第8話 博士課程3年~オーバードクター
――― 真理子 ―――
正臣が『一人で二交代実験』を一年続けて得たデータを使って、博士論文をまとめ終えた頃、またしても森田助教授が正臣に指令を出した。
「古山真理子は、柳教授が紹介した縁談まで断った。柳教授は『なぜこんなにいい話を断るのだろう』と言っていた。どうも古山さんには好きな男がいるみたいだから、それが誰か古山さんから聞き出してくれ」
これは難題だったが、やらざるを得ない案件であった。
それに正臣自身も古山さんに、次のようにアドバイスしたいと思っていた。
「古山さんは僕の一つ下だから、もうすぐ二十七だろう。その顔では高望みは不可能だから、歳と顔のことを自覚して、誰かと早く結婚した方がいいよ」
女性には失礼な言い方だが、真実ははっきり言った方がいいと正臣は思っていた。
(そう言えば古山さんは、いつも僕が学会に投稿する論文の清書をしてくれている。一度くらい食事をごちそうしてもバチは当たらないだろう)
そう思った正臣は真理子に、
「いつもお世話になっているから、夕食をごちそうするよ」
と言って、彼女と海幸に行った。
これが夕食ではなく昼食だったら、こんな間違いは起こらなかったであろう。
正臣は海幸で古山真理子に安い夕食をおごった後、その頃流行り始めたカラオケスナックに彼女を誘った。
正臣が真理子をスナックに誘ったのは、森田先生の『古山さんから好きな男が誰か聞き出してくれ』と言う依頼を果たすためであった。
真理子はお酒がまったく飲めないが、正臣の面白い替え歌を聞きたいと思ったのか正臣に付き合ってくれた。
正臣が手始めに、西田佐知子が昔歌っていた『東京ブルース』を歌うと、真理子が言った。
「この歌みたいに私をだましているのなら、死ぬまでだましてよ。いい、死ぬまでだまさなかったら、承知しないから」
真理子の目には涙がいっぱい溜まっていた。
正臣の背筋に衝撃が走った。
(ええっ、古山さんが好きな男っていうのは、この俺か!)
「もう、帰ろう」
正臣は最初に注文したコークハイに手を付けずに勘定を済ませ、真理子と一緒に店を出た。そして真理子の涙をハンカチで拭いてやった。,
正臣は真理子を西鉄天神駅まで送ると、間借りしていた箱崎の部屋に帰った。
正臣は、
(いままで女性を『顔』だけで評価していた俺は、なんて馬鹿だったんだ)
と思った。
(安月給でも身を粉にしてよく働いて、ボーナスや残業代も出ないのに、残業をいとわない。どんなにきつい仕事も、涙をこらえながら一生懸命最後までやる。あんなに字がきれいで、心優しく、言葉遣いも丁寧である。誰に対しても笑顔で対応して、好きな男が自分の後輩の若い娘と目の前でいちゃついても意地悪せずに、じっと我慢して・・・)
正臣はその夜の内に、古山真理子がこれまでに出会った女性の中で一番心がきれいな女性だと気が付いた。
彼女ができると必ず母親に連絡していた正臣が母親に電話で、
「好きな人ができた」
と伝えると、母親は彼女の名前も聞かずに、
「あなたがいいのなら、誰とでもいいから結婚しなさい」
と言った。
正臣の母親の
(正臣と小百合に取り返しがつかないことをした)
と自責の念を抱いていたためであった。
真理子の出した結婚の条件は、
「浮気する時は、私にバレないようにして」
であった。真理子は正臣の働きぶりや家庭環境をよく知っていたので、他に臨むものはないようだった。
『浮気をする時はバレないようにして、死ぬまでだます』
正臣はこれだったら自分にもできそうだと思った。そして、
『結婚したら、美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる』
と言われているので、正臣は真理子にプロポーズした。
もちろん真理子は、自分の結婚が決まったことを周りに
真理子は安奈が正臣に恋していることを知っていたので、安奈に伝えるとしても、安奈に言うのは最後にしようと思っていた。
正臣は自分の素性が分からないように、『夢しか持たない、貧しい学生』を演じていたが、正臣の父親の会社から九大に求人に来る人事課長が必ず正臣のところに挨拶に訪れることから、正臣がその当時の九大の
真理子がその御曹司を射止めたことが九大の中で広まらないはずなかった。
