第8話
「マイコー、ちゃんとやったぁ?」
翌朝、登校するなり大きな声で問われて、私の心臓は一瞬口から飛び出た、気がした。
「や、やった、やった。ちゃーんと、やった」
無駄にたくさん瞬きをしながら、不自然なメロディーを奏でた。今どきのロボットのほうがもっとちゃんと喋れそうだ、と、私を傍観する私は思う。
「ん? 久米と喜屋武って、仲良かったっけ?」
男子に不信の目を向けられると、
「仲良かったら何か問題でもぉ?」
ミサコは私の肩に腕を回して、仲が良くて当たり前のようにふるまう。
「昨日、何があったの?」
村上さんは、怒りの感情を隠さない。クラスのみんなの反応は、至極当たり前だろうな、と、私を傍観する私は思う。
「ポーチのことでいろいろ。それで、あたしはマイコに宿題を出したの」
「はぁ? じゃあ、その宿題をちゃんとやったら、ポーチを盗んだことをゆるす、みたいな話になってるってこと?」
「ま、そんな感じ」
ミサコが、村上さんの眉間に寄った皺をつん、とつついた。
「マイコを罰することができるのも、許すことができるのも、あたしだけ」
その囁きは、芯が通った、力強い音をしていた。
毎朝、私は部屋を出る前に、ペンケースを開く。
「ペンケースに入れておけばいいよ。ペンケース漁ってまでコスメがないか確認するほどのクズ親じゃないでしょ?」と、ミサコが勧めてくれた隠し場所に、からっぽのマスカラを入れているからだ。
罪人は毎朝、ブラシでまつ毛をなでるふりをする。
色がつくでも伸びるでもないまつ毛を見つめては、心の目でそれの色と長さを見て、うっとりとする。
鏡を見続けていたのなら現実に戻ってしまうからと、鏡から目をそらし、世界を見る。
街を行く高校生や大学生や働く人の顔をよく見ては、あの人のまつ毛はきれいだとか、束感があってかわいいだとか、そんなことを考える。
「マイコー、ちゃんとやったぁ?」
「うん。ちゃんとやったよ」
おはよう、とあいさつを交わすように自然に、宿題をやったことを報告する。すっかり慣れたのは、私たちだけじゃない。クラスのみんなだって、私たちが自然に話すことに慣れたようだった。あまりに滑らかにそうなったものだから、私は気づかなかった。いつの間にか、クラスの中に溶け込んでいたことに、気づかなかった。
「あっ!」
ある日、体育の授業の途中、村上さんが盛大に転んだ。高校生になってからは見ることがなくなった、漫画とかアニメみたいな転び方だったから、みんなの反応は三拍くらい遅れていた。
「ユイ、大丈夫?」
真っ先に村上さんのもとへかけていったのは、ミサコだった。
「いったぁ……」
「うわ、めっちゃ血が出てんじゃん。マイコ! ユイのこと、保健室まで連れて行ってあげて」
「うん。……って、え?」
「え、ミサコが連れてってよぉ」
「え、あたし、この後シュート決める予定があるからムリ」
村上さんが、気まずそうな目で私を見た。たぶん、私も似たような目をしていたんじゃないかと、私は思う。
「い、痛い?」
「まぁ、うん」
ミサコがいるところでなら、彼女と話をしたことがある。
でも、ミサコがいるから話をしたのであって、ミサコがいない時に話したことはないし、話そうとしたこともまた、なかった。
二人っきりになると、会話のネタがない。
沈黙は底なし沼のようで、そこから脱出する術を見つけることが、私にはできない。
でも、保健室に着けば、ベイルアウトできるといっていい。だから、もう少しの辛抱だ。井田先生に任せたら、用なしの私はゴールを守りに戻る。
「先生ー、怪我したー」
村上さんが、ふてくされたように叫んだ。
「え? 大丈夫? どんな感じ?」
「血ぃ出てる」
「あら。じゃあ、まずは洗おうか」
「そ、それじゃあ、私はこれにて……」
「え? 行っちゃうの? せっかくサボれるのに?」
「……へ?」
「あなたはあんまり保健室に来ないわよね? お名前は?」
ベイルアウトは阻止された。授業は教師によって、体育から雑談に変わる。
「喜屋武マイコです」
「ああ、噂のマイコね!」
「う、噂の?」
「知らないの? ミサコの宿題をこなす、メイクしたほうが絶対にかわいいのにすっぴんを貫く超真面目って噂になってるわよ?」
「え、私、そんな風に言われてるんですか? む、村上さんは知ってた?」
「知ってるもなにも……。ミサコがうるさいもん。マイコはぜったいメイクしたほうがいい。高校卒業するまでに、絶対校則を破らせるって」
そんなことを言われたことは、何度もある。けれど、それをほかの人にも力強く宣言していたとは知らなかった。
「はーい。絆創膏をバシッと貼ったら傷の手当はおしまいね。じゃあ、これから心の休憩タイムに入りまーす」
「って、ただのサボりですけど」
「物は言いようよ。はい、座って、座って。何も出ないけど」
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