第二章 壊れゆく世界

一 一縷の望み

 開放的な吹き抜けの天井から注ぐ光が〈光和之堂こうわのどう〉の中をあわく照らしている。静寂に満ちた堂の中で自分の心臓の音だけが耳に届く。つむぎは旗を手に、天井から落ちた無数の光の環が重なり合うまんなかに立っていた。

 紬の背後には、屋隈やくま顕谷あらや蓮香はすか日納ひのうが薄暗闇の中で並んで立っている。

 紬は張り詰めた静寂の中で目の前をただ、見つめていた。

 かつて〈光和之国こうわのくに〉の神様がしていたと伝わる〈光和之堂〉は、一見すると、外国の礼拝堂のようでもあった。ゴシック様式に近い造りをしていると思われる〈光和之堂〉の多角形に窪んだ最奥部には主祭壇がある。その背後の黒い壁には〈光和之国〉の国旗の紋様が彫られていた。二重の金環の上に放射状の光の筋を重ねた、太陽のような紋様は金箔で彩られ、薄暗闇の中でも目立っていた。その手前には玉座があった。

 かぁん、と軍靴の音が堂に反響する。

 紬がふり返ると、その人は開け放たれた両開きの扉から、身廊に向かって足早に歩いた。踵まである白い髪が歩くたびに広がり、揺れる。薄暗闇に浮かぶ白い髪は光に当たると、あわく浮かびあがった。

「敬礼!」

 蓮香の声と共に屋隈、顕谷が右向け右、蓮香、日納が左向け左で道を開けると、その人はその間を歩いた。最後に紬を一瞥すると、なにも言わずに袖廊までを歩いた。

 そして正面を向くと、答礼で返した。

〈異世いせくに〉の〈まれびと〉よ。我が〈光和之国こうわのくに〉にお越しいただき感謝いたします。私は〈光和之国〉帝国軍元帥、品木しなき統志郎とうしろうと申します」

 美丈夫、という言葉の似合う人だった。美しい顔をしたその人は、金色の目をしていた。

「紬です。よろしくお願いいたします」

 旗を手にしたまま紬が頭をさげると、よい、と声がした。

「顔をあげなさい。あなたは〈まれびと〉です。この国では自由に過ごして欲しい」

 紬が顔をあげると、品木はおどろいた表情を浮かべ、すぐに表情を消した。

「……屋隈大尉」

「はい」

「禁忌を破ったね」

 品木は無表情だったが、その目には激しい怒りの色が浮かんでいた。

 屋隈は静かな声で答えた。

「すべてを終えた後で処罰を受け入れます」

 品木は紬の後ろに立つ屋隈を見つめていた。金色の目は光に照らされている。金色の目は紬に向けられた。

「妹に、よく似ている」

 品木は無表情であったが金色の目は悲しげに揺れていた。紬はその目の深い悲しみに思わず、目を逸らしてしまった。

 品木の目は紬から屋隈に向けられた。

「妹を想うなら、その役目は君であってはならなかった」

 金色に輝く冷ややかな目を屋隈に向けた品木は続けた。

「さきほどの報告だが、〈日重ひかさなり〉から災厄までの時間が早くなった要因が分かった。やはり、〈日欠ひかけ〉が近づいている」

 その場の雰囲気が一瞬にして緊張感のあるものに変わった。

「後、二日だ。〈日重なり〉が起きる時間と同じくして〈日欠け〉が起きる。奇しくも〈神風ノ日かみかぜのひ〉と重なる日となった」

 品木は紬を見た。一瞬だけ目が合ったが品木が紬に向ける目は優しいものだった。

「屋隈大尉。せめてもの情けだ。処罰はお前一人に負わせよう」

「待ってください!」

 声をあげたのは蓮香だった。

「屋隈一人に負わせることを承服することは、できません」

「蓮香少将。だからこそだ」

 紬の背後で蓮香が息をつめた。

「それが君達の処罰だ」

 無言の答えを受けた品木は、しばらく口を閉ざしてから、屋隈に命じた。

「屋隈大尉。命を賭しても、紬さんを護れ。――絶対に死なせるなよ」

「はい」


 **

 紬は屋隈達が戻ってくるまでの間、身廊しんろう側廊そくろうの間にある大きな円柱の台座に腰かけていた。台座に鞄を置き、右手で旗を持ちながら天井を見あげていた。天窓から射しこむあわい光はほこりを雪のように見せながら舞い落ちていた。

