二 身勝手な願い
おどろきに満ちた目で自分を見つめる彼らに、
紬が〈
紬は自分が未成年であることを自覚している。未成年が主役になれるのは物語の中だけで、現実はそうではないことを知っている。なぜなら、未成年であるうちは、法律では責任を取ることができないことを知っているからだ。
良くも悪くも、自分は法律に守られていることを、紬はよく知っていた。法律に守られるということは、全ての責任は大人である彼らにある。
子供という年齢ではないが、まだ、大人として認められない年齢である紬にとって、大人である彼らに全ての責任を押しつける真似をしたくなかったのだ。
だからこそ、彼らに問わなければならなかった。
答えない彼らに紬は再び、問いかけた。
「神風を吹かせて欲しい。
屋隈は、答えなかった。とまどいに満ちた目でただ、紬を見つめるだけだった。
「……紬さん。それは俺から説明させてくれ」
代わりに答えたのは踵まである長い髪の男性、
「〈光和之証〉を交わした以上、あなたに嘘はつけない。だから、本当のことを言おう。俺達は、死んだ人に会いたかったんだよ」
紬はぽかんと、口を開けた。
「死んだ、人?」
信じがたい答えに紬は手のひらを確認したが、痛むことはなく紋様だけがそこにあった。
「ああ。
顕谷の目に見えた悲しさに紬は毒気が抜かれるような心地を感じていた。
「死んだ人に……会いたかったんですか?」
「そうよ」
「ごめんなさい。私達、どうしても、ゆら……死んだ人に会いたかったの。別れの言葉も告げられないまま戦死してしまったから、せめて、一言だけでも、伝えたいことがあったの」
紬はぼうぜんとしていた。本来なら呼ばれる筈がなかったのだ。今頃なら家に帰って塾に向かう準備をしていただろうに。紬は困惑しながらも聞いた。
「私は、間違って呼ばれたのですか?」
「違う」
強い声で答えたのは
「なにを言っても言い訳になるけどね、それは違う。今、この国に神風を吹かせられる人はいないんだ。だから、私達は〈
紬は頭の中で情報を整理しながらもなんとか、のみ込んだ。
「あの、〈神風の子〉とはどういう意味ですか?」
「神風を吹かせることのできる力をさずかった者を〈神風の子〉と呼びます。あなたの国では、私のような見目の人はいますか?」
日納に問いかけられて紬は首をふった。
「私は、鬼の力をさずかった〈
ですから、と日納は続けた。
「私達は、死んだ友人であるゆらを呼び寄せようとしました。〈
紬は理解しながらも、ふつふつと怒りを感じていた。
屋隈達は冬部ゆらを呼ぼうとして、生まれ変わりである紬を呼んでしまった。それも、国の命運を決める役割を持つ人間として、紬が呼ばれたのだ。
「……身勝手ですね」
紬はぽつりと言った。禁忌を破った罰は、彼らだけのものだ。
子供であり、この世界の人間ではない紬はその罰を負うことはない。だから協力して欲しい、だなんて身勝手だ。
(本当に、身勝手な願いだ)
なにも言えないでいる四人を前に、紬は冬部ゆらを思った。生まれ変わりというものを信じていない訳ではない。冬部ゆらと自分は別の人間だ。
(でも……死んだ人に会いたい。その気持ちは分かる)
紬は小学生の頃に死んでしまった猫を思い出した。なあう、と変わった声で鳴く可愛い猫だった。あれから何年経っても、忘れられない。もう一度、会えるならば会いたい。
それでも、今の自分と同じように別の子が来てしまう可能性があるなら、会いたい気持ちを我慢するだろう。
