第1話 中学~高校入学
河村正臣は、高校三年の時に三年二組にいた三人の初恋の人のことを思い出した。今の自分があるのは、彼女達との出会いがあったからだと思った。そして、人生が良くなるか悪くなるかは、人とのかかわり、いわゆる「縁」次第であることに気が付いた。
愛しき日々は、はかなくて、うまくいく恋は、恋じゃない
――― 真樹 ―――
昭和三十七年の九月、小学校六年生の河村正臣と高良真樹は、小学校の鼓笛隊で若戸大橋の渡り初めをした。正臣はリコーダーを吹きながら、真樹は小太鼓を叩きながら、若戸大橋の若松側から戸畑側へ車道を行進した。それは当時「東洋一のつり橋」と言われた若戸大橋の開通式であった。
その頃の若戸大橋には歩道があったが、正臣たちは歩道を使わず、戸畑側の橋脚の内部にあった歩行者用エレベーターで地上に降りた。そして、若戸渡船で戸畑から二人の家がある若松に戻った。
若戸渡船の座席に座ると、すぐに真樹が言った。
「やっと座れた。私、疲れちゃった」
「僕も。予行演習が長かったからね」
正臣がそう言うと、
「私は本番で緊張したからよ。テレビ局のトラックも来ていたね」
と、真樹は言った。正臣はそれに
「そうだね。夕方のテレビのニュースで僕たちがテレビに映るかもしれないね。でも今日は天気が良くてよかったよ」
「そうね」
洞海湾の海面にはギラギラと光る油が浮いていた。若戸渡船はデッキに出ることができたが、その頃は誰も客室の外に出ようとしなかった。それは、ゆっくり回るスクリューが腐った玉ねぎのような匂いを洞海湾からすくい上げていたからであった。
「若松渡し場」のバス乗り場で家に帰るバスを待っていた時に真樹が正臣に、
「今日初めて渡ったけど、すごい橋ができたわね」
と言うと、正臣は、
「この橋はゴールデンゲートブリッジに似ているよ。ゴールデンゲートブリッジってさー、さびを防ぐために、一年中どこかが赤いペンキで塗られているそうだよ。この橋も同じかな?」
と、その前の年の夏休みに家族で行ったサンフランシスコにあった赤い橋のことを思い出してそう言った。
正臣と真樹は夕日に映えた若戸大橋を見て、自分達の故郷に美しいものができたと思って嬉しくなった。
その翌年、門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市の五つの市が合併して北九州市ができた。
河村正臣は昭和二十六年に北九州の若松で生まれた、いわゆる戦後っ子であった。高良真樹も同い年で、生まれ月も同じだった。
二人は家も近く、生まれた病院も同じという、不思議な縁で結ばれていた。
当時の若松は筑豊炭田の石炭の積み出し港として知られていたが、八幡製鉄所の企業城下町の一つでもあった。
正臣と真樹は、小学校の一年から三年まで同じクラスで、三年から六年までの三年間は鼓笛隊でいつも一緒にいた。そして中学校では三年間同じクラスだった。
正臣が小学校六年生だった年のお正月に「鉄腕アトム」のテレビアニメが始まり、同じ年の秋に「鉄人28号」のテレビアニメが始まった。正臣はそれらの主人公よりも、地球を救うロボットを作った「お茶の水博士」と「敷島博士」に憧れた。
そして正臣は、『世界を救う博士になりたい』という夢を抱いた。
その年の十二月、紅葉中学から真樹と一緒に下校していた時に正臣は、
「僕は将来、世界を救う博士になるのだ」
と真樹に言った。真樹は正臣の夢には興味を示さず、ただ笑っているだけだった。
その時、小さな白いものが空から降りてきた。
「あっ、雪よ」
「本当だ、雪だ。積もるといいな」
と、正臣は雪遊びができるくらい雪が積もってほしいと思った。しかし真樹は、
「積もり過ぎると、明日学校に行けなくなっちゃうわ」
と言った。
「学校に行けなくなるほど雪が積もったことなんて、今まで一度もなかったよ」
正臣がそう言うと真樹は、
「そんなことないわ。小学校二年の時、雪が積もって学校が休校になったじゃない。私はそれを知らずに何とかして学校に行ったわ。そしたら雪のために家に帰れなくなって、その日は河村君の家に泊めてもらったじゃない。そして小学校の校庭で大きな雪だるまを作ったわ」