「紬さん」

 品木に声をかけられ、立ち上がろうとした紬は、手で止められた。

「そのままで。……隣に座っても?」

「はい」

 品木は紬から少し離れた隣に腰かけた。長い髪は床につき、光に透かされて透明な糸のように光っていた。

 品木は少しの間、沈黙してから、口を開いた。

「部下が申し訳ないことをした」

 先ほどとは違う、静かでやわらかな声だった。

「……いえ。身勝手な願いなら、最後まで身勝手であってくれたほうが、私が楽になりますから」

 紬の答えに品木は目を丸くした。そして、あきれたようにほほえむと、口を開いた。

「君は存外、冷静だね」

 品木の楽しそうな声に紬は淡々と返した。

「感情的になっても、どうにもなりませんから」

 それは紬の心からの言葉だった。だが、言ってから紬は青ざめた。

『子供らしくない』

 突き放した声を思い出して歯を食いしばる。だが、品木は紬の予想に反して嬉しそうな声をあげた。

「そう。そういう肝がすわったところは妹によく似ている」

 嬉しそうな声に安堵しながらも、紬は品木に問いかけた。

冬部ふゆべゆらさん、ですか?」

「そうだ。ゆらはね、私の腹違いの妹なんだ。聯隊旗手として二十四で戦死するまで〈神風の子〉として国を救って来た立派な英雄だよ」

 品木の妹に対する称賛の声にはどこか、とげがあった。紬はどう答えていいか分からずに、当たり障りのない言葉を選んだ。

「妹さんを……大事にされていたのですね」

「それは、どうだろうな」

 紬は品木を見た。品木は前を向いたまま、紬のほうを向くことはない。光に透かされた金色の目と、白い髪が透きとおるように輝いている。

「私達には腹違いの兄弟がたくさんいるからね。それでもそうだね。ゆらのことはよく、覚えているよ。十一ほど、年は離れていたけれど、かわいい妹だった。そして、〈光和之国〉にとっても、かけがえのない人間だった」

 やはり品木の声にはどこか、とげがある。ゆらに対する怒りを押し込めているような声だった。

「……紬さん。君はもう、〈異世の国〉に帰りなさい」

 とげのある声は紬に向けられた。心臓をつかまれるような冷たい声に怯むことなく、紬は即座に答えた。

「いえ。私は、彼らとの約束を果たします」

 品木は前を向いたまま、口元をほころばせた。

「一度決めたことを曲げないのは、妹も同じだった」

 品木は立ち上がって身廊の、光落ちるほうへと歩いた。透きとおるように輝く白い髪が光の中で踊っている。

「それでも、私はこの国のために君が〈光和之国〉に残る必要はないと思っている。例え、それで凶事が起ころうとも、神を殺したこの国の罪を思えば、仕方ないことだ。百年前に神を殺した〈光和之国〉の罪の証である災厄を、罪を祓うとも言われる神風によって消すという矛盾を我らは百年もの間、くりかえしてきた。本来ならば凶事を防ぐための祈りの風だ。災厄を消すための風とするなど、矛盾していると思わないかい?」

 品木はふり返った。金色の目は紬を射抜くように見つめていた。その目のはっとする冷たさにおどろいたが、同時に紬は違和感を覚えた。

『神風は、この国の神の威光である風であり、勝利をもたらす力と言われています』

 屋隈の台詞を思い出した紬は、玉座を見た。その上で太陽のような紋様が存在感を放っている。

「神様を殺したのに、神風が吹く……?」

 紬はひとりごとをつぶやいていた。自分でも気づかぬうちに口にしたために、紬は品木におどろいた表情を向けられていることに、気づいていなかった。

〈神風の子〉が言葉通りの意味ならば、百年前に神様を殺したとき、〈神風の子〉は産まれないはずだ。なのに、〈神風の子〉は産まれ、その度に災厄を消して来た。

 神の威光の風であるならば、なぜ、神が死んだことから始まった災厄を消すことができたのだろう。

(災厄は……もしかして、神様を殺したことによる罪の証ではない……?)

