第10話


 保健室を出て、更衣室へ行くと、汗だくのみんながぐちぐち言いながら着替えをしている最中だった。

「怪我、大丈夫だった?」

「平気」

「で、なんの話をしてきたの? 最新コスメ?」

「あはは、雑談してたってバレてる。マイコがメイクしない理由について激論を交わしてきただけだよ」

「え、いや、その……違う。激論は交わしてないよ。ねぇ、ユイ」

「まって? ユイってマイコって呼んでたっけ? っていうか、喜屋武さんもユイって呼んでなかったよね?」

「あはは! フウカ、仲間外れ!」

 ミサコが茶化す。

「ひど! ちょ、喜屋武さん、あたしのこと、以後フウカと呼ぶように! 北川さんと呼ばないように!」

 ついさっき、なんだか似たようなことを言われた気がする。

「ど、努力します」

「努力するんじゃなくて、するの!」

「は、はい!」

「そういうフウカは喜屋武さん呼びぃ」

 ミサコがフウカのことを肩でつついた。

「マ、マイコ! あたしの名は⁉」

「フ、フウカ!」

「よろしい!」

 あっはっは、と笑い声が響く。

 何やってんだか、とでも言っているかのような、あたたかくもちょっと呆れた笑みが、近くで咲いていた。


 それから私は、クラスの中にある、ミサコを中心とした塊に溶けるようになった。

 みんなは私のことをごく自然に受け入れてくれるから、遠目に見たら仲良し四人組に見えるんじゃないかと、私は思う。

 でも、近くから見たら、そうじゃない。

 私は完全に浮いている。

 かわいいを身に着けた三人にひっつく、すっぴんが一人。

「で、あの宿題って、まだ続いてんの?」

「やってるよね? マイコ」

「うん。やってる」

「それで? 何か心境の変化などは?」

「うーん……」

「効果なし!」

「こら、ユイ。結論付けるのがはやすぎ!」

「そうかなぁ」

 みんなの会話を聞きながら、気まずい思いをしながら、私はふと、気づき、考えた。

 みんなは顔にメイクをして、心はすっぴん。

 だけど、私は心にメイクをして、顔はすっぴん。

 いったい、どっちが自分の心がそうなりたいと願う人物像なんだろう。

 やっぱり、私も――。

「こんど、言ってみようかなって思ってる」

「ん?」

「お母さんに、メイクしたい、メイクするんだって、言ってみようかなって」

「おお、いいね」

「メイクナンテハヤイワ! ダイタイ、コウソクイハンジャナイ!」

 フウカが、お節介な大人ぶって言った。

「そうだね。言い返されたときにどうするか、考えておいたほうがいいね」

「ちょ、いつものミサコならこういう時、乗ってくるじゃん? なんで今日は華麗にスルーなの?」

「あ、今日の晩御飯、カレーにしよ」

「ちょっとぉ!」

 私も、こんな風に誰かと関わっていきたい。

 心のメイクを、ゴシゴシこする。

「休みの日だけとか、濃すぎないようにするとか、こう、妥協点を探すよ」

「おっし! よく決めた! それじゃあ、今日はあたしんちに――」

「いいや、うちに来な」

 ユイがかっこつけて言った。

「え、急にどうした?」

「ミサコんち、とっちらかってるんだもん」

「ひっどー! 事実だけど、ひっどー!」

「ってか、ミサコんち、四人でワイワイメイクするキャパないじゃん!」

「あーん。もうやだぁ。あたし、大きくなったら大きくてきれいな家に住むんだもん!」

「もう十分に大きいけどね。身体だけは」

「むっきー!」

「はーい、ムッキッキーしてないで、行きますよー」

「コラー、フウカー! もぅ、マイコォ、なぐさめてよぅ」

「え? あ、ああ、よしよーし?」

「ふははっ! おっかしぃー!」

 本当に、おっかしぃ。

 私の人生は、ポーチを盗んだあの日から、別の世界線に迷い込んでしまったかのように、ガラリと色が変わってしまった。

 少し前の私は、こんなことになるだなんて、微塵も思っていなかった。

 かわいいを渇望して、かわいいに自ら手を伸ばし、かわいいを楽しいとイコールで結ぼうとし、スタートダッシュをかます準備をするために駆け出そうとするなんて、ありえなかった。

 全部、全部、ミサコのおかげだ。

 ミサコがいなかったら、ミサコがポーチを落とさなければ、それを勝手に使った私を許してくれなければ、私にメイクの力を教えてくれなければ、こんなに心おどる時間を、私はきっと、過ごせなかった。

「ミサコ、ありがと!」

「ふぇ? なに? 急にどうしたの?」

 許可なんて取りたくない。もう、そんな関係じゃないって信じたい。

 勢いそのまま、ミサコに抱きつく。

 柔らかくて、少し遠くに骨の硬さがあって、あったかい。

「ど、どどど、どうしたの? マイコォ」

「ポーゥ! 青いねぇ」

「フウカもスイッチ入ったの? ウケる」

「なぁっ⁉︎ ユイも乗りなよ、このビッグウェーブに!」

「えぇ、いいよぅ」

 ワイワイと、弾む声を振り撒きながら、歩き慣れない道を行く。不安なんて、少しもない。みんなと一緒なら、どこへでも行ける気がする。



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