正臣はそれをすっかり忘れていたが、そんなことがあったのかと記憶をたどった。
正臣の家と真樹の家は、どちらも若松の深町一丁目にあったが、正臣の家は小田山の下のバス通りにあり、真樹の家は小田山を越えた所にあった。
そのため雪が積もると小田山に向かう坂道は歩いて上がれなくなるので、真樹が言うことは本当だろうと正臣は思った。そして正臣は、
(女の子は、どうでもいいことまでよく覚えているものだ)
と感心した。
正臣は中学一年生くらいまでは真樹のことを単なる幼馴染みとしか思っていなかったが、二年生になるとお互いに意識するようになった。
それを知っていたかどうかは分からないが、カメラ好きの真樹のお父さんは、二人のツーショット写真を何度か撮ってくれた。
中には、真樹のお父さんが、『セルフタイマーの練習だ』と言って、真樹のお父さんやお母さんも一緒に入った、四人で並んだ写真もあった。
中学二年の冬休みに真樹の家に友達が何人か集まってカルタ取りをした時、正臣は真樹の手を握ったことがあった。
それは意図したことではなく、カルタ取りの最中に起こった偶然の出来事だった。
「あっ」
真樹が小さな声を上げ、正臣は押さえ付けていた彼女の手がカッと熱くなるのを感じた。そして、真樹が急いで手を引っ込めたので、彼女が押さえていたカルタは正臣のものになった。
(高良さんは、僕のことが好きみたいだ)
正臣は、そう思った。
その次の日、母親の代わりに「だるま市場」に買い物に行った正臣は、やはりお使いでその市場に来ていた真樹と市場の入り口で出会った。真樹は口元を手で隠して笑った。
正臣は真樹の笑った顔が好きだったが、その日は例外であった。
正臣は真樹に馬鹿にされたと思い、その日以降、正臣は母親に代わっての市場への買い物には行かなくなった。
北九州市は昭和五十四年に福岡市に抜かれるまで、九州で人口が最も多い都市であった。しかしながら昭和五十二年くらいまでは、行政区や学校区は昔の五市の体制を色濃く残していた。
そのため当時若松区に住んでいた中学生は、県立高校であれば若松区内にある高校しか受験することができなかった。
高校受験を一年後に控えた中学二年の三月、高良真樹は普通科の若松東高と実業科の若松西高のどちらを受験しようかと迷っていた。
それを知った正臣は、自分が志望する東高に真樹にも入ってほしいと思った。
そこで正臣は新聞の活字をハサミで切り取り、それを便せんに糊で貼って手紙を作った。
正臣が丸一日かけて作ったその手紙は、次のように
『高良真樹さん、僕はあなたのことが大好きです。僕は東高に行くから、あなたも頑張って東高に入ってください。あなたが東高に入ったら、僕が誰であるか打ち明けます』
そして正臣は、その手紙に差出人を書かずにポストに入れた。
中学三年の夏休みに、正臣は気の合う仲間十人ほどで九重の牧ノ戸にキャンプに行った。その時も真樹は一緒だった。
その頃の中学生のキャンプはバンガローを使うのが一般的であった。そして、九重少年の家などの公共施設であれば、バンガローは男子サイトと女子サイトに分かれていた。そのため親は、安心して子供達をキャンプに送り出すことができたのである。
しかしながら就寝時間になるまでは、男子と女子が入り混じってゲームをしたり、話をしたりしていた。
正臣は、昼間はキャンプ場の下を流れていた川でニジマス釣りをしたり、水着に着替えて川の中で真樹とじゃれ合ったりした。
真樹の体はその時には大人になっていたが、奥手の正臣の体は、まだ子供のままであった。
九重の星空は、若松の夜空とは比べようがないほどきれいだった。
バンガローの窓から天の川を眺めて、真樹が言った。
「織姫と彦星は、一年に一度しか会えないなんて、可哀そうね」
正臣は、すぐにそのムードをぶち壊すようなことを口にした。
「織姫と彦星は、こと座のベガとわし座のアルタイルのことで、どちらも太陽と同じ恒星だろう・・・と言うことは、あいつらの寿命は八十億年以上あるのだ。寿命が平均八十年の人間が一年に一回会う