「私は、あなた達に勝手に呼ばれました。私は、そのことに正直、怒っています。でも、元の世界に戻れるならば、私はそれでいいです。でも、私は、あなた達だけに責任を負わせたくない」
紬は一度、くちびるをかみしめてから口を開いた。
「だから、言っておきます。私は、私が、決めて、ここにいます。きっかけはあなた達だけど、決めたのは、私です。だから、私を呼んだことに責任を感じないでください。身勝手な願いなら、最後まで、身勝手であってください」
紬は、はっきりと、言いきった。四人から目をそらさないように歯をくいしばり、手足がふるえるような感覚をおさえこむようにしてお腹に力を入れた。
誰も言葉を発さない静けさに紬はめまいがしそうな心地だった。
その時、紬は四人の自分を見つめる目で、どうしてか、ある言葉を思い出してしまった。
『子供らしくない』
それは紬が幼い頃から言われ続けて来た言葉だった。紬は自分では気にしていないつもりでいたが、心のどこかでは傷ついていたのだろう。
大人のとまどったような、そして、突き放すような声。
傷つきたくないから、諦めたふりをしていただけだったことに、紬は今更ながらに気づいてしまった。
屋隈達から返る答えを恐れながらも、紬は歯を食いしばって、覚悟を決めた。
「あなたの言うとおりだ」
屋隈から返ってきた答えに、紬は体の力がふっと抜けたのを感じた。
屋隈は帽子を取り、その場にゆっくりと正座した。顕谷、蓮香、日納もまた、帽子を取ってその場に正座した。帽子はそれぞれの目の前に置かれた。
「私達は、あなたを呼んだことを後悔しません。あらためて、あなたに言いましょう。どうか、我が国のために協力してください」
屋隈は黒い地面に手をつき、深々と頭をさげた。同時に顕谷、蓮香、日納もまた、同じく頭をさげた。
紬は息をのんで、鞄を置き、その場に正座した。心臓がばくばくと脈打っている。
「頭を、あげてください」
四人が頭をあげると、おどろいた表情をしているのが分かる。紬は彼らの所作をまねしてそのまま頭をさげた。
「私は、あなた達の約束を、自分のために利用しました。私のための〈光和之証〉を、こんな形で無下にしてしまって、ごめんなさい」
「紬さん。頭をあげてください」
屋隈に言われて、紬は頭をあげた。そこにはほほえみながら自分を見つめる四人がいた。
そんな四人に対して紬は、自分がなんとも言えない顔をしているのが分かっていた。
「ゆらを思い出しちゃったわ」
蓮香は紬を見て懐かしそうにほほえんでいる。対して日納があきれたようにほほえんでいるのを、紬はとまどった目で見つめていた。
「ゆらも〈光和之証〉をこういう風に利用していたのを思い出したよ」
あきれながら言う日納に、顕谷はうなずいて、どこか嬉しそうな様子で言った。
「しかし、〈光和之証〉をかけ引きに使うとは、参謀本部の諜報課として有能だな」
「あら、いいわね。紬さんさえよければ、誘いたいわ」
「紬さん」
彼らの様子にぼんやりとしていた紬は屋隈の声に現実に引き戻された。屋隈は優しい笑みで紬を見つめていた。
「おたがいさま、ということでいいでしょうか?」
紬はおどろきながらも、安堵の笑みを浮かべた。
「はい」
たがいに立ち上がり、砂を払いながら紬はスクールバッグを肩にかけた。
紬が顔をあげると、四人は軍帽をかぶり直している最中だった。
「後、何分?」
蓮香の声に紬が顔をあげると、顕谷が軍服のポケットから懐中時計を出しているところだった。顕谷は時間を確認すると、うなずいた。
「後、五分だ」
そのときだった。
——つむぎ。空を、見て!