 なにかが分かりそうで分からなくなった紬は旗竿を強く、握りしめた。

「あの、品木さん。〈光和之国〉の神様は、どうして殺されたのですか?」

 紬の問いかけに品木は答えなかった。代わりに、紬の後ろに視線を向けた。

「それは彼らに聞くといい」

 紬が玄関に続く扉に顔を向けると、屋隈達が待っていた。

「彼らと共に行くのだろう?」

 優しい声に紬は品木を見た。

「はい。やっぱり私は、彼らとの約束を果たしたいです」

 迷うことなく答えた紬に品木は目を大きく開いた。見開かれた金色の目が天照らす〈〉のようにきらきらと輝き、揺れている。紬の顔をしばらく見つめていた品木は納得したように、つぶやいた。

「だから、ゆらは死んだのだな」

「え?」

 紬は思わず聞き返したが、品木は首をふり、一度、目を閉じた。

 そうして次に目を開けた品木はあきれたような表情を隠さなかった。兄が妹に見せるような表情だった。紬は品木の表情を不思議に思いながらも、なんとなく理解した。

「最後に君に伝えよう。滅びゆく国のために君が命を賭す必要はない。君が〈異世の国〉に帰っても、責める者はいないことを、覚えていて欲しい」

 紬は答えることができなかった。品木の、祈りにも似た優しさに紬は答えることはできない。品木も分かっているからこそ、なにも言わなかった。

 紬は立ち上がると無言のまま、深々と頭をさげた。そして紬は、鞄と旗を手にすると、屋隈達の下に音もなく歩いた。


 彼らの下に向かう紬から背に向けて、品木は誰にも、特に、紬に聞こえないようにつぶやいた。

「――約束は果たそう。ゆら」


 **

〈光和之堂〉を出ると、目の前に黒々とした煉瓦造りの大きな建物が広がっている。その中でもひときわ大きい正面の建物は、〈光和之国〉帝国軍の総司令本部であった。正面だけではない。両脇にも趣が違う建物が神なき〈光和之堂〉を護るように配置されている。

 どこに向かうのだろう、と紬は屋隈達を見た。四人は入り口を出て、少し歩いた所で立ち止まった。

 屋隈達は胸の前で手を組むと祈りを捧げるように目を閉じた。

 紬は四人の足元を見た。黒い石畳の上に国旗と同じ紋様が描かれている。金色に輝く紋様の周りを囲むように花が白い線で描かれていた。肉厚な花びら一枚を丁寧に、繊細に描いた花は、ハクモクレンのように見えた。

 四人が祈りを捧げるのを待ってから、紬は石畳の上にある紋様と、花について聞こうと思った。

「紬さん」

 屋隈に呼ばれて紬はおそるおそる、近づいた。

「こちらへ」

「はい」

 紬が隣に並んでから、屋隈は口を開いた。

「ここは、〈光和之国〉の神様が殺されたと伝わる場所です」

 紬はとっさに顔をあげた。屋隈は石畳の上の紋様を見つめたまま、言った。

「紬さん。私達は、あなたを〈異世の国〉に帰そうと思います」

 突然の言葉に紬は言葉を失った。

「やはり、あなたを危険にさらすわけにはいきません」

 ですから、と屋隈は頭をさげた。

「あなたとの約束は、なかったことにさせてください」

 紬は、頭をさげる屋隈を見つめたまま、旗竿をにぎる手に力を入れた。ぽっかりと空いた底知れぬ深さを思わせる穴を前に恐怖を感じなかったと言えば嘘になる。

〈神風の子〉として呼ばれた自分の役目は重く、そして、できることはないことを突きつけられた。

 物語の中で主人公は華々しい活躍をして世界を救う。だけど、現実は違っていた。〈光和之国〉の災厄は自然そのものだった。日本が地震や台風などの自然災害と共に生きているように、〈光和之国〉もまた、災厄と共に生きている。

