第5話


 いつもは見ることのない街並みが、窓の外を流れていく。

 けれど、それを穏やかに楽しんでいる余裕はない。

「あの……」

「んー?」

「えっと、その……。今更なんだけど、顔を貸す、っていうのは、どういうことなのかな、って、思って」

 問うと、久米さんがちょっと慌てた。

「ちょ、言葉が……。って、あたしのせいなんだけど、ほら。なんかいじめっ子といじめられっ子みたいに見られてる気が……」

 気まずそうな顔をして、視線を電車内にうつす。久米さんの視線をなぞるように、私も電車内を見た。

 まばらな乗客。ほとんどは手元のスマートフォンに夢中だけれど、幾人かはこちらを探るように見ている。そんな気がする。

「ねぇ。とりあえず、久米さんって呼ぶのやめてくれない? ほら、距離感あると歪な関係に見えそうじゃん? だから、もっと仲良くいこうよ。あたしのこと、ミサコって呼んで。あたしは喜屋武さんのこと、マイコって呼ぶからさ」

「え……」

「あれ? マイコで合ってるよね? あたし、名前間違えて覚えてた?」

「ううん。合ってる。覚えてもらえてると思ってなくて、だから、なんか、ビックリしちゃった」

「あはは! あっ、次。次で降りるよ、マイコ」

「あ、うん。わかった……ミサコ……さん」

 ニカッと笑ったミサコさんの、緩く握った柔らかい拳がコツン、と頭にぶつかった。

「コラ。〝さん〟は余計だよ」

 ほんの少し遠くから、私たちへと放たれる視線があるのを、背筋が感じる。

「さ、降りよー」

「う、うん!」

「今日ね、家にアイスがあるんだぁ。バニラと、チョコと、イチゴと……あと、なんだっけ? とにかく色々。着いたら食べよー」

「いいの?」

「もっちろーん」

 平静を装って、ミサコの隣をトコトコ歩く。

 乗ってきた電車が走り出す。

 背筋が感じていた視線は、離れて消えた。

 いつもは通ることのない、改札を抜ける。

 いつだって来られるはずだけれど、きっかけがないからと踏み入ることがなかった、はじめましての街が、私のことをにこやかに出迎えてくれる。


 ミサコの足は、お世辞にも綺麗とは言えない一軒家の前で止まった。

「ここ、あたしんち」

「……え?」

「なんか変?」

「ああ、いや、でも、その……。もっとこう……」

「綺麗な家に住んでそうに見える?」

「……うん」

「マイコも、みんなとおんなじだね」

「……え?」

「さ、入って。今は誰もいないから、安心して」

 ぺこり、ぺこりと頭を下げながら、家に入る。

 視界の中に、たくさんのものがあふれている。ちらりと見たくらいでは、高級そうなものは全然見当たらない。どれもが背伸びすれば高校生でも手に入れられるもののように見える。

 ミサコは靴を脱ぎ捨てると、慣れた様子で物を避けながら奥へ進みだした。私は脱いだ靴を揃えて置くと、ミサコの背中を追いかけた。

 途中、ミサコは思い出したように、転がっているものを時折ひょい、と投げた。その行動が、私の通り道を整えるためであることは、聞かずともわかった。

「ここ。あたしの部屋。中でちょっと待ってて。アイスとってくるから。あ、何味がいい? 好きな味とか、ある?」

「え、ええっと……なんでも好き」

「本当に? 雑巾味でも?」

 そんな味、面白がって作る人すらいなさそうだけど。

「ごめん。バニラ、かな。でも、チョコも好き。ああ、でも、人気ないやつが好き。うん、そう。私は、人気ないやつが好き」

「想像通りだなぁ」

「……え?」

「気遣いの鬼」

 ミサコは頭の上に人差し指のツノを作って笑った。

「じゃ、すぐ戻るから、待っててね」


 どうしたらいいのかわからなくて、ちょこんと正座をして待っていると、アイスやらジュースやらお菓子をのせたトレーを手に、ミサコが戻ってきた。

「ちょ、なんで正座」

「こ、こういう時ってどうやって座るものか、と」

「うわ、ごめん。普通の家って、イスとかあるのか」

「いや、そうかどうかはわかんないけど……。私、あんまり人のお家にお邪魔しないから」

「そっか。ま、とりあえず足を崩してよ。で、ほら。アイス、溶ける前に食べて」

 ぐい、と差し出された、淡いクリーム色を見る。

「え、バニラって人気じゃない?」

「まぁ、そうだけど。好きなんでしょ?」

「好きだけど、なんか悪いよ」

「気にしないでいいよ。ほらほら、溶けちゃうぞー?」

 ミサコはスプーンでアイスをすくうと、私の口にそれを突きつけた。唇が冷たい。触れたところから、アイスがとろり溶けていく。

 駆け引きに負けた。

 小さく口を開けて、それをぱくりと食べる。

 甘い、冷たい――美味しい。

「一口もーらいっ!」

 もうひとつのスプーンが、バニラアイスを山盛りすくいとった。それはミサコの大きな口の中に消えていく。

「うま。あ、そうだ、スプーン貸して」

「え?」

「あたしのチョコ、山盛りあげる」

 こんな山盛り、どのくらい口を開けたらいいんだろう。今度は顎が外れるんじゃないかってくらい、大きく口を開ける。

 冷たさが口の中に満ちて、思わず顔を顰めた。

「ふはは! なんだ、マイコって口めっちゃ開くんじゃん!」

「え? どういうこと?」

「いつもモゴモゴしてるから。そんなに開くと思わなかった」

「い、いじわる」

 口の中はまだ冷たいっていうのに、頬はなぜだか熱い。

「ほら、溶ける前に食べちゃお。あと、これも。あ、これ飲んで。それで、ええっと――」

「あ、あのぅ……。それで、顔を貸す、というのは」

「ああ、うん。食べてからね」

「その、具体的には、どのような」

 問うとミサコは舌なめずりをした。クリーム色と茶色とリップが消えた唇は、いつもと比べてなんだか少し血色が悪く見えた。

「そのまんま。顔を貸してもらう」

「ごめん、私、わかんない」

「マジ?」

「マジ」

 ぐっとカバンを引き寄せて、ファスナーを開けると、何かを探しはじめた。これじゃない、これでもない、とガサゴソ漁る様子を見るに、あのカバンの中もまた、この家と同じように散らかっていそうだ。

「ん」

「え?」

 ようやく見つけた、目的のもの。

 ミサコの顔の横に掲げられたそれは、私が盗んだポーチだった。

「メイク、させて」

「……へ?」

「あたし、自分の直感が真実か、確かめたいの」



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