その頃の安奈は、たとえ結婚できなくても正臣の子供を産みたいというほど正臣のことを慕っていた。そんな安奈は、大学に勤め始めた時から自分をやさしく指導してくれた真理子の結婚が決まったことを九大のパート職員仲間のうわさ話で知って、真理子に聞いた、
「古山さん、結婚が決まったって聞いたけど、本当?」
それに対して真理子は、
「うん、そうよ」
とだけ言った。安奈は、
「相手は誰? 私の知っている人? ねえ、誰よ? 教えてよ」
「河村さん」
真理子がそう答えると安奈は、
「嘘、嘘でしょう。嘘に決まっている。そんな事があるはずがない。また冗談言って、人をからかっている」
と言った。真理子が、
「冗談じゃなくて、本当よ」
と言うと安奈は、
「そう、河村さんって、男らしいからね」
と言った。
その日、安奈は正臣が好きだといった『段カット』の髪を切った。
安奈の二年に及ぶ恋の終わりであった。
文字通り人一倍実験して多くの論文を発表した正臣は、九州大学の史上最年少で『工学博士』の学位を取った。
もちろん正臣の博士論文は、真理子が清書したものであった。
その校正段階の論文を正臣が副査である応用化学の加藤先生のところに持って行って、
「君は字が奇麗だね」
とおっしゃった。正臣は、
「実はこれは、僕の婚約者が清書したものです」
と言った。すると加藤教授は、
「それにしても君の彼女は、自然科学に精通した人だね。間違いが一つもないよ」
とおっしゃった。正臣は、
「実は、僕の婚約者は古山真理子です」
と言った。すると加藤教授は、
「それで分かった。あなたの博士号はあなたじゃなくて、古山さんに上げないといけないね」
とおっしゃった。正臣は、その通りだと思った。
九大の歴代最年少で工学博士になったと言うのに、正臣に対する時代の仕打ちは、ひどいものであった。
正臣が博士課程を修了する年に、彼が所属していた研究室の助手の席が一つ削減されたのである。それは、正臣が座ることになっていた席であった。助手削減の理由は研究室が新しい専攻に変わったためであった。
自分ではどうすることもできない不可抗力が、またしても正臣の行く手を阻んだのだった。しかし、
(僕は、母親の誤解により最愛の人と別れさせられた)
そう思うと正臣は就職先が突然なくなったことくらい、どうってことなく思えた。
オーバードクターになった正臣は、『日本学術振興会奨励研究員』に応募して採用された。それは、オーバードクターのための奨学金で、返済義務はなかった。また、支給される金額も助手の初任給より多いというものであった。
その年のその奨学金の採用者数は全国で三人だけで、東大、阪大、九大からそれぞれ一名であった。正臣は、超難関の研究員に採用されたのは自分の力ではなく、研究室の教授の力だと思った。
月に十三万円の奨学金がもらえるようになった正臣は、真理子と所帯を持った。
正臣と真理子の結婚は、九大の女性パート職員の間で歴代のベストテンに入る「玉の輿」と噂された。それは新郎の実家が大金持ちと言うことよりも、しこめ(醜女)が美男を手に入れたという意味合いの方が大きかった。
真理子は安奈を結婚式に招待した。そして安奈を一番後ろの席に座らせた。それはシュガーが歌っていた『ウエディング・ベル』状態であった。正臣は、女にはみんな残酷なところがあるということを知った。
正臣と真理子の新婚の住まいは、かまぼこ屋の三階の空調のないオンボロアパートだった。
真理子は大学の仕事をやめて、正臣を支えるため、主婦業に専念した。
正臣は大学の研究室で、助手以上の仕事をした。
それで一年はしのげたが、一年たってもいい就職先はなかった。そして、日本学術振興会の奨学金は打ち切られた。
艱難辛苦とはこのことだが、明けない夜はないことを正臣は大学受験浪人の経験で知っていた。そして、
(あの時、母親の誤解により最愛の人と別れさせられたことに比べたら、こんなことは何ということはない)
と自分に言い聞かせた。
(チャンスは太陽と同様に、どんな人にも均等にめぐって来る。大切なのは、それをものにするかどうかだ)
正臣は日ごろからそう思っていた。
正臣は生活費を稼ぐために、非鉄製錬会社の委託研究員になった。それと並行して私立大学の非常勤講師をした。
『若い時の苦労は買ってでもせよ』と言われるが、この時の苦労がまさにそれであった。
