絵空事

 絵の具色の青空に学習塾の細いビルが突き刺さる駅前の道。この道は誰が決めたか、四と三の筋が直交して二十くらいのマスで、一マスに同じようなビルと同じような居酒屋、同じような感覚で人がいない店が配置されている。幼少期、母に連れられて歩いたときはもちろん、社会的に大人とみなされる年齢になった今の私でも、檻みたいな印象がある。生クリームみたいな雲たちも、何度も何度もビルに飲まれるうちに空気が抜けてへたっていく―。そんな道―。

 夜になるとこの道は、やる気があるのかないのかわからない客引きや、ぷるんと着飾った大人達であふれ出し、それぞれのそれぞれの程度で音を出し、一つ一つが飲み込み、飲み込まれ肥大化し、塊になって、ここらのマスの境目を見失わせてしまう。けれど夕方というには早く、昼というには遅いこの時間にはそんな前触れはなく、ただ自転車で若さを飛ばす中高生の帰り道の一つでしかない。そんな道をただ私は歩いている。

 向こうの突き当りを曲がると駅が見えるこの残り一筋。ポロ、ポロン。ピン、ポロン。ショパンがこの時間この通りに聞こえてくる。ショパンのなんという曲なのかは私は全く知らないけれど、この音の出どころの茶色い汚れた小さなビルの三階の窓にペンキでショパン音楽教室とアピールされているから、私はこの音をそのままショパンでいいと思っている。

 この道を通ると幼いころピアノをやりたかった小さな自分の悔しさを思い出す。ただ流れてきて、堆積したものを愚かに信じ込み絶対視する両親に、私ができるただ一つの復讐がこの悔しさしかなかった。

 私がピアノをやりたいと言ったあの時に、そんなお金はないと一蹴し、代わりに提示されたのは英会話教室だった。私が覚えている限り、冷蔵庫は一度、テレビは二度、パソコン、車は何度も変わった。趣味の悪い洋服や興味のない英語がびっしりと埋まった下敷き、何を言っているのかわからない知らない海外のアーティストのCDとそれを聞くための大袈裟なコンポ。これらは求めていないのに簡単に買い与えられた。私はそれらを大人のステップを刻むように、少しずつ捨て去った。コンポを捨てるときは不安だったけれど、両親はなくなったコンポに対して特に何も言わなかった。英会話教室だけは大学受験を終えるまでは捨てれなかったけれど。

 一度車でも通ってしまうと、二度と拾えないほどにショパンは小さく離れている。突き当りまで来ていた。私は夕暮れには一つに溶け合ってドロドロになってしまうこの道の、最後の息を静かに吸い込んで角を曲がった。

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タネ 丁原口上 @teihara_factory

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