバンドのベースを担当した時の細野晴臣のベースランニング、初めて聞いた曲を即座に譜面(楽譜)に書き落とすことができる坂本龍一の絶対音感、加川良や岡林信康が書く歌詞の哲学性・・・

(そのどれをとっても僕は絶対に勝てない。上には上がいるものだ)

 と正臣は痛感していた。

 

 どんなに努力しても日本一になれない音楽は、あくまでも趣味の範囲にとどめ、正臣は自分が日本一になれるものを探すことにした。


 

 正臣は大学三年が終わった時点で、卒業に必要な単位数以上の単位を取得していて残すは卒業研究だけになっていた。

 また取得した単位のすべてが「優」であった。

 それは現在なら、飛び級で大学院に進学できる成績に相当するものである。

 それもこれも、小百合に会いたい一心で朝早いバスに乗って朝一から大学に出て、受講可能な授業をすべて受けていたことが習慣になったためであった。

 

 卒業研究の研究室配属で、正臣は鉄やアルミニウムを強くして金属製品を作る研究室を希望した。しかしながら先生方の希望で、正臣は鉄を鉄鉱石から製錬して作る研究室に配属された。成績優秀者が希望していない研究室に配属されるのは前例がなかった。

 

 後で聞いた話では、鉄鋼製錬の研究室の教授が定年退官前で、その教授が、

「定年の年は、今まで見たことがないような優秀な学生である河村君を指導したい」

 と言ったので、正臣は鉄鋼製錬の研究室に配属されたということであった。

 

 正臣は卒業研究で『ヘマタイトペレットのガス還元速度に関する研究』を行った。

 その研究を直接指導してくれた九工大の先輩の大学院生の村川さんはその後、九大の教授になって、学科長になった年に早逝されたが、正臣と共著の論文を残してくれた。正臣は今でも村川さんを尊敬している。

 

 

 正臣は、エンジニアとして修士の学位(大学院修士課程修了)は必修だと思っていたので、大学の学部を卒業したら迷うことなく大学院の修士課程に進学した。成績は学科でトップだったので、筆記試験免除の推薦入学だった。

 

 正臣が学部の四年生の時に指導を受けた教授は定年退官し、正臣が大学院の修士課程に入ると九州大学で助教授をしていた先生が九工大に教授になって赴任した。その新しい先生の指導を仰ぐことになった正臣は研究テーマを変えざるを得なくなった。

 

 卒業研究で慣れ親しんだテーマから、まったく違うものに研究テーマを変えるのは大変な苦労を伴うものである。しかしそれは、まだ研究者とは言えなかった正臣の研究能力を飛躍的に伸ばす結果になった。また、九大から九工大に赴任した新しい教授である杉原先生との縁が、後にラッキーなことにつながったのである。


 正臣が九工大の大学院修士課程に進学した春、正臣の母親は、

「町で近美小百合を見かけた」

 と言い、正臣に次のように話した。

「小百合ちゃんも昔は可愛かったけど、今は年を取って見る影もないわ。それに、あの娘が私をにらみつけるから、私もにらみ返してやったわ」

 正臣の母親は、その頃もまだ『小百合の父親はやくざ』だと思っていた。正臣は、

(昔はあんなに仲が良かったのに、お母さんも変われば変わるものだ)

 と思った。

 

 それから間もなくして、正臣の父親の東京本社転勤が決まった。

 正臣の父親はその会社の創業に関わっていたので、将来の東京本社の社長と目されていた。正臣の父親にとって、いよいよそれが近づいたのである。


 正臣の弟の光安は後になって、父親が東京に移った時の状況を、

「あの時、兄貴は親に捨てられた」

 と表現することがあった。

 それまで過保護な生活をしていた正臣は、戸畑で間借り生活をすることになった。正臣の弟と妹はそれとは逆に、母方の祖父の遺産相続で母親が分けてもらった鎌倉市役所の隣にあった土地に、父親が三十年近く社宅暮らしをして貯めたお金で建てた家から東大に通う、「いいとこの子」になった。

 

 見方によれば、正臣は弟や妹と立場が逆転したのだが、正臣は好きな金属製錬の研究とバンドをやっていたので、それを何とも思わなかった。

 その上その頃の正臣には、『製鉄所長になりたい』という夢があった。それは、正臣が中学一年の時に真樹に言った、『世界を救う博士になる』に比べると、ずっと現実的で、かつ実現可能な夢であった。

 その夢の実現のため、正臣は修士過程を修了したら銑鋼一貫メーカー(製鉄会社)に就職したいと思っていた。しかしながら、東大の入試がなかった正臣の最初の大学受験の年と同じように、不運な時のめぐり合わせが正臣の行く手を阻んだのである。