耳元でせっぱつまった声が聞こえて、紬は顔をあげて空を見た。真っ黒な空の向こうに小さくうごめくものが見えた。
黒い空の中に見えるものを紬は知らなかった。ただ、体が覚えていた。ぞわり、と総毛立つような恐怖が押しせまって来る。紬は本能で、これは、とてつもなく、まずいものであることを体中で感じとっていた。
紬が空を凝視していることに気づいた屋隈が声をあげた。
「日納! 時間は確かか!」
屋隈に言われる前に日納は軍服から懐中時計を取り出して時間を確認していた。
「確かだ!」
紬は空から目を離して、屋隈達を見た。紬はこれからなにが起きるのか、分からなかった。それでも、まずいことが起きようとしていることだけは分かった。
「まずいぞ。災厄が来る」
顕谷が舌打ちをしながら言った。紬は、顕谷から聞こえた災厄という言葉に空を見た。
「早すぎる!」
屋隈がさけんだそのとき、下から突き上げるような揺れと共に、体が浮きあがった。一瞬、なにが起きたが分からず、紬は視線だけを動かし、周囲を観察した。視界の端でぎらぎらとした光が見えたとき、紬は息をのんだ。目の前で肌が黒くなっていく屋隈、顕谷、日納の姿を紬は、ぼうぜんと、ながめていた。
屋隈の肌が黒く変色して、口元が大きく裂けていく。黒くなった肌はいつの間にか毛が生え、まるで獣のような見目に変化していた。
「き、つね?」
人間の姿を保ったまま、屋隈の顔と手は獣のものに変化していた。その後ろから大きな尾が三つ見える。
そして日納の肌は黒く変わり、髪は白く色を変えていた。額の角と、口から見える牙は金色にぎらりと光っている。
硝子が砕け散るような音がして、紬は音のするほうに顔を向けた。ちょうど、顕谷の姿が大きく変化しているところだった。軍服が少しずつ、ぎらぎらと鏡のような鱗に姿を変えて、体が大きくなっていく。鱗が空の色を映したとき、顕谷の姿は黒い龍へと姿を変えていた。
「来るぞ」
龍に姿を変えた顕谷の声を合図に、地をはうような、うなり声が聞こえたかと思えば、再び、下から突きあげる揺れがおそいかかってきた。
紬は恐怖で身がすくみあがったが、目はつねに周囲を観察していた。周囲の景色から空に視線を移したとき、紬は黒い空にうごめくものの正体を知った。
空と同じ色をしているために分かりづらいが、小銃を持った人々が空一面に並んでいる。地上にいる紬達に向かって筒先を向けているのだ。
「紬さん。早くこちらへ」
屋隈の落ちついた声に誘われるようにして後に続くと、黒い景色の中に浮かぶ太陽のような紋様が少しずつ近づいているのに気づいた。
紬が目をこらすと、煉瓦のようなざらざらしたものが見えた。そこで紬は、はっと息をのんだ。真っ黒な景色に溶けこんでいたから気づかなかったが、黒い景色に浮かぶ太陽のような紋様が、塔に刻まれたものであることに気づいたからだ。
紬は目を丸くしながらも、屋隈の急かす声で慌てて塔の中に入った。
塔の中に入った紬は、塔の内部に息をのんだ。
まるで星空の中にいるかのようだった。塔の中は真っ黒であったが、内部に描かれた絵は幻想的なものだった。下地が黒であることで金色の細い縁取りが目立っている。
息をのむほどに美しい絵だった。空に浮かぶ星を目に見える形にした絵が上まで続いている。内部をぐるりと囲む螺旋階段の階にも絵が描かれている。
紬はひとつひとつの絵に目を奪われていた。
——つむぎ。
またも聞こえた声に、紬は周囲を見回した。声の主はどこにもいない。一体、どこからこの声は聞こえてくるのだろう。
——つむぎ。蓮香と顕谷が、危ない。
紬は塔の中を見た。蓮香と顕谷の姿がどこにもなかった。気になった紬は屋隈に話しかけた。
「屋隈さん。蓮香さんと顕谷さんは、どこにいるのですか?」
屋隈は塔の出口を見た。ずっと先に蓮香は立っていて、空を見あげていた。その上には龍の姿をした顕谷が空に向かっている最中だった。おどろく紬に日納が言った。
「大丈夫さ。蓮香には、声がある」
どういう意味なのか聞く前に、耳元で続けて声が聞こえた。
——つむぎ。螺旋階段を使って塔の上に来て。
紬はふり返って螺旋階段を見た。
——お願い。つむぎ。