 例え、先行く未来が滅びだとしても、せめて終わりのときまでは少しでも平穏無事であれるようにと神風を望んでいる。

 紬は彼らの未来を思った。

 例え神風を吹かせられたとしても、〈光和之国〉は滅びの途にある。

(こんなにむなしい救いってあるのだろうか……)

 この思いがおこがましいものであることを分かっていても、救いを求めずにはいられなかった。

「嫌です」

 紬の言葉に屋隈が顔をあげる。その目はとまどいに揺れていた。

「私は、身勝手な願いなら、最後まで身勝手であって欲しいと言いました」

「だからこそです!」

 声を荒げた屋隈に紬はおどろいた。旗竿を強くにぎりしめた紬の手を見て、屋隈は声を荒げてしまったことを後悔し、目をふせた。

「だからこそ……二度も、殺させる訳にはいかないんです」

 屋隈は消え入るような声で言った。

「……紬さん」

 日納に声をかけられ、紬は顔をあげた。

「私達はあなたを死なせたくない。できれば、あなたを護りたいと思っている。でもね、あなたは私達を護るために神風を吹かせただろう? 自分の身を危険にさらしても人を護る人間だと分かったからこそ、私達の身勝手な願いに付きあわせる訳にはいかない」

 なんて、ずるい答えだろう。それでも、紬は否定する言葉を持たなかった。あのとき、自分は声に押されるようにして屋隈達を護るために動いた。その結果が良きものであったとしても、向こう見ずな判断だったことに変わりはないからだ。

「それでもね、紬さん。神風が吹かなかったら、私と顕谷は、死んでいたと思う。私達を助けてくれてありがとうございます」

 蓮香に言われて紬は今更に足が震えはじめた。

「俺も、助かった。本当に、ありがとう。……でも、あんな無茶はもうしないでくれないか。さすがに、ひやりとさせられた」

 顕谷のいたわる声に、紬はうつむいた。

「……私じゃないです」

 もし、あのとき、声が聞こえなかったら、声に従わなかったら、蓮香と顕谷は死んでいたかもしれないのだ。彼らを救ったのは、自分ではない。

 紬の否定に屋隈達はたがいに顔を見あわせた。困惑した表情を浮かべた蓮香が紬に問いかけた。

「どういうことかしら?」

「あのとき、蓮香さんと顕谷さんを助けるように言ったのは、別の声です。お二人を助けないと、死んでしまうから、と。私は、その声に従って助けただけで、お礼を言われるようなことはしていないんです」

 紬は、蓮香に両肩をつかまれた。おどろいた紬が蓮香の顔を見ると、蓮香は青ざめた顔で紬を見つめていた。

「どういうこと……?」

「声が、聞こえたんです。ここに来たときと、塔がくずれたとき、後、旗を手にしたとき、神風を口にする前の声……。向こう見ずな行動をしたのは私です。でも、助けるように教えてくれたのは、声の主なので、私はお礼を言われる資格は……」

「〈ふたつたましい〉……」

 紬の声をさえぎるように、つぶやいたのは日納だった。蓮香は紬の肩をつかんだまま、ふり返り、日納を見た。

「ゆらは……紬さんの中にいる」

 日納の声は震えていた。蓮香は紬の肩から手を離し、口を押さえた。

「おいおい。待て。それは……」

 顕谷が青ざめながら屋隈を見た。

「……紬さん。さきほどの発言を取り消させてください」

「え?」

 なにかなんだか分からず困惑する紬に屋隈は言った。

「……あなたは、まだ、元の世界に帰れない。あなたの中には……冬部ゆらの魂が入っている」

『ごめんね』

 紬はここに来る前、河川敷で聞いた声を思い出した。あの声は、おそらく、ゆらは、私に謝ったのだ。

 そして頼んだ。

『あの人達を、よろしくね』

 そうまでしてもゆらは、彼らを護りたかったのだ。一番の身勝手な願いを紬にたくしたのは、ほかならぬ冬部ゆらだった。

 ゆらは、私に、なにをたくしたのだろう。ゆらの祈りのような声を思い出しながら紬は手にした旗を見あげていた。

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