三 重なる世界

 あわい光の中でゆっくりと目を開ける。どこか夢の中にいるような、ふわふわした感覚だった。しばらくあわい光の踊る天井を見つめてから、つむぎは思い出したように飛び起きた。

 周囲を見回すと、ベッドが幾つも並んでいる。消毒液の匂いがすることから病院のようだ。つむぎはここが夢の中で最初にいた場所だと気づいた。

 ——つむぎ。起きた?

 耳元でゆらの声が聞こえる。紬は思わず周囲を確認した。

「ゆら?」

 ——うん。

「まずは、ここから出る」

 ——分かった。

 紬はすぐに旗を捜したが、見える範囲に旗はなかった。

 服を見るとブレザーだけ脱がされ、ベッドのそばの木製ハンガーポールにかけられていた。紬はベッドの下の靴を履くと、ブレザーを着てから、扉に向かった。

 ドアノブを回して外に出ようとして、紬は扉が開かないことに気づいた。扉の向こうで会話を交わす声が聞こえる。目が覚めたようです、誰々を呼びなさい、という女性の声だった。

 事態がのみこめないが、閉じこめられたのは明らかだった。

(待って。今、何時?)

 紬はふり返り、窓に走って、カーテンを開いた。胸ポケットから〈日見鏡ひみかがみ〉を取り出して空を見る。太陽はふたつ。まだ、〈日重ひかさなり〉は始まっていない。

「目が覚めましたか?」

 背後からの声に紬がふり返ると、ゆらと同じ白い髪が目に入った。ゆらの異母兄である〈光和之国こうわのくに〉帝国軍元帥、品木しなき統志郎とうしろうだった。背後には女性が二人、控えている。

「品木さん……」

「〈光和之堂こうわのどう〉以来ですね。紬さん」

 品木はほほえんだ。屋隈やくま達の安否を問おうとした紬の言葉を先回りするように品木は言った。

「屋隈大尉達は無事ですよ。まだベッドの上ですが」

「――え」

 紬は彼らがどうしているのか心配になった。不安そうな顔をしている紬に品木は続けた。

「しばらくはベッドの上から動けないでしょう」

 品木はゆっくりと歩いて紬に近づいた。紬は後ずさりしたが、背後は窓だった。

 至近距離まで近づかれたとき、品木が声を落とした。

「話は三ノ緒みのお様から聞きました。旗は〈光和之堂〉の王座の裏です。鞄もそちらに」

 紬はおどろき、顔をあげた。品木はほほえんでうなずいている。ゆらとよく似た金色の目が紬を優しく見つめていた。そして品木は大きな声で言った。

「ですから、彼らが目覚めるまでの間、ここで大人しくしてください」

「品木さん……」

 紬は軽く頭をさげた。最後に品木は紬と、ゆらにしか聞こえないようにささやいた。

「ゆら。これで約束は果たした。後は君に、まかせよう」

 品木は、さびしそうにほほえんだ。そうして品木は小さな声で言った。

「――ゆら。次に会うときは地獄だ」

 ――はい。

 紬は、ゆらの声が品木には聞こえないことを分かっていた。

「……ゆらの言葉です。はい、と言っています」

 ゆらの声に品木は目を開き、そして嬉しそうに、悲しそうにほほえむと目を閉じて背を向けた。そして扉まで歩くと、女性二人に告げた。

「後は頼みます」

 女性二人が敬礼すると、品木はふり返ることなく部屋を出た。扉が完全に閉まってから、紬は即座に動いた。夢の中の道順を思い出しながら、紬は窓に向かって歩いた。

 気をつけないといけないのは、夢の中と違い、人がいることだ。〈まれびと〉の紬はこの国で目立つ。見つかったら騒ぎになってしまうだろう。

 ——つむぎ。気をつけて。

「うん」

 紬は窓を開けて露台に出ると、周囲を常に確認しながら階段を使って、下に降りた。ゆらが夢の中で案内した道順は人があまり通らない道で、紬は誰にも見つかることなく〈光和之堂〉に続く大広場の前にあっさりと着いてしまった。

 三ノ緒から話を聞いた品木が手を回してくれたのだろうか。あるいは、〈光和之国〉の軍人の数が少なくなっているのかもしれない。

 実際の所は紬には分からないが、それでも手のひらが汗ばむような嫌な感覚だった。

 そのときだった。

 ——つむぎ。重なり始めている。

 ゆらの言葉で紬は胸ポケットから〈日見鏡ひみかがみ〉を取り出した。空を見ると建物の隙間から、かろうじて見える〈〉がゆっくりと近づいていた。

「急ごう」

 ——ええ。

 紬は建物の影から顔を出して、誰もいないことを確認してから、〈光和之堂〉に向かって走った。

 紬は〈光和之堂〉の玄関口から離れたところで立ち止まった。

〈光和之国〉の紋様。その周りを囲む〈日見上花ひみかみはな〉という名の白い花。

 紬は手を組んで目を閉じると、わずかな間、祈りを捧げた。

 ——つむぎ。

「分かっている」

 頭上の〈〉が重なるまでに時間がない。目を開けた紬はすぐに〈光和之堂〉の玄関に向かって、かけだした。両扉を開けてすぐに閉め、大広間から奥の扉へと走った。

 扉を開けると高い天井に圧倒される。奥に鎮座する王座の頭上の〈光和之国〉の紋様はやはり太陽のようにも見えて、見る者に畏怖を抱かせるような雰囲気を放っていた。紬は息をのみながらも、背中をまっすぐに伸ばして、身廊のまんなかを足早に歩いた。

