マッシロクッチョ
アオイ・M・M
マッシロクッチョ
俺の名前は白井勇という。
しらい、いさむ、だ。
こんな当たり前のことからお前に説明しなきゃいけない日が来るなんてな。
このノートをおまえが見ているとき、おまえが俺の事を覚えていればいいが。
もしも俺のことを忘れていたらどうか、気味悪がらずに最後まで読んで欲しい。
俺の実家は、**県の**市にある**町というさびれた町だ。
正直なところ俺も混乱していて、この手紙にもおかしな部分があるかもしれない。
ある程度は見逃してほしい。
何から話すべきか悩んだが、結論から言う。
いや結論から言うには長過ぎるか、最初から順を追って話す。
俺には妹がいたらしい。
悠、という名前だ、ユウ、だな。
らしい、というのは他でもない。
俺には悠の記憶が一切ないからだ。
だというのに今、俺は妹の話をしている。
繰り返しになるが、気味が悪いことだろうが最後まで読んで欲しい。
この盆休みに俺は実家に帰省していた。
俺の家には母親と父親がいて、祖母は介護施設に入っている。
祖父はもう6年も前に鬼籍に入った。
鬼籍っておカタい言い方か?
死んだ、ってことな。
地元は田舎で、スマホでネットサーフィンするくらいしかすることが無く。
地元に残ったり戻ってきたりしているダチはいなかったし、遊ぶ場所もねぇし。
帰省2日目にして早くもギガを使い切って(だってWifiとかねぇし)、俺は本気で暇になった。
それで、懐かしの我が家を歩き回ってみたんだ。
他意はない、大した意味もない、ほんとに暇だったせいで。
居間、風呂、トイレ、物置、仏間、俺の部屋、両親の部屋、祖父母の部屋。
広くもない実家を見て回って、まあなんもねぇなと自分の部屋に戻ってきたときだ。
俺は、俺の部屋の隣に部屋がある事に気づいた。
いやまあ部屋くらいあっても良いんだけど、何の部屋か思い出せなかった。
深く考えもせずに俺はその部屋に入った。
知らない部屋だった。
家具からして女の子の部屋で、年齢はそんなにいってないと思った。
だが、心当たりはまるでない、ほんとに一切なかったんだ。
気味が悪いと思いながら俺は暇だったせいか興味をそそられた。
ドアを閉じて回れ右するんじゃなく、家探ししてみる事にしたんだ。
本棚の本の品ぞろえだとか、置いてあるランドセルだとか、教科書だとか。
その辺を見るに小学生高学年の女子の部屋らしかった。
そして俺は、机の上に日記が置いてあることにすぐ気づいた。
両親のいたずらにしては手が込んでいると思ったが、すぐそんなことはありえないと思った。
さすがにな? やりすぎだろ。
日記には丸っこい字で名前が書いてあった。
白井悠。
覚えのない名前だった。
さっき妹だって言わなかったかって?
まあ、それはこの後説明する。
おもちゃみたいな鍵がついてたがそれは秒で壊した。
暇だったし、好奇心を止められなかったし、俺の家にあるもんだし?
遠慮することねぇだろって。
読んでみた。
それはまさしく白井悠の日記だった。
俺の妹の日記だった。
日記の中で俺はイサ兄と呼ばれていて。
いたずらすることもあるが基本的に優しい兄として描かれていた。
俺は去年、悠を夏祭りに連れて行ったらしいぜ?
りんご飴を買ってやったし、イカ焼きもはんぶんこした。
帰り道で転んだ悠をおんぶして帰ってきたんだとさ。
心当たりはまるでなかった。
記憶にはないのに、俺に妹がいたとして、俺がその状況に置かれたらどうするか。
まさしく「ああ俺っぽいな」って感じの日常がそこには記されていた。
そんな記憶はないのに、俺は泣きそうになった。
古い日記も探して、押し入れの中にあったそれも全部読んだ。
気持ち悪い行動だったかもしれねぇ、でもそうするのを止められなかったんだ。
なんで俺は悠のことを忘れているんだろうって。
そして、最後の方のページ群に、信じられない内容があった。
「山の中で、河の上に浮いてる真っ白な光を見た。
お昼だからはっきり見えなかった。
あざみちゃんと二人で、マッシロクッチョと名前を付けた」
「あざみちゃんがクラスの掲示板マッシロクッチョの動画を貼った。
みんな嘘だと言って信じてくれなかった」
「夜、こっそりとあざみちゃんとマッシロクッチョを見に行く約束をした。
改めて動画を取って、今度こそみんなに見せてやるんだ」
「熱を出して行けなくなった、おかあさんが外に出ちゃダメだって。
あざみちゃんは1人ででも見に行くって返事があった」
「あざみちゃんって誰だろう?