 その原因はオイルショックであった。



 原油の価格が一年で数倍に跳ね上がったのは、正臣が大学院修士課程の一年生の時だった。製造業は大打撃を受け、特に鉄鋼業は前例のない不況に陥った。

 そのため、正臣が就職活動をする修士課程の二年生になった時には、それまで数社来ていた製鉄会社の求人が帝国製鉄一社だけになった。

 正臣は帝国製鉄が嫌いであった。なぜなら、帝国製鉄は父親の会社に無理な注文を付けたり、父親にゴルフの接待をねだっていると思っていたからである。その上、帝国製鉄は、歴代の社長がすべて東大法学部出身という、親方日の丸の官僚会社だったからである。

 

 正臣はもともと帝国製鉄のライバルの製鉄会社への就職を希望していた。しかしながら、そういった製鉄会社は、正臣が在学していた九工大にはその年求人を出さなかったのである。

 その頃の工学部の学生には自由応募での就職活動はなく、大学に求人が来ていない会社への就職はできない時代であった。すなわち正臣は、彼が希望していた製鉄会社への就職が不可能になったのである。

 

 

 そこで正臣は、もしも近美小百合が自分のことを待っていてくれたら、将来は高炉(溶鉱炉)を持つかもしれない中堅の鉄鋼会社に就職して、小百合と結婚して頑張ろうと考えを切り替えた。

 

 昭和五十年六月十日、正臣は思い切って小百合が勤めていた幼稚園に電話した。

 それは、小百合が二十五歳になって二か月後のことであった。

「近美先生をお願いします」

 と言った正臣に、幼稚園の事務の女性は、

「近美先生は、今年の三月でお辞めになりました」

 と答えた。その返事に正臣は、

(彼女は、僕の知らないところに嫁いでいくのだ)

 と確信した。

 

 なぜ確信できたのかというと、その年の一月に若松にいる友達の牛嶋に会いに行った時に牛嶋が、

「河村、近美さんが見合いをするそうだぞ。お前は、それでいいのか?」

 と聞いたからである。その時正臣は、

「近美さんは、もう僕とは関係ない」

 と答えた。内心はそうではなかったのだが、正臣は今さらどうしようもないと思っていたのである。

(あれだけの美人だから、縁談は降るようにあるだろう。彼女なら僕が太刀打ちできないような素晴らしい相手と結婚できるはずだ)

 正臣はそう自分に言い聞かせて、小百合の事をあきらめようとしていたのである。

 

 高校の頃から彼氏がいると噂になっていた小百合の縁談は簡単ではなかった。

 その彼と5年間付き合っていたのにキスさえしていないことは、当人同士しか知らなかった。

 世間の人達の多くは、二人には体の関係があったと思っていた。

 婚約していた訳でなく、身体からだもてあそんだ訳でもなかったが、これはある意味、正臣がとんでもなく悪いことをしたということである。

 

 小百合は、正臣のことを忘れられなかった。

 それでも、二十五歳までという両親との約束は約束である。

 

 小百合は、正臣の知らない所に嫁いでいった。


 『男はいつも待たせるだけで、女はみんな待ちくたびれる』のが恋だという時代であった。


 親に捨てられ、入社したいと思っていた企業への就職の道を絶たれ、ずっと愛しく思っていた女性が自分の知らない男と結婚すると知って正臣は、

(この世は終わった)

 と思った。

 

 この世が終わり、今までやってきたことのすべてが無に帰したと思われたその時、正臣は岐路に立っていたのである。

(世界が終わったというのに、俺の心臓は、なぜまだ動いているのだ?)

 

 正臣は、よく考えると自分がこの世に生を受けたこと自体が奇跡に近いことだと気付き、ある決心をした。

 

 それは、世界を救うことができる科学者になるために、博士課程(ドクターコース)に進むという決心であった。

 

 それまで持っていたすべてを失い、生活もままならなくなった若者の選択として、より高みを目指すというのは、そんな時にできるベストな選択である。

 

 しかしそれは、実力しか通用しない研究者になるためのいばらの道で、人には言えない艱難辛苦かんなんしんくの始まりであった。

 

 ドクターコース進学を心に決めた正臣は、それまで経済的に援助してくれた父親に電話した。

「お父さん、僕は博士課程に進もうと思っているけど、許してくれますか? 今まで仕送りをしてくれたけど、博士課程に進んだら当分就職できないから、恩返しができません。それに僕はもういい年だから、博士課程に入ったら仕送りはいりません」

 と正臣が言うと父親は、

「今まで通りに仕送りをするから、体に気を付けて頑張れ」

 と言ってくれた。

 

 ドクターコースに進むと言っても、正臣が在学していたような地方の国立大学にはその頃はまだ博士課程はなく、博士課程があるのは旧制帝大だけであった。そのため博士課程に進学するには旧制帝大の門を叩かざるを得なかった。そして、博士課程の入試を受けるためには、ただ願書を出せばいいというものではなく、必ず推薦者がいなければならなかった。

 しかし、いい縁というのはあるもので、正臣が修士課程になって指導を受けた杉原教授は九大から九工大に移ってきた先生だったので、その杉原先生に九大に話を持って行ってもらえたのである。

 

 九工大での修士課程の残りの半年、正臣は九大の博士課程に合格できるように、勉強と研究に力を注いだ。

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