第9話


 みんなは今、いったい何をしているだろう。私たちが戻ってこなくても、気にしないのだろうか。

 椅子に腰かけ、だらりとくつろぐ二人を見ながら考える。

 記憶を探る。こんなことは、毎回ではないけれど、時々ある。

 その時、すぐに戻ってくる人もいるけれど、チャイムが鳴っても戻ってこなかった人もいたことを思い出す。

 なるほど、戻ってこなかったのは怪我の程度や具合が悪いからではなく、こんなことが起きていたからなのか、と、私は知る。

「ねぇ。先生、すっごく興味あるんだけどさ。あんな猛攻を受けてまで、頑なにすっぴんを貫くのって、どうして?」

 先生が、私の目を見て問うてきた。

 たぶん、この二人には、話していいと思う。私の直感が、そう言っている。

 けれど、心の準備ができていない。

 私にはまだ、あの問題を解決できるほどの覚悟がない。

「校則、もそうですけど、やっぱりまだ、早いのかな? って」

「ねぇ。噂のマイコは、社会に出たらメイクをするっていうの、どう思ってる?」

「ちょ、先生。噂のマイコって呼ぶの、笑っちゃうからやめて」

「傷が痛む?」

「いや、そんなことはないけどさ。普通にマイコじゃダメなの?」

「でも、噂のマイコはユイのことを村上さんっていうじゃない? だから、なんか、ほら。呼び方のバランスが崩れる気がしたからさ、気をつかったのよ。おばさんなりに」

 先生が、村上さんを見た。村上さんが、私をちらりと見た。

「コラ、噂のマイコ。以後、村上さんと呼ばないように。ユイと呼ぶように」

「ど、ど、努力します」

「あはは! それで? マイコはどう思うの? 社会に出たらメイクをすること」

「え、えっと……。義務、とか、礼儀、とか」

 口から言葉を吐き出したはいいものの、それらはミサコの言葉を借りただけで、自分の考えじゃない気もする。

「マイコはさ、学校の授業、好き?」

「わたしはきらーい!」

「ユイが嫌いなのは知ってまーす! マイコは?」

「教科による、気がします。好きなやつは好きだし、嫌いなやつは嫌い」

「その嫌いなやつで百点取らなきゃ卒業できませんって言われたら、やる気でそう?」

「え……。やるしかないから、勉強するとは思うけど。やる気が出るかというと……」

「先生ー。結局、何が言いたいの?」

「ったく。ユイはいつもそう。結論を急ぐ」

「だって、回りくどいんだもん」

「すみませんねぇ」

 メイクをしている女子が井田先生のことを慕っているのは知っていたけれど、こんなに仲がいいとは思わなかった。

 年齢や立場の垣根なく楽しそうに話をするさまを一番近くで見ていると、うらやましい、って思う。私もそっち側に行けたら、今よりもっと面白くなるのかな? なんて、ぼんやりとした希望を描いてしまう。

「まぁ、つまりね。いろんなことは、楽しんだもの勝ちなのよ。勉強も、メイクもね。義務的にやらないといけないと思うより、楽しいからやるってほうが、絶対いい。でさ、わたしは思うのよ。学生のうちにメイクをすることを制限するのは、かわいいを楽しむ機会を奪ってるってことなんじゃないかって。そんなことをしてさ、清楚なんだか何なんだか知らないけど、すっぴん強制しといてさ、いざ成人したら化粧しろ! って馬鹿かっての。そうやって、一瞬にしてやるな、から、やれに表裏返されたらさ、やりたいよりやらねばならぬが強くなるのなんてあったりまえなのよ」

 ユイをちらりと見てみると、なぜやらニヤニヤと笑っていた。

 刹那、視線が交わる。

 ユイは肩をすくめて、破顔した。

「いきなりやらないといけないと思ってしまうような環境に放り込まれても、楽しめるならそれでもいい。でも、そうじゃないなら、少しずつ触れて、学んで、楽しめるようになっていったほうがいい。高校ってのは、社会に出るためのウォーミングアップをする場所よ。ここで準備して、進学でも就職でも何でもいいけど、その人が進むと決めた道へ進みだすっていうとき、スタートダッシュをかませるように力を蓄える場所なのよ。準備の足を引っ張る場所であってはならない。……と、先生は思っているんだ」

 先生は、まだ何かを言おうとしていたような気がする。でも、言葉を飲み込んで、話を終わらせた。

 その理由は、すぐに分かった。学校内に、チャイムが鳴り響いたんだ。先生はきっと、もう時間だと気づいて、話を切ったんだ。

「はーい。それでは手当てが終わったので、戻るように」

「へーい。ありがとうございましたぁ」

「ありがとうございました。おじゃましました」

「はーい。また来てね、マイコ。調子悪くなくてもいいからね。メイク教えてって話に来ても、大歓迎だから」

「えぇ、先生ー、わたしは?」

「ユイは誘わなくても来るでしょ?」

「あ、そっか!」

 


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