日記を読み返した。あざみちゃんはクラスメートで、私の友達、だったんだって」
「全然記憶にないのに、日記の字は私の字だ。
私はあざみちゃんとずっと仲が良かったんだ。
あざみちゃんの顔は思い出せない、苗字も分らない。
日記にはあざみちゃんとしか書いてないから」
「あざみちゃんがいなくなった。それどころか誰もあざみちゃんを知らない」
「掲示板に貼った動画も消えていた、私はやっぱりあざみちゃんを思い出せない」
「でも、日記が教えてくれる。あざみちゃんは確かにいたんだ。
私の大切なお友達、あざみちゃん」
「私があざみちゃんを一人で行かせたから、そのせいかな」
「私もマッシロクッチョを見に行く」
だいたいこんな感じの内容だった。
そこで日記は終わっていた。
俺が帰省する3日前の日付だった。
マッシロクッチョ。
そう、マッシロクッチョだ。
俺のかわいい妹を、悠を。
俺の記憶から、この世界から消したのはマッシロクッチョだったんだ。
真鍋。
もしもおまえがこれを読むことがあって、俺のことを覚えていたら。
タチの悪いいたずらだと笑ってくれていい。
だけど、もし。
おまえが俺を知らずに、俺を忘れていたら、どうか。
ノートの文章、あるいは、手紙と呼ぶべきか?
それはそこで終わっていた。
私は右手でノートを閉じる。
左手のフォークで真鍋君におごってもらったチーズケーキを切断する。
一口サイズになったそれにフォークを突き刺し、くるりと回して弄んだ。
片手でチーズケーキをわしづかみにして、直接かぶりついた方が早い。
早いのだが、そうはしない。
これが自室で私一人ならそうしていたかも、いや、そうしていただろうけれど。
それは淑女としてどうかと思うので。
少なくとも、人前ではやらない。
私の
弄ぶのをやめて、一口サイズのチーズケーキを頬張る。
ちゃんとよく噛み、飲み込む。
右手でティーカップを持ちあげ、一口飲んだ。
真鍋君は無言で私の一挙手一投足を見守っている。
私は小さく嘆息して、ノートを開き直し、そして。
該当ページを、長い文章を、手紙を破り取り、丸めて握りつぶした。
真鍋君は「なんてことを」という顔を一瞬したが、それでも何も言わなかった。
たぶん、真鍋君もわかっている。
チャラチャラした今時の、頭の中身の詰まってなさそうな外見に反して。
真鍋君は頭が切れる、私が知る限りでは一番、いや3番目くらいに頭がいい。
だけど、そう。
謙虚、というには言葉がきれいすぎるか。
彼は自信がないのだろう。
結論に思い至っても、自分の考えが正しいという確信、あるいは自信がない。
だから私のところに相談に来る。
無駄なことをしている、と思う。
結局彼は、彼の中で結論が出ている事を。
私に同意、あるいは、なんだろう?
背を押して欲しかったり、あるいは止めて欲しくて、か。
ともかくそういうナニガシカを求めてやって来るのだ。
服を2つ並べて「どっちが似合うと思う?」と、
自分の中で既に結論が出ているのに尋ねる女子のそれとなんら大差はない。
今回のこれは後者だと思う。
彼もたぶん、薄々わかっているのだ。
私はテーブルの上で、私に握りつぶされて球になったページを指先でつつき。
転がし、弄びながら、真鍋君を見た。
言ってやらなくてはならない。
それがたとえ、無駄な、二度手間にすぎない事だったとしても。
少なくとも。
おごってもらったチーズケーキと紅茶分くらいの仕事はしなくてはならない。
それが
「真鍋君は、」
そう私は口火を切った、言いながら頭の中で言葉を探している。
自慢ではないが私は頭の回転が速いので、一呼吸挟むこともなく続けた。
「マッシロクッチョを見に行きたいんですか?」
真鍋君は無言。
だが表情はありありとそうしたかったと物語っている。
同時に、それが「間違っている」ことにも気づいている。
なので言葉にしてあげなくてはならない。
「やめた方が良いと思いますよ」
「なぜ?」
一言、真鍋君が問い返してくる。
わかってるくせに。
「この怪異、と呼んでいいのかわかりませんが。
まあ怪異と呼んでおきましょうか。
それともマッシロクッチョと呼ぶべきですか?