〈光和之堂〉の中は静けさに満ちていた。天井の明かり取り窓から落ちる光の玉は無数に重なりあい、床を光で彩っていた。

 袖廊を通り、階段をあがり、王座にたどり着くと、紬は静かな呼吸をくりかえした。

 王座の裏にまわると、品木の言ったとおり、旗と、スクールバッグが敷いた布の上に丁重に置かれていた。

 紬は品木の配慮に感謝しながら、スクールバッグをリュックのように背負うと、旗を手に持った。

「ゆら。旗と鞄、あったよ」

 ——後は上ね。

「どこから入ったほうが近い?」

 ——王座の後ろに祭壇があるの、分かる?

「うん」

 ——その後ろに、螺旋階段があるから、そこから入って。

「分かった」

 紬は祭壇の裏にまわった。〈光和之国〉の国旗の紋様が彫られている黒い壁の裏に隠れるようにして螺旋階段はあった。

 紬は、螺旋階段の手すりの細やかな浮き彫り細工に見惚れながら、近づいた。近づいて分かった。手すりに施されていたのは、〈光和之堂〉の前の、石畳の上に描かれた白い花。〈日見上花〉だった。

 天窓から射しこむ光が螺旋階段を照らしている。紬は階に一度、足をのせてから、ゆらに言った。

「ゆら。行くよ」

 ——うん。

 紬は旗竿を強く握り、息を吸うと、螺旋階段を一気にかけあがった。

 紬は螺旋階段をかけあがりながら、きっと、誰かが、毎日、ここに来ているのだと思った。なぜなら、螺旋階段には、ほこりひとつなく、木製の螺旋階段は艶やかな色を見せていたからだ。

 紬は天窓を見た。〈光和之国〉の紋様を模したステンドグラスの天窓は、白い光に満ちている。

 紬は上へ、上へと、かけあがった。天窓が少しずつ、近づいている。旗竿を手に、荒く息をする。天窓に手が届く近さになったとき、紬は手を伸ばして、天窓の鍵を外した。階段をのぼりながら天窓を押しあげて、顔を出した紬は目の前の光景に声を失った。

 ——つむぎ?

「どうして」

 ——つむぎ。なにがあったの!

 紬は天窓から外に出て、立ち上がった。

「どうして、皆さんが、ここにいるんですか」

 紬の目線の先には、屋隈やくま日納ひのう顕谷あらや蓮香はすかが立っていた。

 ――つむぎ。もしかして、屋隈達がいるの?

「うん。屋隈さん達がいる」

 一人で話し始めた紬に、屋隈達はおどろく様子もなかった。

「……紬さん。あなたは今から、なにをしようとしているのですか」

 屋隈に問いかけられた紬は、すぐに答えられなかった。

 答えない紬に対して、屋隈は問いつめることをしなかった。紬が答えないと分かって、屋隈は、別のことを問いかけた。

「紬さん。では、これだけでも答えていただけないでしょうか? 昨日、あなたは神風を吹かせた後に倒れました。神風は、あなたの体に負担をかけるのでしょうか?」

 紬は一瞬、答えにつまった。今は気取られてはならない。このとき、紬はあることを忘れていた。

「――いいえ」

 とたん、手のひらに弾かれるような痛みが走った。手のひらに刻まれた〈光和之証〉を思い出した紬は青ざめた。嘘をつけない以上、彼らに隠し事は、できない。

(しまった……)

 紬は青ざめた顔で屋隈を見た。だが、屋隈はすでに知っていたような表情をしていた。それは日納、顕谷、蓮香も同じだった。屋隈達の表情にあっけに取られている紬に屋隈は言った。

「やはり、神風は、体に負担がかかるのですね……」

 悔恨をにじませながら言った屋隈に紬は無言だった。それは無言の肯定となってしまった。

「ゆらは、あなたの体を使ってまでも、なにをしようとしているのでしょうか。あなたの答えによっては、私は、あなたをここから行かせるわけにはいきません。あなたは子供です。私達、大人の願いによって、消費される存在であってはならないのです」

