第13話


 洋服がくたびれれば新しいものを買ってもらえた。お腹がすいたらご飯を食べられたし、屋根があるところでぐっすりと眠れた。

 親は私に様々なものを当たり前のように提供してくれた。でも、コスメは違った。

 洗顔料は買ってもらえても、クレンジングは買ってもらえない。そのくらい、線引きはシビアだった。

 ぜいたく品の枠に組み込まれたそれを、私はお小遣いやお年玉を使って買った。

 たぶん、私は幸せ者だ、と思う。メイクをしようという段階になってようやく、ではあるけれど、こうして自分で何から何まで管理する経験をさせてもらえるようになったのだから。

「それでは、マイコのポーチの中身チェックをおこないまーす!」

「いえーいっ!」

 メイクを始めたころ、私のポーチにはおさがりしか入っていなかった。

 新商品に浮気した結果、使いかけのまま放置されていたファンデーション。

 ラッキーバッグに入っていたという、手持ちとそっくりな色味のアイシャドウ。

 たくさんの色を集めていたら、いつの間にか三軍に落ちて出番のないチーク。

 これあげる、の集合体。

 そこに少しずつ、私は私が選び取ったものを増やしていった。

 メイクの先輩三人がアドバイスをしてくれるから、買わなきゃよかった、と思ったことはほとんどない。

 自分一人でメイクを始めることになっていたらどうだっただろう、と考えれば、背筋が凍るくらい恐ろしい光景が浮かぶ。

 私は、すべての過去の集合体に、今、心の底から感謝している。

「お、あたしがおすすめしたマスカラ」

「くそぅ、わたしのおすすめは選ばれなかったか!」

「え、いつの間にマスカラ選挙してんの?」

「マスカラ選挙とかウケる」

「えー、わたくしの公約はー、まつ毛を一・三倍に伸ばすことでありますぅ」

「どこの誰だよ」

「マスカラだよ!」

 あっはっは、と、笑い声が何層にも重なって響く。

 本当かウソかわからないけれど、一昔前のマスカラは、涙で溶けて、涙を黒く染めていた、なんて話を聞いた。

 今、もしみんながそんな溶けるマスカラをつけていたとしたら。きっとみんなの目じりには、黒い涙が溜まったんじゃないだろうか。

「だいぶ増えたね」

「うん」

「コスメってさ、いいよね」

「なーに? 改まっちゃって」

「いや、コスメってさ、フラペチーノとかクレープくらいするじゃん?」

「ああ、まぁ」

「それを我慢してコスメ買ったらさ、ダイエットになって、かわいいを手に入れられて、最高だなと!」

「えー、わたくしの公約はー、かわいいを高め、不要な肉を削減することでありますぅ」

「ついでにムダ毛も削減してほしいですぅ」

 みんなの手が、お腹にいく。

 その行動は、不要な肉を隠すためじゃない。

 ただ、笑いすぎてよじれたお腹を支えるためだ。

「ああ、面白い!」

「涙とまらないんだけど」

「ああ、わたし、この高校に入れてよかったぁ!」

「なに? 急に」

「もう笑わせないでよ」

「笑い死ぬぅ」

 私の救世主が、幸せそうに死にかけている。

 その顔を見ながら、私は思う。

 私も、この高校に入れてよかった。

 そう伝えたら、救世主はやっぱり、笑い死にかけるんだろう。

 だから、とどめを刺さないために、私は言わない。


 校則違反をするようになってから、はじめての定期テストを終えると、私たちは用もないのに保健室へ行った。

「ずいぶん明るくなったよねぇ。最初はなんか、いじめっ子三人といじめられっ子一人の四人組って感じがしたけど」

「なにそれ! 先生ひどい!」

「いや、でもさ、明らかに異質だったよね。マイコが」

 少し前の自分が、記憶の引き出しからひょこりと顔を出す。

 その姿はなんだか、恥ずかしいの集合体のように見える。

 すっぴんだから、というわけではない。

 今の自分のほうがずっと素敵に思えて、そんな素敵な自分でいられなかった過去が、劣って見えるからだ。

「す、すみません……」

 懐かしくない表情で、なんだか懐かしいような謝罪の言葉を放つ。

「すごいなぁ。人との関わりで、人ってこんなに変わるんだね。私、みんなからすごく素敵なことを教えてもらったよ」

「先生、あたしたちよりたくさん生きてきてるのに、まだ学び足りないことがあるんだね」

「まーね。何年生きたって、勉強することはなくならないわよ。勉強しようっていう気持ちを失わない限りはね」

「ふーん」

「もっともっとって欲張って生きていたら、それはつまり学び続けるってことでもあるからね。あなたたちもきっと、ずーっと学び続けていると思うよ?」

「ええ、勉強あんまり好きじゃなーい」

 ユイが、ぶうと唇を突き出しながら言った。

「今、学校の勉強を頑張ったら、未来の自分が〝これをやるぞ〟ってことを見つけたときに、スタートダッシュをかませるようになるから。だから、あんまり好きじゃなくても、面白がるにはどうしたらいいだろう? って考えるなりして、引き続き頑張ってくださいな」

「へーい」

 数日後、テストが返却され、配布された個人成績表を四人で見せ合ってみると、勉強があんまり好きじゃないというユイの定期テストの成績はクラス二位だった。

 すごいじゃん! とみんなに褒められて、ユイはまんざらでもない顔をする。

 私はその様子を微笑み見ながら、心の中でそっと闘志を燃やした。

 私だって、全部しっかりやるんだ。メイクをして、かわいいを手に入れる。勉強をして、知識と順位を手に入れる。未来の自分が進みたい道へ少しでも楽に進んでいけるように、スタートダッシュをかますための努力を、今、する!



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