せっかく名前があるみたいですしね」
言って、私は紅茶をまた一口。
「この怪異には妙な点があります。
わかりますか?」
「いや……」
わかってるくせに。
気づいているくせに自信がないんですよね、あなた。
「――1人の人間を、ネットの書き込みやアップロードされた動画を。
消す。
それだけの能力がマッシロクッチョにはある、ということになります」
いや、白井勇と白井悠の2人でしょうか?
まあどうでもいいですか、そこは。
私の言葉に真鍋君が神妙な顔で頷く。
私はめんどうだな、と思いながら言葉をつづけた。
「だというのに白井悠の日記は消えていない。
白井勇のノートの記述も消えていない」
言いながら、私は真鍋君のノートをテーブルの上で滑らせ、彼に返した。
あのノートは真鍋君の大学ノートだ。
誰に貸したか覚えがないノートが、アパートのポストに返却されてたらしい。
貸したことを忘れる事はまあ、あるにはあるだろう。
それがポストに戻ってくることもないわけではない事に思える。
「誰かの悪戯ですよ。
それ。
――そう思っていた方が平和です」
真鍋君は無言。
仮に。
悪戯ではなかったとして。
ではなぜ手書きの日記やメモは残っているのか?
マッシロクッチョの消去能力には綻びがある。
なるほど、そういう可能性もあるでしょう。
「でも、」
「でなければこれは罠です」
私は何か言いかけた真鍋君を、なめらかに刺した。
そう、これは罠なのだ。
これが本物の怪異なのだとしたら。
多数の大衆の口に、話題にのぼることを忌避しながら。
それでもなお、ごく少数の人目につくことを望む理由。
それは罠でしかありえない。
あるいは撒き餌と表現すべきか。
誰にも知られずにいるのは損だろう。
その怪異が人を食うものなのだとしたら。
人知れず山間にただ漂うことを善しとはすまい。
餌の方から来てくれるように仕向ける方が好都合なのだから。
「――そもそも、本当に白井悠は、白井勇は実在していたのですか?」
わからない。
真鍋君は無言だったが、その表情はそう雄弁に語っている。
それはそうだろう、彼らの実在の証拠はどこにもない。
ただ1つ、ノートに記された真偽定かならぬ文章だけだ。
それに、と私は続けた。
「記憶から消えた誰かを探す、というのがそもそも変では?
覚えていない誰かを探すために、そこまで人は躍起になれるでしょうか?
知人が、友人が、家族が、恋人が消えたというのならまあ……、わかりますよ」
そう、それならわかるのだ。
大切な誰かが消えたから探しに行く、それならば筋は通るのだ。
誰かも、いたかもわからない誰かのために、人はそれほど熱心になれるだろうか。
ならないだろう、普通。
だからこれは事の始まりからして異常なのだ。
マッシロクッチョには、そういう焦燥感を引き起こす能力もあるのだろうか?
冷静に考えれば結論は出ている。
触れるべきではない。
近寄るべきではない。
これは忘れるべき事柄なのだと。
「ごちそうさまでした、真鍋君。
――ああ、そうだ。
私は日記はつけていないので、期待しないでくださいね」
「……ああ、俺も手紙は書かないと思う」
ほらね。
あなたはそういう人ですよ、真鍋君。
私は音をたてないように椅子を引いて、立ち上がる。
淑女らしく目礼して真鍋君に背を向けた。
この話はこれで終わりだ。
こじゃれたカフェのドアをくぐって炎天下の町に出て、
ギラついた日差しに目を細めながら私は思った。
ああ、それでも。
たぶん私は身に覚えのない真鍋君からの手紙が来たら。
マッシロクッチョを許さないだろうな。
マッシロクッチョ アオイ・M・M @kkym_aoi
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