すがる声を紬は無視できなかった。
紬は屋隈と日納に気づかれないようにスクールバッグを地面に置くと、螺旋階段に向かった。階に足をかけると、紬は息を吸ってから、かけあがった。
かけあがってから、紬は違和感を覚えた。しかし、階段をかけあがることに夢中で違和感はすぐに消え去った。
——上に行ったら、分かるから。
「筒先を上に!」
遠くにいるはずの蓮香の声が聞こえる。それはまるで鐘を鳴らすような声だった。耳の奥のさらに奥まで届く声に目の前が揺れた。
——声は、おそらく、届かない。
「どういうことだ!」
顕谷の怒号が聞こえたとき、紬はまたも声を聞いた。
——上に着いたら、旗を取って。
「紬さん?」
紬に気づいた屋隈が下からさけんだ。
「紬さん! そちらは駄目です!」
だが、紬は屋隈の声を無視して上へ上へと走った。背後で屋隈が階段をかけあがる音が聞こえる。かぁん、と靴底と石造りの階段が当たって反響する音が近づいてくる。
紬は追いつかれないように必死で走った。
塔は意外にも低かった。黒い空が近くなり、外に出たとき、紬は次の声を聞いた。
——つむぎ。空に手を伸ばして。
紬が顔をあげたとき、黒い空に金色の光が見えた。その光はゆっくりとこちらに落ちて来る。それが旗だと知ったとき、紬は無意識に手を伸ばしていた。
そのとき、突き上げるような揺れで紬は体のバランスをくずして、石の床の上に投げ出された。前のめりに転んだ紬はとっさに空を見あげた。旗の位置がずれている。紬は塔がかたむいているのに気づいた。
「顕谷! 紬さんを!」
蓮香の鐘のような声が聞こえて、龍の姿をした顕谷が紬の下に向かおうとしているのが見えた。
「紬さん!」
塔の上に出た屋隈と日納が紬に手を伸ばす。紬は手を伸ばそうとして、やめた。声が聞こえたからだ。
——つむぎ。旗を!
紬は、迷わなかった。
塔がくずれるなか、紬は、かろうじて立ち上がると、床を蹴り、旗に向かって、飛んだ。そこでも紬は違和感を覚えた。
(自分の靴の、音がしない?)
紬は、落ちゆく中でそんなことを考えていた。
「紬さん!」
屋隈の慌てた声に続いて、蓮香の声の悲鳴が聞こえた。
「早く紬さんを受け止めて!」
悲鳴が聞こえるなか、紬が旗竿をつかむと、空に溶けるような黒い旗が風にひらめいた。黒い旗のまんなかにあったのは、塔と、自分の手のひらに刻まれたものと同じ形の金色の紋様だった。
(日食?)
紬は太陽の光で透けた旗の、金色の刺繍で施された紋様を見て、どうしてか、日食のようだと思った。そのとき、耳元で声が聞こえた。
——旗、離さないでね。
紬は自分がどうするべきかを知っているのを不思議に思いながらも、旗竿に力をこめた。
紬は今、まわりのものがゆっくりと動いているように見えた。屋隈と日納が落ちながら紬に手を伸ばしている。龍の姿をした顕谷が紬に近づくたびに鱗がぎらぎらと反射して目に焼きついた。
落ちているのに、紬はこわくなかった。大丈夫だという確信があった。
――私に続いて、同じことを言って。
「分かった」
紬が答えたとき、花の香りがして、風が満ちた。
――神風よ、どうか、吹き渡れ。
「神風よ、どうか、吹き渡れ」
そのとき、背中を押されるような圧迫感と共に風が下から吹きあがった。吹きあがった風は空に吸いこまれるようにして紬の目の前を通り抜けていった。
目の前が瞬時に明るくなり、群青色の空が眼前に広がった。澄み渡る空の色を前に紬は息をのんだ。
旗竿をつかみながら、屋隈が、顕谷が、日納が、ゆっくりと落ちていく。そして、くずれかけた塔の、石までもがゆっくりと地面に花びらのように音もなく降り立った。
くずれた塔の破片が全て地面に落ちたとき、紬は足の裏に地面の感触を感じ取った。そして屋隈、日納、顕谷が地面に降り立ったことを確認した紬は力が抜けていくのを感じていた。
「……〈神風の子〉」
かけ寄った蓮香のおどろく声を遠くに聞きながら紬は澄み渡る空を見あげていた。自分の持つ黒い旗が群青色の空に悠々とひらめくのを、紬は、ぼうぜんと、ながめていた。
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