正臣はそう言って、何やら計算し始めた。
同じバンガローにいた植田は、
(どうせ河村は、科学的と言うか数学的と言うか、僕にはまったく興味のない話をするのだろうな)
と思った。すぐに正臣は、
「織姫と彦星が一年に一回会っているとすれば、それは人間同士なら0.3秒に一回会っていることになるのだ」
と言って、そのバンガローにいた五人にその根拠を説明し始めた。
その説明を植田は退屈そうに聞いていたが、真樹は、
「そう、面白いわね」
と、正臣の説明がよく分かったかのように言った。
正臣と同じように科学好きの米川は、
「ベガとアルタイルは、十五光年も離れているのだぞ。彦星が光の速さで織姫に会いに行ったとしても、行くだけで十五年かかるのだから、織姫と彦星は一年に一回会える訳ないだろう」
と、もっともらしいことを言った。
話が終わって就寝時間が近づくと、正臣と植田と米川の男子三人は真樹がいるバンガローを出た。そして正臣達が男子用のバンガローに帰ると、そこで男子とトランプをしていた女子二人は、さっきまで正臣達がいた女子用のバンガローに帰った。
正臣は、中学三年の秋に学校のバスハイクで行った下関の火の山公園から見た光景を今でも忘れてはいない。
そこから北九州の町を見ると、そこは真っ黒いスモッグですっぽりと覆われていたのである。
(僕が住んでいる町は、なんて汚いんだ。まるでスモッグのドームの中じゃないか。あんな所によく人間が住んでいるよ)
正臣はそう思って、隣に立っていた真樹に、
「あんな所には帰りたくないな」
と言った。
「そうね。でも、私達の家はあそこにあるのだから仕方ないわ。誰かが何とかしてく れないかしら」
真樹はそう言って、正臣を見た。
その帰りのバスの中で、真樹は隣の席に座っていた正臣に、
「今年の春、誰が出した手紙なのか分らないけど、私に頑張って東高に入ってほしいという手紙をもらったの。その手紙をくれた人が誰か知りたいから、私、東高を受けることにしたよ」
と言った。
その話しぶりは、その手紙の差出人が正臣であることを知っているかのような口ぶりであった。
正臣はバスが関門トンネルを抜けて北九州市に入ると同時に、亜硫酸ガスを思わせる鼻をつく匂いがバスの中に入ってきたように感じた。そして正臣は真樹が言うように、本当に誰かが何とかしてくれないかなと思った。
工場の煙突からは水蒸気しか出さず、工場から出る排水を人間が飲めるレベルまで浄化する技術を将来の自分が開発することになるとは、その時の正臣は思ってもいなかった。
正臣が中学を卒業する前に、正臣の家族は深町から山ノ堂町に引っ越した。それは、正臣の父親の会社の課長社宅から部長社宅に変わったためであった。
県立高校の合格発表の日、正臣は自分の受験番号と名前、そして、真樹の受験番号と名前が若松東高の合格者掲示板に載っていることを確かめた。
(これで高校に入っても、真樹と一緒にいられる)
正臣は、その喜びを真樹と共有しようと彼女の家に向かった。しかし、彼女の家がある小田山に続く坂道にさしかかった時、正臣の胸にためらいがよぎった。
(今日、高良さんは高校合格を家族と喜び合っているだろう。わざわざ僕が行って、あの手紙のことを打ち明ける必要はない。時間はこれから十分あるのだから)
そう思った正臣は、きびすを返して自宅に向かった。
自宅から東高までは歩いて十分しかかからないのに、正臣が合格発表を見に行ってから自宅に戻るまで一時間以上が経っていた。
正臣の母親は、気もそぞろで正臣の帰りを待っていた。
「どうだったの? 合格したの? 帰りがあまりにも遅いから、お母さん心配していたのよ。合格したの?」
と聞く母親に正臣は、
「当り前じゃない。まさかお母さん、僕が東高に落ちるとでも思っていたの?」
と答えた。
その日、正臣の母親が作ってくれた夕食は、正臣の大好きなカレーライスだった。
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