第3話
私以外が日常を過ごす中、どんどんと夜は更けていく。
いつもよりもはやく布団に包まると、暗闇と共に、恐怖が私に襲いかかってきた。
近づく明日、私はどんな顔をして、学校へ行けばいいんだろう。
化けの皮を被るスキルが、私にはとことんない。
こうなるに至る種を蒔いたのは自分であり、その責任を取るべきなのも自分だってことは、誰に指摘されなくてもわかる。でも、日常から脱線した私が、眠りに落ちて、眠りから覚めたとき。いろいろなことをすっかり忘れて、何事もなかったかのように振る舞えるかは、さっぱりわからない。
と、いうことすら希望的観測だ。
現実はおそらく、シミュレーションを繰り返し、眠れぬままに日がのぼり、強い眠気でオーバーヒートした脳みそを強制的にシャットダウンする――そんな一本道を突き進む。
途中幾度かスリープ状態に陥るも、バックグラウンド処理をし続けた脳みそが、陽の光を感じて落ちた。
強制シャットダウンした脳みそに緊急信号――お母さんの叫び声が届く。
「コラァ! いつまで寝てんの? 遅刻するよ!」
のそのそと気だるく布団から抜け出すと、寝ぼけた目をこする。制服に着替えて、口を開けたまま放置していたカバンを掴み、朝食をとるためにダイニングへ行こうとした。
「……あ」
夜のあいだずっと私の脳みそを支配した、久米さんのポーチが目に入った。それは急速に、私の目を覚ます。
臭い物に蓋をするように、カバンのファスナーを閉める。
なんにもない、なんにもない、と自分で自分に言い聞かせながら、床を踏み鳴らし、空気を切る。
「なに? 朝からそんな勇ましい顔して。戦にでもいくの?」
「はぁ?」
「はぁ? ってなによ」
「あぁ、ごめん。おはよう。いただきます」
「う、うん。召し上がれ」
学校へ行かないという選択肢は、私にはない。
行ったふりをしてサボる選択肢もまた、私にはない。
ポーチは可及的速やかに、かつ秘密裏に、久米さんのもとへ返す。
そうして、誰に気づかれるでもなく、この夢の時間を終わらせる。
それが、自分を平凡へ引き戻す唯一の手段であると、疲れ果てた脳みそが言っている。
そこは戦場と化しているのではないかという一抹の不安を覚えながら教室へ行くと、無言で扉を開き、そろりと中に入った。
「……はぁ」
思わず安堵のため息が出た。
見た目には、いつもと何も変わらない教室だ。
席につき、カバンの中を覗き見られないよう、細心の注意を払いながら、荷物を整理する。ちらりと久米さんに目をやると、いつものメンバーでいつものようにケラケラと笑いながら話をしていた。
掲示板に貼られている、今週の授業予定表を睨む。
行事のせいで時間割が狂っている。でも、四限目の体育は変更がない。
だから私は、三限と四限の狭間でミッションを遂行すると決意した。
不休の脳は悲鳴を上げながら、休みなくミッションの段取りを確認する。
わずかしか使えない脳みそを授業と関係のないことに費やしているせいだろう、先生が言うことが少しも頭に入ってこない。
指してくれるな、と祈りを捧げる。すると、神などいないと証明するかのように、先生は私の目を見て、私の名を呼ぶ。だから私は、指してくださいと、ひねくれた何かに祈りを捧げる。すると、神は存在すると証明するかのように、先生は私を指さない。
ビクビクと怯えていると指されるけれど、堂々と振る舞っていたら指されない。つまるところ、教壇に立っているのは、わかっていなさそうな学生に恥をかかせようとする意地悪な教師、という突発的自由研究の結論に辿り着く。
心ここに在らずのまま、ダラダラと三コマを消化した。真面目に聞いている時は蛍光ペンで鮮やかにメイクされるノートが、今日はモノクロで、しかも汚かった。
見たくないものを隠すように、パタン、と勢いよく閉じる。
『着替えだるぅ』
楽しそうに文句を言いながら、体育着に着替えるために更衣室へ向かう、人、人、人。
教室の中が、からっぽになる。
――今。
体育着袋の下にポーチを隠して、教室の中、机が作り出すぐねぐねした道を歩く。久米さんのロッカーの近くにそっと、ポーチを転がす。さも、ころん、と転がり落ちたかのように。
悪いことをしたからだろう。それとも、寝不足だからだろうか。
鼓動が鳴る。手が震える。じんわりと汗が滲みだす。
ハッとして、更衣室へ急ぐ。このままでは、授業に遅刻する。
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