 それは、紬だけではなく、ゆらにも向けた言葉だった。

「……それでも、行かせてください。私は、ゆらと、約束したんです」

 だが、屋隈は首をふった。

「もう、いいんです」

 屋隈は静かな声で淡々と言った。

「この国は百年もの間、〈神風の子〉の犠牲によって生きながらえてきました。私達は、国の未来よりも、ゆらと共に生きる未来を望んでいた。友の……愛した人の犠牲と引きかえに得る未来なら、必要ありません」

 そう言った屋隈は覚悟を決めた顔をしていた。日納、顕谷、蓮香も同じように覚悟を決めた顔を紬に向けている。

 屋隈達の覚悟を前に、紬は奥歯をかみしめた。

 ——つむぎ。重なる。

 ゆらの声に紬は、目を閉じて、呼吸をした。そうして目を開けた紬は、屋隈、日納、顕谷、蓮香の顔を見た。

「私も、ゆらのやったことは、いいことだとは思えません」

 ——つむぎ……。

「でも……ゆらの気持ちが今は分かります。災厄を前にしたとき、私は、こんなにすさまじいものだと思いませんでした。これが生きている限り続くのだと知ったとき、ゆらの気持ちが分かりました。……ゆらは、自分が死んだ後のあなた達を案じたんです」

 紬は続けた。

「ゆらは……ゆらは、死のうと思って死んだんじゃない。あなた達の未来を選んだんです。だから、ゆらとの約束を果たさせてください! そうでなければ、ゆらば……あの暗闇の中でずっと、苦しむことになる!」

 紬は震える声でさけんだ。

 ——つむぎ。あなた、どうして

 分かったの、の声を聞く前に紬はさけんでいた。

「そうでしょう! ゆら! あなた、死ぬまで、ずっと暗闇の中にいるつもりなの? 私は、あなたも救いたい! これは、私の見勝手な願いなの!」

 そのとき、空がかすかに暗くなった。

 紬は、はっと気づくと、胸ポケットから〈日見鏡〉を取り出し、空を見あげた。ふたつの〈日〉と〈月〉が、たがいに重なろうとしている。

「重なる……!」

 紬は前を見た。

「紬さん! 行きましょう」

 屋隈からの予期せぬ言葉に紬は目を丸くした。

「紬さん! 早く!」

 蓮香に急かされて、紬は四人の後に続いた。〈光和之堂〉の屋上は、尖塔と、三角形の屋根で占められていた。三角形の屋根の両端には、移動や掃除のための細長い通路が設けられている。紬は四人の後に続いて細長い通路を走った。その間にもどんどん周囲は暗くなっていった。

〈光和之堂〉の先端に着いたとき、屋隈達は低い煉瓦の柵をまだいて、はり出した軒の上に立っていた。

 目を丸くする紬に、日納が声をかけた。

「紬さん。私達も、あなたと共に行きます」

 日納の言葉に紬は困惑した。

「でも」

「私達も、ゆらを呼んだ時点で重なっているのよ。もっとも、紬さんのように、ゆらの声は聞こえないのだけどね」

 蓮香は、ほほえみを浮かべて紬を見つめていた。

「紬さん。身勝手な願いなら最後までつらぬいてほしいと言っただろう。だから、俺達もあなたと行くさ」

 顕谷はそう言って、早く、と急かした。

「紬さん」

 屋隈が手を伸ばしたとき、紬は迷わず、その手を取った。

 柵をまだいて、軒の上に立った紬は〈光和之堂〉から見える景色を、その下の紋様を見た。はるか低いところにあるにもかかわらず、紋様はくっきりとした存在感を放っていた。

 紬は、思った以上の高さを前にして、足がすくんだ。

 ぐっと、奥歯をかみしめて、鼻から息をすった紬は、旗竿を強く、にぎりしめた。

「ゆら。重なったら、私と、屋隈さんと、顕谷さんと、蓮香さんと、日納さんと一緒に飛ぶから」

 ——うん。待っている。

 ゆらの言葉を聞いた紬は、右隣にいる屋隈と顕谷を、そして左隣にいる蓮香と日納を見た。

 たがいにうなずきあったあとで、紬は〈日見鏡〉で空を見た。

 もうすぐ、〈〉と〈つき〉がひとつになろうとしていた。ふたつの〈日〉をふたつの〈月〉がむ様子をながめながら、紬は心臓がどきどきしていた。

 ふたつの〈日〉と〈月〉がひとつになったとき、空が一瞬にして真っ黒になった。そうして紬は、重なった〈日〉と〈月〉に〈光和之国〉の紋様を見た。

「行きましょう」

 怖くない、と言ったら嘘になる。旗竿を強く握りしめながら、紬は一歩、足を踏み出した。彼らも紬と同じように足を踏み出した。

 ——つむぎ。待っているから!

 ゆらの声を聞きながら、紬は、せまりくる地面を前に身を固くした。

 地面に叩きつけられると身構えた紬の体は、水面に落ちたように地面にとぷん、とのみこまれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る