非鉄製錬会社の委託研究は、製錬所の現場で問題になっていることについて大学で検討し、その結果を製錬所に行って報告するというものであった。
その頃、製錬所ではボイラートラブルという熱交換機に溜まるダストが問題になっていた。それが何であるかはエックス線回折で分かるが、その形態が温度や雰囲気によってどう変わるかを予想することは困難であった。
正臣は熱力学を用いてポテンシャルダイグラムを作ることにより、ダストの形態を予想できることを明らかにした。その結果、製錬所の困り者であったボイラーダストを金属資源として利用することが可能になった。その他にも製錬所の現場で問題になっていることを数多く知り、正臣は問題解決の手立てを身に着けることができた。
正臣が研究結果を報告するために製錬所に行った時に製錬会社が用意してくれた正臣の宿は、初めの内は製錬所の独身寮だったが、やがて旅館になり、一年たった頃には、「浜御殿」と呼ばれていた製錬所の迎賓館に変わっていた。
オーバードクターの二年目が終わるその頃、正臣と真理子の間に長女の由希が誕生した。
真理子は由希を出産費用が安い九大病院で産んだが、真理子の母親と一緒にお祝いに来た真理子の叔母は由希を抱いて、
「まあ、可愛い。河村さんにそっくり」
と言った後、真理子の母親に、
「真理子ちゃんに似てなくて、本当に良かったね」
と言った。真理子のお母さんは、自分の姉のその言葉に返す言葉が見つからないようであった。
その頃正臣は、国立大学の助手に採用されることが決まった。
その大学は、熊本大学であった。
「私と由希も、あなたに付いて熊本に行ってもいい?」
と、真理子が生まれたばかりの由希を抱いて聞くので、正臣は、
「そんなこと、当たり前だろう」
と答えた。そして正臣は、
(これでやっと、窓の隙間から小雪が舞い込むオンボロアパートから出られる)
と思った。
正臣は熊大に赴任する一週間前に、九大の先生方にあいさつ回りをした。
最後に正臣は、当時九大の助手をしていた村川先輩の部屋に行った。
「村川先生、今まで本当にお世話になりました。これからもいろんなことを教えてください」
正臣がそう言うと、村川先輩は、
「河村に教えることなんて、もう何一つないよ」
と言って下さった。
結果的に正臣は、九工大から九大そして熊大と、金属に関する学科がある九州内のすべての大学を回ることになったのである。
異なった大学の研究の仕方を学ぶことなど、なかなかできないことである。正臣がそれまでに四つ研究室を変わって、様々な研究手法を身に付けることができたのは、すべて縁によるものであった。その上、非鉄製錬会社の現場の問題点を知り、その会社の人達との人脈ができたこと、さらには非常勤講師をした私立大学の教授法・・・自分では意識しない間に正臣は、一つの大学しか知らない大学人には太刀打ちできない力を身に付けていたのである。
正臣は家族三人で熊本の公務員宿舎に入居した。福岡にいた時に借りていたアパートの家賃が月に三万円だったのに対して、その公務員宿舎は部屋数が一つ多いにも関わらず、家賃は二千五百円だった。東京の公務員宿舎が民間の賃貸しアパートに比べて安すぎると問題視されることがあるが、当時の公務員宿舎の家賃は、その立地条件や部屋の広さではなく、築年数で決まっていた。正臣たちが入居した熊本の宿舎は、日本で最初にできた鉄筋コンクリート製の公務員宿舎だったので、民間アパートの十分の一以下の家賃で住めたのである。
正臣が熊大の助手になって手にした最初の手取りは、『日本学術振興会奨励研究員』の奨学金で噂されていた通り、奨学金と同額の月に十三万円だった。しかしそれは、共済年金や共済保険等の社会保障費、所得税や住民税などの税金、現在の「積み立てNISA」に相当する財形年金と財形貯蓄そして宿舎の家賃などをすべて差し引いたものであった。詳しく計算してみると、文部科学省は手取りの十三万円とほぼ同額を正臣とその家族の社会保障等のために国に払っていることが分かった。正臣は正規の大学教官になることで、手取りは同じでも実質的な収入は二倍になったのである。
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